2017年12月31日日曜日

群馬県立土屋文明記念文学館「美術と文学」5


 我が恩師・山根有三先生は、東大を退官されたあと、群馬県立女子大学で教鞭をとられました。群馬県立土屋文明記念文学館の館長・篠木れい子さんは、山根先生と一緒にその大学で学生を指導した同僚だそうです。また講演終了後、山根先生のお弟子さんが数人、挨拶と質問をかねて演台のところまで来てくださいました。山根先生ゆかりの方々に、僕のおしゃべりトークを聞いてもらったことを、とてもうれしく思いながら、中田さんの案内を得て、保渡田八幡塚古墳へ向かいました。

この関東を代表する前方後円墳は、現在復元整備されて、一種の屋外博物館のような施設になっています。群馬県立土屋文明記念文学館が開館した1996年とほぼ同じころ整備されたそうで、高崎市立かみつけの里博物館などとともに、上毛野はにわの里公園の主要な文化施設となっています。一度ぜひ見学したいものだと思ってきましたが、中田さんのお陰でその機会に恵まれることになりました。これから先は、「前方後円墳」とタイトルを改めて、例のごとく偏見と独断に満ちた私見をおしゃべりすることにしましょう。

2017年12月30日土曜日

群馬県立土屋文明記念文学館講演「美術と文学」4


  しんくみだしてけさゆふたかみを ぬしのそひねでみだれがみ

   千辛復万苦 今朝手親梳 嚥婉同床裡 雲鬟故乱紆

    一生懸命苦労して 朝に自分で結った髪 

[いと]しいあなたとベッドイン きれいな髷も乱れちゃう

  ぬしハわしゆえわしゃぬしゆゑに 人にうらみハないわいな

   君為妾労思 妾為君傷神 元関君与妾 何為恨它人

    君は我[]がため多情多恨 我は君がため恋わずらい

    しかし二人の問題よ なぜに他人を恨みましょう

  そらとぶとりがものいふならバ たよりきゝたやきかせたや

   空外在飛鳥 若能為言語 相思妾与歓 消息通各処

    青空高く飛ぶ鳥よ もしも言葉がしゃべれたら

    愛し合ってる我[われ]と君 思いを告げてと頼むのに

2017年12月29日金曜日

群馬県立土屋文明記念文学館講演「美術と文学」3


 だいたいこれまで書いたりしゃべったりしてきたものが多いんですが、今回の目玉は葛飾北斎の『潮来絶句集』です。

もっとも、これも『北斎と葛飾派』(日本の美術№367)の「狂歌絵本と文化史的背景」というコラムで取り上げたことがあるのですが、今回はその漢詩に戯訳をつけてみたんです。「また例のヤツか」なんて、言わないでください。

『潮来絶句集』は俗謡である潮来節に、富士唐麿という狂歌師にして藤堂龍山という漢学者が漢訳詩をつけたというところがミソなんですが、僕はこの漢訳詩に戯訳をつけてみたんです。つまり、潮来節→漢訳詩→戯訳となっているわけです。ところで、潮来節だけを示して、これは中国の艶詩を井伏鱒二が訳したものだと言っても、誰一人怪しまないんじゃないでしょうか。先のレジメに引いた一首に続いて、あと二首ほどの戯訳を掲げておきましょう。

2017年12月28日木曜日

群馬県立土屋文明記念文学館講演「美術と文学」2



中田さんからは、とくに本阿弥光悦、尾形光琳、与謝蕪村、池大雅、葛飾北斎の5人を取り上げて欲しいといわれたので、おのおの2点の代表作を選んで下記のようなレジメを作りました。もっともそのあとに、この「饒舌館長」から引用した蕪村や北斎の拙文もちょっと加えたのですが、これはカットすることにしましょう。



キーワード

 日本美術の素性 簡潔性 シンプリシティー 書画一致 文美融合 江戸時代

 パクス・トクガワーナ 町衆 庶民 和漢 見立て 物語 説話 和歌 漢文学

 能謡曲 俳諧 俳画

①本阿弥光悦「舟橋蒔絵硯箱」(東京国立博物館蔵)

  東路のさのの舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人ぞなき 源等

②本阿弥光悦・俵屋宗達「鶴金銀泥下絵三十六歌仙和歌巻」(京都国立美術館蔵)

  藤原公任

 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る 赤人

 天雲に翼打ちつけて飛ぶ鶴のたづたづしかも君しまさねば 人麻呂

③尾形光琳「燕子花図屏風」(根津美術館蔵)

  伝在原業平『伊勢物語』第9段・東下り

  から衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

  世阿弥(金春禅竹)『杜若』

④尾形光琳「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)

