しかしより一層面白かったのは、ちょっと僕と関係があるところが登場することでした。巻末には例のごとく、「この物語はフィクションです。作中に同一の名称があった場合でも、実在する人物、団体とは一切関係ありません」と書かれていますが、モデルがあったことは言うまでもありません。
亀岡市にあるという伝統工芸の専門学校とは、僕が勤めていた京都美術工芸大学の姉妹校ともいうべき京都伝統工芸大学校でしょう。「最寄りの駅は閑散としていて、コンビニ一軒くらいしか開いている店はない。夜になるとさぞかし寂しくなるだろう」というのは園部駅そのものです。そこに僕は”as long as 3 years”いたのです。もっとも、いま大学の方は京都市内の七條川端にある東山キャンパスに移っています。この移転については、僕も若干努力したのですが( ´艸`)。
町子と馬酔木の母校である京北美術大学が、かつて高階秀爾さんからお呼びがかかり、おしゃべりトークをやったことがある京都造形芸術大学であることは、まず間違いないでしょう。
町子と馬酔木の母校である京北美術大学が、かつて高階秀爾さんからお呼びがかかり、おしゃべりトークをやったことがある京都造形芸術大学であることは、まず間違いないでしょう。