2021年10月31日日曜日

サントリー美術館「刀剣」6

 


 日本美の特質を一言で表現するならば、簡潔性に尽きる、英語を使うならばシンプリシティーに尽きるというのが私見です。簡素にして潔いのです。単純にして清潔なのです。そして看過できないのは、どんなに複雑な様式や構成や技術でも、簡潔に見せることを尊ぶ美意識が生まれたことです。これをも含めて、日本美術の簡潔性と私は呼びたいのです。

もしこれが認められるならば、日本刀こそ凝縮された簡潔性そのものだといってよいでしょう。そのフォルムはきわめて簡潔です。それを中国の青龍刀や柳葉刀や太極剣と比べてみれば、説明の要はないでしょう。

しかしそれを鍛え上げる技術は、これまたきわめて複雑であり、その痕跡が刃文や鍛え、映り、匂い、沸<にえ>となって、日本刀の見所になっています。その技術習得はたいへん難しく、何十年もかかるといいます。

*中国の刀剣については、このブログの「中村真彦さんの太極剣と太極刀」をご参照くださいませ。

2021年10月30日土曜日

サントリー美術館「刀剣」5

 

 


 私は日本刀のカーブが、平仮名の美しいカーブと共鳴していることを、大変興味深く感じます。中国の直刀が漢字であるとすれば、日本刀は平仮名なのです。前者が益荒男[ますらお]ぶりであるとすれば、後者は手弱女[たおやめ]ぶりだといってもよいでしょう。

本来、刀は武士[もののふ]が身につける武具です。ですからこの特別展のサブタイトルも「もののふの心」となっているんです。そのほか律令官僚や公卿がつける場合もありましたが、いずれにせよ男性が身につけた武具を手弱女ぶりだというのは矛盾ですが、どうしても私にはそう感じられてしまうのです。

現代の手弱女たちが日本刀に興味をもち、それを愛するようになっている現象は、何と愉快なことでしょうか。それはともかく、日本美術を際立たせる美として「反り」があることは、近現代日本を代表する名建築家・谷口吉郎が早く指摘するとおりなのです。

2021年10月29日金曜日

サントリー美術館「刀剣」4

 

 


 中国の刀は本来直刀でした。その強い影響を受けたわが古墳時代や正倉院御物の刀が直刀であるのは、不思議でも何でもありません。その伝統が平安時代前期まで続いていたことを、「黒漆剣」は教えてくれます。しかし平安時代も後期を迎えると、徐々に日本刀は反り、つまり微妙なカーブを身に帯びるようになり、彎刀が誕生します。

それはきわめて高度な折り返し鍛錬法の技術が生み出す自然の美であったように思われます。あるいは騎馬戦が行われるようになった戦法の変化とも無関係ではないでしょう。 現在私たちが日本刀と聞くと、あの微妙な反りをまず思い浮かべますが、それを特徴とするフォルムが完成したのは、平安時代後期のことでした。まさに国風文化の時代でした。

日本刀は王朝文化のなかで完成されたといってもよいでしょう。実に興味深いことです。そして重要なことは、その微妙なカーブを美しいと感じる美意識が醸成されていった事実です。おそらく両者は因果の関係に結ばれているのでしょう。

2021年10月28日木曜日

サントリー美術館「刀剣」3

 

 2018年秋、京都国立博物館で「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」が開かれました。翌年には、静嘉堂文庫美術館で「備前刀入門」を開催し、皆さまのお陰で大変な入館者数を記録することができました。以下はそのようなときにエントリーした私見をバージョンアップしたもので、あるいは今回の「僕の一点」を鑑賞するときの参考にでもなれば……と思って再録しますが、すでにお読みになった方は、スルーしていただいて結構です。

 日本刀は日本独自の武具です。世界に誇るべき美術であり、工芸です。もちろん、その源泉は中国に求めることができます。日本美術のオリジンは、多く中国に発するのですが、日本刀も例外ではありません。

