岡田美術館が開館10周年を迎えました。それをことほぎ、今日午後1時から、もちろん岡田美術館で、小林忠館長と私饒舌館長の対談というか、トークショーというか、ともかくも「河野元昭氏と小林忠館長が語る歌麿・北斎」が開かれます。何しろすごい人気で(⁉)、もう満杯になっているかもしれませんので、どうぞ確認のうえ奮ってご参加くださいませ❣❣❣
2023年9月30日土曜日
岡田美術館開館10周年記念 小林忠✖饒舌館長・対談
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」17
とはいえ、中国オタクの江戸文人が闘蟋を楽しんだ可能性は残るかもしれません。中国における闘蟋の組織のなかには、有名な文人結社のメンバーがスポンサーになっていたものもあったそうですから。そのうち瀬川千秋さんの『闘蟋 中国のコオロギ文化』を読んで、改めて虫を闘わせる文化とその楽しみについて考えてみることにしましょう。これが西欧にもあったかどうか、チョット気になるところです。
同じ瀬川千秋さんによる『中国 虫の奇聞集』<あじあブックス>は僕の書架にありますが、「奇聞集」に引っ掛けていうなら「奇書」ですね。蝉、蝶、蟻、蛍、蜂、飛蝗に関する中国人の認識とイメージの悠久なる歴史を読むと、「虫めづる中国の人々」という特別展もすぐできそうですが、果たして「虫めづる日本の人々」みたいにヒットするかな?(笑)
2023年9月29日金曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」16
ここから日中比較文化論へジャンプしたい誘惑に駆られますが、チョット待ったほうがよさそうです。日本にもやはり虫を闘わせる文化――蜘蛛合戦があるからです。ネットで調べると、鹿児島県の加治木蜘蛛合戦がとくに有名らしく、選択無形民俗文化財なるものに指定されているそうです。
人間は同じような遊びを考える動物なのでしょう。闘蟋の影響で蜘蛛合戦が生まれたと推測することもできるでしょうが、日本にもコオロギはいるわけですから、やはり別々のルーツをもつ文化なのでしょう。
2023年9月28日木曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」15
もちろん中国でも、虫の音を味わうことは大いに行なわれていました。虫の音を聞いて、秋の到来を知り心に哀しみを覚えるのは日本人だけだという説を聞いたことがありますが、そんなことはありません。『北京風俗大全』を読むとよく分かりますし、蟲声や蟲語を詠んだ古詩からも明らかでしょう。
それは同じですが、闘蟋はどうでしょうか。日本へ入ってこなかったと断言はできませんが、少なくとも日本で流行らなかったことは確かでしょう。科挙と宦官かんがんと纏足てんそくは日本人が学ばなかった中国文化だという説を聞いたことがありますが、あるいは闘蟋を加えることができるかもしれません。
2023年9月27日水曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」14
実は楽しむなんてものじゃなく、心血をそそぎ血道をあげたらしい。万金を払って強い虫を買い求め、プロの「コーチ」を雇い、すごいお金を賭けてやったんです。スペインの闘牛と同じように人気を集め、熱狂的に行なわれていました。古くから愛好され、本もたくさん出版されていたそうです。
その後、瀬川千秋さんが『闘蟋とうしつ 中国のコオロギ文化』<あじあブックス>(大修館書店)を著わしました。サントリー学芸賞を受賞した名著です。といっても、まだ読んじゃ~いないんです(笑) しかし闘蟋とは、明らかに先の闘○○のことですから、これからは闘蟋と書くことにしましょう。
2023年9月26日火曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」13
ところがこの字を重ねて○○と書くと、キリギリスとかカマキリになるらしいんです。これを北京人は○○児チューチュールとアール化して、つまり北京風になまって呼ぶようです。チャンと『諸橋大漢和辞典』にも立項され「北京人の好む蟲の一種。きりぎりすの類」と説明されています。
