2022年12月31日土曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」9

 

それにちなんで、NHK文化センターから宗達筆「風神雷神図屏風」について講演してほしいというオファーを受けました。僕は宗達・光琳・抱一・其一という4点の風神雷神図を比較しながら、それぞれの魅力と琳派の図様継承について講演することにしました――まだ「口演」は使っていませんでした() そして最後に、どの作品に一番惹かれるかアンケートを取ろうと考え、聴講者に挙手を求めました。

当然、宗達屏風だろうと思っていたのですが、驚いたことにもっとも多く手が挙がったのは鈴木其一の襖だったのです。伊藤若冲ブームに象徴されるがごとく、日本人の美的感性が大きく変化していることを実感させられた一瞬でした。

2022年12月30日金曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」8

 

2014年春、東京国立博物館で「開山・栄西ようさい禅師800年遠忌特別展 栄西と建仁寺」が開催されました。オーディオガイドは憧れの中谷美紀さんだったので、生まれてはじめて自腹で借りました() 

余談はさておき、建仁寺所蔵の俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」が出陳されたことはいうまでもありません。というより、栄西禅師関係の寺宝を差し置いて、この宗達国宝屏風がメダマになっているような特別展でした。

2022年12月29日木曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」7

 

安村さんのお墨付きを得て、自信のなかった僕の「光琳風神雷神二屏風説」は確信に変わりました。珍しくも今回は、若い研究者から批判されずにすんでホッとしたことでした()

天保4年(183338歳にして其一は上方への旅に出ました。この時の日記を子供の鈴木守一が写しており、京都大学付属図書館に「癸巳西遊日記」として所蔵されています。

このなかに鷲峯山金胎寺で襖4枚を描いたという記述があります。「風神雷神図襖」がこれに当たる可能性について、すでに玉蟲敏子さんが指摘しているのですが、饒舌館長もこの見解に心から賛意を表してきました。

2022年12月28日水曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」6

 

抱一の写し間違いと考えるには、東博本と『光琳百図』本における雲の表現があまりにも異なっているからです。其一筆「風神雷神図襖」の雲は後者とほとんど同じですが、しかし自信はまったくありませんでした。

ところが畏友・安村敏信さんも早くから同じことを考えていて、静嘉堂@丸の内オープン記念展図録『響きあう名宝――曜変・琳派のかがやき――』に寄せたコラム「抱一の光琳観」でそれをはっきりと指摘したのです。いや、発行日はこのカタログの方が『國華』より早いわけですから、プライオリティは安村さんにあるんです‼


2022年12月27日火曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」5

 


風神雷神というモチーフは、俵屋宗達から尾形光琳へ、さらに酒井抱一へと継承され、琳派の正統性を証明する家紋のような役目を担ってきました。其一もみずからこれを描くことによって、その系譜に連なろうとしたのでしょう。

其一は師の抱一ではなく、光琳の彩管になる東京国立博物館所蔵の「風神雷神図屏風」をもとにしたらしい――両神の描写からそう推測することができます。これが通説だといってもよいでしょう。しかし『光琳百図』に載るような光琳の別本があって、それによった可能性もないではないというのが饒舌館長の見立てです。

2022年12月26日月曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」4

 

風神と雷神は異様な雰囲気を発散しています。それは何よりもまず、風神と雷神の顔に加えられた強い隈によって生み出されています。とくに白い肌に墨黒々と隈を入れられた雷神では、気味の悪さがいや増しています。

これに加わるのが、妖雲と呼びたいような黒い雲です。この妖雲のプロトタイプは初期の作品にも見られまるから、其一の美的感性によって生み出された個性的表現であるといってよいでしょう。気味が悪いなどというと、其一をおとしめているように感じられるかもしれませんが、ここにこそ其一独自の美意識が発露しているのです。またそれはカオスとも呼ぶべき幕末美意識の反映でもあったように思います。

2022年12月25日日曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」3

 

「祝琳斎其一」の落款が、明らかに光琳の落款をまねたものである点に、其一の光琳へのなみなみならぬ私淑の態度が見られる。ただし絵は光琳や抱一のそれと異なり、灰味がかった独特の色調や肉身の隈取り、妖気を感じさせるような不思議なたらし込みなどによって、いかにも其一画らしいものとなっている。宗達に始まる「風神・雷神図」の闊達な世界の変貌の極みともいうべき終着点がここにある。