 しかし、平安時代後期以降わが国で創り出された日本刀は、すでに日本独自の美に昇華されているといって過言ではないでしょう。 

2021年10月27日水曜日

サントリー美術館「刀剣」2

 

「僕の一点」は、「黒漆剣[くろうるしのつるぎ]」(京都・鞍馬寺蔵)ですね。鞍馬は牛若丸伝説で有名ですが、そこにある鞍馬寺は、宝亀元年(770)鑑真和尚のお弟子さんで有る鑑禎[がんちょう]上人が、毘沙門天を安置した草庵に住んだことに端を発します。

この「黒漆剣」は、蝦夷征伐で有名な坂上田村麻呂の愛刀であったと伝えられています。カタログ解説を担当した京都国立博物館・末兼俊彦さんによると、平安時代初期の9世紀にさかのぼる名刀で、「柄は下地に目の粗い布を張り、黒漆をかけた片手柄で、鞘は薄い革を下地とした上で表面には黒漆を塗る」とあります。ここから「黒漆剣」と呼ばれるようになったのでしょう。ただし鞘は経年劣化が進んでいるとのことで、今回は展示されていません。

「僕の一点」に選んだのは、これが平安時代初期の直刀だからです。弘仁貞観刀(!?)だからです。かつて日本刀に関する独断と偏見をアップしたことがありますが、この実証になくてはならない刀剣だからです。 

2021年10月26日火曜日

サントリー美術館「刀剣」1

サントリー美術館「刀剣 もののふの心」<1031日まで>

 「生活の中の美」を基本コンセプトとするサントリー美術館もついに軍門に下り、刀剣展を開催しています( ´艸`) ゲーム「刀剣乱舞」を契機として沸き起こった刀剣ブームのすごさを物語る<事件>です!! しかしさすがサントリー美術館――並みの刀剣展とはチョット違います。どこが違うのか、カタログから「ごあいさつ」の一部を引用しておきましょう。

 サントリー美術館が所蔵する狩野元信筆《酒伝童子絵巻》においては、武勇で名高い源頼光が率いる渡辺綱などの四天王が活躍します。今回の展示では、これらの刀剣にまつわる伝説についても、物語絵や浮世絵の武者絵によってその変遷をご覧いただきます。さらに、臨場感あふれる合戦絵巻や甲冑、刀装具によって戦いに赴く武家のいでたちをご覧いただくとともに、調馬や武術の鍛錬など、日々の暮らしぶりなどにも着目し、武家風俗を描く絵画や史料を展示します。 

2021年10月25日月曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」18

 昨日アップした「庚戌夏五月 梅影楼に留連すること連日 之れを賦して主人に贈る」は、烏洲絶唱の一首だと思いますが、戯訳を考えていると、マイ暗唱唐詩の一つである李白の七言絶句「客中行」がそれとなく浮かんできました。烏洲が『唐詩選』に採られるこの名吟を知っていたことは、改めて言うまでもないでしょう。かの入矢義高先生なら、ヤッパリ李白の方が良いなんておっしゃるかもしれませんが……()

  山東蘭陵 銘酒あり ウコンの香りもかぐわしき

  あぁ玉杯になみなみと 注げば輝く琥珀色

  ご主人!! 旅するこの俺を 酔わしておくれ存分に……

  そうすりゃ他郷もふるさとも なくなっちゃうさ区別など

 

2021年10月24日日曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」17

金井烏洲「庚戌夏五月 梅影楼に留連すること連日 之れを賦して主人に贈る」(しの木弘明『金井烏洲』)

  梅の実 熟れるこの季節 来る日も来る日も雨が降り

  青葉も茂るその陰の 昼なお暗き梅影楼

  降り続く雨――連チャンの 酒宴飲み会 主[ぬし]と客

  早や陶然となるころにゃ 旅愁なんかはどこへやら

  つゆの季節の梅影楼 これはこれまたいいけれど

  約束しましょう いつの日か 必ず再訪することを

  出来ることなら梅の春 暗香浮動の月光が

  差す欄干の花かげを 楽しみたいなぁ!! 飲みながら……

 *「暗香浮動」は有名な北宋・林和靖の詩「山園の小梅」から、烏洲がパクッたフレーズです() 6月下旬にアップした「青梅の季節」14を併せご笑覧ください。

 