僕の書架には羅信耀著・藤井省三ほか訳『北京風俗大全 城壁と胡同の市民生活誌』(平凡社 1988年)が収まっています。1989年北京日本学研究センターに出かけるまえ本書を通読して、イッパシ北京通のような気分になったものでした(笑) そのなかに闘○○のことが詳しく書かれています。それによると、○○はキリギリスよりむしろコオロギに近いようですが、北京人はこれを闘わせて楽しんだようです。
2023年9月25日月曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」12
カタログには田中優子さんが「江戸の虫めづる文化」という素晴らしい随論を寄稿しています。田中さんは最後に、1851年ごろの制作と推定される春木南溟なんめいの「虫合戦図」(神戸市立博物館蔵)をあげ、かすかな虫の声に耳を傾けつつ、哀しみや恋心を詠った江戸時代が終り、戦争の近代が幕を開けることを、虫たちは予言しているようにみえると述べています。さすが田中さんはうまいオチを考えるなぁと、改めて感を深くします。
虫合戦といえば、思い出されるのは中国の闘○○トウチューチューです。○は虫偏に「曲」という字で、僕のワードでは出てきませんが、『諸橋大漢和辞典』にはチャンと載っていて、ミミズにあてています。
2023年9月24日日曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」11
孔子にしたがえば、詩はとても実用主義的であるのに対し、紀貫之によるところ、和歌は心に感じさせたり癒しになったりする程度で、これといった目的がないんです。もっとも、ナンパするときには役立つといっていますが……(笑)
ここからソク日中の国民性に進むことは危険ですが、『古今和歌集』序に鶯と並べてあげられるほどの河鹿から、「虫めづる日本の人々」を考えることは許されてよいでしょう。コンテクストがちょっと異なりますが、『論語』では「鳥獣」が重視され、「虫魚」は看過されているような感じがします。
2023年9月23日土曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」10
この孔子による『詩経』解釈は間違っているんじゃないかなと思いますが、チョット僭越ですから、孔子がこういう考えにしたがって古詩を収集編纂したにすぎないのだ――と言い換えることにしましょう。これでも僭越かな(笑)
それはともかく、この詩に対する考え方は、先の『古今和歌集』序にみる和歌観と、何と異なっていることでしょうか。詩と和歌という同じ短詩文学であるにもかかわらず、天地ほどに違っているといっても過言じゃ~ありません。
2023年9月22日金曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」9
先生がいわれた。
「弟子たちよ、どうしてだれもあの『詩経』を習わないのか。『詩経』によってものを譬えることができるし、風俗を察することができるし、友となって励ましあうこともでき、政治を批判することもできる。近いところでは父につかえ、遠いところでは主君につかえ、鳥や獣類、草木の種類を覚えるのに役立つものだ」
2023年9月21日木曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」8
酒井抱一の「四季草花図巻」(東京国立博物館蔵)から飛んできた蜂が表紙を飾る、洒落たカタログを開いてみましょう。第3章「草と虫の楽園 草虫図の受容について」の中表紙には、次のように書かれています。
『論語』の中に孔子が弟子・陽貨に詩を学ぶ意義について説いた「子曰く、……」という一節があります(『論語』陽貨・第17)。そこでは「(詩を学ぶことで)鳥、獣、草木の名前を多く知ることができる」とされており、この一節はやがて多くの生き物を知り、自らの知識を増やすことを奨励する思想につながり、草虫図が愛好される理由のひとつとなりました。