  林和靖「山園小梅」  伝世阿弥『東北』 

⑤与謝蕪村「夜色楼台図」(個人蔵)

  万菴原資「東山に遊びて落花を詠ず」「中秋含虚亭の作」 李攀龍「宗子相を懐う」

⑥与謝蕪村「銀地山水図屏風」(MIHO MUSEUM蔵)

  于済『聯珠詩格』

 張籍「蛮州」

  貴州の蛮州 水悪く 洞穴にまで流れ込む

  それでも人は家を建て 桟道へんまで住んでいる

  山はあるのに辺鄙ゆえ あるべき城も築かれず

  州名書いた松の札 象州へ向き立つだけだ

周南峰「閩淅の分水界」

  くずれた土塀の古い駅 長い歳月物語る

  垣根が分かつ犬と鶏[とり] かつては一緒にじゃれたのに

  東の家からちょっとだけ 西のお宅を訪ねれば

  淅江人が福建へ つまり出かけたことになる

⑦池大雅「楼閣山水図屏風」(東京国立博物館蔵)

  邵振先ほか「張還真翁祝寿画冊」

 『岳陽風土記』張説の逸話 『酔翁亭記』欧陽脩の逸話 

⑧与謝蕪村・池大雅「十便十宜帖」(川端康成記念館蔵)

  李笠翁「十便十二宜詩」

⑨葛飾北斎「潮来絶句集」

  狂歌絵本 狂詩絵本

⑩葛飾北斎「富嶽三十六景」

  河村岷雪『百富士』 富士講  蓬莱思想  日蓮宗

2017年12月27日水曜日

群馬県立土屋文明記念文学館講演「美術と文学」1


群馬県立土屋文明記念文学館連続講座<美術と文学:イメージとテキスト――イタリア美術と日本美術の泰斗が語る!!――>「江戸時代の美術と文学――光悦・光琳・蕪村・大雅・北斎を中心に 漢詩の戯訳紹介もあわせて――」(2017年蕪村祥月命日)


 群馬県立土屋文明記念文学館の学芸員をつとめる中田宏明さんから、「美術と文学」あるいは「イメージとテキスト」といった内容で、講演をやって欲しいと頼まれました。中田さんは東大時代の教え子です。教え子から講演を依頼されるというのは、教師冥利に尽きるというものです。

二つ返事で引き受け、例のごとく、「一人でも多くの聴講者が集まるようなタイトルを考えておいてね」と頼んだところ、中田さんが考えてくれたのが、標記のタイトルです。以前、ある美術館から与えられた「笑う館長 名画を語る」とか、「意外に楽しい文人画」なんていうのと比べると、いかに中田さんが真面目人間であるか、一目瞭然たるものがあります(!?) 

それはともかく、「イタリア美術と日本美術の泰斗が語る!!」というシリーズの副題は、何となく面映く、配布資料では「泰斗」のあとに「?」をつけちゃいました。もちろんこれは「日本美術の泰斗」だけにかかる「?」です。すでに11月、「『絵画は無声の詩、詩は有声の絵画』、西洋の芸術ジャンル間の諸問題――姉妹芸術から優劣比較(レオナルド)・競合(エクフラシス)まで――」という講演を終えている小佐野重利さんは、疑いなくイタリア美術の泰斗です!!

2017年12月26日火曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>11


離合集散いうまでも なく世の中の常であり

長短なんか気にしても それの最初は闇の中

新しいこと始めたら 「ちょっと休もう」なんて☓!!

いったんゴールへ向かったら 死んじゃったって構わない

神様みたいに奇蹟をば いま起こそうと思ったら

俗塵浴びて生きるべし 所詮この世は仮の宿……

こんな嘆きを発せずに 生きれるもんか 誰一人

これを解決する途は 真理の推考――ほかになし

のちの教えとなる言葉 残せりゃ同じく不滅だが

百年河清を俟[]つような 消極性など論外だ(其の五)

*陸柬之の「蘭亭詩」には欠字があるんですが、厳調御はそれをみんな無視して詰めて書いてしまっています。そこで松井如流編『唐 陸柬之 文賦/蘭亭詩』<二玄社書跡名品叢刊>も参考にしながら戯訳を試みてみました。 

2017年12月25日月曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>10


[かがみ]明るく澄んでいりゃ チリもホコリも積もらない

鑑 曇ればたちまちに 卑しい心が顔を出す

これを体得することは もちろん容易じゃないけれど

三度 教えてもらえれば 自然の法理も腑に落ちる

心はつねに変転し ひとっところにゃ留[とど]まらず……

しかし自信が持てたなら おのずといられる平静で

絃の楽器も篳篥[ひちりき]も 笛もまったくなくたって

深淵思わす泉には さざなみの音清らかに…… 

口をすぼめて低い声 大きな歌声出さずとも

想いを詠める詩歌には あとまで残る余韻あり

たとえ一瞬なりとても 真の楽しみ得たならば

1000歳までもそれにより 長生きできるにちがいない(其の四)

2017年12月24日日曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>9


さーて よく聴け 弟子たちよ!!

