徐寅「新月」
雲居の際[きわ]にあでやかに 出たかと思うとまた隠れ
腸 断つ思いで美しき 女[おみな]が西を拝んでる
姮娥[こうが]一人が眉墨[まゆずみ]を 先ず掃くことを許されて
三人もいる織姫の 曇った鏡は磨かれず
玉のすだれが吊り鉤[かぎ]で 靄[もや]暗いなか掛けてあり
青い大空 白龍が 鋭い爪あと残してる
あと十五日待ってれば 円[まる]く明るい満月が
龍と天下を照らすだろう 黄砂で空が暗くても……
徐寅「新月」
雲居の際[きわ]にあでやかに 出たかと思うとまた隠れ
腸 断つ思いで美しき 女[おみな]が西を拝んでる
姮娥[こうが]一人が眉墨[まゆずみ]を 先ず掃くことを許されて
三人もいる織姫の 曇った鏡は磨かれず
玉のすだれが吊り鉤[かぎ]で 靄[もや]暗いなか掛けてあり
青い大空 白龍が 鋭い爪あと残してる
あと十五日待ってれば 円[まる]く明るい満月が
龍と天下を照らすだろう 黄砂で空が暗くても……
徐寅「茘枝」
日々吹く初夏の薫る風 毒気の空気を蹴散らせば
最初に実る南[みんなみ]の 庭の珍果はライチの実
月のカラスがついばめば したたる果汁は甘美にて
豪華な器に溝貝[どぶがい]の 殻のごとくにテンコ盛り
成都じゃ言ってる「二日酔い 一番効くのはライチだぜ」
もっぱら天の宮殿じゃ 神仙たちへのプレゼント
だれも自分の鮮血を 抜き取ることなどしないのに
そで染め上げた薄絹の ごとく鮮やか!! 殻はみな
徐寅が奥さんとラブラブだったことは最初に書いたとおりですが、その奥さんに捧げた七言律詩が唐末五代にあることも驚きです。『詩経』<国風>ならいざ知らず……。その注記によると、奥さんのアザナが「月君」で、姓が「月」じゃ~なかったようですが……。
徐寅「月君に贈る」
池からやって来て心 もってるみたいなハスの花
過去・今・未来の俗界の 一時に醒める馬鹿な夢
彼女は神様くださった 尊い尊勝陀羅尼経
彼女は釈迦牟尼くださった 貴い金剛般若経
行ない立派で読書好き 女性の道をよく守る
銀の屏風に顔[かんばせ]を 描けばきっと素晴らしい
機[はた]織りだってお手のもの 白魚みたいな指先で……
織姫星[おりひめぼし]が部屋のなか 光を放っているようだ
徐寅「初夏に戯れに題す」
万物はぐくむ夏の風 夜[よ]が明けるころ吹き初めて
次第に開くハスの花 散ってゆくのはバラの花
荘子の蝶になった夢 知っているのか青虫も
さなぎ→蝶へとメタモルし 華麗に舞う庭 南方[みなみかた]
それまで徐寅の詩で知っていたのは、植木久行さんの『唐詩歳時記』(講談社学術文庫)と黒川洋一ほか編『中国文学歳時記』(同朋舎)に採られる「初夏戯れに題す」だけでした。しかし、静嘉堂文庫の静かな閲覧室で一人『全唐詩』の拾い読みを始めると、これが饒舌館長好みの詩人だったんです。そして、あぁこんな優れた詩人がまだいたなんて、漢詩の世界は奥が深いなぁと改めて感じ入ったのでした。
とくに大好きな李賀の雰囲気に、通い合う詩が少なくなかったこともその理由ですが、おそらく徐寅は李賀から大きな影響を受けているのでしょう。もう盛夏となってしまいましたが、「初夏戯れに題す」を皮切りに、何首かをまたまたマイ戯訳で紹介させてもらうことにしたという次第です。
