2018年5月31日木曜日

Heart Streamライブ2


しかし4人は、関東と広島に遠く離れて住んでいるために、なかなか思うように活動できないことに、ちょっと悔しさをにじませています。

はじめて僕がHeart Streamを知ったのは、去年9月、ユーチューブ・サーフィンで遊んでいる時でした。あまりのすばらしさに、すぐ「饒舌館長」にアップしたというわけです。

いつかライブを聴いてみたいなぁと思っていましたが、その機会は意外に早くやってきました。今日、3年半ぶりのバックインタウン・ライブが、結成50周年を記念して開かれることになったのです。

飛行機が遅れたために、開演ぎりぎりで飛び込めばリザーブの席はすでに満席、優に100人は超すHeart Streamファンの平均年齢は、これまた優に60を超しそうです。

軽妙なトークを交えながらの「パフ」「レモン・トゥリー」「マジック・ドラゴン」「ドント・シンク・トゥワイス」「風に吹かれて」「朝の雨」――もう青春プレーバック一色です。1曲ごとに湧き起るものすごい拍手は、22時にアンコールが終わるまで、地下のライブハウスを揺らし続けたのでした。
*当日の全曲目は、Heart Streamのホームページをご覧ください。そのほかの情報も盛りだくさんですよ!!

2018年5月30日水曜日

Heart Streamライブ1


バックインタウン「Heart Stream結成50周年記念ライブ」(525日)

國華清話会特別鑑賞会「浦添美術館」の翌日の夕方、那覇から羽田に着いた僕は、そのまま曙橋のライブハウス「バックインタウン」へ直行しました。去年「饒舌館長」に、「Heart Stream」へのオマージュをアップしましたね。ポール河谷徹孝・ピーター河内良文・マリー栗原晴美・ディック山中義晴の4人で構成されるピーター・ポール&マリーのカバーバンドです。

この4人の方々は1968年から3年間、山口県徳山で、PPMサウンドを追い求めながら、すばらしい高校生活を送りました。僕より10歳ほど若いようですが、もう今となってはまったく同じ世代だといってよいでしょう。

卒業後はそれぞれの道を歩み始めますが、30年後の2001年、同窓会で求められた再演を機にリユニオンが実現し、音楽活動を再開したのでした。今年はちょうど最初の結成から数えて、50周年の節目にあたります。

実にいい人生だなぁ! だから、高校時代より今の方がみんなすごくいい顔をしている!!

2018年5月29日火曜日

国華清話会「浦添市美術館」2


「僕の一点」は「黒漆孔雀牡丹唐草沈金食籠」です。食籠[じきろう]というのは、食物を容れる容器のことです。この食籠は円形2段の形式ですが、大きな蓋がついているために、ちょっと3段のように見えてしまいます。黒漆の上に、牡丹唐草のなかで優雅に遊ぶ孔雀が、沈金という装飾技法で表現されています。

その精巧無比なることは、今はやりの言葉でいえば「超絶技巧」ですが、まったく超絶技巧なんて感じさせません。これこそ、超絶技巧を超えた超絶技巧だと、感を深くしながら飽かずながめたことでした。

このような円形2段の食籠は、近世後期の琉球では「御籠飯」[ウクファン]と呼ばれ、祭祀儀礼のために用いられたそうです。黒漆沈金の蓋を取ると、梅文を中心に5つに区画された朱漆の皿盆が現われるのですが、その息をのむような鮮やかなコントラストに、琉球色彩美の真骨頂を見る思いがしました。

2018年5月28日月曜日

国華清話会「浦添市美術館」1


國華清話会特別鑑賞会「浦添市美術館」(524日)

 僕も編集委員をつとめる東洋古美術雑誌『國華』と姉妹関係に結ばれる美術愛好クラブに國華清話会があり、200人ほどの会員で構成されています。毎年春秋2回、特別鑑賞会を開くのが恒例になっていますが、今年の春季鑑賞会は沖縄の浦添市美術館にお願いすることになりました。

ANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービューはアイランド・ブリーズで美味しいランチをとったあと、チャーター・バスで浦添市美術館へ移動、館長・宮里正子さんと『國華』編集委員・小松大秀さんの講演を聴きました。そのあと、所蔵される琉球美術の名品6点を心ゆくまで堪能するとともに、常設展示室の「漆のしるし 時の記憶」と、企画展示室の「葛飾北斎 琉球八景展」を三々五々鑑賞して豊かな時を過ごしました。

北斎の「琉球八景」は、北斎の風景版画を考える際、とても興味深い8枚からなる大錦の揃い物です。というのは、康煕58(1719)やってきた冊封使・徐葆光の報告書ともいうべき『琉球国誌略』の挿図を――おそらくはその幕府再刻版の挿図を、北斎がちゃっかりパクっているからです(!?)