等しく理想を堅持せよ!!

天地の真理を発見し 事の本質 希求せよ!!

人の一生 通り過ぐ 旅人みたいなものだから……

古い知識や智恵などは 何の役にも立ちやせぬ

虚心を意味する虚室こそ 我らが住むべき空間だ

千歳[ちとせ]の昔懐かしく たとえ心に描いても

往ってしまった古[いにしえ]に 感謝の必要さらになし

何でもかんでも「相共に」――なんていうことありえない

中身なくなり形だけ 残れば自然に消滅せん(其の三) 

2017年12月23日土曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>8


 春の終りの三月に 多くの文人呼び集め

 心ゆったり詩のうたげ 王羲之により開かれる

 遥かに高く仰ぎ見る 無限に広がる空の果て

 高き箇所より見下ろせば 流れの岸辺 苔の岩

 天気は晴れて気持ちよく 果てなく見える遠くまで

凝視続けりゃ真なる理 みずから語る姿見ゆ

偉大なるかな!! この自然 あらゆるものが創造だ

すべてそれぞれバラバラに 見えても結局みな同じ

多くの笛の音一つずつ たとえ違いがあるとても

どれかに感動したならば それは大きな発見だ!!(其の二) 

2017年12月22日金曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>7


厳調御「臨古帖」<陸柬之「五言蘭亭詩」>(№57

 偉大なイメージ悠々と 心の中を流れてく

 一瞬一瞬変転し 決して止むことありやせぬ

 それに影響与えたり 変容させるは俺にゃ無理

 それは行ったり来たりして 止[とど]めることも俺にゃ無理

 本筋追えば最後には 安らかにしていられるし

 ものの順序にしたがえば 真理おのずと担保されん

 思慮深いとはいまだなお 悟ってないこと意味するし

充足なんて利害から 判断下しただけだろう

 流れのままの遭遇に 身を任すことできぬなら

 自然の中を散歩せよ 素敵な一日[ひとひ]となるだろう(其の一)

2017年12月21日木曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>6


王鐸「臨王徽之得信帖」(№56

お手紙拝受、兄嫁様のお病気、いまだ全快されないとのこと、改めて申し上げるまでもなく、大変心配申し上げております。お会いせずにはいられず、お訪ねしたいものと思っておりますが、湖水の水かさが増し、舟で渡ることもできず、離ればなれになったままです。そうでなければ、もうとっくにお訪ねしていることでしょう。やむを得ず、お手紙だけになってしまいますが、遥か遠くからお届けする私の心中をお察しください。この気持ちは私の朋友にも明かしておりません(貴兄にのみ知っていただきたく存じます)

我が家の祖先である黄門郎(中納言)王徽之の書体を真似ました 甥・鐸 

己丑(1649年)十一月 九叔の御前に ご笑覧のほどを

*例えば王鐸の父が10人兄弟の十男であった<排行 王十>と仮定してみましょう。その上で、王鐸が父のすぐ上の兄<王九>の子(つまり王鐸にとって従兄)の妻の病気を心配しつつ、王九に宛てて書いた手紙がこれであるとするのが私見です。従兄とはいえともかくも兄ですから、その妻を<女+更>=嫂(あによめ)と呼んでもいいのではないでしょうか。もっとも、父の兄は<伯父>と書くべきですが……。

<姪>は本来女性ですが、男性を<姪>と書く場合も少なくなかったので、訳文では<甥>としてみました。いま仮に王鐸の父を王十としましたが、これが王十一でも王十二であってもこの推定は成立します。ここでは『諸橋大漢和』によって、<女+更>を兄嫁としましたが、これを弟嫁とすることができれば、別の解釈も成り立つでしょう。いずれにせよ、中国のことに詳しい方から、ご教示をいただきたいと思っています。

2017年12月20日水曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>5


米万鍾「草書七言絶句」(№54

 霜降る林で酔った日は さらに山々美しく……

 風に揺れる葉 蝉の声 自然が奏でるハーモニー

 苔むす道を踏みながら 一人 杖つき遠くへと……

 どこまで行ったら最高の 秋を満喫できるやら



張瑞図「草書五言律詩」(№55

 碧き海 龍宮城へ通う道 お堂の向こうに青き雲浮く

 波の音 説教の声 共鳴し 雨の気配にしとる香煙

 山を背に生い立つ木々は鬱蒼と…… 流水あふれる渓の涼しさ

 無意識に俗世と比べて詩にうたう 心は澄んで涅槃の境地

2017年12月19日火曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>4


張瑞図「松山図」(杜甫「七月一日 終明府の水楼に題す二首」の一)

