2019年6月30日日曜日

静嘉堂文庫美術館「書物にみる海外交流の歴史」2


我が静嘉堂文庫には20万冊の古典籍が収蔵されており、12万冊が漢籍、8万冊が和書となっています。美術館の方も静嘉堂<文庫>美術館というくらいですから、むしろ静嘉堂は本来ライブラリーであるといっても間違いじゃ~ありません。その中から、我が国と海外との交流を物語る本を選りすぐり、文字と挿絵によって学び楽しんでいただきたいと企画した展覧会です。最初に掲げたのは、そのチラシのリードです。

 海外と交流したり、文化を学んだり、ある影響を与えたりするときに重要なのは、ヒトとモノと書物だと思います。我が国の場合、ヒトといえば遣隋使や遣唐使、キリスト教宣教師、さらにお雇い外人がこれにあたるでしょう。文化交流にあたって、その基底にヒトがあったことは、改めて指摘するまでもありません。

2019年6月29日土曜日

静嘉堂文庫美術館「書物にみる海外交流の歴史」1


静嘉堂文庫美術館「書物にみる海外交流の歴史~本が開いた異国の扉~」<84日まで> 

 四方を海に囲まれた国、日本。しかしそれにもかかわらず、この列島はその長い歴史を通して他国との往来が途絶えたことはありませんでした。日本の歴史と文化は、絶え間なく続けられてきた海外交流の中で育まれてきたものと言えるでしょう。古代以来、我が国の文化は大陸や半島の影響を大きく受けてきました。更に江戸時代にはそれらに加え、西洋からも幅広い情報がもたらされるようになりました。では、それらの“交流”はどのような形で本の中にみることができるのでしょうか。本展では、全体を大きく4つのコーナーに分け、さまざまな書物の中にみられる“交流の姿”を辿ります。

2019年6月28日金曜日

范成大「夏日田園雑興」2


またこの詩は、渡辺崋山も愛して止まなかったらしく、情趣掬すべき扇面画と書の121セットとして遺しています。この連作が幕末期に大変流行したという、文学史的背景もあったようです。

この崋山の名品については、10数年前になりますが、『國華』1323号に小林忠さんが紹介していますので、是非ご参照いただきたいと思います。もちろん崋山は、「蝴蝶双々」と「梅子金黄」を抜かりなく取り上げていますが、とくに前者は出来映えがすぐれており、『國華』でもカラー図版に選ばれています。                    

 梅の実熟れて黄金色[こがねいろ] 大きくなったアンズの実
 雪の白さの麦の花 菜の花ちょっと残ってる
 夏の日長く籬[まがき]のへん 通る人影絶えてなく
 ただ蜻蛉[せいれい]とアゲハチョウ 飛んでいるのが見えるだけ

2019年6月27日木曜日

范成大「夏日田園雑興」1


 22日(土)は「書物にみる海外交流の歴史――本が開いた異国の扉――」展のオープン初日でした。10時開館と同時にいらっしゃる熱心なお客様をお迎えするため出勤したので、今日の日曜日は、先日紹介した渡辺秀喜さんの『漢詩百人一首』(新潮選書)にマイ戯訳をつけて、のんびりと過ごしました。

ちょうど今の季節にピッタリの范成大が詠んだ七言絶句「夏日田園雑興」の「梅子金黄」があったので、それを紹介することにしましょう。

范成大は南宋の田園詩人、これを含む「四時田園雑興」はその代表作としてよく知られていますね。とくに僕が大好きな晩春の「蝴蝶双々」は、中国語で暗誦できるので、ときどきおしゃべりトークで使います。中国語でやったあと、「ここでたいてい拍手が起こるものですが……」と言って笑いを取るんです()


2019年6月26日水曜日

金子啓明『古代一木彫像の謎』6


本来タケも東南アジアの原産で、それが中国にもたらされたものと考えられています。タケのことを英語で「バンブー」といいますが、これはタケを祭祀などで燃やす習慣のあった東南アジアで、その破裂音を聞いた欧米人が、これをその名称に用いたものであると、どこかで読んだ記憶があります。

実際、中国でもタケは江南から南部に多く、華北地方には少ない植物です。もちろん現在では、北京でも公園などに出かければ、簡単にタケを見ることができます。実際に見に行ったことがあるところに、紫竹院公園がありますが、これらは移植されたものにちがいありません。このようなタケを、わざわざカヤで彫りだしている点からも、「百済観音立像」は中国南朝様式に由来する仏像である!!というのが、私見なのですが(!?)