すると間髪をおかず、ディレクターがもつPCのディスプレーに、「88888」「8888888888」といった数字が洪水のように流れ始めたではありませんか。まったく意味が分かりませんでしたが、これはパチパチパチという拍手を意味するとのこと、橋本さんが教えてくれました。チョッと前までは考えられないバーチャル美術の世界が、すでに日常になっていることを思い知らされた一夕でした。
実際に展示されているのは、そのあとの見開き2ページで、「嶽を望む」という五言古詩を読むことができます。これもさすが杜甫だと思わせる一首です。これは泰山をたたえた一首です。泰山は山東省にそびえる名山、五岳の長とされ、東に位置するので東岳ともいわれます。
1989年、北京日本学研究センター講師をつとめていたとき、ひとり夜行列車で、しかも硬座――つまり2等車で北京から江南に遊びに行ったことがあります。そのころ、北京から上海まで、汽車ではちょうど1日、24時間かかりました。21:10に北京駅を出発した汽車が、翌日の朝6時前、泰安駅に到着すると多くの乗客がぞろぞろと降りていきました。隣の人に訊くと、朝日を拝むためとのこと、泰山は朝日遥拝の名所でもあるそうです。そのときは僕もいつか登ってみようと思いましたが……。
豊かな和漢の教養を身につけていた乾山は、もちろん杜甫を尊敬し、「杜甫詩集」をよく知っていて、とくにその第一首を選び、第8句「人をして深省を発せしむ」から、名前の「深省」を採ったにちがいありません。またまた独断と偏見かもしれませんが(笑)、この五言古詩をマイ戯訳で……。
今日遊覧の奉先寺 夜も宿泊許されて……
北の谷から風の音 月光 林を照らしてる
星座に迫る龍門山 眠る雲上 着物冷え
目覚めりゃ聞こえる朝の鐘 深い感慨わいてくる
カタログには「杜甫詩集」の最初のページが掲出されています。写っている詩は「龍門の奉先寺に遊ぶ」、全杜甫詩に通し番号をつけた定本ともいうべき下定雅弘編『杜甫全詩訳注』(講談社学術文庫)にしたがえば、0001にあたる五言古詩です。
辻惟雄さんが古希を迎えたとき、ファンが辻さんをオミコシにして「辻先生と行く敦煌・龍門の旅」を企画しました。かつて詳細をアップしたことがあるように思いますが……。この杜甫詩を読んでいると、そのときみんなで仰ぎ見た奉先寺洞の毘廬遮那仏が眼前に浮かんできます。
話は飛びますが、乾山焼で有名な京焼の陶工・尾形乾山は、はじめ「権平」という名前でした。しかしチョット品がないと思ったらしく、25歳のころ「深省」と改めたのですが、その典拠はこの杜甫詩だというのが私見です!!
この張瑞図の「松山図」にちなんで、東洋文庫からの「僕の一点」は、第1室に展示される「集千家註批点杜工部詩集」を選ぶことにしましょう。ずいぶんむずかしい書名ですが、「集千家註批点」は副題みたいなもので、簡単にいえば「杜工部詩集」です。杜工部とはかの詩聖・杜甫のことですから、つまるところ「杜甫詩集」なんです。
ただし中国・元の時代に出版された杜甫詩集を、南北朝時代の1368年に我が国で復刻した、いわゆる和刻本です。ブッチャケをいえば「海賊版」なんですが、もう653年も経っていて伝本も少ない貴重な本なので、だれも「海賊版」とはいわないだけです――まぁ時効にかかったみたいなものかな(笑)
「僕の二点」になってしまいましたが、もう一つ「曜変天目」――固有名詞でいえば「稲葉天目」をあげないわけにはいきません。「またまた曜変天目か、もう何回も見たよ」なんておっしゃらないでください。今回は「曜変天目ルーム」がしつらえられているんです!!