 辻惟雄さんの驥尾に付して、拙論「鈴木其一の画業」を『國華』1067号(1983年)に寄稿したのですが、もちろんこの襖絵にも言及せずにいられませんでした。今回の拙論には「しかしその後、実地調査を行なう機会もあったので、改めて國華アーカイブに登録しておこうと考えた次第である」なんてチョット格好をつけましたが……()


2022年12月24日土曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」2

 

僕が大阪に住む個人コレクターのお宅ではじめて拝見したのは、同じ昭和53年の67日のことでした。山根先生から調査してくるよう求められて出かけたのですが、目の前にその襖が並べられたときの驚きを、昨日のことのようによく覚えています。そのときの調査カードと、その後行なった鷲峯山金胎寺調査のときのカードをスチールボックスから引っ張り出してくると、思い出はいよいよ鮮明によみがえってくるのでした。

現在、襖8面の風神と雷神が対峙する伝統的構図のうちに鑑賞することができますが、そのときは襖4面の裏表に描かれていました。上記の豪華研究図録に「鈴木其一試論」を発表した辻惟雄さんは、早速にこの作品を取り上げ、次のように指摘されました。

2022年12月23日金曜日

鈴木其一筆「風神雷神図襖」1

 

鈴木其一筆「風神雷神図襖」東京富士美術館蔵 『國華』1524

 いまや琳派人気画家となった鈴木其一の代表作に、東京富士美術館が所蔵する「風神雷神図襖」があります。これはどうしても國華アーカイブに登録しておかなければならない傑作だとずっと思ってきたので、このたび1524号に拙文を付して登載することにしました。いや、饒舌館長にとってすごく思い出深い作品だったからです()

 鈴木其一の彩管になるこの襖絵が広く知られるようになったのは、山根有三先生が編集して昭和53年(1978)年の瀬に、日本経済新聞社から出版された『琳派絵画全集 抱一派』に紹介されてからのことです。

2022年12月22日木曜日

浅田次郎「吾輩はゲコである」6

 

白楽天「陶潜の体に効ならう詩 その五」

  朝は独りで酔い歌い 夜も独りで酔って寝る

  まだ壷に酒 残るけど もう三回も独り酔う

  言うな‼ 酒量が少ないと 飲めばソク酔う――最高だ

  一杯あるいはもう一杯 三・四を越えず多くても

  それですっかりいい気分 余計なことはみな忘れ

  さらに一杯 無理に飲みゃ 陶然――やなことみんなパー

  一升酒の呑み助は 多けりゃいいと思うけど

  酩酊しちゃえば酔っちゃえば オイラとちっとも変わらない

  大酒飲みとは可笑しいなぁ ただ酒代さかだいがかかるだけ

2022年12月21日水曜日

浅田次郎「吾輩はゲコである」5

 

 


 ついでにというと失礼かもしれませんが、翌日の高野公彦選「朝日歌壇<番外地>」にも迷吟賛酒歌が選ばれていました。

  生きて来て酒を沢山たくさん飲んだので我は酒税の還付を望む      木村義熙

 最後に先日紹介した『漢詩酔談』から、白楽天の「陶潜の体に効ならう詩 その五」を、またまた戯訳でアップすることにしましょう。浅田次郎さんは下戸のメリットとして、第一に酒代さかてのかからないことを挙げています。

かの酒仙詩人・白楽天は、多くても34杯で酩酊してしまう自分と大酒飲みを比較し、陶然たる壷中の天という点では両者まったく差がなく、大酒飲みは酒代がかかるだけだと自慢しています。しかし浅田次郎さんのようなホンモノの下戸に比べれば、白居易先生!! やはりお金がかかるんじゃ~ありませんか?()

2022年12月20日火曜日

浅田次郎「吾輩はゲコである」4

 

ここで一酒、いや、一首詠めれば酒仙館長のカブも上がるのですが、もちろんただ鯨飲しただけ、代わりに1120日の「朝日歌壇」に載った賛酒歌4首を紹介することにしましょう。この日は4人の選者が一首ずつ賛酒歌を選んでいるんです。「朝日歌壇」空前絶後の快挙です( ´艸`) しかも永田和宏さんは、名高き朝日歌人・吉富憲治さんを第一席に挙げています。確かにすごくいい!!

