2024年4月30日火曜日

出光美術館「復刻 開館記念展」5

 

この一対の作のような典型的な太白尊は、他に類例をみない。はなはだ珍しい存在である。牡丹唐草の文様はかなり深く彫られており、しかもさらえた間地に櫛目を繁く印しているので、文様の浮上りがすこぶる明瞭である。一対で作られているということは、おそらく祭器として用いられたことを示唆するものであろう。

 先日紹介した「山水図(廬山観瀑図)」の彦龍周興七絶賛にも登場した李白は、ご存知のとおり、天下に名だたる酒仙詩人です。「太白尊」と命名するのを許可する代わりに、中身を詰めて天上までもって来い!!なんて、酔っ払いつつ咆哮しているのではないでしょうか() 李白がお酒をたたえた「将進酒」「月下の独酌」「少年行」などは、すでに戯訳をアップしたように思いますが、今回はマイ暗唱詩の一つ「客中行」を……。


2024年4月29日月曜日

出光美術館「復刻 開館記念展」4

 

「斗酒なお辞さぬ益荒男のような力強さ」もそのはず、もともと酒器であったらしく、かの酒仙詩人・李白の字あざな・太白を借りて「太白尊」とも呼ばれました。「尊」とは「樽」と同じ意味で、お酒を入れる容器のことです。李白尊者という意味じゃ~ありません。

このような器形を吐魯瓶とろびんというのですが、なぜだかよく知りません。「魯」は魯鈍の「魯」ですから、飲んでおろかさを吐き出すための酒を入れる瓶という意味なのでしょうか? 優に5合は入りそうですから、一対で1升というところでしょうか。『世界陶磁全集』12(小学館 1977年)にこれを取り上げた佐藤雅彦先生は、つぎのような賛辞を捧げています。


2024年4月28日日曜日

出光美術館「復刻 開館記念展」3


 去年から微力にもかかわらず出光美術館のお手伝いをすることになった僕ですが、その「僕の一点」は、一対の「青白磁刻花牡丹唐草文吐魯瓶とろびん」ですね。中国は北宋から南宋にかけての頃でしょうか、景徳鎮で焼成された逸品です。青白磁は白磁のバージョンですが、影青インチンとも呼ばれます。

青白釉が彫り文様の凹部にたまってかすかに青みを帯びると、それが影のように見えて得もいえぬ情趣を醸しだすからです。青白磁という無機質な名称より、影青の方が僕の好みですね。丸い球の4分の1ほどをカットしたような、あるいは後で述べる梅瓶メイピンの上半分だけを残したような、どっしりとした器形には、斗酒なお辞さぬ益荒男のような力強さを感じます。

 

2024年4月27日土曜日

出光美術館「復刻 開館記念展」2

本年は、皆様をこの展示室へお迎えする最後の1年となります。その幕開けを告げる本展は、58年前の開館記念展の出品作品と展示構成を意識しながら企画したものです。……開館記念展の会場を飾ったのは、仙厓(17501837)の書画、古唐津、中国の陶磁や青銅器、オリエントの美術でした。それらは、当館の創設者であり初代館長の出光佐三(18851981)が10代の頃から蒐集し愛蔵してきたもので、それぞれの作品がたたえる飾り気のない美しさは、いかにも佐三の感性にかなうものといえます。

本展では、開館記念展の内容をもとに作品を選び、当時の展示構成の部分的な再現を試みています。出光コレクションのエッセンスが凝縮された作品の数々を、いまなお開館当初の雰囲気を漂わせる展示環境のなかで、やはり当時のままに皇居外苑をのぞむロビーからの眺めとともに、何卒ご清鑑たまわりたく存じます。

 

2024年4月26日金曜日

出光美術館「復刻 開館記念展」1

 

出光美術館「出光美術館の軌跡 ここから、さきへⅠ 復刻 開館記念展 仙厓・古唐津・中国                          陶磁・オリエント」<519日まで>

 いよいよシリーズ企画展「出光美術館の軌跡 ここから、さきへ」の第1回「復刻 開館記念展 仙厓・古唐津・中国陶磁・オリエント」が始まりました。まずは仙厓和尚の指月大黒が表紙を飾るカタログから、館長・出光佐千子さんの「ごあいさつ」を一部引用することにしましょう。