2023年9月20日水曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」7
やまとうたと申しますものは、人の心を種にたとえますと、それから生じて口に出た無数の葉のようなものであります。この世に暮らしている人々は公私さまざまの事件にたえず応接しておりますので、その見たこと聞いたことに託して心に思っていることを言い表したものが歌であります。花間にさえずる鶯、清流に住む河鹿の声を聞いてください。自然の間に生を営むものにして、どれが歌を詠まないと申せましょうか。力ひとついれないで天地の神々の心を動かし、目に見えないあの世の人の霊魂を感激させ、男女の間に親密の度を加え、いかつい武人の心さえもなごやかにするのが歌なのであります。
2023年9月19日火曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」6
山田監督は「吉永小百合さん扮する美しくて可愛いおばあちゃんの周辺に奇跡のように、コスパとか効率とは無縁の、僕たちの国の『逝きし世の面影』がうっすらと漂っていた」というようなつもりで作ったと述べています。記事のタイトルも「新作で描く『逝きし世の面影』」――山田監督も渡辺京二ファンであることを知って、何かとてもうれしくなってしまいました。
僕は紀貫之が『古今和歌集』の序に、「蛙かわず」を登場させていることをとても興味深く感じます。この「蛙」というのは、オスがメスを呼ぶため美しい声でなく河鹿蛙かじかがえるのことですが……。小学館版『日本古典文学全集』の現代語訳を引用することにしましょう。
2023年9月18日月曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」5
「虫めづる日本の人々」の胸底にこのような思想哲学、それが言いすぎであるならば、このような心情が宿っていたことは疑いないところでしょう。清少納言がたたえた「何もなにも小さきものはみなうつくし」といった美意識が、動物のなかでもとくに小さい虫に対する共感を強めた可能性もあるのではないでしょうか。
『逝きし世の面影』といえば、この間の『朝日新聞』に山田洋次監督の「夢をつくる」というというインタビュー記事が載っていました。僕も尊敬してやまない女優の吉永小百合さんを主人公にして、監督は「こんにちは、母さん」という映画を最近完成させたそうです。
2023年9月17日日曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」4
ホジソン夫人はこれらの蛇を実のところ殺してほしかったようですが、それはできませんでした。蛇はお寺の主でもあったからです。渡辺先生は、あの気味の悪い蛇とさえ共生していた「ある一つの文明」を、ホジソン夫人の体験をとおして語り始めたのです。続いてムカデの話に筆を進めた渡辺先生は、猫や犬や馬や牛の場合を取り上げ、次のように結論しています。
徳川期の日本人にとっても、動物はたしかに分別のない畜生だった。しかし同時に、彼らは自分たち人間をそれほど崇高で立派なものとは思っていなかった。人間は獣よりたしかに上の存在だろうけれど、キリスト教的秩序観の場合のように、それと質的に断絶してはいなかった。草木国土悉皆成仏という言葉があらわすように、人間は鳥や獣とおなじく生きとし生けるものの仲間だったのである。
2023年9月16日土曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」3
渡辺京二先生は名著『逝きし世の面影』に「生類とコスモス」の一章をもうけ、1859年来日、函館領事をつとめたクリストファー・ホジソンの夫人エヴァの体験から書き出しています。
ホジソン夫人は長崎で領事館にあてられた寺に落ち着いたが、朝起きてベッドから足をおろすと、足もと数インチのところに蛇がいた。彼女は悲鳴をあげ、召使を呼んで始末させたが、彼はその蛇をどうしても殺そうとはしなかった。またある日、蛇は客間に侵入して、とぐろを巻いた。先日の蛇とは別な奴だったが、そいつは「おれはもう一度やって来るぞ」といわんばかりに、彼女をにらみつけて立ち去った。そして「約束どおり」二、三日後の夜、エヴァの枕もとを滑って通りすぎた。