 酒呑みが酒をのまずに寝ると云ふそんな疲労も時にはあるさ     加藤建亜

 ほろ酔いの時に言うなよ「飲み過ぎ」とあと一杯と決めていたのに  福井恒博

  かっぽ酒かっぽかっぽと注ぐ音に秋はきて居り高千穂の宿      岩永知子

  「ちょっとだけ呑んでみるか」と病む妻に燗酒注ぎて霜月に入る   吉富憲治

2022年12月19日月曜日

浅田次郎「吾輩はゲコである」3

 


しかし浅田さんは、結局「限られた夜の時間に酒を飲んでしまえば読み書きができなくなる」と考えて、下戸になったらしいとみずからを振り返っています。競馬狂、ギャンブル好きの浅田さんですが、やはり根は真面目なんですね() かつて読んだ「鉄道員ぽっぽや」は、「平成の泣かせ屋」の手管にはまって涙滂沱ぼうだたりとなりましたが、今回はクスッと笑わせてもらいました。

この「吾輩はゲコである」を読んだ17日夜の二次会では、この土地の猿喰さるはみ米で醸した地酒「猿喰1757」(溝上酒造)を、翌日のお昼はこれまた地酒の「池亀」(池亀酒造)を堪能しました。前者の1757とは、猿喰新田の干拓が始まった年だそうです。もちろん両者とも銘酒銘醸、持論「美術品は所蔵館で、地酒はその土地で!!」をひたすら実践したことでした() 

2022年12月18日日曜日

浅田次郎「吾輩はゲコである」2

イチオシは浅田次郎さんの連載エッセー「つばさよつばさ」です。今回のお題は「吾輩はゲコである」――言うまでもなく、夏目漱石の『吾輩は猫である』をもじったものです。浅田さんは「まずは表題のわびしきジジイ・ギャグをご寛恕ねがいたい」と書き出しています。

 浅田さんは正真正銘の下戸だそうです。ご両親は酒豪の王道を堂々と歩んだのに、「ならば私は、いったい何の因果で下戸なのだ!」と咆哮しています( ´艸`) 手練れた浅田調でつづられるユーモアとペーソスがすごくいい!! もっとも酒席はむしろ大好きで、十人十色、百人百様の酔っ払いを観察してきた結果が、小説執筆にも大いに役立ったと書いています。 

2022年12月17日土曜日

浅田次郎「吾輩はゲコである」1

浅田次郎「吾輩はゲコである」(JAL機内誌『スカイワード』202211月号)

 飛行機に乗る楽しみの一つは機内誌を読むことです。かつて月に2度、秋田県立近代美術館に通っていましたが、機内誌が楽しくて秋田新幹線は使わなかったといっても過言じゃ~ありません。スケジュールの都合上、おもにANAを使っていました。「饒舌館長」の前身である「おしゃべり館長」に、鹿島茂さんのエッセーをはじめとして、何度か紹介記事やオマージュをアップしたように思います。

今回、出光美術館・門司の「松尾芭蕉と元禄の美」展招待会へ出席するため乗ったのはJALでした。その機内誌『スカイワード』を行きも帰りも楽しませてもらいました。

2022年12月16日金曜日

テネシー・ベアーズ ライブ7

 

30分ほどの休憩のあと第2ステージ――ここでもリクエストされたので、フォーク古典中の古典ともいうべき「500マイル」をやりましたが、今度はリードギターの方が間奏に美しいメロディも添えてくださったので、チョットはうまく聞こえたんじゃ~ないかな。上の写真を含めて、今回使った写真はみんな横山実君の激写です。

かくして第2ステージもクリスマス・ソングの「サイレントナイト」で〆となり、そのあとアンコールまであって、東銀座の夜は更けていったのでした。翌日、木村泰輔君からお礼とともに、つぎのようなコメントをもらい、真に受けて舞い上がってしまいました。もともと根が素直なものですから()