出光美術館が帝劇ビルの9階に誕生したのは、昭和41年(1966)のことでした。それ以降、300を超える展覧会を開催し、数多くの方々のご来館を賜ってきましたが、帝劇ビルの立替計画にともない、令和6年(202412月をもって、しばらくの間、休館することになりました。

2024年4月25日木曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』12

 

そのとき『君たちはどう生きるか』の対抗馬(!?)として挙げたのは、色川武大の『うらおもて人生録』(新潮文庫)でした。京都美術工芸大学にいたとき、『京都新聞』から求められて、就職試験に臨む受験生にエールを送るべくエッセーを寄稿したのですが、本書から「九勝六敗を狙え」を引用したので、よく覚えていたんです。そのあと鷲田清一さんが、「折々のことば」に僕と同じくこの「九勝六敗を狙え」を選んでいたのでチョッと驚きましたが……。

『うらおもて人生録』の解説は西部邁すすむ先生でした。両書を象徴するような解説者のコントラストが実におもしろかったのですが、丸山真男先生と西部邁先生を一緒にしたら、やはり怒られちゃうかな(!?

 *「饒舌館長ブログ」では、鬼籍に入られた方のみ「先生」とし、お元気な方はひとしなみに「さん」でお呼びしています。渡辺浩さん、お許しください。


2024年4月24日水曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』11

渡辺浩さんの著作を拝読すると、恩師・丸山真男先生に対する尊崇の念が行間からも感じられます。スチューデント・エヴァリュエーション――学生による先生評価も世の流れですから致し方ないと思いますが、学問における師弟とはこうありたいものだと、襟を正したくなります。

丸山真男先生といえば、30年前、拙論「日中の自然と山水画」を書いたとき、先生の「近世日本政治思想における『自然』と『作為』」を引用させていただいたことが思い出されます。「饒舌館長ブログ」では、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)をアップしたとき、その解説が丸山真男先生であることを紹介したことがあります。

 

2024年4月23日火曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』10

 

『近世日本社会と宋学』は研究書ですから、やや手ごわい感じを免れません。それはチョッと……と躊躇する向きには、『日本政治思想史 十七~十九世紀』(東京大学出版会 2010年)の方をおススメしましょう。

渡辺浩さんがあとがきに、「本書は、この主題に関心はあるがその専門の研究者ではない、その意味で『一般』の読者のために、十七・十八・十九世紀の簡略な通史を提供することをめざして書いた」と述べるとおりの一書ですから……。それでも476ページありますから、これまた拾い読みから始めて一向にかまわないと思います。


2024年4月22日月曜日

NHK日曜美術館「富岡鉄斎」

 

NHK日曜美術館「老いるほどに輝く~最後の文人画家・富岡鉄斎~」4月28日 9:00~

 京都国立近代美術館で「没後100年 富岡鉄斎」展が始まりました。これに合わせNHK日曜美術館で上記のごとき放映があります。饒舌館長もチョット老顔を出すはずです(⁉) 

渡辺浩『日本思想史と現在』9

 

本書を読んで「思想史はこんなに面白い!」と感じたら、渡辺浩さんのデビュー研究書『近世日本社会と宋学』(東京大学出版会 1960年)に挑戦してみたらいかがでしょうか。これがあって初めて、『日本思想史と現在』のような本が書けるんだと腑に落ちることでしょう。

僕にとっては、それまでの単純な朱子学の日本展開論を根底から突き崩してくれた一書でした。それとともに、渡辺さんの朱子学展開論と我が文人画の私的理解との間に、パラレルな関係が成立するように思われて、とてもうれしくなったことを思い出します。


2024年4月21日日曜日

出光美術館・門司「茶の湯の意匠」

 

出光美術館・門司「茶の湯の意匠――春から夏へ」<623日まで>

 茶道具にうつる意匠を通して、春から夏への移り行きを感じていただこうという企画展です。「僕の一点」は相阿弥の「山水図」――図上に34歳で没した五山僧・彦龍周興が七言絶句の賛を寄せています。オープニングの夜、銘酒「池亀」を堪能したあと、ホテルに帰ってさっそく戯訳を作ってみました。翌日は宗像大社に参拝、田心姫命たごりひめのみことと、去年歳暮急逝された出光昭介前館長にこの戯訳を捧げたことでした。