 重なる軒と高い棟 すでにもう秋 涼しいよ

 しかも秋風吹くこの日 俺の着物もひるがえる

 早くも陰山から雪が 飛んできそうな気配あり

 こんな明媚な風光を 捨てて都へ行くもんか

 役所じゃ必須の口中香――それなきゆえじゃーありません

 絶壁行く雲 晴れたあと 錦のように美しく……

 まばらな松の木 奏でてる 妙なる笛の音 川向こう

 貴兄にゃ県令・王喬[おうきょう]が 履いたクツこそふさわしい!!

 それがそのうち皇帝の 御用工房から届かん!!

*この作品には「絶壁過雲開錦繍 疎松隔水奏笙簧」とあるだけですが、じつは詩聖・杜甫の「七月一日 終明府の水楼に題す二首」のうちの一首なんです。下定雅弘ほか編『杜甫全詩訳注』(講談社学術文庫)によって、戯訳を試みました。杜甫の詩には難解なものが多いのですが、この七言律詩もむずかしく、いろいろな解釈があるそうです。

たとえば、前聯の「不去非無漢署香」で、僕は字面から単純に訳してみました。しかし通説では、「私がこの地を去らぬのは(この風景を捨てがたいからであって)尚書省で口に鶏舌香を含んで勤務するつもりがないからではない」と、尚書省工部員外郎に就任したがっていた杜甫の気持ちに寄り添って解釈しています。これによれば、「こんな明媚な風光を 捨てて都へ行くもんか 仁丹必須の役人に なりたい気持ちはあるけれど……」となるでしょう。

いずれにせよ、この一句だけは言葉を添えないと意味をなさないので、上記のように二行になって、ますます変な戯訳になってしまいましたが……。 

2017年12月18日月曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>3


張瑞図「秋景山水図」(韋応物「藍嶺精舎」)

 石壁の上に建ってる仏教寺院 雲をしのいでその上に出る

 いい旅路 初めて願いが実現し 険路を踏破 夢見た景色

 切り立った崖傾いて下暗く 小さく見えるはくねる渓流

 何となく緑の林もの寂びし 広い境内 そびえる楼閣

 お寺から僧侶がトボトボ下りてきて 深夜に独り帰って行きたり

 日は落ちて周りの峰々翳るとも 錦秋 多くの滝共鳴す

 「落ち込むなぁ!! 仕事も家庭もストレスで どうすりゃ長き安らぎを得ん?」

 *この作品には「日落羣峯陰 天秋百泉響」と書かれているだけですが、じつは中唐の詩人・韋応物の五言詩「藍嶺精舎」の中の二句なんです。孫望編『韋応物詩集繋年校箋』(中国古典文学基本叢書)によりながら戯訳をつけてみました。


2017年12月17日日曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>2


陸治「荷花図」

 バッチリ宿るしげき露 湿度いよいよ高くなる

 どうすりゃいいのさ? 大汗に 薄絹の服ベチョベチョに

 突然風が…… ヘンポンと 汗の衣もひるがえる

 模様のツバメが軽やかに また美しく飛び回る



王建章「米法山水図」

 六月の厳しい暑さおさまらず 小さな書斎は燃えるごとくに……

 庭先で日影はジャスト南中し 窓辺にゃ昼寝のいびき流れる

 たちまちに気持ちよき雨降りだして 庭の竹林サヤサヤ揺れる

 その瞬間 昼寝の夢から醒めて見る 林の靄[もや]の藍に染まるを

 モクレンの花を散り敷く石畳 雨だれ軒から池へ集まる

一、二杯やれば旧友思い出す 誰か一緒に語り明かさん

2017年12月16日土曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画」<書芸>1


 企画展「あこがれの明清絵画――日本が愛した中国絵画の名品たち」は、NHK「日曜美術館」アートシーンをはじめ、多くのメディアで取り上げられ、人気沸騰中です!! すでに終わった京都国立美術館「国宝展」や、東京国立博物館「運慶展」にはちょっと及ばないかもしれませんが……。いよいよ残り2日、ぜひお見逃しなきよう、「饒舌館長」でも改めて取り上げることにしました。

この「あこがれの明清絵画」展では、明末清初の書芸も堪能していただこうと思いました。これは当然のことです。中国では古来「書画一致思想」が強かったからです。もちろん、明清の時代にも受け継がれていました。たとえば、明末の四大家とたたえられる邢張米董、つまり邢侗、張瑞図、米万鍾、董其昌は、みな書家にして画家、画家にして書家だったんです。

そこで、書芸作品を中心に、画賛も加えて、例の戯訳を試みてみました。この戯訳を読んでから書幅を鑑賞し、画幅をながめれば、日本人にとって若干敷居の高い明清の書画が、ちょっとは親しみやすくなるかも(!?)

