2020年12月31日木曜日

服部南郭歳末詩2

歳暮、懐いを遣りて家人に示す

  病[やまい]のために杯は 親しむことを禁じられ

  空しく見てる新年を 迎える君らのはしゃぐさま

  転げるような老いの坂 転げに転げて半死の身

  光陰一寸一日を 惜しいと思う年じゃない

  髪と鬢とが白雪と 競うを嘆くむなしくも

  いつもの新春風景を 待ち望む気も失せにけり

  天地の間に長らえて 初春迎えられるなら

  ふたたび花とウグイスを 楽しむために自愛せん

*「いつもの新春風景を 待ち望む気も失せにけり」は「風と光は回春の 我が気持ちなど理解せず」と訳した方がいいかな?

 

2020年12月30日水曜日

服部南郭歳末詩1

 今年は「饒舌館長」にとって服部南郭の年でした。まず新春をことほぐ詩に始まって、夏の詩、秋の詩とずいぶんたくさん紹介してきました。紹介といっても、みんなマイ戯訳でしたが() 南郭はもっとも愛する江戸漢詩人の一人ですが、今年は蕪村三大横物に関する妄想と暴走を『國華』に書いたので、蕪村の師である南郭の詩を改めて読んだせいもあったのでしょう。さすが南郭先生、歳暮の詩もすごくいい!! 今年まったくなかった忘年会の代わりにもなります――いや、ならないかな? 出典はおなじみ『江戸詩人選集』第3巻です。

 歳晩 草堂の集い

  ボロ家わびしく住む人は 相変わらずの隠者だが

  朋友[とも]が集まり本年も 行く年惜しむ忘年会

  常盤[ときわ]とはいえ一本の 老いたる松が植わるだけ

  うだつ上がらぬ晩年に 耐え難いのは隙間風

  酒 酌み交わせば友情の 盃[さかずき]だって温まり

  「白雪の曲」素晴らしく みんなが歌うの眺めてる

  ゆめ忘れるな!! 春風が 吹いてウグイス門前の

芽吹く柳で歌うころ なおさら歓を尽くそうよ!! 

 

アーティゾン美術館「琳派と印象派」12

 

土筆に視線を投げかけつつ、『夫木抄』は民部卿為家の「さほひめの筆かとぞみるつくづくし雪かきわくる春の景色は」を口の端に乗せれば、屏風の古典性はかなり薄れるように思われるが、もちろん加賀千代の「つくづくしここらに寺の跡もあり」ほど庶民的ではない。新出本の深く心に沁みる画面感情は、これら中世以前の和歌と江戸中期以降の俳諧とのあわいにあると言ってよいであろう。

実は1214日、「琳派と印象派」の特別鑑賞会を、すでにアップしたことがある國華清話会で開かせていただきました。ちょうど誉れ高き四十七士討入りの日でしたが、コロナ禍のなか、その倍以上の会員が集まって充実した半日を過しました。饒舌館長はみずから『國華』に紹介した光琳と伊年の屏風を前に、ウンチクを傾けたことでした() 


2020年12月29日火曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」11

 

そのモチーフの描写たるや、たとえば山吹を眺めるに、『万葉集』は高市皇子尊[たけちのみこのみこと]の「山振[やまぶき]の立ちそよひたる山清水酌みに行かめど道の知らなく」の古代的浪漫からは遥かに遠いが、だからと言って与謝蕪村の「山吹や井手を流るる鉋屑[かんなくず]」ほど現実主義的ではない。

撫子に目を移し、『後撰集』の「とこ夏に思ひそめてはひとしれぬ心のほどは色に見えなん」を思い起こせば、屏風の描写はよほど客観主義的に感じられるが、しかし夏目成美の「撫子の節々にさす夕日かな」ほど写生主義的ではない。


2020年12月28日月曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」10

濃彩を厭い、やさしい水墨調に傾く画趣は、よく知られた根津美術館本に近しいが、構図はまったく異なっている。一見すると、新出本の構図は伊年系草花図屏風の通常を襲ったもののように思われるが、屏風の両端を余白にゆだねた開放的構図は、なかなか他に求めがたいものである。両端にモチーフを配する凝縮的構図が、伊年系草花図屏風の基本パターンだからである。