つまり展示されているのは、「曜変天目」一碗のみという一室です。ほかの名品に気を奪われることなく、全神経を「曜変天目」に集中させて鑑賞することができます。いつかやってみたいと思ってきましたが、世田谷岡本ではギャラリーの構造上むずかしかった展示です。
それだけじゃ~ありません。今回は照明のルクスをぐっと上げた効果で、これまでとはまったく異なる、驚くべき新しい美が生まれています。夜空にも深海にも例えられるあの虹彩が、じつに鮮やかに浮き上がって、いまにも動き出しそうです。もうこれは「新国宝」です(笑)
杜甫「七月一日 終明府の水楼に題す二首 其の一」
重なる軒と高い棟 登れば涼しそれだけで
しかもこの日は秋風が…… なびき揺れてる我がころも
陰山の雪 風に乗り 飛んでくるかもしれないぞ
この絶景ゆえこの土地を 去れず!! 就活ゆえじゃない
過ぎ行く雲に絶壁の 美は錦繍をしのぐほど
まばらな松が笛の音を 奏でているよ川向こう
仙人県令・王喬の 履[くつ]をはくべし!! 貴兄こそ
仙界からは仙人の はく履すぐに届くだろう
NHK・Eテレ「日曜美術館」に続いて流される「アートシーン」に、明日、三菱一号館美術館で好評開催中の「三菱の至宝展」が登場します。ご存知のように、朝9:00~と夜8:00~の2回放送されます。先日取材してもらいましたが、饒舌館長もしゃべってほしいというので、もちろんやぶさかではなく(笑)、饒舌館長振りを遺憾なく発揮したことでした。
もっとも、いつものようにずっと短く編集されていることでしょう。あるいは、完全にカットされちゃっているかな(笑)
もしこれをご覧になって、興味を覚えた方がいらっしゃったら、ぜひ本物を丸の内の三菱一号館美術まで見にいらしてください。すでにアップしたように、世田谷区岡本や文京区駒込でご覧になったような作品も、復元されたジョサイア・コンドルの名建築のなかで、まったく新しい相貌を見せています。それを象徴するのがかの「曜変天目」です。これまでの「曜変天目」のイメージが音を立てて崩れていくでしょう。しかし国宝が崩れちゃ~まずいかな( ´艸`)
BSフジ「巨大映像で迫る五大絵師」17日(土)16:00~16:55
9月9日まで大手町三井ホールで「巨大映像で迫る五大絵師」バーチャル展が開かれています。高精彩デジタルデータによる巨大映像を使って、葛飾北斎・歌川広重・俵屋宗達・尾形光琳・伊藤若冲という、5人の画家が生み出した傑作の隠された秘密に迫ろうという空前絶後のプロジェクトです。皆さんのだれもが愛して止まぬ天才絵師ばかりですよね。
仕掛け人はいつも「饒舌館長」に登場してもらっている小林忠さん、これを紹介する記念番組が明日放映されます。今回はとくにアンバサダーと呼ばれているようですが、ナビゲーターは人気歌舞伎俳優の尾上松也さんです。静嘉堂文庫美術館が誇る俵屋宗達の国宝「源氏物語 関屋澪標図屏風」も登場します。解説トークをやっているのは、ご存知・饒舌館長です!
ヤジ「<ご存知>なんていうのは、尾上松也につけるべき言葉だ!!」
それでは、梅尭臣と杜甫の詩に戯訳をつけて、張瑞図の「松山図」についてはお仕舞にすることにしましょう。
梅尭臣「猫を祭る」
<五白>というネコ飼ってから 本はネズミにかじられず
だが今朝<五白>は死んじゃった ご飯と魚をそなえたよ
水葬に付し心籠め 彼女の冥福いのったよ
かつてネズミをつかまえて 鳴きつつ庭をぐるぐると……
ほかの奴らもおどかして 追っ払おうとしたんだろう
オイラの舟に乗り込んで 来た時いらい夫婦のよう
貴重な乾飯[かれいい]ネズ公の 残飯食わずにすんだのも
彼女の働きあればこそ! 鶏[とり]や豚にもまさりたり!