  衡・恒・泰・華の四山が 東西南北 守ってる

  他にも名山ありますが 最も廬山が尊貴なり

  峰より落つる大滝の 前に数本 生える松

  かつて李白が住んでいた 岩屋の跡も描かれてる

2024年4月20日土曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』8

 

渡辺浩さんの『日本思想史と現在』というタイトルはチョッと取つきにくいかもしれませんが、読み始めればそんなことはありません。先にあげた「国号考」の目から鱗、「John Mountpaddy先生はどこに」のユーモア、丸山真男先生のギョッとするような言葉「学問は野暮なものです」などなど、拾い読みするだけでも楽しくなりますよ。コシマキにあるとおり、「思想史はこんなに面白い!」となること請け合い、絶対おススメの一書です。

先に渡辺史学の特徴を、「洋の東西を自由に行き来する広やかな視覚」と書きました。それはなによりも、洋風画家・川原慶賀の「農夫図」をフィーチャーした、日本思想史の本とは思えない新鮮な表紙カバーに象徴されています。


2024年4月19日金曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』7

しかし渡辺浩さんは、先行研究が指摘した二つの点について、高橋博巳さんの見解が示されていないことが、やや残念だとしています。その先行研究というのは、大森映子さんの『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)と島尾新さんの『水墨画入門』(岩波新書)です。

僕も読んだ『お家相続 大名家の苦闘』が、浦上玉堂研究の資料として使えるとは夢にも思いませんでした。また政治思想史研究者の渡辺さんが、『水墨画入門』のような美術史本もお読みになっていらっしゃることに心を打たれました。両書ともすでに「饒舌館長ブログ」で取り上げたことがあるので、とくに興味を引いたのですが、いつか高橋さんにお会いする機会があったら、直接お考えを聞いてみることにしましょう。

 

2024年4月18日木曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』6

 

一般的なくくりでは比較思想史ということになるのかもしれませんが、渡辺さんの思考方法は、もっと能動的です。所与のものを単純に比較するのではありません。例えば纏足を論じながら、話はコルセットへ向うのですが、そこにはある必然がチャンと用意されているんです。起承転結というか、展開のさせ方がとてもうまいんです。だからこそ、そのアイロニーを論じなかった坂元ひろ子さんへの批判に説得力が生まれるんです。

 渡辺浩さんは近世日本の漢詩文を専門とする高橋博巳さんの至芸に、オマージュを捧げています。また高橋さんの旅や人生が浦上玉堂のそれに重ね合わされ、相対化され対比されていることをたたえています。


2024年4月17日水曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』5

その先は本書をお読みいただきたいと思いますが、このような大問題を論じながら、得もいわれぬユーモアを感じさせるところがすごい!! 我々が「みずほびと」になったら、「日本銀行」は「みずほ銀行」となって大混乱に陥る――真面目な渡辺浩さんが真顔でおっしゃるから可笑しいんです。これは新しい超日本人論だ!!というのが僕の読後感でした。

坂元ひろ子さんの『中国民族主義の神話――人種・身体・ジェンダー』(岩波書店 2004年)に対する書評「コルセットはいかが」も、渡辺浩さんの面目躍如たる一節です。それは「面白い本をお勧めする」のなかにあります。

 

2024年4月16日火曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』4

しかしここには、渡辺思想史学の特質が端的に示されています。それは洋の東西を自由に行き来する、ものすごい健脚ぶりです。広やかな視覚といってもよいでしょう。『日本思想史と現在』という書名になっていますが、日本に限定されることなく、その国境を越えてしなやかに抜け出ていくのです。だから読者はワクワクするんです。

その真骨頂は、「その通念に異議を唱える」のなかの「国号考」です。「日本国」という国号は、独立国として、恥ずべきものではないだろうかという疑問から話は始まります。「みずほのくに」をはじめとして様々な土着の名称があるにもかかわらず、この国号はもともと外国語であり、東方にあることを自認した「日本」とは、中華からみて東の周辺という意味だからです。

 

2024年4月15日月曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』3

 