2023年9月15日金曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」2
古くから日本美術では、虫は重要なモチーフでした。現代において昆虫と分類されるものだけでなく、蜘蛛や蛙、蛇などのうごめく小さな生き物たちも虫として親しまれ、物語や和歌、様々な美術作品に登場します。……また、草花や虫を描き吉祥を表わす草虫図が中国からもたらされ、中世から長く日本で珍重されてきました。江戸時代に入ってからは、本草学の進展と博物学的精神の萌芽によって、多彩な虫の絵が生み出されます。……日本の虫めづる文化は、長きにわたって育まれてきましたが、大衆化が進んだ江戸時代をひとつのピークとすることが出来るでしょう。そこで、本展では主にこの時代に焦点をあて、虫と人との親密な関係を改めて見つめ直します。
2023年9月14日木曜日
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」1
サントリー美術館「虫めづる日本の人々」<9月18日まで>
残り5日間です!! 残部僅少です(!?) 饒舌館長ゼッタイおススメの美術展です!! でも饒舌館長がおススメなんかしなくたって、いま江戸で評判の美術展――すでに鑑賞された美術ファンも少なくないことでしょう。一昨日の『朝日新聞』夕刊にも、「美術館で蔵で 虫探す楽しみ」と題して大きく取り上げられていました。
しかも文化面じゃ~なく、社会面ですよ。この特別展「虫めづる日本の人々」の人気が、社会現象になっていることの証拠です。いや、主催者がサントリー美術館+朝日新聞社だからかな(笑) 展覧会の趣旨については、チラシの一部を引用しておきましょう。
2023年9月13日水曜日
浦上玉堂『國華』特集号9
僕は本図に賛された玉堂詩の最初を、さかしらに「深室蕭然」と読みました。しかしすでに「窟室蕭然図」で流布していますし、それも悪くないと思ったのでそのままにしました。その玉堂詩のマイ戯訳は……。
奥まった家ものさびて 絶えて聞こえず外の音
調弦しながら客を待つ 陰翳礼賛いんえいらいさん――そんな気分
仲秋の月 照らす山 鳥も驚く明るさで
葉擦れの音に人語なく 琴の音ね 夜半よわに冴えわたる
素焼きの猪口にマツヤニで 醸かもした酒は辛口で
螺鈿らでんの琴節きんせつ竹のネジ もちろん馴染んできたものだ
嘆いちゃならない 世の中に 仲のよい友 少なきを
好悪こうおが強いもともとの 我が性格のゆえだから
2023年9月12日火曜日
浦上玉堂『國華』特集号8
しかしここに酒仙玉堂の面影がないのはチョット寂しく、『國華』解説では『玉堂琴士集』から名吟「酒を把りて琴を弾ず」を引いてしまいました――本図とはまったく関係がないのに……(笑) マイ戯訳はかつて紹介しましたが、ちょっとバージョンアップしましたので……。
琴 弾きながら酒 酌めば 酒はいよいよ香り立つ
酒 酌みながら琴を弾きゃ 琴の音ねいよいよ澄み渡る
一杯の酒×一張の 琴の相性 抜群だ
こんな時には世の中の 雑事すべてを忘却す
2023年9月11日月曜日
浦上玉堂『國華』特集号7
医術をよくした師・玉田黙翁の影響を受けて、玉堂もこれに造詣が深く、漢方薬を調合して、漢詩人・西山拙斎に贈ったりしています。玉堂が修亭を迎え入れたのは、もちろん風雅を愛する文人としての交わりでしたが、漢蘭折衷医の修亭に対する尊敬の念もあったにちがいありません。
この七言律詩は玉堂の詩集である『玉堂琴士集』に収録されることはなかったようですが、琴に対する強い愛惜の念と、清濁併せ飲むことができない自己の性格に対する矜持をうたって、玉堂その人と対面しているような気持ちになってきます。
2023年9月10日日曜日
浦上玉堂『國華』特集号6
画面上部に七言律詩の賛と款記があります。その年の陰暦8月16日の夜、中川修亭が琴を携えて、京都東山の小さな家に住んでいた玉堂を訪ねてきました。十六夜いざよいの月を愛でながら、修亭は詩を詠み、玉堂はそれに合わせて琴を奏しました。あるいは修亭の詩の韻に合わせて、この七言律詩を作ったのかもしれません。