徐霖「菊花野兔図」
 泰・衡・崋・恒・崇――五嶽 登り巡っていとまなし
 足を休めて山中に 籠もれば暇もできるのに……
 わずかな時間を惜しむのは 大きな夢があるからさ
 一生懸命努力して 挙げたいものだ 文名を

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」9


馬渕さんが全力を傾けた「北斎とジャポニスム」展なのですから、両者の興味深い比較を「僕の一点」を選ぶべきだったかもしれません。たとえば……

①ポール・セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」と北斎の「富嶽三十六景」における連作的性格
②エドガー・ドガの踊り子と『北斎漫画』の力士の酷似するポーズ
③メアリー・カサットの「青い肘掛け椅子に座る少女」と『北斎漫画』の布袋さんの形態と視点の一致
④ファン・ゴッホの「ばら」と北斎の「草花図シリーズ」における共通する共生自然観
⑤ポール・ゴーガンの「三匹の子犬のいる静物」と北斎の『三体画譜』にみるシンプリシティー
⑥クロード・モネの「陽を浴びるポプラ並木」と北斎の「富嶽三十六景」<東海道保土ヶ谷>の遠小近大構図
⑦カミーユ・クローデルの「波」とご存知北斎の「グレート・ウェーブ」の明らかな直接的関係

どれをとっても「僕の一点」にふさわしくないものはありません。しかし「ネコ好き館長」の名に免じて、ふたたびスタンランのネコを取り上げましたこと、悪乗りして「魔王」まで行っちゃったこと、どうぞご寛恕のほど宜しくお願い申し上げます(!?)



2017年12月15日金曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」8


いま僕は、3Mの一つ「魔王」をその1升瓶から、スコッチウィスキー「プレジデント」の空き瓶に移し替えて楽しんでいます。「プレジデント」は中身以上に瓶が素晴らしいからです。瓶のデザインが洒落ている上に、栓が「栓付瓶:日月花鳥」と同じ作り方になっているからです。

今までずいぶんスコッチをやりましたが、磨りガラス栓の瓶なんて、ほかにありませんでした。ある国産ウィスキーの瓶はデザインがよかったので、移し替え用に愛用していましたが、ガラスにコルクをかぶせた栓だったので、やがてコルクの部分がボロボロになって、使用に耐えなくなってしまいました。

ところが「栓付き瓶:日月花鳥」は、栓が磨りガラスになっているんです!! これならいつまでも大丈夫です。しかも意匠が日月花鳥というジャポニスム図様、「魔王」との相性もバッチリです。思い返すと、栓やフォルムがいいといっても、「プレジデント」の瓶と「魔王」では、若干の違和感がないではありませんでした。

一対であることを考えると、フランスではこれに赤ワインと白ワインを入れたんじゃないかなぁと思います。しかしワインよりは、完全に透明な「魔王」の方が、絵付けの美しさを直截に生かしてくれるのではないでしょうか。そんなことを考えていると、ますますもって「栓付瓶:日月花鳥」が欲しくなってきたのでした(!?) 

2017年12月14日木曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」7



サントリーが出たついでというのも何ですが、もう一つ「僕の一点」を加えさせてもらいましょう。それはサントリー美術館所蔵の「栓付瓶:日月花鳥」です。一対の徳利型ガラス瓶で、表面にエナメルで日月と花鳥が絵付けされています。作者は「フランソワ=ウジェーヌ・ルソー(?)」となっているので、確定的ではないようですが、作ったのがエスカリエ・ド・クリスタル社であることは確実らしく、これには「?」がついていませんでした。

制作年代は1880年から1885年にかけてといいますから、まさにジャポニスム全盛時代、瓶のフォルムも絵付けも、日本からの圧倒的影響を物語っています。作者が誰にしろ、とてもみごとな美質を示しています。

思わず、「片っ方でいいからほしいなぁ!!」と、溜め息が出てしまいました。しかし、美質だけではなかったのです。よく見ると、栓と口の内側が磨りガラスになっていて、ちょうど昔の薬瓶みたいに、ピッタリと閉まり、しかも抜きやすい構造になっているんです。いよいよ欲しくなりました。

2017年12月13日水曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」6



「パリ♡グラフィック」で見た版について、僕は「そこに飼われていたと思われる2匹のネコをモチーフにしています。1匹はキャバレーの名と同じ黒ネコ、1匹は三毛ネコです。背景を描かずにネコを右側に寄せ、左3分の1ほどを余白に残した構図がとても洒落ています」と紹介しました。

