医術をよくした師・玉田黙翁の影響を受けて、玉堂もこれに造詣が深く、漢方薬を調合して、漢詩人・西山拙斎に贈ったりしています。玉堂が修亭を迎え入れたのは、もちろん風雅を愛する文人としての交わりでしたが、漢蘭折衷医の修亭に対する尊敬の念もあったにちがいありません。
この七言律詩は玉堂の詩集である『玉堂琴士集』に収録されることはなかったようですが、琴に対する強い愛惜の念と、清濁併せ飲むことができない自己の性格に対する矜持をうたって、玉堂その人と対面しているような気持ちになってきます。
この狩場明神に導かれた弘法大師が、紀伊国境を流れる吉野川のあたりにたどり着いたとき出現したのが丹生明神です。丹生明神はその山域の地主神で、大師に高野の地を示して差し出したと弘法大師伝に書かれているそうです。 丹生明神はイザナギとイザナミの娘ともされる女神ですが、本図では十二...
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