しかし渡辺浩さんは、政治思想史の研究者です。その渡辺さんが、このような画家のモノグラフまで関心を持ち、お読みになるということ自体、大きな驚きでした。もっとも日本十八世紀学会編集部から、この本の書評をと依頼されて執筆した一文だそうですが、渡辺さんがもつ関心の広さと深さをよく知って、お願いしたものにちがいありません。

渡辺さんは、玉堂のことを「(コンドルセより二歳年下、そしてゲーテより四歳年上の)その人は、音楽家だった」と書き出しています。その理由を渡辺さんは、日本十八世紀学会の会員が、多く18世紀欧州の文化・芸術・思想を研究する人たちであるためだと注記しています。


2024年4月14日日曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』2

 

 本書は「その通念に異議を唱える」「日本思想史で考える」「面白い本をお勧めする」「思想史を楽しむ」「丸山真男を紹介する」「挨拶と宣伝」という6つの章から成り立っています。僕は「思想史を楽しむ」のなかの「浦上玉堂という異才」をまず読みました。もちろん玉堂が大好きな画家であり、しかも本書で取り上げられる唯一の画家だったからです。

これは高橋博巳さんの『浦上玉堂 白雲も我が閑適を羨まんか』(ミネルヴァ書房 2020年)に的を絞って、『日本十八世紀学会年報』に発表された書評です。出版後すぐ高橋さんから一本を贈られた僕は、いつもながらの高橋ワールドに感を深くしながら、一気に読了したものでした。

2024年4月13日土曜日

渡辺浩『日本思想史と現在』1

 

渡辺浩『日本思想史と現在』<筑摩選書0272>(筑摩書房 2024年)

 本書のコンセプトと成立について語る、表紙見返しの一文をまず紹介することにしましょう。

私たちは、私たちの文化と言語とを形成してきた永い歴史を受けて、その流れの中で、感じ、思い、考えている。では、過去にどのようなことがあったために、いま私たちはこのように感じ、思い、考えるのか。そして、その過去に気づくことによって、私たちは何をえられるのか――そうした日本思想史と現在の関わりについての問題を研究してきた著者が、これまでに様々な機会に発表してきた短い考察を集成。碩学による「日本」をめぐる長年の思想史探求を集成した、驚きと刺激に満ちた珠玉の小文集。

2024年4月12日金曜日

岩波ホール「山の郵便配達」13

 

リーフレットの解説によると、この「山の郵便配達」に出演したとき、息子役の劉燁リィウ・イェは中央演劇学院の2年生、侗トン族娘役の陳好チェン・ハオ1年生で、ともに父親役を演じた藤汝駿トン・ルウジュンに演技指導を受けていたそうです。

陳好さんは今どうしているのかなぁと思ってネットで検索すると、大女優・人気歌手に育って活躍していることが判りましたが、あの清楚にして健康的な美しさが、成熟した妖艶なる女性美へとメタモルフォーゼを遂げていて驚かされました。サラ川「同窓会あのマドンナかと腰抜かし」とマギャクの驚きかな() 

以上を書き終えてから、20数年ぶりに「山の郵便配達」を観ましたが、ふたたび涙滂沱ぼうだたり……になってしまいました。どこで観たのかって? 今やユー・チューブで簡単に観られるんです!!

2024年4月11日木曜日

岩波ホール「山の郵便配達」12

 

先のリーフレット『EQUIPE DE CINEMA』№135を開くと、これまた同僚だった大木康さんが「原点の風景」と題し、映画のロケ地となった湖南省西部山岳地帯の地理について詳しく解説してくれています。

それによってこの映画の原作は、彭見明ポン・ジェンミンという小説家の短編「那山 那人 那狗」(あの山 あの人 あの犬)で、大木さんが翻訳していることを知りました。早速それを読んでみると、映画のいくつかのシーンがあざやかによみがえってきましたが、また監督の霍建起フォ・ジェンチイがずいぶん新しい要素や登場人物を加えて、映像美へと高めていることに思い至りました。