大和文華館所蔵「野菜図屏風」は開放的だが、本来は襖絵であった節が強いであろう。もっとも、『國華』984号所載「芥子・草花図屏風」の右隻ように、開放的構図を採る伊年系草花図屏風もあるわけだが、これは単一モチーフの場合に限られている。このように見てくると、新出本は伊年系草花図屏風の中にあって、かなり個性的な作品だと言うことができよう。

 

2020年12月27日日曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」9

 

最近、これまで知られることがなかった伊年印「草花図屏風」六曲一隻を鑑賞する機会に恵まれた。モチーフの季節が春から夏に限定されるから、秋から冬を描く左隻と六曲一双をなす屏風だったと思われるが、優れた出来映えを示している。装飾過多に陥ることを避け、一つ一つの草花を慈しむように描写しているところが好ましく感じられる。

画面右下隅には「伊年」朱文円印が捺されているが、すでに見た宗達や宗雪、あるいは相説が最初個人的に用いたと考えられる印章とは異なっているし、手元にある資料のうちにも同一の印章は見出しがたい。様式的にみて、宗雪世代よりも相説世代の作品であると思われるが、同一の画家、あるいは同一の工房に帰することができる既知の屏風作品を選び出すことはむずかしいようである。

2020年12月26日土曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」8

 

 「僕の一点」は尾形光琳筆「孔雀立葵図屏風」といきたいところですが、すでに『國華』1500号<日本・東洋美術の伝統>特輯号で取り上げて独断と偏見を述べ、そのことを「饒舌館長」にもアップしました。そこで今回「僕の一点」は伊年印「草花図屏風」です。

この特別展には、ほかの美術館や寺院、あるいは個人コレクションから借りた名品も出陳されていますが、この「草花図屏風」はもちろんアーティゾン美術館所蔵の逸品です。

いわゆる伊年系草花図のなかでは比較的最近世に現われた作品で、その後すぐ『國華』に紹介されました。その紹介者は誰かって? 何を隠そう――饒舌館長です() その一節を引用しておくことにしましょう。


2020年12月25日金曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」7

実をいうと、『光琳派画集』は同時に英語版5巻も出版されています。言うまでもなく、西欧人にも光琳派――琳派の素晴らしさを知ってもらいたいという、日本人として至極真っ当な、きわめて自然な気持ちから出版されたものに違いありません。もしこれを権威主義的だとか、日本人を有り難がらせるためだといったら、そんなはずはないと誰からも反対されることでしょう。

チョット話が理屈っぽくなってきました。この「琳派と印象派」展をご覧になる方は、饒舌館長の寝言などすべて忘れてお楽しみください。ブッチャケていえば、琳派と印象派の関係なんか気にする必要さえありません。琳派が好きな方は琳派だけを、印象派が好きな方は印象だけを楽しめば、それで充分であり、きっと至福の一日となることでしょう。でもこんなことをいうと、監修者の小林忠さんに怒られちゃうかな( ´艸`)

 

2020年12月24日木曜日

黎明アートルーム「峨嵋露頂図巻」2

かつて「蕪村の微光感覚」という拙論で取り上げたことがある作品ですが、このたび「行路の画家・蕪村」という観点から考え直し、来年120日発行される『國華』に拙文を寄せたところです。言うまでもなく、盛唐の天才詩人・李白の「峨眉山月の歌」からインスピレーションを受けて蕪村が一気呵成にものした作品です。

この七言絶句は、僕が中国語で暗唱できる数少ない漢詩のひとつです。それをつぶやきながら、時代を超えて蕪村と一心同体となったことでした。

それをまたまた饒舌館長の戯訳で……。結句は「君に会うこと叶わずに 下ってしまった渝洲まで」と訳すこともできますが、この君というのが友だちか、あるいは恋人か、議論があるようです。しかし饒舌館長はゼッタイ後者ですね() 今日は1224日――奇しくも蕪村の祥月命日です!!

