松前藩のひどいアイヌ政策が、当たり前のように行なわれていた時代、アイヌを自分たちと同じ人間としてみるヒューマニズムが、武四郎の胸中に育まれていた事実は、ほとんど奇蹟のように思われる。武四郎に何かインスピレーションを与えるような思想が、すでにあったのだろうか。あるいは、まったく独自に、あのような平等思想に到達したのだろうか。そして人間としての行き方である。自己の思想に忠実に従い、あとは悠然たる余生を送ったのだった。
私は武四郎と相似た人生を送った文人画家・田能村竹田をたたえて、かつて「田能村竹田の勝利」という拙文を『國華』一四五九号に寄稿したことがある。文化八年(一八一一)、藩内に領民一揆が起こったとき、竹田は二度にわたって藩政改革のための建言書を提出したのだが、それがまったく無視されたのを知ると、官職を辞し、一文人墨客として詩書画三昧の後半生を送ったのである。