「馬やロバなら役に立つ」「馬車なら楽ちん!」人は言う
分かっちゃねーなと嗤[わら]いつつ 哀悼の意を捧げよう
先に「霊鷲山効果」といいましたが、霊鷲山とは古代インド・マガダ国の首都である王舎城の近くにある霊山で、ここで釈尊が法華経などを説いたと伝えられてきました。その形が鷲に似ているため、霊鷲山と呼ばれるようになったので、お経の見返し絵などでは、本当の鷲の頭のように描かれるんです。アップしたのは「神護寺経」と呼ばれている、平安後期の装飾経で、神護寺に奉納された紺紙金字一切経の見返し絵の一例です。
それは霊山のなかに鷲が埋め込まれているとともに、鷲が霊山に昇華しているという、其一の「蓬莱山図」と同じような効果をみせているんです。そこで饒舌館長は、これを「霊鷲山効果」と命名したのです。もっとも、これを『國華』1212号に発表した1996年には、まだ饒舌でも館長でもありませんでしたが(笑)。 この霊鷲山効果を使って傑作『もりのえほん』を作ったのが安野光雅さんでした。
それはあたかもツルとカメが目と目を見交わしているかのようです。蓬莱山の象徴であるツルとカメを、其一は蓬莱山自体で作り上げ、そっとしのばせたのです。これが意識的であったことは、作品自体が語っているように思います。
因習に馴染むことを厭い、幕末の奔放な美意識やソフィストケイトされた造形感覚に生き生きと共鳴した其一が、伝統的な蓬莱山図を、そのまま繰り返して描くなどという安易な方法を選ぶはずがありません。
単なる岩に見えていたものが、ある瞬間そのシンボルである動物に変換するというフォルムの詭計に、当時の江戸っ子も手を打って喜んだにちがいありません。
先日、鈴木其一の傑作「蓬莱山図」(アメリカ・カウンティ美術館蔵)をあげましたが、今日ここにアップしたのがその作品です。このような紺色に染めた紙に金泥で、ある場合には銀泥も加えて描く手法を紺紙金泥といって、お経の見返し絵に由来するものです。
この蓬莱山は霞によって上下二つのブロックに分けられていますが、よく見ると、上の方はツル、下の方はカメになっています。つまり、右上の高く突き出した岩がツルの頭で、くちばしを真っ直ぐ下の方へ向けたところです。一方、左下の海上から突き出した岩は口を開けたカメの頭で、それに続く右の盛り上がった岩が甲羅となっています。
これが深読みじゃ~ないことは、ツルとカメの顔の一部が塗り残されて、ちょうど目のようになっていることから明らかです。
張瑞図が意識してヤマネコを描いたかどうかだれにも分かりませんが、画家が意識的に行なうことも確かにあるようです。ここにアップした水墨山水画は、現代女流水墨画家として大活躍中の藤崎千雲さんが揮毫した力作です。藤崎さんは中央の山に象のイメージを込めて、つまり象を意識しながら筆を運んだそうです。堂々たるキングエレファントが見えてくるでしょう。
もっとも僕は左端の山の一部をネコに見たててしまったのですが、ネコ好き館長にとっては象よりもネコなんです(笑) それはともかく、この作品には画家の意識的霊鷲山効果と、無意識的霊鷲山効果が併存していることになって、興味尽きないものがあります。
もちろん張瑞図が意識してヤマネコを描いたかどうか――だれにも分かりません。あるいは無意識だったかもしれませんが、フロイトによれば、無意識にも意味があるんです。中国の文人は、書物をネズミの害から守るため、好んでネコを飼っていました。例えば北宋の詩人・梅尭臣が飼っていた<五白>は、たくさんあるネコ漢詩のなかで、もっとも著名なネコです(!?) きっと4本の足先とシッポの先が白いネコだったのでしょう。