 峨眉山上に片割れの 月輪かかる秋の夜

 平羌江[へいきょうこう]の水面に 映る月影流れてく

 夜中に清渓出発し かの三峡へ向ったが

 月を見ること叶わずに 下ってしまった渝洲まで

 

2020年12月23日水曜日

黎明アートルーム「峨嵋露頂図巻」1

 

東京黎明アートルーム「峨嵋露頂図巻 鍋島と景徳鎮の小さな五彩 美しさを追い求めて」<1225日まで>

 饒舌館長が愛してやまない与謝蕪村の傑作「峨嵋露頂図巻」が、東中野の東京黎明アートルームで公開中です。あと残り数日、蕪村ファンはお急ぎあれ!! いや、江戸絵画ファンは、いや、美術ファンはお急ぎあれ!! 2008年、MIHO MUSEUMで開かれた「与謝蕪村 翔けめぐる創意」――僕もチョットだけお手伝いしましたが、この特別展で拝見してからもう12年も経ってしまったんですね。

もちろんその時も深く心を動かされましたが、今回出陳されている蕪村画はこれ一点、ほかに浮気することなく、静かな部屋でただ一人、この蕪村の傑作を独占したことでした。いま俺は何ものにも変え難い満たされた時空のなかにいるんだ!! といった思いが全身を翔けめぐりました。人生で蕪村に出会えた幸運を、誰ということなく感謝せずにはいられませんでした。

2020年12月22日火曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」6

西欧人の言説を引用することに、権威主義的傾向がまったくなかったわけではないでしょう。しかし、西欧人が新たに発見したといっても過言ではない真の芸術性を明らかにするため、西欧人の言説を引用することこそ、西欧化を推進する日本人に対して、もっとも真摯にして厳密な態度であり、また説得力を高めることにもなったはずです。

日本人に「アチラデハ」思考があることは確かですが、近代日本人の西欧に対する眼差しを、すべてそれだと決め付けることは、あまりに一面的だと思います。近代以前における中国への眼差しについても、同じことが言えるのではないでしょうか? 中国文化に対する尊敬や憧憬の念があったればこそ、あのように中国の言説や文学を引用したのでしょう。けっして権威主義や、衒学趣味などではなかったと思います。

 

2020年12月21日月曜日

静嘉堂文庫美術館「江戸のエナジー」展3

イントロはご存知!!英一蝶の「朝暾曳馬図」と円山応挙の「江口君図」に登場してもらいました。続いて饒舌館長も俎上に乗せたことがある重要文化財「四条河原遊楽図屏風」や、菱川師宣・葛飾北斎をはじめとする浮世絵ファン垂涎の傑作、さらに「初公開」の優品など、見どころ満載!!絶対オススメの「江戸のエナジー」展です。

展示が充実しているだけじゃ~ありません。イベントも盛沢山です。昨日はこのオープンを祝うクリスマス・コンサート――じつに楽しき1時間半でした。来年111(祝日)11:00開催のおしゃべりトーク「美人画もあり静嘉堂 饒舌館長ベストテン」も必見、いや、必聴です() 

続いて117日(日)1400からは国際浮世絵学会第116回研究会が予定されています。学会員だけではなく、一般の方も聴講できますから、一人でも多くの方の参加を期待しています❣❣❣

 

2020年12月20日日曜日

静嘉堂文庫美術館「江戸のエナジー 風俗画と浮世絵」2

 


静嘉堂文庫美術館「江戸のエナジー 風俗画と浮世絵」<202127日まで>

 いよいよ話題の「江戸のエナジー 風俗画と浮世絵」展のオープンです。今春予定していたのですが、コロナ禍のため中止になったことは、すでにお知らせしたとおりです。充実したカタログもすでに出来上がっていました。コロナ禍はショウケツを極めているようですが、これだけはどうしてもリベンジ展をやりたいと思い続けてきました。

なぜなら、フレッシュ・パーソン吉田恵理さんがデビューを飾る渾身の企画展だからです。インパクトの強いポスター効果ともあいまち、美術ファンの期待がすごく高まっていたからです。饒舌館長が江戸絵画を専門とし、とくに葛飾北斎ファンということもあったかな()  今日は14時から、このオープンをも祝うクリスマス・コンサートを開きます。ぜひご来駕のほどを‼

アーティゾン美術館「琳派と印象派」5

田島志一か大村西崖が書いたと思われる「総説」には、先のゴンスのほか、イギリスの医師ウィリアム・アンダーソン、プラハ出身の挿絵画家エミール・オールリック、フランスの画家デッカ(オーストリアの画家ゲオルク・デッカー?)の光琳をたたえる言説が丁寧に引用されています。もっともアンダーソンは、光琳の人物画に対してチョット厳しいところもありますが……。