2018年5月27日日曜日

炎上!!スティーブ・マッカリー2


ネットによると、マッカリーは「コントラストやトーンの変更、また邪魔になっているものの編集はOKだが、写真内の要素を動かすのはよくない」と語っていたそうですが、今回の足首消滅なんて、そのような写真哲学以前の問題であって、炎上とはまったく無関係でしょう。大写真家の分かりやすい大チョンボだったからこそ、炎上することになったのです。

しかし僕が何より驚いたのは、マッカリーがフォトショップを使っているという事実でした。マッカリーはドキュメンタリー写真家であり、そんなIT機器を利用しているなどとは、夢にも思いませんでした。おそらく周知の事実だったのでしょうが、僕はまったく知りませんでした。

しかし、この事実を知ったうえでマッカリーの写真を見直してみると、よく腑に落ちるところが少なくありません。とてもスッキリしていて、じつにクリアーであり、いわゆる超写実主義絵画に触れているような感じがするからです。

2018年5月26日土曜日

炎上!!スティーブ・マッカリー1


 先日、台北当代芸術館で見た「晃彩 スティーブ・マッカリー」展についてアップしましたが、そのあと、ネットで「スティーブ・マッカリー」を検索したところ、いま彼が炎上していることを知りました。

最近、マッカリーがキューバで撮った写真が――もちろんプリント写真として、イタリアで公開されたそうです。ところがその中に、建物の前を歩く男の足首が消えちゃっている一枚がありました。明らかにフォトショップの操作ミスによるものでした。これを見つけたイタリアのフォトグラファーが、これをネットにアップしたところ、マッカリーのミスとして炎上するところとなったのです。

もちろんそのフォトグラファーは、マッカリーにケチをつけるつもりなど毛頭なく、単に笑いをとるためにアップしたのですが、何といっても相手は世界一流の人気写真家ですから、話題とならないはずがありません。

2018年5月25日金曜日

出光美術館「宋磁」2


「僕の一点」は、出光美術館が所蔵し、南宋から元時代の龍泉窯で焼かれた「青磁双魚文盤」です。口径13センチほどの小ぶりな盤ですが、これに肴を盛ってやる一杯を想像するだけで、ヨダレが垂れてきます。僕のペトルス・レグート窯ジャンク・ソーサーには、柿ピーかチーカマかイカクンですが、この青磁盤には最高級のアテじゃなければ失礼にあたります。

青木正児先生が「ながまちのながの長崎からすみに熱燗添えて妻の呼ぶ声」と詠んだ長崎のカラスミでしょうか。あるいは、キャビアハウス&プルニエのアルマス・ペルシカスも悪くありません――食ったこともないものを挙げたりするな(!?) 色彩的には、明治33年(1900)創業を誇る門司・枕潮閣で供されるようなふぐの白子がピッタリでしょう。

徳留さんの解説によると、2匹の魚は貼花という貼り付け技法によるもので、宋時代において広く古事に通じる「博古風尚」が尊ばれた時代思潮のなかで、漢時代の双魚文銅盤がモチーフになったものだそうです。中国では手紙のことを古くから「双魚」とか「双鯉」とかいいますから、このようなデザインは、宋代の文人士大夫にもきっと喜ばれたにちがいありません。