歌の方は張りのあるバリトンで……。三本指のギターさばきも手馴れたもので、綺麗なサウンドを出されていましたね。あの重責のあるお仕事の中で、あそこまで弾き語りが出来るのは、半端ではないですね。

2022年12月15日木曜日

テネシー・ベアーズ ライブ6

 



指名されればゴードン・ライトフットというか、ピーター・ポール&マリーというか、ともかくも「モーニング・レイン」をやることにしていました。しかし4番までチャンと歌詞がでてくるかどうか、フェンダーのすごいギターを渡されると、いつも歌っているのに急に心配になってきました。最近「立ち上がり目的忘れまた座る」がますますひどくなっているものですから() 

すると「モーニング・レイン」の歌詞カードがすでに準備されていて、すぐ譜面台に立てかけられました。こうなれば、いよいよもってこわいものはありません。最後のリフレインを歌い終われば忖度の拍手喝采――もっとも最近は「忖度」も鮮度が落ちてウケなくなっちゃったかな() 

2022年12月14日水曜日

テネシー・ベアーズ ライブ5

 

木村君泰輔君はボーカルとバンジョーを担当――カントリー&ウエスタンになくてはならないカントリー・ヨーデルも、とてもむずかしい楽器のバンジョーも、プロとはいえパーフェクト、感を深くしました。だって木村君も僕と同じ79歳ですよ――同級生なんですから!! コチトラは左手が老人性腱鞘炎になって、人差し指で6弦全部を押さえるセーハができないんです。だからFも5弦だけの似非Fなんです。

木村君から1曲やってもらうかもしれないよとは聞いていましたが、やはり「つぎは僕の友だちの河野君に弾き語りでやってもらいましょう」と指名されると、アマチュアのコチトラはドキドキです。とはいっても、もうバーボンでダブルの水割りを2.5杯もやったあとですから、こわいものはありません。

2022年12月13日火曜日

テネシー・ベアーズ ライブ4

 



聞けば木村泰輔君は大学時代から続けているそうで、一度ぜひ拝聴したいなぁというと、東銀座のライブハウス「MR.OLDIES」でよくやっているから来てくれよということになりました。

125日、國華社で仕事をしたあと、夕方6時に歌舞伎座前でみんなと落ち合い、歩いて5分ほどのビルにあるライブハウス「MR.OLDIES 」へ……。木村君と友だち二人を中心に、女性歌手、キーボード、ベースギター、エレキギターも加わった、プロフェッショナルのカントリー&ウエスタングループです。

木村君に「俺もウッディー・リヴァーというフォークデュオでやってたんだ」なんて言ったことが恥ずかしくなりましたが、コチトラはアマチュアなんだと居直ることにしました( ´艸`) 7時から第1ステージが始まりました。もう今年も師走――オープニングはクリスマス・ソング「ホーリーナイト」です。

2022年12月12日月曜日

テネシー・ベアーズ ライブ3

専門とする絵画のほかに、書蹟、漆工、刀剣、陶磁器も選んだので、アカデミックなことはすべてカタログ『響きあう名宝 曜変・琳派の輝き』にゆずり、いつもの妄想と暴走で文字どおり突っ走りました() 

 この口演会には、日比谷高校のときの同級生5人が聴きにきてくれました。口演終了後、オープニング展覧会と明治生命館の旧GHQ記念オフィスを見てもらい、5時からマイプラザ地下の「煌蘭」で盛り上がりました。そのとき木村泰輔君が、カントリー&ウエスタンのバンド「テネシー・ベアーズ」を結成して活動していることを知りました。右から2番目がその木村君です。 

2022年12月11日日曜日

テネシー・ベアーズ ライブ2

 


国宝 太田(おおた)(ぎれ)倭漢朗詠抄(わかんろうえいしょう)」二巻 平安時代

②国宝 俵屋宗達筆「源氏物語 関屋(せきや)(みお)(つくし)屛風(ずびょうぶ)」六曲一双 1631

③重文 尾形光琳作「住之江(すみのえ)蒔絵(まきえ)硯箱(すずりばこ)一合(いちごう) 江戸時代

④酒井抱一筆「絵手(えて)(かがみ)」一帖 江戸時代

⑤国宝 太刀「手掻(てがい)(かね)(なが) 銘 包永」一振 鎌倉時代(附 菊桐紋糸巻太刀(こしらえ)