ところが、「北斎とジャポニスム」に出陳されている版では、その余白だったところにフランス語で何やらゴチャゴチャと書かれているのです。そもそも、タイトルが異なっています。前者が「ボディニエール画廊にて」だったのに対し、後者は「ポスター スタンランの素描と油彩画展」となっています。

しかしこれでよく分かりました。ボディニエール画廊で開催されたスタンランの素描・油彩画展のポスターだったんです。前者はまずネコだけを刷った試し刷りのような版だったのに対し、後者は左側の余白にその展覧会名や日時場所を印刷した完成バージョンなのです。

「饒舌館長」の主要テーマはもちろん美術・アートですが、三大サブテーマはネコと酒と音楽です。そのネコと酒が意外なところで結びついたのでした。なぜなら、この完成バージョンは、大阪新美術館建設準備室に寄託されるサントリー・ポスター・コレクションだからです(笑)

2017年12月12日火曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」5



その馬渕さんがやがて国立西洋美術館の館長さんとなり、この特別展「北斎とジャポニスム」を企画し、先頭に立って準備を進めてきたわけですから、拝見しないわけにはいきません。さすが馬渕さん!! 北斎とジャポニスム時代の西欧画家における図様の相似を丹念に調べ上げて、見るものを「なるほど!!」とうならせるのです。

しかし、それ以上に重要なのは、ものの見方や色彩の使い方、あるいはタブローというもののとらえ方、つまり絵画という造形芸術に対する感覚や観念において、北斎が彼らに決定的な影響を与えた事実――それが抜かりなく指摘されていることです。ぜひ期間中に西洋美術館へ足を運び、馬渕さんにリードされながら、しかし最後はご自身の眼と感性で楽しまれることをお勧めしたいと思います。

「僕の一点」は、テオフィル・アレクサンドル・スタンランによる2匹のネコを描いた多色刷りリトグラフです。何だ?このあいだ三菱一号館美術館「パリ♡グラフィック」展で取り上げたヤツじゃないかなんて思わないでください。ネコはまったく同じですが、異なるバージョンなんです。

2017年12月11日月曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」4



北斎研究者からみれば、「こりゃー一体なんぼのもんじゃ?」というような『日本の美術』№367が出来上がりましたが、一般的には評判がよかったらしく、テレビの「日曜美術館」から声がかかったのも、いまだに時々北斎トークショーに呼ばれるのも、みんな小林さんのお陰です。

ご存知のように、『日本の美術』シリーズの巻末には、余禄というか、アペンディックスというか、グリコのおまけみたいなページが用意されていました。最初から僕は、ジャポニスム研究ですばらしい仕事を続けていた馬渕明子さんに、「特別寄稿」をお願いしようと決めていました。

電話をかけると快諾を得たうえ、すばらしい論文「葛飾北斎とジャポニスム」を頂戴することができました。間もなく馬渕さんは、それまで発表したジャポニスム論を集めて『ジャポニスム――幻想の日本』(ブリュッケ 1997)という刺激的な本を出版し、送ってくれました。ページを開くと、その論文が最終章に収められているではありませんか。こんなうれしいことはありませんでした。

 

2017年12月10日日曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」3


「何といっても北斎だ」なんてホザいている僕は、悪趣味の権化ということになるわけですが、「趣味嗜好は先天的なものである」という命題を、そのまま楽之軒先生にお返しして、先天的のどこが悪いと居直るしかほかに途はなさそうです。

しかし改めて考えてみると、僕が北斎を好きなのは、絵がすばらしいこととともに、頭抜けておもしろいからかもしれません。つまり、北斎はいろいろなことを考えさせてくれるんです。多湖輝先生じゃありませんが、「頭の体操」が楽しめるんです。

1996年、小林忠さんから、「河野さんはいつも北斎北斎といっているから、今度出す至文堂版「日本の美術」浮世絵シリーズの『北斎と葛飾派』を担当してほしいんだ」と頼まれたことがあります。

「北斎は好きだけど、すでに菊地貞夫さんの『北斎』がこの『日本の美術』にあるし、浮世絵トリビアリズムは素晴らしいけれど、僕の手に余る方法論なので、好きなように書いて構いませんか?」と聴いたところ、もちろんそれで結構だという返事だったので、喜び勇んで執筆に取り掛かったことを思い出します。

2017年12月9日土曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」2



それにも拘わらず彼が北斎画をアメリカで画学の教科書としたのは、色彩の一標本としただけで、彼の嗜好の広重に在ったことは、アメリカで彼が開いた浮世絵展覧会の解説書によって極めて明白である。西洋人でもフェノロサのような趣味の高い人のあることは心強い。この人が明治11年に日本に来て、日本古代美術の世界に冠たるを賞揚し、併せて後継者として岡倉天心を育てたことも、その趣味のよさを知って、よかったよかったと始めて安心がつく。