それは光琳の芸術的偉大さを、はっきりと指摘してくれるものでした。当時我が国でも、光琳は巨匠として認識されつつありましたが、それまで光琳模様の染織アルチザンであった光琳を、ファイン・アートの大画家とし明確に規定してくれるものでした。


 

2020年12月19日土曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」4

これを単なる西欧崇拝とか、ミーハー思考とか見誤ってはならないでしょう。このような日本文化を愛し、日本人でさえ気がつかなかったその素晴らしさを言葉にしてくれた西欧人がいたお陰で、いかに自信を持って近代化を進めることができたか、その近代化がいかに着実なものとなったか、改めて考えなければならないと思います。

少なくとも当時の日本人にとって、それは単に誇らしいというだけでなく、近代化を進めるエネルギーとなり、その正当性を担保してくれるものとなったのではないでしょうか。ふたたび琳派に話を戻せば、明治36年(1903)から39年にわたり、審美書院から『光琳派画集』5巻が出版されています。

 

2020年12月18日金曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」3


  これだけ画家光琳を高く評価しながら、ゴンスが「しかし光琳の絵画もその漆器の前では色褪せる」と述べていることは、ジャポニスムを考えるとき、とても示唆的であると思いますが……。それはともかく、ジャポニザンたちが琳派にも興味を持っていたことは、この一文によって証明されると思います。

もっともゴンスは、「ヨーロッパでは、少数の通[つう]を除いては、彼の作品は未だ知られず、賞賛もされていない」と書いていますから、浮世絵に比べれば限定的な評価であり、一般的人気の点ではまだまだ低かったのでしょう。

しかし、ゴンスのような西欧人がいることは、モデルを中華文明から西欧文明に180度転換し、その西欧に追いつき追い越せとばかりに近代化を進める――つまり西欧化を進める日本にとって、じつに力強い応援でした。

2020年12月17日木曜日

アーティゾン美術館『琳派と印象派』2


  小林さんの指摘するとおりなんです。日本美術を心から愛し、ジャポニスムを牽引したジャポニザンたちは、琳派にも強い興味を示していました。

パリの美術商であったサミュエル・ビングは、1888年から3年間にわたり、ジャポニスム専門誌ともいうべき『芸術の日本』(『ル・ジャポン・アルティスティック』)を発行しました。その23号に、これまた熱烈なジャポニザンであった美術批評家ルイ・ゴンスが、「光琳」と題して尾形光琳へ真率なるオマージュを捧げています。

光琳は、装飾の本能・天才をこの上なく豊かに宿していうる第一級の名匠たちに列せられる。その手法はつねに同一かつ完全で、つねにおのれみずからを倣いつづける。これ以上に独創的で、これ以上に深く、またこう言ってよければこれ以上著しく日本的な手法はない。……彼は、形態の綜合と意匠の単純化という日本美学の二大根本原理を、ぎりぎりにいきつけるところまで押し進めた画家でもあった。(稲賀繁美・訳)

2020年12月16日水曜日

アーティゾン美術館「琳派と印象派」1

 

アーティゾン美術館「琳派と印象派 東西都市文化が生んだ美術」<2021124日まで>

 「饒舌館長」絶対オススメの美術展です。「琳派と印象派? 浮世絵と印象派の間違いじゃ~ないの?」なんて言っている人は、「スマホなんか必要ない。ガラケーで十分だ」などと言っている僕と同じく周回遅れですよ。まずはこの特別展を監修した小林忠さんがカタログに寄せた随論「東西都市文化化が生んだ美術 京・江戸の琳派とパリの印象派」の一節を引用させてもらいましょう。

本展は、日本とヨーロッパ、東西の都市文化が生んだ革新的な画家たちの作品を通して、大都市ならではの洗練された美意識の到達点を比較しつつ見渡そうとする、従来にない斬新な試みを実現するものです。印象派といえば浮世絵の影響が強調されがちですが、実は、ジャポニスムの流行の中で琳派への関心も高まっていたものでした。


2020年12月15日火曜日

小川敦生『美術の経済』5

 


