2024年11月23日土曜日

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2


 

一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。

 日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して100周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮殿博物館に所蔵される至宝、また本展の趣旨にご賛同いただき出品協力をいただきましたトルコ・イスラーム美術博物館の名品、さらには出光美術館が誇る中国・日本陶磁やトルコ陶器の数々をご紹介いたします。

2024年11月22日金曜日

出光美術館「トプカプ・出光競演展」1

 

出光美術館「日本・トルコ外交関係樹立100周年記念 トプカプ宮殿博物館・出光美術館所蔵 名宝の競演」<1225日まで>

 出光美術館では標記特別展が開催され、人気を集めています。まずそのカタログから、「ごあいさつ」の一部を紹介することにしましょう。

 アジアとヨーロッパをつなぐ国際都市、トルコ・イスタンブルは、15世紀中頃からオスマン帝国(1299-1922)の首都となりました。歴代のスルタン(帝王)は、この地に築かれたトプカプ宮殿に居住し、政務をつかさどります。その後、16世紀に入り、オスマン帝国は中東、北アフリカ、中部ヨーロッパにまたがる最大領域を形成しました。トプカプ宮殿には貴金属をはじめ、東アジアからヨーロッパにおよぶ地域の珍しい宝物が集められ、彼らはそうした品々を使用したり、飾ったりしながら大切に継承しました。その所蔵品には当時の世界最高峰である中国・景徳鎮窯や龍泉窯などの極めて良質な陶磁器が含まれ、宮廷コレクションとしては質量ともに世界屈指と評されています。くわえて日本陶磁も数多く舶来、所蔵されています。

2024年11月21日木曜日

追悼 高階秀爾先生16

 

 総合司会の大高保二郎さんがみごとに〆れば、2024鹿島美術財団東京美術講演会もほぼ定刻に終了、会場を地下ホールに移して、コロナ明け初のレセプションとは相なりました。僕たちは高階秀爾先生の一日も早き快復を祈念しつつ歓談、杯を重ねましたが、9日後に幽明界を異にされるとは誰も知りませんでした。これまた「朝日歌壇」に捧げられた鎮魂歌2首をもって、マイ追悼の辞を閉じることにしましょう。

  ピカソの絵目鼻ちぐはぐなる意味を教へてくれし『名画を見る眼』

そんな眼をもちたいものと思いしは高階さんの「名画を見る眼」              

*「饒舌館長ブログ」では、お元気な方は「さん」づけにし、鬼籍に入られた方のみ「先生」とお呼びすることにしておりますので、よろしくお願い申し上げます。


2024年11月20日水曜日

追悼 高階秀爾先生15

 こんなに素晴らしい我が祭りの伝統が、実利主義やグローバリゼーション、あるいは天災や疫病の流行、そして何よりも少子高齢化によって、失われてしまうのではないかという危惧がないではありません。しかし心配するには及ばないと思います。

私たちの社会には、日本の祭りが形を変えつつもチャンと生き続けているからです。長嶋茂雄にならっていえば、日本の祭りは不滅です!! それを僕に確信させてくれたのは、最近「朝日歌壇」に載った2首の佳吟でした。

  町内をワッショイの子らを引き連れて神輿みこしを乗せた軽トラがゆく

夏祭り吹奏楽のお母さん子をおんぶしてマリンバを打つ

 

2024年11月19日火曜日

追悼 高階秀爾先生14

この気風は無論近世に始まったものではない。従って既に明治以前からも、村里の生活にも浸潤して居た。村の経済の豊かな年には、農民はいつもこの「見られる祭」を美しくしようと心掛けつつ、しかも一方には彼等伝来の感覚、神様と祖先以来の御約束を、新たにしたいという願いを棄てなかった故に、勢い新旧の儀式の色々の組合せが起り、マツリには最も大規模なる祭礼を始めとして、大小幾つと無き階段を生ずることになり、一つの名を以て総括するのも無理なほど、さまざまの行事が含まれることになったのである。

 

2024年11月18日月曜日

追悼 高階秀爾先生13

しかしこれは五味さんをはじめ、皆さんの興味をあまり引きませんでした。むしろ資料にあげただけにもかかわらず、柳田國男「日本の祭」から抜いた一節の方がウケたようです。これこそ我らが祭りのキモだと思って引用したのですが、総合司会の大高保二郎さんがとくに取り上げてくれたので、「ヤッター」という気持ちになりました()

日本の祭の最も重要な変り目は何だったか。一言でいうと見物と称する群の発生、即ち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的の立場から、この行事を観察する者の現われたことであろう。それが都会の生活を花やかにもすれば、我々の幼い日の記念を楽しくもしたと共に、神社を中核とした信仰の統一はやや毀れ、しまいには村に住みながらも祭はただ眺めるものと、考えるような気風をも養ったのである。

 

2024年11月17日日曜日

追悼 高階秀爾先生12

 花祭にかぎらず、日本の祭りや芸能の研究のむずかしさは、幾重にもかさなって日本におしよせた大陸の文化を重層的にとりこんでいることである。その表皮を一枚一枚はがしてゆけば、芯にはなにものこらなくなることを覚悟しておかねばならない。日本の独自性をいうならば、素材を組みあわせる演出の技術をみるべきであって、素材自体は海外から渡来したものがほとんどをしめている。

 「芯にはなにものこらない」には反発を覚える方もいらっしゃるでしょうが、僕は()として宗像大社のみあれ祭図――よい作例がなかったので棟方志功の「宗像宮神樹の柵」で代用しました――、()として日吉山王祭礼図屏風、()として祇園祭礼図屏風、()として悠紀ゆき・主基すき屏風をあげ、僕が勝手に第5カテゴリーに加えた人への信仰、ある意味での政治的信仰として、豊国祭礼図屏風を映して〆としました。

 

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...