2025年9月19日金曜日

サントリー美術館「絵金」7

 

しかし間もなく、「美術品は所蔵館で 地酒はその土地で」を絵金で体験することになりました。辻惟雄さんが主宰していた「かざり研究会」が、土佐へ絵金を観に行くことになったからです。「絵金まつり」の幻想と妖艶は、今でも忘れることができません。

高知県立美術館を訪ね、鍵岡正勤館長の解説を聞きながら拝見した絵金の作品では、顔貌描写をはじめとする描線の流麗と精巧に魅了されました。しかしその後も、そのままに打ち過ぎてしまったので、今回はチョッと真面目に(!?)考えてみようと思って、内覧会に出かけたのでした( ´艸`)

「僕の一点」は芝居絵屏風「鎌倉三代記 三浦別れ」(香南市赤岡町本町一区蔵)ですね。話の内容は鍵岡正勤監修『絵金 闇を照らす稀才』(東京美術 2023年)を引用させてもらうことにしましょう。

2025年9月18日木曜日

サントリー美術館「絵金」6

 絵金ブームの発火点となった、昭和45年(1970)西武百貨店池袋店で開催された絵金展は見逃していますが、翌年渋谷の東急百貨店本展で開かれた「幕末土佐に生きた異端の絵師 絵金展」は見て、菱川師宣と鳥居清信に始まった歌舞伎絵が、ついにここまで来たのかと思いつつ、チョッと似ている猥雑な雰囲気(!?)漂う蒲田の家に帰ったことを、今でもよく覚えています。

しかしその後、とくに絵金について考えることも論じることもなく、ただ大久保純一さんの「絵金 幕末土佐の芝居絵」を読む機会に恵まれただけでした。というのは、辻惟雄さんが編集し、僕も「高橋由一 江戸絵画の視点から」という拙文を寄稿した『幕末・明治の画家たち 文明開化のはざまに』(ぺりかん社 1992年)に、その大久保絵金論が収められていたからでした。

 

2025年9月17日水曜日

サントリー美術館「絵金」5

 



ところが10年ほどして、その身分を剥奪されてしまうのです。狩野探幽贋作事件に巻き込まれたためと伝えられていますが、詳しいことは分かっていません。そのあとしばらくは、上方に身を潜ませていたようです。その間に体験したにちがいない、上方歌舞伎からの影響を重視する研究者もいます。

あるいは藩内の赤岡、現在の香南市赤岡町に住んでいた叔母のもとに居候を決め込んだとも伝えられていますが、これまた詳細は不明なのです。しかし赤岡の北にある須留田するだ八幡宮の祭礼――神祭じんさいに奉納された芝居絵屏風に傑作が集まっているところをみると、赤岡が絵金歌舞伎絵のトポスであり、そこにはゲニウスロキ(守護神)がいるような気がします。

やがて絵金は一介の町絵師として縦横無尽の活躍を始め、独自ともいうべき絵金歌舞伎絵のシャングリラを創造していくのです。亡くなったのは明治9年(1876)、享年65でした。

今日はNHK文化センター青山教室講座「魅惑の日本美術展 最強ベスト6だ!!」で、この絵金について<饒舌>します!! 人前で絵金を語るのは82歳にして初めてーーワクワクしながら準備を進めましたが、吉と出るか凶と出るか( ´艸`)


2025年9月16日火曜日

サントリー美術館「絵金」4

 

 絵金は江戸後期の文化9年(1812)土佐の高知城下、現在のはりまや町に髪結いの子として生まれました。本姓は最終的に(!?)広瀬、通称は金蔵、土佐では絵師金蔵をつづめ「絵金」「絵金さん」と呼ばれて親しまれました。18歳で江戸に出て、表絵師・駿河台狩野家の弟子で、江戸土佐侯山内家の御用絵師であった前村洞和に学びました。

洞和の家塾で修行すること3年、洞意という雅号を与えられました。かの河鍋暁斎と同門ですが、暁斎が洞和に入門したのは10年もあとのことでしたから、二人は会っていないのでしょう。しかし共鳴する自由奔放な美意識をもち、ともに失意の時代を経験している事実は、とても興味深く感じられます。21歳にして郷里に帰った絵金は、土佐藩家老の御用絵師に出世、藩医であった林家の姓を購入して、林洞意と名乗りました。


2025年9月15日月曜日

サントリー美術館「絵金」3

 

高知県立美術館では一九九六年と二〇一二年に大規模な絵金展を開催していますが、約二百点現存する芝居絵 屏風のほとんどは、神社、あるいは自治会や町内会、公民館などに分蔵されており、絵金の作品をまとまった形で観ることができる機会はめったにありません。

一九六六年に雑誌『太陽』で特集されたのを契機に、「絵金」は小説・舞台・映画になるなど、一時ブームとなり、一九七〇年前後には東京、 大阪の百貨店などで絵金展が開催されました。絵金の代表作を一堂に集めた東京での大規模な展覧会は、半世紀ぶりであり、美術館で は初の試みとなります。


2025年9月14日日曜日

サントリー美術館「絵金」2

 

土佐の絵師・金蔵は、幕末から明治初期にかけて数多くの芝居絵屏風や絵馬提灯、五月の節句の幟などを手掛け、「絵金さん」の愛称で、 地元高知で長年親しまれてきました。夏祭りの数日間、絵金の屏風を飾る風習は今でも変わらず、真夏の夜の闇の中、高知各所の神社 の境内や商店街の軒下に提灯や蝋燭の灯りで浮かび上がるおどろおどろしい芝居の場面は、見る者に鮮烈な印象を残しています。

「夏祭りに夕立が来たら、屏風より先に提灯を片付けた」と昔ばなしされるほど、絵金の屏風は生活に溶け込んだものでしたが、 二〇〇五年に高知県香南市赤岡町の「絵金蔵」が開設され、二〇一五年、香南市野市町にオープンした「創造広場『アクトランド』(現・ アクトミュージアム)」に「絵金派アートギャラリー」が設置されるなど、近年、絵金の画業を再評価し、作品を保存・研究・展示する 環境が整ってきました。


2025年9月13日土曜日

サントリー美術館「絵金」1

 

サントリー美術館「幕末土佐の天才絵師 絵金」<113日まで>

 いよいよ始まりました!! かつての「異端」から、ついに「天才絵師」とたたえられるようになった絵金の特別展です。今回キューレーションを行なったのは内田洸さん――以前秋田県立近代美術館で一緒に仕事をした仲間です。

是非やってほしいと応援した饒舌館長としては、内覧会に出て観る義務があります。もちろん義務感から行ったわけじゃ~ありませんが() 来週、NHK文化センター青山教室講座「魅惑の日本美術展」で取り上げる予定になっていますから、内覧会は絶好の機会です。

それに先月の「運慶 祈りの空間――興福寺北円堂」展みたいに、ミズテンで冷や冷やしながらしゃべることも避けられるじゃ~ありませんか。残暑厳しき内覧会の日を、さらに暑くするような表紙のカタログから、「ごあいさつ」を掲げて、展覧会の趣旨と絵金研究の「回顧と展望」を知ることにしましょう。

サントリー美術館「絵金」7

  しかし間もなく、「美術品は所蔵館で 地酒はその土地で」を絵金で体験することになりました。辻惟雄さんが主宰していた「かざり研究会」が、土佐へ絵金を観に行くことになったからです。「絵金まつり」の幻想と妖艶は、今でも忘れることができません。 高知県立美術館を訪ね、鍵岡正勤館長の...