張瑞図がネコを飼っていたかどうか知りませんが、そのような文人とネコの関係がここに反映しているというのが、饒舌館長の見立てです。
似た遊びを意識的に行なった傑作に、鈴木其一の「蓬莱山図」(アメリカ・カウンティ美術館蔵)があって、僕はこれを「霊鷲山効果」[りょうじゅせんこうか]と呼んでいるんです。
しかし中国の作品からも「僕の一点」を選ばなければ、中国美術を愛して止まなかった弥之助・小弥太に失礼でしょう。そこで張瑞図の「松山図」です。張瑞図は明末奇想派を代表する文人画家で、この作品は杜甫の「七月一日 終明府の水楼に題す」という七言律詩からインスピレーションを得て描かれた傑作です。
山水図なのに、ある動物が大きく――しかしそれとは判らないように描きこまれています。目を凝らして探してみてください。判りましたか? 賛の下に、シッポを立てて松の木を威嚇しているような、大きな猫が見えてくるでしょう。これこそヤマネコです(笑)
もうこうなると玉堂は居ても立ってもいられず、上京して雅邦から入門許可を得ると、妻と生後間もない長男を伴って東京の麹町に転居、雅邦の教育を直接受けることにしたのでした。あのわが国の自然と四季を詩情豊かに謳いあげた玉堂様式の原点は、静嘉堂文庫美術館が所蔵する橋本雅邦の「龍虎図屏風」だったのです!! 川合玉堂――その画趣はもとより、大辛口の銘酒「澤乃井」とともに思い出される、威の技をもつ大画家です( ´艸`)
実は先の第4回内国勧業博覧会に、若き21歳の玉堂も「鵜飼」という作品を出品して賞牌授賞の栄に輝いたのですが、雅邦の「龍虎図屏風」を見て、驚天動地ともいうべきショックを受けたのです。後年、玉堂はある座談会で次のように語っています。
所が例の十六羅漢の緻密なのと龍虎の豪放なものを博覧会で見せ付けられた時には、全く打たれてしまったのです。……妙に皮肉な、批評的なことを云う人もあり、色々でしたが、何と云っても皆が大きな衝動を受けたことは事実です。私などはもう打たれてしまったのです。是は飛んでもない偉い人が現在東京に生きて居ると思った。こんな人にぶつかって行って、もう一遍叩き直さなければいかんと思ったのが私の決心ですね。練り直すより外ないと云う気持ちになったのです。
「僕の一点」――静嘉堂からは橋本雅邦の「龍虎図屏風」に指を折りたいですね。明治28年(1895)京都・岡崎で開催された第4回内国勧業博覧会へ出品された雅邦の代表作です。東京と京都の日本画家よる屏風絵の競演という、この博覧会で人気を呼んだ企画のために制作された六曲一双屏風の一つですが、このプロジェクトのプロデューサーにしてパトロンこそ岩崎弥之助だったのです。
詳細は静嘉堂文庫美術館キューレーター・浦木賢治さんのカタログ解説に譲って、ここではあるエピソードを紹介することにしましょう。僕が大好きな近代日本画家の一人に、川合玉堂がいます。きっと静嘉堂ファンの皆さんのなかにも、玉堂ファンがたくさんいらっしゃることでしょう。
このモリソンの息子がイアン・モリソンというジャーナリストです。彼はマーク・エリオットと名前を変えて、名画「慕情」でウィリアム・ホールデンが演じるヒーローに変身を遂げることになるんです。その話を、饒舌館長は延々とやって、あまつさえあの有名な主題歌の出だしをダミ声で歌ったりしていますが、これってモリソン文庫と本質的関係はまったくないじゃないですか!!