2019年6月25日火曜日

金子啓明『古代一木彫像の謎』5


我が国のクスノキ像として、もっともよく知られているのは、何といっても法隆寺の「百済観音立像」ですね。はじめにお話したように、去年11月、國華清話会特別鑑賞会で拝見した「僕の一点」です。あの美しくスッキリとした垂直性を、中国の南朝様式に結びつけるか、斉隋様式と関係づけるか、彫刻史のほうでも結論は出ていないようですが、僕は絶対南朝様式に賛成ですね。もっともこれを実証することは不可能で、直感にすぎないのですが……。

僕が注目するのは、そのクスノキという用材のほかに、あの宝珠形光背を支える支柱ですね。驚くべきことに、それはタケの形になっているんです。用材はカヤだそうですが、節や竹の皮まで彫りだして、タケに見せています。このたび「百済観音立像」を拝むとともに、よく自分の眼で確認してきました。

2019年6月24日月曜日

金子啓明『古代一木彫像の謎』4


仏教という異国の宗教と神が入ってきたとき、そのイメージを作るために、日本の神のヨリシロであったクスノキという樹木を用いることは、ごく自然なことではないでしょうか? 

もう一つ考えられるのは、クスノキの原産地と関係する問題です。クスノキは東南アジアが主なる生育地です。ブラジルにもあるそうですが……。この東南アジアのクスノキが、中国に伝わったのでしょう。それはクスノキの漢字をみれば一目瞭然で、「楠」というのは、南からきた樹木という意味だとされています。

まえに言ったことと矛盾してしまいますが、この場合には、古代中国の南の地方では、クスノキで仏像を造った可能性が推定されるということになります。その習慣が我が国に伝えられたのではないでしょうか?

2019年6月23日日曜日

金子啓明『古代一木彫像の謎』3


しかし、中心はビャクダンであり、その代用材としての「栢」であり、朝鮮ではこれにアカマツが加わると考えられています。つまり、クスノキは用いられなかった可能性が強いのではないでしょうか。

すると思い浮かぶのは、わが国においてクスノキは神のよりしろとなる神聖な樹木であった事実です。この点からおもしろいのは、本書が法隆寺金堂・釈迦三尊像の木製台座に注目している点です。

つまりこの台座において、連弁にはクスノキとみられる広葉樹が用いられているのに対し、そのほかの腰板やカマチの部分などの構造部には、ヒノキとみられる針葉樹が使われているというのです。ここにもクスノキの聖性がうかがわれるように思われます。

2019年6月22日土曜日

金子啓明『古代一木彫像の謎』2


僕も日本仏教彫刻を考える際、「木」というものを無視できないと考えてきました。たとえば仏像のシンプルなフォルムは、直線を基本とする樹木という素材を抜きにして語ることはできない!!などと、主張してきました。金子さんたちは、さらに樹種にまで立ち入って、この問題を考えようとしたのです。一木彫像のみならず、日本仏教彫刻を論じるとき、必ず参照されなければならない本であるといってよいでしょう。

この問題に関連して、僕が興味深く感じるのは、なぜ飛鳥時代の仏教彫刻にクスノキが用いられたかという点です。この本でも明らかにされているように、7世紀、木彫像の主流はクスノキという広葉樹でした。これらのもとになったインドや中国、朝鮮の木彫像はほとんど残っていないので、それらの用材はよく分かりません。