修亭は麻酔手術で有名な華岡青洲とも交流した、漢方と西洋医学を兼ね備えたお医者さんでした。修亭は文化10年(1813)版『平安人物志』にも挙げられており、当時京都で活躍していたことが分かります。この紳士録には玉堂も載っています。
2023年9月9日土曜日
浦上玉堂『國華』特集号5
田能村竹田は著書『山中人饒舌』において、玉堂画の素晴らしさは微茫惨澹――はっきりとは認識できない幽玄にして微妙な感じにあると指摘しています。本図も例外ではありえません。
また竹田は、玉堂の作品に三つの特徴があると述べています。木の幹は細いが枝葉が多いこと、点景の人物が小さいこと、筆墨が紙背に透っていることです。しかし本図には点景人物が描かれておらず、きわめて珍しい玉堂画となります。本図は60歳代後半の制作にかかるものと推定されますが、この時期には他にもこのような無人の作品があるのです。
2023年9月8日金曜日
浦上玉堂『國華』特集号4
これらの活動の集大成と称すべきものが、2020・2021年に出版された全3巻4冊に及ぶ大部な『浦上玉堂関係叢書(浦上家史)』(学芸書院)である。玉堂の多岐に亘る活動に合わせて、美術史のみならず様々なジャンルの第一線の研究者が多数参加し、様々な側面から検討を加えることで、現段階での玉堂研究を総括した。
玉堂好きなら人後に落ちない饒舌館長です。守安さんとは旧知の間柄ですが、先の『浦上家史』編纂委員会とはまったく無関係なのにしゃしゃり出て、「窟室蕭然図」の解説をもぎ取りました(笑) すでに2021年、東京黎明アートルームで開かれた「浦上玉堂展」についてはアップしましたが、そのときはじめて見て感を深くした玉堂の傑作です。
2023年9月7日木曜日
浦上玉堂『國華』特集号3
近年、浦上玉堂についての研究状況が大きく変化したことは近世絵画研究者の間で共通の認識であろう。展覧会としては、2006年に岡山県立美術館・千葉市美術館において行なわれた「浦上玉堂」展……(以下略)。
それに伴って研究も進んできたのだが、こうした動向をもたらした中心の一つとして岡山県立美術館の守安収氏らが発起人となって始まった『浦上家史』編纂委員会の活動が挙げられる。2013年、本格的に始動したが、書籍の刊行のみならず、「玉堂清韻社」という会を組織し、会報を刊行、展覧会・シンポジウムなどの企画にもコミットした。
2023年9月6日水曜日
浦上玉堂『國華』特集号2
それじゃ~美術史学の存在意義がまったくないじゃないかと非難されても、出来ないものはできません。精々できるのは、それを言語化することにかなり成功した、ブルーノ・タウトの『日本文化私観』を紹介することだけです。
この浦上玉堂をモチーフに、「浦上玉堂研究の現在」と題された『國華』の特輯号が発刊されました。編集を担当したのは御存知!!板倉聖哲さん、彼の「特輯にあたって」の一部を引用することにしましょう。
2023年9月5日火曜日
浦上玉堂『國華』特集号1
『國華』1532号<特輯 浦上玉堂研究の現在>
浦上玉堂――何とすばらしい文人画家でしょう。この「饒舌館長ブログ」でもずい分オマージュを捧げてきました。しかしその素晴らしさを言葉に表現することも、分かるように説明することもゼッタイできません。
近代美術史学の泰斗とたたえられ、先日も紹介したヤーコプ・ブルクハルトが言うとおりなんです。彼は「もし最も深い内容、すなわち美術品が表現している究極のものを言葉で言いあらわすことが一般に可能であるならば、美術とはまことに余計なもので、すべての建築や彫刻や絵画は、それぞれ建てられたり刻まれたり、描かれなくてもよかったであろう」と書いているそうです。
2023年9月4日月曜日
竹浪遠『松竹梅の美術史』8
一般的には明の士大夫・鄭彦ていげんが松竹梅図の嚆矢といわれているけれども、唐の時代には描かれていたことが明らかだと、紫雲先生は李邕詩の発見を誇っていらっしゃいます。もっとも鄭彦は、明じゃなく宋の人のようですが……。
