また、美人そのものを描くのではなく、鏡に映った美人の姿を描くという、国貞の「今風化粧鏡」のマニエラは、初代豊国が大変強い影響を受けた喜多川歌麿に求められます。歌麿の「姿見七人化粧」がそれです。国貞はこの歌麿画を見て、「今風化粧鏡」のヒントを得たにちがいありません。
このほかにも、国貞は歌麿からとても大きなインスピレーションを与えられています。たとえば、「江戸自慢 五百羅漢施餓鬼」に見られる、蚊帳を通して人間をみるという手法は、早くから歌麿が愛用するところでした。初代豊国を中心として、たくさんのマニエラが国貞の前には用意されていたのです。そのようなマニエラを使いながら、独自の浮世絵世界を創り出した国貞は、傑出したマニエリスムの画家でした。
しかし実は、国貞だけでなく、19世紀に活躍するすぐれた浮世絵師は、ひとしなみにマニエリストだったのです。そのようなマニエリスムは、葛飾北斎にも、歌川広重にも看取されます。しかし新しい風景版画よりも、長い伝統を誇る美人画や役者絵の方に、より一層顕著にうかがわれるのは、不思議でも何でもありません。しかし、こんな国貞マニエリスム論を臆面もなくやっていると、どこからかお叱りの声が飛んできそうな気がします。
「お前は何でもかんでも、日本の19世紀美術はマニエリスムだと繰り返し吠えているが、それこそマンネリズムだ!!」