2021年10月23日土曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」16

 

金井烏洲「雨後出遊し向陵山人の韻に次ぐ」(しの木弘明『金井烏洲』)

  盛り上がったる飲み会も 帰るときには酔いも醒め

夕日の光がはすかいに 庵[いおり]の扉に差している

素敵な春の景色だが あんまり好きになれぬのは

  盛りの桜――その枝に 干してる洗濯物のせい


2021年10月22日金曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」15

金井烏洲「雪水煎茶」(しの木弘明『金井烏洲』)

  酔いが醒めたら喉[のど]渇き 「茶が飲みたいなぁ!!」 窓越しに

見る山の端にのぼる月 失敗した画紙 山のよう

子どもに頼む「茶を淹[]れる 雪を庭から持って来て!!

  重たい瓶[かめ]の雪の中 咲き初めし梅まじりおり


 

2021年10月21日木曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」14

 


金井烏洲「七夕」(菊池五山『五山堂詩話』補遺1)

  初秋 迎えた江戸の町 さわやかな気に満ちている

  どっかの家の二階では 七夕の宴 開いてる

  浮き立つような笑い声 にぎやかな歌 響く笛

  牽牛・織女の天の川 はさんだ悲恋を知らぬ気に

2021年10月20日水曜日

東京美術俱楽部「美のまなざし」「東美特別展」5

 

 「蓮下絵百人一首和歌巻」は全長二十五メートルほどの長大な巻物で、元和初めの制作と推定されている。半数以上の五十七首分が関東大震災で失われ、いまは遺った部分が断簡となって諸家に愛蔵されているが、在りし日の姿は写真によってしのぶことができる。銭葉から蓮房や散りゆく蓮華まで、蓮の一生が金銀泥で描かれているが、これは天智天皇から順徳院に至る、歌人の時代順的配列とパラレルな関係に結ばれている。両者が時間とともに流れていく。

この「美のまなざし」展のプレ・ビューが行なわれた14日、併せて國華清話会特別鑑賞会が開かれました。東京美術商協同組合理事長の川島公之さんと國華編集委員の板倉聖哲さんの興味深い講演もあって、コロナがピークアウトした錦秋の一日を、100人以上を数えた会員の方々と一緒に楽しく過ごしたことでした。

2021年10月19日火曜日

東京美術俱楽部「美のまなざし」「東美特別展」4

10点の最後を飾るのは、本阿弥光悦書・俵屋宗達筆「蓮下絵和歌巻断簡」です。その解説を書いたのは、何を隠そう饒舌館長です() ついでにというのも何ですが、その一部も掲げておくことにしましょう。

 金泥と銀泥の呼応から生れ出るリズムとハーモニーに心惹かれる。その上を流れていく水茎の跡の変化と大胆さがじつにすばらしい。絵と書が競い合うように、あるいは主となり従となり、そして睦み合うようにして巻末に至る空間と時間の構成を誉めたたえる言葉は、誰にも思いつかないであろう。さまざまな意味で、日本美術の象徴的作品である。 

2021年10月18日月曜日

東京美術俱楽部「美のまなざし」「東美特別展」3

 

『國華』も長きにわたり、東京美術倶楽部と大変親しくさせていただき、有形無形の恩恵を拝してきました。改めて感謝の辞を捧げたいと思います。というわけで、この「美のまなざし」展を『國華』もお手伝いすることになり、10点のうち6点のカタログ解説を、國華編集委員が担当したのです。その瀟洒なカタログには、國華主幹の佐野みどりさんが「ごあいさつ」を寄せていますので、その一部を紹介しておきましょう。