⑥重要美術品「三彩獅子」二躯 唐時代

⑦国宝「曜変天目(稲葉天目)」一口 建窯 南宋時代

⑧大名物「唐物茄子茶入 (つく)()茄子(なす)」一口 南宋~元時代

⑨国宝 伝 馬遠筆「風雨山水図」一幅 南宋時代

⑩国宝 因陀(いんだ)()筆「禅機図断簡 智常禅師図」一幅 元時代



2022年12月10日土曜日

テネシー・ベアーズ ライブ1

1028日(金)午後2時から、静嘉堂@丸の内に隣接するマイプラザホールで、「静嘉堂@丸の内 オープン展のベストテン」と題するマイ講演会、いや、口演会が開かれました。聴講券は10時配布早々に予定の100枚に達してしまいました。さすが静嘉堂@丸の内の人気はすごい!! いや、講師の人気かな() 

 ゲットできなかった方々には、心からお詫びいたしますが、ほとんどはこの「饒舌館長」にアップしたことをしゃべっただけですから、ご安心ください。僕の選んだベストテンは……。


2022年12月9日金曜日

世界平和パゴダ6

日本の三重の塔や五重の塔は、パゴダが中国・槿域を経由して日本的変容を遂げたものにほかなりません。我が国初期の伽藍配置である飛鳥寺式や四天王寺式をみると、塔が境内の中心に位置しています。それはパゴダが寺院の中核であったことのかすかな記憶だといってもよいでしょう。

 だからこそ、一度ミャンマーを訪ねて実体験しなければ、日本仏教美術史を語ることなんてできるものじゃ~ないと思います。しかし後期高齢者に、その機会は残されているものでしょうか?() 

2022年12月8日木曜日

世界平和パゴダ5

 

まだミャンマーに行ったことはありませんが、大乗仏教である日本仏教のオリジンともいうべき上座部仏教――いわゆる小乗仏教を知るためにも、一度お邪魔したいなぁと改めて思いました。

お釈迦様が亡くなって1世紀ほど建つと、仏教教団は伝統的な上座部と革新的な大衆部だいしゅぶに大きく分かれました。そのあと上座部は、さらに20ほどの部派に分裂したそうですが……。一方大衆部は、大乗仏教の基底をなすことになったように思います。山を下りながら、僕はソバナ師からたくさんのことを教えてもらいました。いま上座部仏教を守っているのは、ミャンマー、ベトナム、タイ、ラオス、カンボジアの5ヶ国であることも……。


2022年12月7日水曜日

世界平和パゴダ4

八坂和子さんは世界平和パゴダの責任役員として、お父上と同じように、いや、それ以上のご苦労を重ねられている様子でした。しかしこの明るく元気な女性――すてきなお婆ちゃんなどといったら失礼かもしれませんが――そのお話を聞いていると、こちらもエネルギーをもらうだけでなく、心が豊かになってくる感じがしたのでした。

八坂さんは二人のミャンマー僧、パンディッタ師とソバナ師にお経をあげていただくよう頼みました。早速お二人が声を合わせて唱えてくださったのは、「メタスッタ」というお経でしたが、はじめて聴くパーリ語はとても力強い、男性的な響きの仏典言語でした。

お二人は数年前日本へ来て常住されているそうですが、このミャンマー僧の常住という慣習は、創建の昭和33年以来ほぼずっと守られているそうです。

 

2022年12月6日火曜日

世界平和パゴダ3

 

世界平和パゴダは、我が国で唯一ミャンマー政府と仏教会が公式に認めているミャンマー式寺院だそうです。門司港からは第二次大戦中、200万人以上の将兵がビルマを中心とする南方の戦線へ、また中国大陸の戦地へとおもむきました。

パゴダのなかに安置された金色に輝く仏像の脇には、たくさんの位牌と戦没者名簿がそなえられていました。建立されたのは昭和33年(1958)、ビルマ仏教会の拠出金と我が国の寄付金によって進められたそうです。

そのとき建立委員会の会長となって、陣頭指揮をとるとともにご苦労されたのが当時の門司市長・柳田桃太郎氏でした。はじめにお名前をあげた八坂和子さんは、柳田氏のお嬢さんです。