もちろん饒舌館長もよく分かっていながら、カセット・ミュージアムの関さんに乗せられて、脱線してしまったんです(笑)
ハードカバーの豪華カタログはもちろんですが、カセット・ミュージアムさんが仕上げてくれたオーディオガイドもおススメです。ナビゲーターは「日本で一番忙しいナレーター」とたたえられる窪田等さん――とくに人気TV番組「情熱大陸」で有名ですね。
はじめてお声を聞いたとき、僕は若いころ毎晩のようにスイッチを入れた城達也さんの「ジェットストリーム」を思い出しました。キューレーターがまとめた簡にして要を得た解説が、衒[てら]いのないなめらかな抑揚にのって、スッと耳から脳へ到達するといった感じです。
窪田さんの解説が終ると、そのあとに三菱一号館美術館の野口玲一さんと饒舌館長の対談が3つ、「ボーナストラック」としてくっついています。対談といっても、饒舌館長がほとんど一人でしゃべっちゃっているみたいですが(笑)、番号でいえば、30、40、50です。とくにその脱線ぶりに笑えるのは40ですね。
最後に、日本東洋のすぐれた文化と美しき伝統を愛して止まなかった岩崎家の象徴として、小弥太の句集『巨陶集』『早梅』から五句ほどを選び、また和歌一首を添えつつ筆を擱くことにしよう。
天平の昔なつかし曼珠沙華
散る花や静かに座[おわ]す廬舎那仏
貫之の歌切は何んと梅の宿
古きものいとしむ心秋の雨
枯れしもの皆美しや冬の雨
理[ことわり]にのみ生く人は天地[あめつち]のまことの情[こころ]知りがてぬかも
本特別展の会場となる三菱一号館美術館は、来日して我が国近代建築の基礎を築いたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが設計建設した、三菱一号館をそのままに復元してなったものである。またコンドルは、弥之助の深川邸洋館、高輪邸、久弥の茅町本邸、小弥太が弥之助3回忌に際して建てた世田谷区岡本の廟なども手がけている。
その後久弥が駒込に建てた東洋文庫、小弥太が岡本に造った静嘉堂文庫は、コンドルにも学んだ桜井小太郎が完成させたものである。このように三菱・岩崎家が愛して止まなかったコンドルが没してから、今年は100周年の節目にも当たっている。深きえにしを感ぜずにはいられない。
立場上、僕はこの特別展の総監修ということになり、カタログに巻頭エッセーを書くハメになりました。いや、「名文家の俺に書かせろ!!」と言ったような気がしないでもありませんが(笑)、その初めと終わりの一節を、モトゲンから引用することにしましょう。
土佐国(高知県)安芸郡井ノ口村の地下浪人の家に生まれた岩崎弥太郎が、苦心惨憺の末、知人を誘って海運業を営む九十九商会――現在の三菱を興したのは、明治3年(1870)のことであった。今年令和2年(2020)は、それから数えて150周年の節目に当たっている。これを記念する特別展が、この「三菱の至宝展」にほかならない。
三菱ゆかりの静嘉堂文庫と東洋文庫、三菱経済研究所、三菱一号館美術館、さらに三菱金曜会や広報委員会が力を合わせ、その優れたコレクションの全貌を堪能していただけるよう智恵を絞った。三菱が文化的に果してきた貢献――現代の言葉でいえばフィランソロフィーをも感じ取っていただければ望外の喜びである。
今日7月1日、夕方6:30から、三菱一号館美術館の野口玲一さんとトークショーを開きます。時節柄、リモートによるトークショーになってしまいましたが、本来はもちろん対面の予定でした。しかも、単なる対面じゃ~ありません!! おいしいワインを楽しんでもらいながらお聞きいただくという、「トークショー ワインの夕べ」だったんです。となると、当然のことながら、野口さんと僕もお相伴させてもらうということになります(!?)
ところがこのコロナ禍、ワインの夕べどころの話じゃ~なくなり、結局リモートということになってしまいました。しかし皆さんは、ワインでもなんでも家呑みをやりながら、お聞きいただきたいと思います。それはともかく、三菱が社運を賭けた(?)「創業150周年記念展」にして「国宝集結展」ですから、もうリモート・トークショーのチケットも完売しちゃっているかもしれませんが……。
一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。 日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...