「ボールペンの試し書き」とは実にうまい形容ですね。そういわれてしまうと、もう他の形容は、いくら考えても出てきません。しかし、トゥオンブリーが自作に「ボールペンの試し書き」と題することは、画家としての矜持が許さなかったでしょう。そうなると、残るは「無題」しかなかったのかもしれません() ところで、小川さんが挙げるピカソといえば、よく知られたエピソードが改めて思い出されます。

あるときピカソが児童画展に出かけ、感想を求められると、「子どものころ、私はこれよりずっとうまかった。しかしこのように描けるまで何十年もかかった」といったそうです。もちろんこれはテクニックを超越して、子どものごとく、自分の描きたいものを、心のままに描くことができるようにまるまで……という意味にちがいありません。

2020年12月14日月曜日

小川敦生『美術の経済』4

実際に作品を写真などで見ると、それ以上に驚く人が多いのではないだろうか。落書きのように見えるからだ。もし「落書き度」という、絵の描き方の度合いを示す指標があるなら、そのレベルは半端ではない。落書きに見ようと思えば見える作品を多く残した作家の代表格はピカソだと思うが、トゥオンブリーはさらにその先を走っている。87億円の《無題》は、いってしまえばボールペンの試し書きのようなイメージだ。しかも、画材はクレヨン。まさに子どもの落書きなんじゃないかと思う人がいてもおかしくない図柄なのである。


 

2020年12月13日日曜日

小川敦生『美術の経済』3

 


とはいっても、やはり腰巻にある「落書きのような『作品』がなぜ何億円もするのか?」といった点に、饒舌館長の興味は収斂していきます(笑) 

小川さんは、20151111日、ニューヨークで開かれたサザビーズの美術オークションで、サイ・トゥオンブリーの作品「無題」が約7050万ドル、当時の為替レートで約87億円という高値で落札されたことから、「はじめに――美術は経済なしで語れない」を書き起こしています。

このニュースは饒舌館長の記憶にも残っていますが、この時はじめてサイ・トゥオンブリーなる画家の名前を知ったのでした。その「無題」なる作品について、小川さんのディスクリプションを紹介しておきましょう。

2020年12月12日土曜日

小川敦生『美術の経済』2

 

机上の空論ではなく、小川さんの体験を通して語られるところに、本書最大の魅力があるといってよいでしょう。また「“名画”を生み出すお金の話」でありながら、真っ当な美術史の知識を与えてくれるとともに、美術とはいったい何ものなのか?といった、本質的問題を考えさせてくれることも、オススメするゆえんです。

加えて僕が興味をもったのは、2015年行なわれた第44回鹿島美術財団美術講演会の総合テーマが、「黄金の誘惑――富と美――」だったからです。このとき僕は司会の役目を仰せつかったのですが、冷や汗をかいたことを思い出します。

何しろ小佐野重利さんの「ルネサンスのパトロン――蓄財と喜捨――」と、小澤弘さんの「金碧芸術の系譜――富と権力の表象――」という二つの薀蓄に富む発表をベースに、総合討議の進行を進めなければならなかったのですから……。

2020年12月11日金曜日

小川敦生『美術の経済』1

 

小川敦生『美術の経済』(インプレス 2020年)

 腰巻には、「元経済紙記者の美大教授が お金とアートの切っても切り離せない関係を明かす」とあります。そうなんです。小川敦生さんは、日本経済新聞の文化部美術担当記者として長いあいだ活躍してきました。

そして現在は、「芸術と経済」「音楽と美術」などの講義を担当する多摩美術大学芸術学科の先生であり、美術ジャーナリストです。東大では高階秀爾さんのもとで西洋美術史を専攻しましたから、それ以来饒舌館長も親しくさせてもらってきました。

小川さんは音楽も得意で、東大オーケストラの主要メンバーに名を連ねるバイオリニストでした。コンパのとき、愛器で古典を一曲奏してくれたのを懐かしく思い出します。このような小川さんにしか書けない、美術経済学の入門書がこの本です。

2020年12月10日木曜日

北斎生誕260年記念シンポジウム2

大型台風接近のなか、橋本さんからお呼びのかかった饒舌館長は、イソイソと出かけて行ったのでした。コロナ禍のため入場制限がかけられましたが、ニコニコ動画でナマ配信され、たくさんの北斎ファンに楽しんでもらうことができました。