明治40年(1907年)創立の東京美術倶楽部は、日本の美術業界を領導する百十余年の歴史を刻んでこられました。明治22年創刊の『國華』もまた、「美術は国の精華なり」と日本における美術の顕彰を理念に美術品の紹介に努めてまいりました。その間、東京美術倶楽部の皆さまには、さまざまにご助力を戴きました。

明治末から大正、昭和。関東大震災や経済恐慌、第二次世界大戦、戦後の復興、そして平成から令和という時代の大波の中で、美術品もまた影響を受けてきました。移り変わる時代のなかで、数多くの美術品が東京美術倶楽部の売立会や入札会などを経て、それぞれの居場所へと流通していったことへと思いを巡らせ、今現在、展覧会や美術館での作品との出会いが、このような縁によって結ばれていることに深い感慨を覚えます。

2021年10月17日日曜日

東京美術俱楽部「美のまなざし」「東美特別展」2

 

ここで「美のまなざし 東京美術倶楽部を彩った東京国立博物館所蔵の名品」という展覧会が開かれています。出陳されているのは、東京美術倶楽部とゆかりの深い東京国立博物館コレクションから選ばれた、国宝2点、重要文化財3点を含む10点の名品です。

もう一つの「東美特別展 数寄を未来に」は、東京を代表する美術店の方々が、自慢の逸品をそれぞれのブースで展示する美術展で、今年は21回目を迎えました。すでに『國華』で紹介された名品や初公開の優品が、ガラス越しじゃ~なく、直に鑑賞できるというのがウリなんです。しかし、両者とも開催期間が1015日からたった3日間というのですから、これまた並みの展覧会じゃ~ありません。

2021年10月16日土曜日

東京美術倶楽部「美のまなざし」「東美特別展」1

 

東京美術倶楽部「美のまなざし 東京美術倶楽部を彩った東京国立博物館所蔵の名品」と「東美特別展 数寄を未来に」<1017日まで>

 東京美術倶楽部で「美のまなざし」展と「東美特別展」が開かれています。東京美術倶楽部といっても、よほどの美術ファンでなければピンとこないかもしれません。東京美術倶楽部は、美術作品を本当に欲しいコレクターのもとへ安全に旅をさせるという、美術にとってなくてはならない崇高にしてまた現実的な仕事を続けてきた、ものすごい組織です。

東京美術倶楽部は優秀にして誠実な「美のナビゲーター」「美のメッセンジャー」なのです。僕たちが研究している日本美術史も、東京美術倶楽部によって支えられてきた部分がとても大きいのです。東京美術倶楽部は株式会社の形をとっていますが、並みの株式会社じゃ~ありません。

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」13

金井烏洲「山寺早起」(菊池五山『五山堂詩話』補遺1)

  間遠に聞こえる鐘の声 霧もようやく晴れ渡る

  春のあけぼの山中は 冷ややかなること秋に似る

  五重の塔の影長く 庭に映って三、四丈

  残[のこ]んの月が老松の テッペン高く浮かんでる

 

2021年10月15日金曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」12

 

金井烏洲「竹を移す」(菊池五山『五山堂詩話』補遺1)

  竹をみずから移植した  

緑が映るよカーテンに……

  なかるべからず庭に竹  

なくていいんだ花なんか

  俗事だったらやらないが 

親友のため買ってでた

  数本だって充分だ

清風すでに家に満つ


2021年10月14日木曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」11

これは文化13年(1816)、郷里上州から江戸へ出た21歳の烏洲に対する菊池五山の印象です。本当は心やさしいのに、それを素直に表現することができず、今の言葉でいえば、空気が読めず自分が正しいと信じる考えをストレートに述べて浮き上がってしまう、純粋にして孤独な青年烏洲の姿が彷彿としてきます。あるいは、いまの伊勢崎から大江戸に出てきて、チョット虚勢を張っていたのでしょうか。