2019年6月21日金曜日

金子啓明『古代一木彫像の謎』1


金子啓明・岩佐光晴ほか『<仏像の樹種から考える>古代一木彫像の謎』(東京美術 2015

 去年11月、國華清話会特別鑑賞会が法隆寺で行なわれましたが、「僕の一点」は十何年かぶりに拝見し、改めて感を深くした「百済観音立像」です。そのちょっと前に、鹿島美術財団美術講演会の必要から上記の本を読んだので、紹介がてら、またまた独断と偏見を開陳することにしましょう()

 天平後期から弘仁貞観時代、つまり平安時代前期にかけて一木彫像が盛んに造られるようになります。その理由を、樹種――樹木の種類――の観点から考察しようとして進められた、科学研究費助成研究の成果をまとめたのが本書です。様式的研究や学際的研究に傾きがちであった日本仏教彫刻研究に、新しい視座を用意してくれた、きわめて興味深い画期的研究です。

これまで、このような一木彫像はヒノキで造られていると考えられてきましたが、金子さんや岩佐さんたちは、科学的方法を導入することにより、それらはほとんどカヤであることを実証したのです。つまり、ビャクダンの代用材として「栢」がありましたが、そのさらなる代用材としてカヤが採用されたのではないかというのです。その契機として、かの鑑真和尚の来日が大きくかかわったことも改めて推定されました。

2019年6月20日木曜日

美術品は所蔵館で、地酒はその土地で!


  一昨年でしたか、東博で「茶の美術」展が開かれました。その時、東博の方から、わが曜変稲葉天目をぜひお貸しいただきたいと頼まれました。大変お世話になっている赤沼多佳さんがゲスト・キューレーターだったこともあり、半期だけお貸しすることにしました。わが「天目」が文字通り「目玉」となったこともあり、この特別展は成功裏に幕を閉じました。

しかし僕は、出来ることなら岡本まで足を運んでいただき、静嘉堂文庫美術館で見てほしいなぁという気持ちを拭うことができませんでした。この茶碗には、静嘉堂の物語、岩崎家の思い出、岡本の精神風土が加えられ、込められているからです。

その気持ちをちょっと「饒舌館長」に書いたのですが、ウケを狙って、「美術品は所蔵館で、地酒はその土地で!」というキャッチコピーを作って〆たのです。そうしたら、これがバカウケ 気をよくして、おしゃべりトークでよく使うこととはあいなりました。もっとも最近は、「またやってるわ~~」といった感じで、あまりウケなくなっちゃいましたが( ´艸`)

*先日「饒舌館長」に、このキャッチコピーを紹介したところ、FBフレンドの古川さんから、「おっしゃる通り!」と「いいね」が来ました。うれしくなって返した「コメント」を、今日の「饒舌館長」としてアップした次第です。

2019年6月19日水曜日

追悼 田辺聖子さん5


『姥ざかり花の旅笠』を読んで感を深くしていた僕は、ぜひ聖子さんにもお書きいただいたいなぁと思わずにいられませんでした。しかし、僕はもとより、天羽さんと接点がなかったこともあり、そのままになってしまいました。

もう一人、ぜひご寄稿いただきたいと思ったのは白川静先生でした。白川学に対して批判があることは知っていましたが、漢字は精神的所産であるという先生のお考えには、深く共鳴するところがあったからです。何よりも、『漢字 生い立ちとその背景』(岩波新書)がこの上なくおもしろいからです。

先生にはお手紙を書いた上でお電話を差し上げました。これから書かなくてはいけない本が10冊ほどあるとのことでしたが、そのあとで結構ですからと無理を言って、「漢字と美術」といった内容で如何でしょうかとお願いしました。しかし間もなく、先生は幽明界を異にされてしまいました。

聖子さんにもダメモトでお手紙を差し上げればよかったなぁと、ご逝去の報に接し、昨日のことのように思い出されたことでした。


2019年6月18日火曜日

追悼 田辺聖子さん4


もともと宅子さんによる『東路日記』という旅日記が遺っており、研究資料として校刊もされていたのですが、これを読みやすい形で世に出したいという健さんの熱い思いが聖子さんに伝わり、この素晴らしい本が誕生したのでした。