最初のマイトークが終ると、寿さんが「いま河野先生から貴重なお話が……」と切り出すので、僕は「今日は楽しいパネルディスカッションですから、『先生』なんか止めて、みんな『さん』にして、フレンドリーにやりましょう」とプロポーズしました。会場から起った拍手が、ことのほかうれしく感じられました。拍手といってもパラパラといった感じでしたが……。

元気な方はみんな「さん」づけにして、幽明界を異にした方のみ「先生」とお呼びするという「饒舌館長」のルールをそのまま持ち込んだのですが、このパネルディスカッションがとてもうまくいったのは、そのせいもあったかな()

 

2020年12月9日水曜日

北斎生誕260年記念シンポジウム1

北斎生誕260年記念シンポジウム「世界の北斎 すみだにあり」

チョット旧聞に属しますが、去る1010日、墨田区主催・KADOKAWA協力による北斎生誕260年記念シンポジウム「世界の北斎 すみだにあり」が、すみだリバーサイドホールで開催されました。第一部はすみだ北斎美術館学芸員・奥田敦子さんの研究発表「北斎 冨嶽三十六景 天才の技術と着想」でした。

ちょうど奥田さんは講談社から『THE北斎 冨嶽三十六景』という好著を出されたところでした。すみだ北斎美術館編・著となっていますが、だれが見たって奥田さんの著作でしょう。

 それに続いて第二部のパネルディスカッションへと移りました。モデレーターはご存知・橋本麻里さん、パネラーはすみだ北斎美術館館長・橋本光明さん、『國華』共催特別展「古典×現代 2020」でもお世話になったコンテンポラリーアーティスト・しりあがり寿さん、江戸に詳しすぎるタレント・堀口茉純さん、それに饒舌館長でした。 

2020年12月8日火曜日

追悼ロジャー・キーズ先生6

 

 僕はキーズ春信目録をもとに、上演年月の確定できる春信役者絵目録を作って、話を始めることにしました。つまり僕の春信私論は、キーズ先生の研究から出発するものだったのです。キーズ春信目録がなければ、この「春信――錦絵への軌跡」という拙文はとてもまとまらなかったことでしょう。

キーズ先生はご自身の浮世絵研究所を開かれるとともに、ブラウン大学の客員教授をつとめられ、実証的な浮世絵研究により、学界に裨益するところきわめて大なるものがありました。2006年、ニューヨーク公立図書館で開催された「スペンサー・コレクション絵本展」はそのすぐれた成果であり、The Artist and the Books in Japanというカタログ図書にまとめられています。

 ロジャー・キーズ先生、どうぞ安らかにお眠りください。 

2020年12月7日月曜日

追悼ロジャー・キーズ先生5

米国カリフォルニアに住む浮世絵研究科ロジャー・S・キーズ氏は、昭和47年(1972)出版された『在外秘宝・浮世絵 鈴木春信』に、肉筆や版本挿絵を除いた春信全作品目録の労作を発表した(以下キーズ目録またはKと略称)。異版、復刻版、当然その存在を予想されながらいまだ確認できない作品、春信画か否か確認できない作品を含めて、総数1167点が挙げられている。このうち紅摺絵は86点で、内訳は柱絵版10点、細版60点、大判16点となっている。これらのうちに31点の役者絵が含まれている。役者絵は美人画や古典的主題を扱った名所絵・歌仙絵・武者絵などと異なり、画面に記される役者名と役名から上演の年月が判明する場合も多く、浮世絵の研究に貴重な資料となっている。

 

2020年12月6日日曜日

追悼ロジャー・キーズ先生4

もっともその前に、僕はキーズ先生の研究から大きな学恩を受けていました。同じ1985年の1月、『春信』<浮世絵八華1>(平凡社)が出版されましたが、僕は編集を頼まれるとともに、総論「春信――錦絵への軌跡」を書くことになったのです。しかし鈴木春信について研究したこともなく、一から準備を始めなければなりませんでした。

 しかもすでに、小林忠さんのすぐれた春信見立て論が『國華』に発表されていましたから、当時の絵画運動を視野に入れつつ、基本的な事実を分かりやすく書くことに決めたのですが、その際もっともお世話になったのが、キーズ先生の春信作品目録でした。恥ずかしながら、拙文の一説を引用させてもらいましょう。 

2020年12月5日土曜日

追悼ロジャー・キーズ先生3

 

