2025年12月18日木曜日

鎌倉国宝館「扇影衣香」9

 


先日、鏑木清方記念美術館の「あの人に会える! 清方の代表作<築地明石町>三部作」展で井手誠之輔さんにお会いしたことをアップしました。その井手さんが、この「扇影衣香」展カタログに、「総論 絵から見た鎌倉の美術と東アジア世界――人と仏――」という巻頭論文を寄稿しています。カタログにもかかわらず、註が34も加えられた力作論文です。カタログの文章だと、註なしで済ましちゃう饒舌館長は、ただただ脱帽感嘆するのみです。

 

その註のなかに、ユキオ・リピットさんの「満たされぬ肖像 バーネット&バートコレクションの《春屋妙葩像》について」(坂口彩訳)があります。これまた力作論文なのですが、井手さんが引用してくださったことが、うれしくって仕方ありません。

 

というのは、このリピット論文が『美術史家、大いに笑う 河野元昭先生のための日本美術史論集』(ブリュッケ 2006年)に発表されたものだからです。言うまでもなく、佐藤康宏さんが中心になって編集してくれた献呈論文集です。 


 ヤジ「結局、自分へ献呈されたフェストシュリフトのことが言いたかったんじゃない     の?」 

2025年12月17日水曜日

鎌倉国宝館「扇影衣香」8

 


すなわち国宝(現在の重要文化財)に指定されているこの図とは別個の一本であり、しかも指定外のものであるが、なにかの手違いで別本が国宝本にすりかわって国宝全集に出てしまったものらしい。しかし、凡作でも国宝全集に出た以上、それを国宝本と思い込んだ向きも少なくなかったにちがいない。

 

実はこういう自分もそのひとりであるが、これでは国宝本が従来正常の評価をうけえなかったことも不思議ではあるまい。国宝本のこの図が図録に掲載されたのは、昭和三十三年朝日新聞社から出版された『鎌倉の美術』が、はじめてではないかと思う。ついで三十六年の春、東京国立博物館の中国宋元美術展覧会に出陳され、ようやくその真価が一般に知られる機会にめぐり合わせたのである。 

2025年12月16日火曜日

鎌倉国宝館「扇影衣香」7


  ところがそれまでは、この作品の真価があまり認められていなかったようです。この点についても、米澤先生が興味深い事実を指摘されていますので、引用させていただくことにしましょう。こんなことがあるですね!!
 

わが国に伝存する宋代の仏画は、だいたい南宋の作であるが、仁和寺の孔雀明王(『國華』第三〇九号)や清浄華院の普悅筆阿弥陀三尊(『國華』第六七八号)などは、名品として一般によく知られている。ところが、鎌倉建長寺の釈迦三尊図 は、やはり南宋の名作であるにかかわらず、その真価は案外認められていなかったようである。それは次のような事情にも因ると思う。 

『日本国宝全集』 四二号に建長寺の「釈迦三尊図」なるものが掲載されているが、その図は高麗画か元画の鎌倉写しで、本号に掲げたこの図とは似てもつかない凡作である。 

2025年12月15日月曜日

鎌倉国宝館「扇影衣香」6



 「僕の一点」は建長寺所蔵の「釈迦三尊図」ですね。南宋仏画のゼッピンです。じっと観ていると、一部に華麗な色彩を使いながらも、異民族に北半分を奪われてしまった南宋人の哀しみと愁いが胸に迫ってくるような色感です。南宋絵画というと、馬遠・夏珪の水墨山水画や、禅宗水墨画がまず頭に浮かびますが、このように重厚な色彩世界が同時に存在していたです。 


その中心には画院画家がいたはずで、我が国には枝画の名品が少なからず遺っています。それは雪舟に代表される水墨画だけでなく、絵所預の土佐派が色彩表現を担っていた室町時代絵画とパラレルな関係に結ばれているようにも思われます。

 

この「釈迦三尊図」は我が恩師・米澤嘉圃先生が愛して止まなかった南宋仏画として、僕の心に深く刻まれています。先生は『國華』837号(1961年)にこれを紹介され、「第一級に位する名品」と位置づけされました。 




 

2025年12月14日日曜日

べらぼう 最終回

 

 ただいま涙とともに最終回を見終わったところです。出演者とスタッフの皆さん、ありがとうございました❣ 1年間堪能させていただきました❣ ハラハラ、ワクワク、ドキドキ、ウットリ、ときに涙滂沱、おのずと皆勤賞になってしまいました❣ とくに森下佳子さん、横浜流星さんには、心からのオマージュを捧げたいと存じます❣ 視聴率はそれほどでもなかったと仄聞しましたが、それがどうしたというのでしょう。チョット厳しい批評も聞いたように思いますが、やがて森下さんが込めたメッセージーーその真意が理解される時を迎えることでしょう。1年間、本当にありがとうございました❣ 


 

鎌倉国宝館「扇影衣香」5

 

昨日紹介した李嶠の詩を読んでみると、「扇影」というのは扇の輝きとかきらめく光の意味みたいですね。そこで僕は「扇影飄」を「白扇はくせんみたいに翻ひるがえる」と訳してみたのですが、「影」を「物陰」の意味に取ると、「衣香」とまったく響き合わなくなっちゃうでしょう。ついでにと言うのも変ですが、『唐詩選』に選ばれる李嶠の五言律詩「長寧公主の東荘にて宴に侍す 応制」もマイ戯訳で……。

  都の東の近郊に 建ってる別荘・東荘に

  鈴の音 響かせ禁裏より 貴い行列やって来た

  豪華な宴席 百官が 鵷鷺えんろのごとく整然と……

  仙人 奏でる笛の音に 鳳ほうと凰おうとが合唱す

  終南山は庭の木が 届かんばかりにごく近く

  煙霞のために大池の 汀なぎさも遥かに遠く見ゆ

  ご恩を受けて列席者 すでに酩酊してるけど

  後ろ髪引く絶景に 帰路の手綱をみな取らず

2025年12月13日土曜日

鎌倉国宝館「扇影衣香」4


         目出度い雪が彼方まで 驚くほどに降り積もり 

  目出度い雲が天上の 果てまで暗くしてるけど 

  地上はまるで満月の 夜かと疑う明るさで 

  山には白雲 棚引いて きらめく朝日を浴びてるよう 

  舞うがごとくに降る雪は ひらひら散ってく花に似て 

  歌うがごとくに降る雪は 白扇はくせんみたいに翻ひるがえ 

  この大周の世の天子 住まう皇居へ行く道を 

  今日 海神わたつみが参内し 天子に拝謁するようだ


鎌倉国宝館「扇影衣香」9

  先日、 鏑木清方記念美術館の「あの人に会える! 清方の代表作<築地明石町>三部作」展で井手誠之輔 さん にお会いしたことをアップしました。その井手さんが、この「扇影衣香」展カタログに、「総論 絵から見た鎌倉の美術と東アジア世界――人と仏――」という巻頭論文を寄稿しています。 ...