これに続けて、五山はそのころ詠まれた烏洲の詩を3首紹介しています。現在知られる烏洲のもっとも早い吟詠だそうですが、20代初めの詩とは思えない成熟した漢詩世界を創り出しています。この3首と、しの木弘明著『金井烏洲』から選んだ3首を、マイ戯訳で紹介することにしましょう。『金井烏洲』からの3首は、すべてお酒にからむ詩になってしまいましたが……()

 

2021年10月13日水曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」10


 しの木弘明著『金井烏洲』は、今回カタログ・エッセーを書くに当たって、はじめて読んだモノグラフです。しの木氏のライフワークだったにちがいなく、本当によく調査されています。多くのことを学びましたが、とくに烏洲がすぐれた漢詩人であったことに、深く心を動かされました。烏洲こそ関東南画を代表する詩画一致の画家だと確信した次第です。

菊池五山の『五山堂詩話』補遺第1巻にも著録されているとのこと、静嘉堂文庫にある天保版を見たところ、しの木氏が省略していたロマンティックな七言詩「七夕」も知ることができました。

五山は烏洲について「外面は骯髒[こうそう]だけれども内面は温藉[おんしゃ]である」とたたえています。「骯髒」を『諸橋大漢和辞典』に求めると、「直を好んで志を得ないさま」とありますから、直情径行にして周囲との折り合いが悪く、みずからの矜持にこたえるほどの高い評価も得られなかったのでしょう。温藉は心広く包容力があってやさしいという意味です。

 

2021年10月12日火曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」9

 

今回の口演では、「関東文人画」ではなく「関東南画」を用い、「関東南画」「関東南画」と連呼したことでした。これまで僕は「文人画」支持者だったのですが、「南画」支持者に豹変したんです。最近、豹変がはやっているようで、先日の朝日川柳にも「君子かは知らねど太郎豹変す」という名吟がありましたが、そういえば僕も同姓でした()

現在、このジャンルの絵画が人気ウスなのは、「文人画」という呼び方にも原因があるように思い始めたからです。親しみ易い「南画」といえば、もうチョット人気があがるかもしれません。それに初めから僕は、文人画≒南画と言ってきたわけですから、どっちを使っても構わないということになります。そもそも後期高齢者になると、もう文人画でも南画でも、細かいことはどうでもよくなるんです()

2021年10月11日月曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」8

 


 昨夜は庭の桐の葉が 散りゆくかすかな音がして

垣根の豆の花の下 鳴いていましたキリギリス

  林野に満ちる涼秋の 気配に初めて気がつけば

 木々の葉音は寂しくも 空うるおいて清々し

さいわいなるかな!! 枕辺の ともし火だけはまだ消えず

読書をすればこんな時 その効能は倍加する

しかし読書の目的は 役立つことより楽しみだ

名月見んとて起きあがりゃ 冬空みたいに高く冴え……

2021年10月10日日曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」7


 『宋詩紀事』は清の厲鶚[れいがく]が編纂した100巻のすごい本です。これを烏洲は所有していたんです!! 『宋詩紀事』には和刻本もないようですから、原本であったことは間違いないでしょう。驚くべきことです!! 

金山家は豪農であったにもかかわらず、伊勢崎藩への貸付が回収できず、烏洲は不遇な晩年を送ったといわれ、しの木弘明氏は著書『金井烏洲』(群馬県文化事業振興会 1976年)に「家産蕩尽す」という1章を設けているほどです。

しかし、貸付回収が不能だったことは事実だとしても、このような漢籍や古典籍を金に糸目をつけず購ったことも、原因だったのではないでしょうか。これも烏洲が真の南画家――さらに言えば真の文人画家であったことを物語っています。

ヤジ「またいつもの独断と偏見、妄想と暴走だろう! 証拠を見せてみろ!!