田辺聖子さんといえば、ちょっと心残りの思い出があります。僕が『國華』の主幹を預かっていたころ、もう少したくさんの方々にこの美術雑誌を読んでほしいなぁと思い、丸谷才一、ドナルド・キーン、渡辺保といった多くの人に愛されている知識人に、論文でも随筆でも自由にお書きくださいといって、お願いしたことがあります。

実をいうと、すでに何回か紹介した天羽直之さんのアイディアであり、みな天羽さんが親しくされていた方々でした。

2019年6月17日月曜日

追悼 田辺聖子さん3


宅子さんたちは伊勢から善光寺へと参詣の足を伸ばし、江戸見物を楽しんだあと、懐かしき故郷へと無事戻ってくるのですが、その間5ヶ月、正確には144日、距離にして800里というのですから、驚くとともに深い感動を覚えずにはいられません。

江戸時代はきわめて安定した社会のもと、経済が発展し文化が成熟したすぐれた時代でした。知識としては、僕もその事実を理解していました。しかし聖子さんの『姥ざかり花の旅笠』は、それを分かりやすく、そして具体的に教えてくれたのでした。

ところで、先日も「饒舌館長」に登場していただいた俳優の高倉健さんは、宅子さんの5代あとにあたるご子孫なのです。健さんの本名は小田剛一ですから、小田宅子さんの直系にあたる方なのでしょう。健さんは、その因縁をみずから『あなたに褒められたくて』(集英社文庫)というエッセー集に書いています。

2019年6月16日日曜日

追悼 田辺聖子さん2


筑前・上底井野村(現・福岡県中間市)の裕福な商家をあずかる小田宅子と桑原久子という二人の主婦が、相はかってお伊勢参りに出かけます。宅子さんは53歳、久子さんは51歳、ほかに二人の女性を加えた女4人旅です。時は幕末の天保12年(1841)、荷物持ちの下男3人を従えていたとはいえ、女性がそんな旅行をできるほど、我が国は治安がよかったのです。街道海路もよく整備されていました。

とはいえ、こんな大旅行に必要なハンパない大金を、どうやって持ち歩いたのでしょうか? いくら治安がいいとはいえ……。しかしそんな心配はご無用です。驚くべきことに、すでに為替制度が発達していて、宅子さんたちは行く先々で現金を受け取ることができたのです。また女性ですから、当然のことながら――などというとまた怒られそうですが、やたらとおみやげを買い込みます。すると、それを上底井野村の自宅まで届けてくれる飛脚便までありました。江戸時代に、もうクロネコヤマトが存在していたんです。いや、飛脚便ですから、佐川急便かな?( ´艸`)

2019年6月15日土曜日

追悼 田辺聖子さん1


追悼 田辺聖子さん<201966日歿 享年91

 僕が大好きな作家・田辺聖子さんがお亡くなりになりました。心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

ご逝去を伝える『朝日新聞』の書き出しには、「人生の機微をすくい取った恋愛小説や、ユーモアにあふれたエッセーで人気を集めた文化勲章受章者の作家、田辺聖子さん」とありますが、僕にとっては、何といっても『姥ざかり花の旅笠 小田宅子の<東路日記>』(集英社)の作者・田辺聖子さんですね。

もともと僕はお聖さんが好きだったのですが、これを読み始めたのは、幕末の女旅日記なので、何かエッセーでも書くときに使えるんじゃないかという、ちょっとセコイ考えからでした。天上の聖子さん、どうぞお許しください!