2022年12月5日月曜日

世界平和パゴダ2

 

帰京後、改めて『ビルマの竪琴』を読み返しました。今回もっとも強く印象に残ったのは、かの歌う部隊の隊長の言葉です。イギリス軍の捕虜になった翌日の夜、隊長は一同に向かって話し始めるのですが、「もし万一にも国に帰れる日があったら、一人ももれなく日本へかえって、共に再建のために働こう」と締めくくります。

それは先日アップした小山富士夫先生の決意と驚くほど共鳴しているではありませんか。先生は「正倉院三彩」に、「何としても日本ももう一度立ち直らねばならない」とお書きになっているのです。『ビルマの竪琴』は昭和21年に書き始められ、「正倉院三彩」は同じ昭和21年に脱稿されたのでした。

2022年12月4日日曜日

世界平和パゴダ1

 

 1118日、出光美術館・門司で「松尾芭蕉と元禄の美」を堪能したあと、八坂和子さんの案内を得て、お話を聞きながらみんなで世界平和パゴダにお参りしました。世界平和パゴダは、和布刈めかり公園の小高い山の上に建てられています。

世界平和および日本とミャンマー両国の親善と仏教交流を目的とし、さらに第二次世界大戦に際し門司港から出征した戦没者の慰霊を祈念して建立された仏教寺院です。しかし僕たちの世代ですと、ミャンマーというよりやはりビルマですね。とくに竹山道雄氏の『ビルマの竪琴』ですね。

2022年12月3日土曜日

出光美術館・門司「松尾芭蕉と元禄の美」4

  緑の幹は伸びたけど 皮が半分 残ってる

  脇から小枝も顔を出し チョット垣根を越えました

  書斎の暖簾のれんも緑色りょくしょくに 染まってしまう夕間暮れ

  月の光に竹の影 映れば涼し酒の樽

  雨が洗えば麗うるわしく 清々しくてたおやかで

  風に吹かれりゃ細こまやかに サヤサヤ揺れて香るよう

  知らない間に切られぬよう 常によくよく注意しろ!!

  グングン伸びて空 覆おおう 雲 突き破るのを見たいのだ


2022年12月2日金曜日

出光美術館・門司「松尾芭蕉と元禄の美」3

 

たくさん伝えられる乾山光琳合作皿のなかでも、とくに出来栄えすぐれ、書画融合の美も難のつけようなく、よく人口に膾炙する一枚です。ただし乾山の賛詩は自詠にあらずして、杜甫の五言律詩「厳鄭公宅同詠竹得香字」から取られたものです。

リチャード・ウィルソン+小笠原佐江子「乾山焼 画讃様式と出典のすべて」(『国際基督教大学学報 人文科学研究』35 2004)が、最初にそれを教えてくれました。その後、柏木麻里「乾山焼の文芸意匠における<引用>の芸術的意義――『円機活法』および光琳乾山合作をめぐって」(『出光美術館研究紀要』20 2015)という論文が発表され、大いに刺激を受けたことでした。

それらが指摘するように、このような乾山の賛詩は、すべて愛用していたアンソロジー『円機活法』を参照したもので、直接『杜甫詩集』によったわけではありません。この五言律詩をまたまたマイ戯訳で……。

2022年12月1日木曜日

出光美術館・門司「松尾芭蕉と元禄の美」2

 

しかし「僕の一点」は、「元禄の美」から尾形光琳・乾山兄弟の「竹図角皿」を選ぶことにしましょう。白化粧掛けした角皿に、光琳が銹絵で孟宗竹と小竹を描き、「光琳(花押)」と落款を加えています。

左側に乾山が「雨洗娟々浄風吹細々香 乾山陶隠深省書」と賛を施し、<尚古><陶隠>連印を捺しています。しかし、いわゆる逆印になっています。乾山の文人的性格がこのようなところにも現われているといってよいでしょう。かつて「乾山文人画試論」という拙論を『國華』1419号に書いたゆえんです。拙文集『琳派 響きあう美』が出たあとだったので、第2拙文集ともいうべき『文人画 往還する美』の方に収めたように思いますが……。

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...