 これは「趣味について」という章の一節です。「趣味嗜好は先天的なもので後天的な学問知識のどうすることもできない領域である」「人の趣味のよしあしは持って生まれた宿命で、どうすることもできない」という持論の証明として、北斎と広重が持ち出されている箇所です。

2017年12月8日金曜日

国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」1


国立西洋美術館「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」(2018128日まで)

 キャッチコピーは、「モネ、ドガ、セザンヌ…… みんなHOKUSAIに学んだ。」――でも<衝撃>なんですから、最後は「。」じゃなく、「!!」が欲しかったなぁ!! それはともかく、数多い浮世絵師のなかから僕が一人選ぶとすれば、やはり葛飾北斎ですね。何といっても、作品が頭抜けてすばらしい。もっとも、尊敬して止まない脇本楽之軒先生は、名著『日本美術随想』のなかで、つぎのように述べています。

失礼ながら貴君は北斎がお好きでしょうか、広重がお好きでしょうかと人にきいて見ることがある。これは長い間の経験から帰納し得た趣味試験の一法で、大抵の場合はずれッこない。気の毒なことに北斎の趣味はよくない、言い換えれば悪趣味の権化だ。北斎を再認識したのは西洋人で、その意味で西洋人は救われないと即断したくなるが、さればとて西洋人は皆が皆、北斎好きとは限らず、アメリカ人のフェノロサの如きは北斎の下俗の趣味を罵っている。

 

2017年12月7日木曜日

東洋文庫ミュージアム「東方見聞録展」7



父親ジョージの影響が強かったのでしょう、イアン・モリソンもジャーナリストとなり、海外特派員として活躍、香港にいたときハン・スーインと出会って恋に落ちたというわけです。その分野では父親ほど偉大じゃなかったかもしれませんが、父親と同じく、いや、それ以上に素晴らしい人生だったんじゃないでしょうか。

そんなことを考えながら、モリソン文庫再現展示の片隅にあった小さなキャプションと写真をながめ、それからきわめて興味深く、また教えられることばかりの展示を見て回りました。1995年、香港大学から講師として招かれたとき、もしこのことを知っていたら、「モリソン文庫」に思いを馳せながらヴィクトリア・ピークに登り、スター・フェリーに乗ったことでしょう。

それはともかく、万一「東方見聞録展」の人気がイマイチというようなことがあったら、つぎには「慕情展」をやったらどうでしょうか。お爺ちゃん、お婆ちゃんで何時間待ちということになるのではないでしょうか(!?)

2017年12月6日水曜日

東洋文庫ミュージアム「東方見聞録展」6


解説によると、とくに影響力が大きかったのは、イエズス会士のジョアシャン・ブーヴェだったみたいですね。いずれにせよ、僕にとっては驚愕の事実でした。だから、これからちょっと調べてみようかなぁと思っているところなんです。

実はもう一つ驚いたことがあります。あの名曲とともに忘れることができない名画「慕情」――そのヒーローであるアメリカ人特派員マーク・エリオットのモデルが、「モリソン文庫」のモリソンの長男だったという事実です。

あのウィリアム・ホールデン演じるマークが、「モリソン文庫」の息子だったんです。ジジェニファー・ジョーンズ演じるハン・スーインとのラブシーンを、いつまでも僕の心に残してくれているマークが、「モリソン文庫」の遺児だったんです。本当の名前はイアン・モリソンといいました。

2017年12月5日火曜日

東洋文庫ミュージアム「東方見聞録展」5


 特に驚いたのは、キリスト教のなかに、儒教との共通性を認めようとする「象徴派」なる一派――英語では「フィギュリズム」というようですが、そういう一派が存在したという事実でした。

そんなバカな!! キリスト教は人間を超越した絶対神を頂点とする宗教であり、儒教は人間社会に最高の価値を認める宗教ではありませんか。そもそも儒教が宗教かどうかはきわめて疑問であって、むしろ哲学、さらにいえば人生哲学に近いのではないか――僕はこんな風に考えてきました。

それがなんと、なんと、両者には交響する思想が潜んでいるというのです。もしこれを中国人が言い出したのなら、僕も驚きませんよ(!?) しかしこの場合、主張したのは西欧のイエズス会だったのです。

2017年12月4日月曜日

東洋文庫ミュージアム「東方見聞録展」4


「僕の一点」はジョセフ・アンリ=マリー・ド・プレマールが1731年に著わした『易経』です。これを選んだ理由は、『易経』そのものというより、カタログ解説を読んですごく驚いたからです。驚いた理由は、まったく僕の知らないことばかりだったからです。というわけで、僕なりの解説はとても無理、カタログの全文をそのまま引用することをお許しください。