2019年6月14日金曜日

アメリカン・オールディーズ6


もう一つSGOがおもしろいのは、”Did You Know ?”というテロップとともに、その歌手や曲に関する豆知識が文字情報として示されることでした。それによって、例えばニール・セダカなら、その後作曲家としても大成功を収め、自伝まで出版していることを知ることができたのです。

音楽もそれが生まれた場所で聴けば、より一層強い感動を味わうことができるものでしょう。日本から欧米にコンサートを聴きに、またオペラを見に行くことにイチャモンをつけ、あるいは冷笑をおくる記事を読んだことがありますが、やはり大きな意味があるんだと思います。だから僕は前から言っているんです。「美術品は所蔵館で! 地酒はその土地で!!()

2019年6月13日木曜日

アメリカン・オールディーズ5


プレスリーといえば、すでに拙論「田能村竹田の勝利」を紹介した際にも書きましたね。このアンサー・ソングともいうべき一文を書いた僕にとって、吉澤忠先生の「田能村竹田の敗北」こそ、その元歌にあたるものでした。そしてプレスリーの”Are You Lonesome Tonight ?”とドディー・スティーブンスのアンサー・ソングを引き合いに出しました。しばらくぶりにこのプレスリーの名曲がSGOで聴けたことも、じつにうれしいことでした。

もっとも、このようなオールディーズは、今や日本にいてもユーチューブで簡単に聴くことができます。しかし、本場アメリカのテレビ番組SGOで堪能できたことは、やはり感慨深いものがあり、だからこそ、ユーチューブより一層強く、鮮やかに我が青春へプレーバックすることができたのでしょう。
 ちなみに、ユーチューブで「ソリッド・ゴールド・オールディーズ」と検索をかけるといくつか引っ掛かりますが、僕がそのホテルで見た番組とはちょっと違っていました。例えば、動画が出てきたり、歌詞が映し出されたりするからで、こんなことはなかったので、不思議でなりません。

2019年6月12日水曜日

アメリカン・オールディーズ4


余談ながら――そもそもこのSGOの話が、メトロポリタン美術館「源氏絵展」の余談なのですが、懐かしさのあまり、帰国後、書架に数冊残っている『映画の友』から19647月号を引っ張り出し、最後の方に載っている「今月のヒット・パレード」を見てみました。そこには必ず「ビルボード・ホット10」が含まれているからですが、この号のホット10は、その年の『ビルボード』418日号のものでした。ビートルズがいかにすごいグループであったか、一目瞭然です!!
01. Can’t Buy Me Love                           Beatles
02. Twist and Shout                                 Beatles
03. Suspicion                                           Terry Stafford
04. Hello, Dolly                                       Louis Armstrong
05. Do You Want To Know A Secret     Beatles
06. Shoop Shoop Song                            Betty Everett
07. Glad All Over                                    Dave Clark Five
08. She Loves You                                  Beatles
09. Don’t Let Rain Come Down             Serendipity Singers (Crooked Little Man)
10. Dead Man’s Curve                            Jan & Dean
ほかに「映画音楽への招待・ベスト10」(ニッポン放送)、「魅惑のリズム・今月のベスト10」(ニッポン放送)、「S盤アワー・今月のベスト10」(文化放送)が載っていますが、僕らの世代にはスィート・メモリーを呼び起こす番組ばかりです。

2019年6月11日火曜日

アメリカン・オールディーズ3


 そのころ僕は、FEN(今のAFN)でアメリカのヒット曲を聴くのが楽しみでした。「アメリカン・トップ40」が人気を集めるようになるずっと前の話で、SGOはまさにその再現といった感じです。

FENではソウル系、R&B系、ロック系、ドゥーワップ系がたくさん流れてきましたが、当然のことながら、それがSGOにはちゃんと反映されているんです。プレスリーなどを除けば、それらはアメリカでヒットしても、日本ではあまりヒットしませんでした。むしろ日本でヒットしたのは、ポップス系でした。

そのせいでしょうか、オールディーズといえば、我が国では定番となっているシェリー・フェブレーの「ジョニー・エンジェル」も、ポール&ポーラの「ヘイ ポーラ」も、ジョニー・ディアフィールドの「悲しき少年兵」も、SGOにはアップされていませんでした。少なくとも、僕が聴いた3日間の夜から明け方には……。もっとも「悲しき少年兵」などは、日本でのみヒットした曲だと聞いたことがありますが……。