2024年4月10日水曜日

岩波ホール「山の郵便配達」11

僕がこの映画を観ようと思ったのは、尊敬する同僚の藤井省三さんが『朝日新聞』に寄せた映画評を読んだからでした。藤井さんはじつにユニークな先生でした。ガラスの空き瓶に中国茶とお湯を入れたのを持って、教授会に現われるんです。かつて中国を旅行した方は、よく記憶にあることでしょう。中国の人々は、旅行中はもちろんつねにこのお茶瓶を持ち歩いていました。

 しかし藤井さんが教授会にこれを持参していたころ、中国の人はみんなミネラル・ウォーターを飲むようになっていたんです。中央の文化は遅くまで周辺に残るという、柳田國男の発見した命題は本当だったんです() 

2024年4月9日火曜日

岩波ホール「山の郵便配達」10

 

以前アップした諸橋轍次博士の『止軒詩艸』に、「岳州懐古」というとてもいい七言律詩が採られています。明らかに博士は杜甫の「岳陽楼に登る」からインスピレーションを得ているので、あえて「杜甫 慕い」と加えてみました。

 ついに来ました杜甫 慕い いま上らんとす岳陽楼

 すぐれた遺跡も千歳ちとせ経て 昔とまったく違ってる

 日は落ち青き霞 立ち 渚に遊ぶ鴨かもと雁かり

 風は清らか秋 来れば 荻おぎあし砂洲に茂ってる

 美人の悲しみ 君山の 娥皇・女英のマダラダケ

 詩人・屈原その愁い 汨羅べきらの水の波 寒し

 あまりに寂しきこの天地 どこに見所 探すべし

 沈む夕日をかすめ巣に 帰る鴉からすの影 遠し

2024年4月8日月曜日

岩波ホール「山の郵便配達」9

 

この五言律詩は僕が暗唱できる漢詩の一首、その戯訳はかつてアップしたことがあるようにも思います。しかしあまりにも美しく、哀しく、そして人間感情の真を穿っていて、スルーするにはしのびないものがあります。いや、結構うまくいった戯訳を、しつこく披瀝したいだけなのかな() 

先にアップした出光美術館特別展「池大雅 陽光の山水」には、大雅の力作「洞庭赤壁図巻」(京都国立博物館蔵)も出陳されました。その巻頭に寄せられた宮崎筠圃いんぽの「乾坤日夜浮」という題字は、この杜甫が詠んだ「岳陽楼に登る」から採られているんです。それを「天地の万物 夜も昼も 水面みなもに浮かんでいるようだ」と訳したんですが……。

2024年4月7日日曜日

岩波ホール「山の郵便配達」8

 

 僕はウルウルになりながら、あまりにも美しくみずみずしい湖南の山と森をながめていました。その6年前の1995年晩秋、洞庭湖と岳陽楼を見るため香港から湖南へ出かけましたが、岳陽や長沙の街からは想像できない豊かな緑の自然が映し出されていました。この映画にはある種の哀感が漂っていましたが、杜甫の絶唱「岳陽楼に登る」にただよう、人間という存在に対する哀感と共鳴しているようにも感じられました。

  聞いていました昔から 巨大な湖 洞庭湖

  今この時に湖畔なる 岳陽楼から眺めてる

  呉国と楚国を東ひんがしと 南に分ける境界で

  天地の万物 夜も昼も 水面みなもに浮かんでいるようだ

  我が家いえからも友からも 一字の便りさえなくて

  老いて病やまいのわが身には さすらう小舟があるだけだ

  北じゃ戦火が続いてる 山岳地帯の国境くにざかい

  物思いつつ寄る欄干 流れる涙 滂沱ぼうだたり

2024年4月6日土曜日

岩波ホール「山の郵便配達」7

1980年代初頭、中国湖南省の山岳地帯。長年郵便配達を務めてきた男は、後を継ぐことになった息子を連れて、初めて一緒に仕事に出る。重い郵便袋を背に、愛犬“次男坊”と共に峻険な山道をたどり、いくつもの山を訪ねる23日の旅。父は、道筋は勿論、集配の手順、手紙を運ぶ責任の重さと仕事の誇り、そして手紙にこめられた人々の想いを、静かに息子に教えていく。幼い頃から息子は、寡黙で留守がちな父に対して、距離を感じていた。だが、村人の信頼を集める父の姿に接し、徐々に尊敬の念を深めていく。いつもそばで父を支え、彼をやさしく包んでくれた母の偉大さにもあらためて気づく。

