中村幸彦先生の雅俗文化論にしたがえば、高階秀爾先生が雅文化の超人であったことは周知の事実であり、僕などが改めて言う必要もないでしょう。しかし先生は俗文化の超人でもありました。それを誕生させたのが、先に指摘した好奇心であったように思います。
ある委員会のあと開かれた会食の席で、画家の呼称について問題になったことがありました。僕の好きな画家の一人に、鮎描きとして有名な小泉檀山がいます。ところがそのころ号の「檀山」ではなく、名の「斐あやる」をもって呼ぶべきだという議論が起り、みんな小泉斐と言うようになりつつありました。
また以前から円山応挙おうきょは「マサタカ」、渡辺始興しこうは「モトオキ」と呼ぶべきだという意見もありました。しかし僕は反対でした。たとえそれが正しいとしても、古くからタンザン、オウキョ、シコウと読んできたんだから、もうそれでいいじゃないかという、いかにも「いい加減はよい加減」みたいなことを言ったんです。