2019年6月10日月曜日

アメリカン・オールディーズ2


さすがアメリカですが、そのなかに「ソリッド・ゴールド・オールディーズ」(以下SGOと略記)という番組<ch829>がありました。ずばりフィフティーズとシックスティーズのコレクション――チャンネルを合わせれば、もう完全に高校から大学時代の僕にプレーバックです。アイウエオ順に、歌手あるいはグループの「懐かしきベスト20」をあげておきましょう。曲名は省略して……

ポール・アンカ ロイ・オービソン サイモン&ガーファンクル デル・シャノン
シュープリームス ニール・セダカ ボビー・ダーリン チャビー・チェッカー
レイ・チャールス スキーター・デービス リッキー・ネルソン プロコル・ハルム
ビーチボーイズ ジーン・ピットニー ビートルズ ボビー・ビントン プラターズ
コニー・フランシス エルヴィス・プレスリー リトル・リチャード

2019年6月9日日曜日

アメリカン・オールディーズ1


 
 4月のメトロポリタン美術館「源氏絵展」シンポジウムとニューヨーク旅行は、1975年はじめてアメリカを訪れ、そして今は後期高齢者になってしまった僕にとって、ちょっとセンチメンタル・ジャーニーみたいな雰囲気もありましたが、もっと強くそれを感じさせてくれたのは、あるテレビ番組でした。

513日に発表が終わり、レストランテ「ピスティッチ」でのディナーも果ててホテルに戻り、チャンネル・サーフィンをやっていると、「ミュージック・チョイス」という番組に逢着したのです。

スチル写真と文字情報だけを映して音楽を流すという、きわめて単純な構成の番組です。あるいは我が国でも、「スカパー」などでやっているのかもしれませんが、少なくとも我が家のテレビでは見たことのない形式のテレビ番組です。音楽がいろいろなジャンル別に分けられているのですが、その数なんと50です!!

2019年6月8日土曜日

芳賀徹『桃源の水脈』5


ところで僕が大好きな鬼才・李賀も理想郷を詠みましたが、それは「夢天」のように、桃源郷をさらに超えた宇宙にありました。あるいは逆に、もっと人間的な猥雑ともいうべき時空にあったように思います。李賀が桃の花を登場させる詩に「将進酒」がありますが、芳賀さんなら、これは桃源郷の対極にあるものだとおっしゃるでしょう。しかしこれこそが、李賀にとっての桃源郷だったのです。もちろん僕にとっても……( ´艸`)

ガラスのさかずき琥珀色
小さな樽から注がれる ワインは真紅のパールのよう
龍を煮 鳳凰包み焼き 流れる脂[あぶら]は涙のよう
絹の屏風と刺繍した 帳[とばり]が閉じ込むよい香り
響く龍笛ワニ太鼓
明眸皓歯 柳腰
歌いつつ舞う美女の群れ
加えて春は真っ盛り 日は今まさに暮れなんと……
乱れ散ってる桃の花 まるで真っ赤な雨のよう
君に勧めん一日中 ジャンジャカ飲んで酔いに酔え!!
かの劉伶[りゅうれい]も死んじゃえば 墓まで酒はやって来ず

2019年6月7日金曜日

芳賀徹『桃源の水脈』4


もっとも、陸游には「桃源」と題する七律もありますが、どうも桃源なる地で詠んだ感懐のようで、桃源郷のイメージはまったく感じられません。というわけで、「山西の村に遊ぶ」をまたまた僕の戯訳で……。

 農家が師走の仕込み酒 濁っていたって構やせぬ
 客へのご馳走 鶏や豚 豊年ゆえか山盛りに……
 川は入り組み山高く 行き止まりかと思ったら
 芽吹く柳と桃の花 こんな処にまた一村
 笛や太鼓が響き来る もうすぐなんだろ春祭り
 みんなの着物は質素だが 古きゆかしさ遺ってる
 今後も一人 月の夜に 訪ねて来てもいいならば
 迷惑だろうがこの杖で 門をたたかん真夜中に