著者のプレマール(1666-1736)はフランス生まれのイエズス会士で、清朝の康熙帝治下の中国東南部で布教活動に従事しました。しかし、康熙帝崩御後の雍正帝による禁教政策を受けて、1724年には他の宣教師とともに広州へ追放され、ついで1733年にはマカオへ追放されました。

プレマールは先輩のイエズス会士ブーヴェの薫陶を受け、儒教の基本書である五経にキリスト教の教えが秘められているとする「象徴派Figurism」思想の影響を強く受けていました。本書は広州に追放されている間に執筆した著作の一つで、五経の筆頭である『易経』のエッセンスを平易に解説しています。

プレマールらイエズス会士がもたらした中国の古典や社会に関する情報は、同時代のヨーロッパにおける啓蒙思想の発展に少なからぬ影響を与え、近代市民社会の成立を間接的に促すこととなりました。

2017年12月3日日曜日

東洋文庫ミュージアム「東方見聞録展」3


 モリソンはオーストラリア出身のジャーナリストです。19世紀末から20世紀初頭にかけて北京に暮らし、前半はタイムズ社の海外通信記者として、後半は中華民国の政治顧問として活躍しました。そのころから日本と関係浅からぬものがあり、第一次世界大戦では、日本の21か条要求を巡る交渉、参戦、講和などにかかわって、大きな役割を果たしたそうです。

モリソン文庫の価値については、この企画展カタログに、「モリソンの蔵書には、激動の時代を見つめ、最新のアジア情勢をヨーロッパへ発信し続けた人物ならではの視点と、すぐれた蔵書家のこだわりが反映されています」と書かれている通りです。アヘン貿易に対する反対の立場や、『李鴻章日記』への書き込みなどをみると、貫通する人間的な政治感覚をそこに加えたいとも思います。

東洋文庫は日本最初の東洋学専門図書館であり、現在では、イギリスの大英図書館、フランスの国立図書館、ロシアの東洋学研究所、アメリカのハーバード大学・エンチン図書館などとともに、世界5大東洋学研究図書館のひとつに数えられているそうです。

2017年12月2日土曜日

東洋文庫ミュージアム「東方見聞録展」2


塘沽と聞いて、僕は1997年の冬を思い出しました。そのころ、天津・南海大学から招かれて2つばかり日本美術の講演をやったのですが、フリーデーの1211日、天津港へ出かけることにしました。一度乗ってみたいとあこがれていた鑑真号の姿だけでも見られるかもしれないと思ったからです。小型バスで塘沽へ、そこで乗り換えて天津新港へ向かいました。

残念ながら鑑真号は入港していなかったので、すぐに港の大衆食堂へ……。旅日記を引っ張り出してみると、「ビール3缶、鹹蛋、松花蛋、五香鶏蛋を食す」と書いてあります。ひどく風が強く、また寒かったので、白酒の二鍋頭[アルゴート]をやったように記憶していましたが、なぜかビールだったらしい。

それはともかく、僕のブロークンチャイニーズで店の中年女性主人とすごく盛り上がりました。だから旅日記にもちゃんと書いてあります。「五香鶏蛋は店の女主人のオゴリ」(!?)


2017年12月1日金曜日

東洋文庫ミュージアム「東方見聞録展」1


東洋文庫ミュージアム「モリソン文庫渡来100周年 東方見聞録展 モリソン文庫の至宝」(201818日まで)

 東京の本駒込にある東洋文庫は、わが静嘉堂文庫と姉妹の関係に結ばれています。静嘉堂文庫が三菱2代社長・岩崎弥之助により創られたのに対し、東洋文庫はその甥にあたる3代社長・岩崎久弥により開かれたものだからです。これまで僕もずいぶん利用させてもらったことについては、旧ブログにもアップしたところです。

100万冊をこえる蔵書の中核を占めるのが、1917年、久弥によって購求された「モリソン文庫」です。モリソン文庫は、ジョージ・アーネスト・モリソンが収集したアジア関係の洋書、地図、絵画資料のコレクションで、約24千冊、現在では入手不能の貴重なものが数多く含まれています。

身銭を切ったのは久弥でしたが、その陰の功労者は、東洋史学者・石田幹之助でした。もし石田がいなかったら、久弥がどんなにカネを積んだとしても、モリソン文庫を入手することはできなかったでしょう。191798日、57個の木箱に収められたモリソン文庫は、北京のモリソン邸を出発、貨車で天津の外港である塘沽[タンクー]へ向かいました。

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...