 証拠は見せられませんが、翁森の「四時の読書の楽しみ」<秋>にほどこしたマイ戯訳をお見せすることにしましょう() 

2021年10月9日土曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」6

「百度百科」によれば、この「四時の読書の楽しみ」は人口に膾炙しているそうですが、それは中国の話で、日本の烏洲がどうやってこれを知ったのでしょうか。『中国学芸大事典』にも出てこないようなマイナー文人の詩を……。

太田さんは『群馬県立近代美術館研究紀要』9号に、「金井烏洲試論――収蔵品紹介と『秋月書屋図』を一例に」という力作論文を発表しています。それによると、翁森の「四時の読書の楽しみ」は『宋詩紀事』と『翁氏宗譜』という中国の書に載っているそうですが、第3句の末字が前者では「薄」、後者では「寂」となっています。「秋月書屋図」の賛をみると、「薄」となっていますから、烏洲は『宋詩紀事』を見たにちがいありません。

2021年10月8日金曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」5

 

はじめ写真を見たとき、僕は有名な朱熹の「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉すでに秋声」をイメージした作品かなと思いました。しかしそうではありませんでした。画面左上に、中国・南宋の詩人である翁森の「四時の読書の楽しみ」という七言律詩四連詩の「秋」が着賛されているからです。明らかに烏洲はこの詩からインスピレーションを得て、画筆を採ったんです。

翁森は愛用する近藤春雄編『中国学芸大事典』にも載っていないマイナーな詩人で、僕も初めて知りました。ネット検索をかけると、中国の「百度百科」がアップされましたが、日本語では何も出てきません。

2021年10月7日木曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」4


かつて吉澤忠先生から求められ、『日本の南画』<水墨美術大系・別巻1>に「関東南画の成立と展開」を寄稿したとき、烏洲の画論『無声詩話』を引用したこともあります。しかし今回、はじめて烏洲の作品を20点もまとめて見ることができました。欣快の至りです。

「僕の一点」は、ポスターやカタログの表紙にも選ばれている「秋月書屋図」(群馬県立近代美術館蔵)ですね。烏洲はさまざまなスタイルの山水図を試みていることを教えられましたが、「秋月書屋図」もそのうちの一典型を示す作品です。

 端正な饒舌館長好みの着色山水図です。もちろんこの「端正な」は「着色山水図」にかかるのであって、「饒舌館長」にかかるわけじゃ~ありません() もとになった中国・院派系の山水図があるような気もしますが、具体的にこれと示すことはむずかしそうです。 

2021年10月6日水曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」3

 

群馬が生んだすぐれた南画家・金井烏洲の作品としては、何回か東京国立博物館の平常陳列で見た傑作「月ヶ瀬探梅図巻」がよく記憶に残っています。もちろん今回も出陳されています。カードを繰ってみると、昭和46124日に見たときの1枚が出てきました。今年は昭和96年ですから、ちょうど半世紀前のことです() 

そのころは僕も烏洲と同じくらいマジメだったらしく、上巻巻頭に頼山陽が寄せた題字と為書きを一生懸命書き写し、「克明に描いてあり、烏洲の真面目な人柄がしのばれる」などという印象批評を添えています。「中島伊平」とあるのは当時の所蔵家だったような気がします。そのころ東京国立博物館は、寄託品の個人コレクター名も堂々とキャプションに書いていましたからね。

2021年10月5日火曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」2

 

二つもやらせてもらったからといって、薦めているわけじゃ~ありませんよ( ´艸`)  そのカタログの「ごあいさつ」の一部を紹介しておきましょう。

本展では、江戸から広まった関東南画を軸に、谷文晁をはじめ、高久靄厓、渡辺崋山、立原杏所、椿椿山など江戸を中心に活躍した画人たちと、金井烏洲や矢島群芳、松本 宏洞ら群馬ゆかりの画人たちの作品を紹介します。関東南画はどういうものだったのか、人々のつながりをたどりながら、作品のもつ多彩な魅力に迫ります。

なお、本展でとりあげた江戸時代後期から明治時代前期は、その後、様々に展開していく近代の南画へとつながる過渡期ととらえることもできるでしょう。本展をきっかけとして、地方の状況と関東南画、南画のゆくえについても思いを巡らせていただくと同時に、地元の画人たちにも再び関心が寄せられ、親しまれる機会が増えることを願っております。