2019年6月6日木曜日

芳賀徹『桃源の水脈』3


陶淵明以下、中国の詩人たちがたたえた桃源郷の系譜は、芳賀さんがよく教えてくれます。そのなかで一首採り上げるとすれば、やはり陸游の七言律詩「山西の村に遊ぶ」ですね。なぜかって? 陸游は僕が愛してやまないネコ詩人だからですよ。すでに陸游のネコ詩を何首か紹介しましたし、そのすべてを知りたいために、『陸游集』まで買っちゃったこともアップしました。『李白全集』も『杜甫全集』も持っていないのに……。

『陸游集』にあたってみると、43歳のとき詠まれたというこの七律は、「剣南詩稿」の巻一に「游山西村」としてすぐ出てきます。もちろん「遊」と「游」は同音同義です。愛読する渡部英喜さんの『漢詩百人一首』(新潮選書)にも採られているくらいですから、古来有名な漢詩なのでしょう。芳賀さんが指摘するとおり、この七律には濃厚な桃花源的情趣が漂っています。

2019年6月5日水曜日

芳賀徹『桃源の水脈』2


8年ほど前、芳賀さんは館長をつとめる岡崎市美術博物館で、「桃源万歳! 東アジア理想郷の系譜」という特別展を企画開催しました。そこに福田豊四郎の傑作「秋田のマリア」を加えるべく、僕が館長をやっていた秋田県立近代美術館まで、ご自身で出陳依頼に来秋されたのです。この特別展にかける芳賀さんの燃えるような情熱に、深く心を動かされました。

その充実するカタログに拙文を寄稿し、さらに講演する機会まで与えてくださったのも芳賀さんでした。本『桃源の水脈』のあとがきには、その拙文のことまで言及されています。しかも、一緒に寄稿した高橋博巳さん、揖斐高さんとともに、「三氏とも、私のリルケと江戸漢詩の恩師富士川英郎氏の面影を偲ばせる、どこか飄々とした風姿をいまだに伝える文人学者である」とも書いてくださいました。

愛して止まぬ名著『江戸後期の詩人たち』を著した富士川英郎先生ですよ!! うれしく、誇らしく、そしてちょっと穴があったら入りたいようなこの気持ちを、どのように表現すればよいのでしょうか。

2019年6月4日火曜日

芳賀徹『桃源の水脈』1


芳賀徹『桃源の水脈 東アジア詩画の比較文化史』(名古屋大学出版会 2018年)


 桃源郷はわが尊敬する芳賀徹さんのライフワークです。本書の腰巻に、「古代中国に発し、詩的トポスとして幾多の詩文や絵画を生み出してきた『桃源郷』の系譜を、現代の日本に掬いとるライフワーク」とあるとおりです。

芳賀さんが論文「桃源郷の詩的空間」を東大比較文学会の紀要に発表したのは1977年、以後40年以上にわたる研究の集大成です。しかし、わが『文人画 往還する美』のごとく、単に旧稿を寄せ集めただけのものではありません。今回書き下ろされた章が少なくないのです。

東洋のユートピアとか、アルカディアというと、芳賀さんに怒られてしまうのですが、これが目の前にたち現れて、あまやかな郷愁に僕たちを誘います。しかし芳賀さんがすごいのは、桃源郷というトポスが近代現代の日本にも受け継がれていることを、抜かりなく指摘しているところです。内容は濃密にして、一気に読むのはちょっとシンドイかもしれません。まず興味を覚える一章から、順不同に拾い読みするのがベターです。

 *お元気な方は「さん」づけにし、鬼籍に入られた方のみ「先生」とする「饒舌館長」の慣例にしたがったことをお許しください。

2019年6月3日月曜日

千墨会・墨の祭典2


続いて、お弟子さん、孫弟子さんの作品300点以上を一つ一つ拝見し、最後に招待作家15人の力作を深く心に焼きつけました。

会場では、その招待作家の方々が、千雲さんを中心に揮毫合作を披露されています。千雲さんからは、僕にもぜひ一筆をと勧められましたが、日比谷高校美術部部員として画筆を握っていたのは60年前の話です。厚かましさで知られる饒舌館長も、さすがにこれはご辞退申し上げました。