この『松竹梅の美術史』は鹿島美術財団の助成を受けて出版されました。竹浪さんも「あとがき」で真率なる謝辞を捧げています。この美術財団のお手伝いをさせてもらっている饒舌館長にとっても大切な一冊――読後すぐ書架に収めたのでした。
それはともかく、松竹梅が日本へもたらされて、マツ・タケ・ウメと大和言葉で読むと、どうして回らないお寿司屋さんの符丁になっちゃったのかな?(笑)
2023年9月3日日曜日
竹浪遠『松竹梅の美術史』7
もっとも、揚補之が松竹梅を一緒に描いた最初の画家ではないようです。愛用する金井紫雲の『東洋画題綜覧』によると、すでに唐の有名な書家・李邕りようが、松竹梅図に6言詩を着賛しているんです。これもマイ戯訳で……。
雪見 楽しみ酒を酌む 寒さ身にしむ独り部屋
氷を割って湯をわかし 茶を煮りゃ部屋も温まる
チョット酔ったらいい気分 子供を呼んで画をひろげ
心ゆったりにこやかに 「松竹梅花」と題を書く
2023年9月2日土曜日
トークショー「都市と美術館」3
これは1883年の講演ですが、都市にギャラリーや美術館が出現してそれほど年月が経っていない時代です。それに対する理想主義的観念や明るい高揚感に満ちていて、すべてに懐疑的・悲観的になっている現代の私たちをうらやましがらせてくれます。ブルクハルトが饒舌館長の「質量主義」とか「気軽に楽しめる美術館」なんていうキャッチコピーを知ったら、きっと怒り出すことでしょう。
ブルクハルトは講演に先立ち、つねに広範囲にわたって周到な準備をしました。しかしいざ講演となると、このような苦労の片鱗も見せませんでした。話しぶりは自由で、……そして一切は真に偉大で、人間らしく親しみ深い個性で満たされていたそうです。
ヤジ「俺のは講演じゃなく口演だなんて居直っているのは、どこの誰だ!!」
2023年9月1日金曜日
トークショー「都市と美術館」2
準備をしているときに思い出したのは、近代美術史学の泰斗とたたえられるヤーコプ・ブルクハルトの『ブルクハルトの文化史講演集』<新井靖一訳>(筑摩書房 2000年)の「美術コレクションについて」の一節です。ブルクハルトは次のように述べています。
私たちはギャラリーを画家たちのために訪れるのではまったくなく、むしろ私たちのために訪れる。私たちは、さまざまの偉大な時代の芸術を私たちに示してくれる、理想主義と真理の高貴な結びつきのうちに、私たち自身の感覚と観照を豊かにしてくれるものを見出すことで、それをもって幸福と思うべきである。
出光美術館「トプカプ・出光競演展」2
一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。 日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...
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実をいうと、クァチュオール・アコルデさんには、一昨年お願いしたのですが、台風とコロナ緊急事態宣言のため2度中止となっていまいました。しかしあきらめきれず、先週の日曜日に改めてお願いしてあったのですが、この日まで緊急事態宣言が延長されたためマタマタ中止、宣言が解けた最初の日曜日...
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高階秀爾先生が10月17日、 92 年の超人的生涯を終え白玉楼中の人となられました。ご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 一人の人間が、これほどの質量を兼ね備えた仕事を一生の間になし得るものでしょうか。しかも特定のジャンルに限定されることはありませんでした...
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もちろん雅文化であるクラシック音楽に、造詣が深かったことは言うまでもありません。ハープ奏者として活躍している摩寿 ( 数 ) 意英子さんは、高階先生と何度も一緒にお仕事をされたそうです。 その摩寿意さんが、先日僕の「追悼 高階秀爾先生」に、先生が音楽にも大変お詳しいことに...