見返しには、キーズ先生からの献辞が青いインクで書かれています。From Roger and his mother Lorena to thank you for your kind hospitality at your home in Zushi in August 1985, with best regards to you and your parents 「おじょうさまへ えいごをべんきょうになりたいときに このほんをよんでください」と、英語と日本語で……。眺めていると、その日のキーズ先生とお母さんのお姿がまざまざと眼前に浮かんでくるのです。

その後、料理研究家・行正り香さんの「10代、こんな本に出会った」という『朝日新聞』の記事を読みました。り香さんは子どものころこのローラ・シリーズを読んで、アメリカ留学の夢をふくらませ、やがて実現させました。するとそれが契機となって、料理研究の道へ進むことになったのです。ある日本女性の運命を決めたこの本のことを、僕はキーズ先生にお知らせせずにはいられませんでした。

2020年12月4日金曜日

追悼ロジャー・キーズ先生2

 

 僕が大好きな本の一つに、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』に始まるローラ・シリーズがあります。ウィスコンシンの森に生れたローラが、家族とともにカンザス、ミネソタ、ダコタと移り住み、最後にアルマンゾという青年と出会って結婚するという自叙伝です。

日本でいえば、ちょうど明治維新のころ、アメリカ開拓時代の物語です。僕の子どもが小さいころ、女房はその日本語版をよく読んで聞かせていました。それで僕も好きになったのですが……。

なにかの話題のついでにそのことをキーズ先生に話すと、本当にすばらしい本ですねとおっしゃり、帰国後『大きな森の小さな家』の英語版を贈ってくださったのです。いまそれを書架から引っ張り出してきて、懐かしくながめながら、この「饒舌館長」を書いています。


2020年12月3日木曜日

追悼ロジャー・キーズ先生1

 

 多くの浮世絵仲間から敬愛されてやまなかった研究者ロジャー・キーズ先生がお亡くなりになりました。小林忠さんのフェイスブックで知り、深い悲しみに襲われています。キーズ先生のご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

忘れることができない想い出があります。僕が名古屋から逗子に移り住んですぐのことでした。キーズ先生とお母さん、そして辻惟雄さんが我が家に遊びにいらして下さったのです。キーズ先生とは、その前に何かのシンポジウムでお会いしたことがありますが、突然のように、この碩学が我が陋屋を訪ねてくださったのですから、同じ研究者としてこんなうれしいことはありませんでした。

2020年12月2日水曜日

『國華』1500号❣❣❣18

このエントリーのはじめに、すでに廃刊になった『ガセット・デ・ボザール』と、『國華』に10年ほど遅れて創刊された『バーリントン・マガジン』を挙げながら、『國華』が世界最古の美術雑誌であることを明らかにし、その重要性を力説したところです。

さらに詳しくお知りになりたい方は、2008年、東京国立博物館で開催された『國華』創刊120周年を記念する特別展「対決 巨匠たちの日本美術」のカタログに寄せた拙稿「『國華』百二十年の歩み」をご参照くださいませ。

キョウビSNSの負の側面として、揚げ足取りみたいなことが流行っています。そこで西田さんは、安全な書き方にされたのでしょうが、「最も古いものの一つ」といえば、一番古いものが複数あることになっちゃいます。『バーリントン・マガジン』が1889年に創刊されたのならともかく、この書き方では論理的矛盾を起こしてしまうのではありませんか?――こういうのを「揚げ足取り」というのかな()

 

2020年12月1日火曜日

『國華』1500号❣❣❣17

この大ニュースは、先日「饒舌館長」にアップしたところですが、いま大英博物館の日本部門責任者として、この傑作を取り扱い研究しているのはロジーナ・バックランドさんです。

先年バックランドさんは、スコットランドのエディンバラ市立中央図書館で再発見された古川師政の傑作「芝居町吉原遊郭図巻」について、すぐれた論文を『國華』に寄稿してくださいました。そのバックランドさんの「毎号新しい出会い」というコメントをもって、朝日新聞の『國華』特集記事は締めくくられています。

西田さんは『國華』の「概略」として3点を挙げ、その一つを「いまも刊行が続く美術雑誌としては、世界で最も古いものの一つ」としています。しかし饒舌館長に言わせれば、「世界で最も古いものの一つ」じゃ~なく、「世界で最も古いもの」です!!

 

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...