揮毫合作が終れば、会場を移して和気藹々たる祝賀会となりましたが、勧められた一筆は辞退しても、勧められた一献はモチ進んでお受けしたことでした()

2019年6月2日日曜日

千墨会・墨の祭典1


神奈川県民ホールギャラリー「25周年記念 千墨会 墨の祭典」(5月25日)


 千墨会は、水墨画家の藤﨑千雲さんが主宰する水墨画のグループ教室です。千雲さんは台湾で黄君璧老師に画技を学び、多くの受賞を重ねたあと、この千墨会を立ち上げました。『趣味の水墨画』などでお名前と作品は存じ上げていましたが、初めてお会いしたのは、総合水墨画展の審査会でした。それ以来、お人柄にも惹かれて親しくさせてもらってきましたが、今年は千墨会25周年の節目とのこと、その記念展に招かれたのです。

会場は神奈川県民ホールギャラリー、まずは千雲さんの個展を堪能しました。立派な記念カタログの表紙を飾る大作「峻嶺清気」が、圧倒的迫力をもって迫ってきます。足利フラワーパークへお弟子さんたちとスケッチ旅行に出かけたときの成果である「薫風」は、風に揺れる花房と力強い樹幹のコントラストがじつに印象的です。

2019年6月1日土曜日

サントリー美術館「information or inspiration?」


サントリー美術館「information or inspiration? 左脳と右脳でたのしむ日本の美」<62日まで>

 革命的な日本美術展です。よく知っている日本の古美術が、まったく新しい魅力的な相貌を見せてくれます。快い驚きが脳内を満たします。静嘉堂文庫美術館のディレクターとしては、こんなやり方があったのか!と、ちょっと悔しいような感覚にもとらわれます。この展覧会のコンセプトは……

人は美しいものに出会った時、2種類の感動のしかたをします。作品の背景や制作過程、作者の意図や想いを知ることで生まれる感動、そしてもうひとつは、ただただ理由もなく、心が揺さぶられる感動です。本展は、デザインオフィスnendo代表・佐藤オオキさんが提案する、左脳的なアプローチ、右脳的な感じ方の双方で、日本の美術をたのしんでみる展覧会です。

 プロデュースした佐藤オオキさんは、建築、インテリア、プロダクト、グラフィックと多岐にわたってデザインを手がけ、ニューズウィーク誌「世界が尊敬する日本人100人」に選出されたスーパー・デザイナー――改めて紹介するまでもありませんね。今日を含めてあと2日、とくに若い方々にオススメの美術展です! 1粒で2度おいしいアーモンド・グリコみたいな美術展です!!――ちょっと古いかな()

『嘘をつく器 死の曜変天目』3


先日、このブログにアップした「岩崎家のお雛さまと御所人形」に、高倉健とともに登場してもらったイノダコーヒー三条店は、ズバリ実名で出てきます。一色さんが学んだという東京藝術大学も、僕にとってはなつかしい思い出の大学です。もっとも、懐かしいのは、いつも昼飯を食べた大浦食堂なのですが( ´艸`) 

一色さんが留学した香港中文大学は、1995年香港大学で教えていたとき、何回かその大学美術館にお邪魔して、すばらしいコレクションを堪能しました。現在の陶芸界にうとい僕にはよく分かりませんが、登場人物にもモデルがいるのではないでしょうか。

ウィキペディアによると、一色さんは現在も美術館のキューレーターをつとめていらっしゃるとのこと、いつかお訪ねして親しくお話ししたいなぁ!! とはいっても、画像検索でご尊顔を拝したからじゃーないですよ( ´艸`) できたら「おしゃべりトーク」に呼んでくれれば、なおいいんだけどなぁ( ´艸`)

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...