 

2024年4月5日金曜日

岩波ホール「山の郵便配達」6


 突然の恩師の訃報を聞くような岩波ホール閉館の記事

 半世紀岩波ホールを支えたる座席の一人でありしよわれも

 かさばれる古書のリュックを抱えつつ時忘れけり岩波ホール

 閉館をパリに惜しみぬ若き日にもぎりをしたる岩波ホール

 封切を見んとて急ぐ落葉道水道橋より岩波ホールへ

岩波ホールが開館したころ、学生時代のような映画に対する興味が薄れていたせいか、あるいは仕事が忙しくなっていたせいか、そこで見た映画は数えるほどしかありません。そのなかでベストワンをあげれば、何といっても「山の郵便配達」ですね。そのとき求めたリーフレット『EQUIPE DE CINEMA』№135から内容を引用すれば……

 

2024年4月4日木曜日

岩波ホール「山の郵便配達」5

 

この不幸な時代が岩波ホールに引導を渡す結果になったというわけです。さすが山田監督らしい鋭い見方だと感を深くしました。寅次郎はインテリを揶揄しながらもインテリの存在を肯定する人間だった――言われてみれば確かにそうだったなぁ!! もっとも監督は、今は反知性主義の不幸な時代であると規定していらっしゃいますが、それを言っちゃ~おしまいよという感じもします() 

岩波ホール閉館と、懐旧の情を込めるにふさわしい短詩形式の和歌は相性がいいのか、朝日歌壇にはたくさんの閉館を惜しむ歌が選ばれていました。マイ手帳に書きとめられた5首ばかりを……。


2024年4月3日水曜日

岩波ホール「山の郵便配達」4

 

しかし近年は客層が高齢化していたところに、コロナ禍が直撃、一昨年1月に「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の運営が困難と判断した」として、閉館を表明していました。このニュースを僕も見た記憶があります。『朝日新聞』特集記事には、かの山田洋次監督がコメントを寄せています。監督は渥美清さんを誘ったりしてよく通っていたそうで、つぎのように述べています。

岩波ホールは知的なインテリゲンチアが集まる場所でした。「男はつらいよ」で寅次郎はよくインテリをからかっていましたが、彼は一方でインテリを認めていた。だからこそ、からかうことができたんです。ところが、今は世の中全体が反知性主義になってしまった。不幸な時代です。

2024年4月2日火曜日

岩波ホール「山の郵便配達」3

小原篤さんの「取材考記」を読んで、神田・神保町の岩波ホールのことを思い出しました。2年前の2022729日、閉館したからです。半世紀以上にわたり、世界の名画を紹介してきた映画館です。『朝日新聞』夕刊に「世界名画の扉 岩波ホールに幕」と題する特集記事も載りました。

 それによると、開館は昭和43年(1968)、当初は多目的ホールでしたが、昭和49年、高野悦子総支配人を中心に、知られざる名画を上映するエキプ・ド・シネマ――映画の仲間運動が始められました。芸術色の強い作品を息長く上映するという興行スタイルを確立し、1980年代以降の我が国におけるミニシアターブームへの道を準備したそうです。 

2024年4月1日月曜日

ブータン博士花見会7

 

 美術史の分野において、イングラムは日本美術愛好家、とくに印籠・根付ねつけのコレクターとしてよく知られています。いま日本でも印籠・根付に対する関心が高まっていますが、この点でもイングラムの果たした功績は少なくないでしょう。19世紀後半に活躍したジャポニザンに対し、チェリー・イングラムは少し後れてきた第2世代のジャポニザンといってよいかもしれません。

シキミ・サカキと寄生植物の関係など、谷中霊園で興味深い話をブータン博士から聞いたあと、幹事の柿沼君と川戸さんが苦労して選んだ日暮里駅前の「五所車」で打上げとは相成りました。今回本命のサクラは少な目だったかもしれませんが、山形は天童の銘酒「出羽桜」が十分にそれを補ってくれました。いや、補いすぎてくれたお陰で、乗り換えるべき金沢文庫をバクスイ通過、横須賀中央まで行っちゃったことでした()


出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...