2021年10月4日月曜日

群馬県立近代美術館「江戸と上毛を彩る画人たち」1


群馬県立近代美術館「関東南画のゆくえ 江戸と上毛を彩る画人たち」<117日まで>

  群馬県立近代美術館で秋の特別展「関東南画のゆくえ 江戸と上毛を彩る画人たち」が始まりました。かつて『國華』で女性画家特輯号を組んだことがあります。そのとき江馬細香筆「蘭図」の解説をお願いした、実践女子学園香雪記念資料館の太田佳鈴さんが、群馬県立近代美術館のキューレーターとなり、満を持して開催する特別展です。錦秋を飾る「饒舌館長おススメ美術展」です!!

僕にもお呼びがかかり、カタログ・エッセー「金井烏洲著『無声詩話』関東南画展開論」を寄稿することができました。去る925日には、記念講演会「意外に愉快な関東南画――饒舌館長口演す――」を開催してもらいましたが、本当に久しぶりのトーク――乗りに乗ってしゃべったことでした。エッセー・口演ともに、七五調タイトルになっているところがミソです()


2021年10月3日日曜日

近藤先生の面白授業9

 

 近藤さんは絵画における「形似」、つまり広い意味でのリアリズムについて、蘇東坡の五言詩「鄢陵[えんりょう]の王主簿の画く所の折枝[せっし]に書す」を引いて説明を始めています。かつて『秋山光和博士古稀記念 美術史論文集』に寄せた拙文「『写生』の源泉――中国――」で、僕も引用したことがあるとても重要な一首です。その戯訳をアップさせてもらいましょう。近藤さんの解釈とチョッと違うところもありますが……。

  似てるかどうかで絵を決める――子どもの見方とおんなじだ

  平仄だけで詩を作る――詩の何たるかを知らぬ人

  詩と絵の理想は通底し 自然の巧みと清新さ

  辺鸞[へんらん]の鳥 生意あり 趙昌の花は真なれど

  君の双幅こまやかさ 簡潔性でまさってる

  「チョット洒落てる‼」――「バカ言うな。あふれる春光 見えんのか‼」

2021年10月2日土曜日

近藤先生の面白授業8

 


『図絵宝鑑』は我が国にも大きな影響を与えた画家伝で、中国・元の夏文彦[かぶんげん]が著わしたものです。これを書誌学的に考証し、さらに研究を広げたお二人の『図絵宝鑑校勘與研究』から、僕も大変大きな学恩を受けてきました。つまり『図絵宝鑑校勘與研究』は、これ以上まじめな美術書など、ほかにたくさんあるわけじゃ~ないといった感じの研究書なんです。

近藤さんにはこのような<ガチガチのガチ>ともいうべき仕事が、紀要論文をはじめとして、山ほどあることも、ぜひ書き添えておきたいと思います。

近藤さんは1948年のお生まれですから、僕より5歳若いのですが、かつて5年ほど静嘉堂文庫のキューレーターをつとめていらっしゃいました。その意味では、この面白人間が僕の先輩なんです()

2021年10月1日金曜日

近藤先生の面白授業7

 

かつて尚美学園大学で中国美術史を担当していたとき、僕は教科書としてジュディ・オング著『ジュディの中国絵画って面白い』(二玄社)を使っていました。大学で教える機会が再びあったら――絶対ないと思いますが、同じ「面白」でも今度は『近藤先生の面白授業』を教科書として指定することにしましょう。そのときは『ジュディの中国絵画って面白い』と同じように、近藤さんの顔写真を表紙に刷り込んだバージョンを作ってくださいーーウケるか、はたまたブーイングか( ´艸`)

 ところが近藤さんは、面白授業をやっているだけではありません。いま僕は、近藤さんと南京大学の何慶先さんが共同で執筆し、献辞を添えて贈ってくれた『図絵宝鑑校勘與研究』(江蘇古籍出版社 1997年)という労作を書庫から引っ張り出して来て、改めてながめているところです。

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...