2018年5月24日木曜日

出光美術館「宋磁」1


 
出光美術館「宋磁 神秘のやきもの」<610日まで>
 仰韶<ヤンシャオ>文化期の彩陶から数えれば、ゆうに7000年の歴史を誇る中国陶磁のなかで、最高のクオリティーに達したのは宋の時代でした。この特別展の副題に「神秘のやきもの」とあるとおり、宋磁――宋時代のやきものの美しさを表現するのに、「神秘的」以外の言葉を見つけることはむずかしいでしょう。見ているだけで、鳥肌が立ってきます。目がウルウルになってきます。専門家が詮索する窯の名なんて、どうでもよくなってきます。
中国文化史では、よく「六朝の書、唐の詩、宋の絵画」といってこれをたたえます。文人士大夫が尊ぶ「詩書画」を3つの時代に当てはめたものでしょうが、僕的には「六朝の書、唐の詩、宋の陶磁」といいたい誘惑に駆られます。青磁・白磁・青白磁・黒釉磁など、きわめてシンプリシティーの高い単色の釉薬をみずからの皮膚とする宋磁をじっと見ていると、「すべての音楽はシンプリシティーを目指す」という名指揮者フルトヴェングラーの至言が思い出されてくるのです。
このような神秘の宋磁に、エレガントな宋磁やカワイイ宋磁も加え、出光美術館コレクションを中心として、100点以上の名品優品を集めたのがこの特別展です。企画キューレーター・徳留大輔さんのカタログ論文や解説、あるいはキャプションを参考にしながら静かに歩を運べば、宋磁のすべてが、あなたの胸底に美しくクッキリとした影を宿すことでしょう。

 

 
 

2018年5月23日水曜日

京都国立博物館「池大雅」4


その意味では、主知従感の画家だったといってもよいでしょう。誤解を恐れずにいえば、与謝蕪村は主感従知の画家にして俳人でした。

感性がイマジネーションを生み出しやすいことは、指摘するまでもありませんが、知性もイマジネーションの萌芽となることは、文学の歴史が証明しています。

しかし大雅は、日本で生まれ日本で育った日本人でした。いくら「池大雅」と中国風に修したところで、中国人にはなれませんでした。そこに大雅の葛藤があったのではないでしょうか。それが言いすぎなら、アイデンティティを希求しながら歩いていく荒野が、大雅のまえに広がっていたのではないでしょうか。あれほどまでに大雅が富士に執着した事実を、合わせ鏡のように考えてみたい誘惑に駆られるのです。

いつか機会に恵まれたら、「知性の画家・大雅」とか「大雅――知性による想像力」といったエッセーを書いてみたいなぁという思いを強くしながら、「6時閉館」の案内に追い立てられるように、まだ日差しの強い中庭を、七条通りの出口に向かって歩き出したことでした。

2018年5月22日火曜日

京都国立博物館「池大雅」3


何よりも最初に、中国の古典によって、豊かなイメージの世界が培われていたのです。それは胸底の丘壑ならぬ、胸底の中国という心象でした。それを通してすべてのものを見るという視覚回路、あるいはさらに思考回路が出来上がっていたのです。

広く日本を歩き回った旅も、本当はそうしたかった中国旅行の代替行為だったのかもしれません。旅によって大雅作品の三次元的表現が担保されたのだという通説を完全否定することはむずかしいとしても、直接的に結びつけることには再考の余地があるように思われ始めました。

古典からのイマジネーションによって豊かな空間性を生み出すことは、絶対不可能なことでしょうか。たとえば、起承から転へ、想像力によって広げられる漢詩の構成が、触媒のように作用した可能性だって考えられるでしょう。

もしこれが認められるなら、大雅は知性の画家であったことになります。もちろん画家であって学者ではないわけですから、知性だけであるはずもなく、感性も重要な位置を占めていることは、改めて指摘するまでもありません。

2018年5月21日月曜日

京都国立博物館「池大雅」2


見終わったとき僕は、これまでとちょっと異なる大雅像が胸中に焦点を結ぶのを感じました。これまで大雅は、キャッチコピーにあるごとく「旅の画家」と考えられてきました。これは否定できない事実です。

しかし、旅という実体験の前に、中国の自然と文化への憧憬とそこに胚胎したイマジネーションがあったのではないでしょうか。もしそうだったとすれば、見ることも直接触れることも叶わない中国の自然と文化に対する憧憬は、どのようにして生まれたのでしょうか。それは中国の古典によって、つまり文字の力によって醸成されたのではないかという思いが、会場を巡るうちに段々と強くなってきたのです。

7歳にして、黄檗山万福寺12世杲堂元昶や丈持大梅の前で大字を披露し、「七歳の神童」とたたえられたのは、きわめて象徴的です。大雅が画家であるとともに、書家であった事実も忘れることができません。

2018年5月20日日曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯7


日本でも大名屋敷などの発掘をすると、幕末明治の地層から出土することがあり、幕末期に日本へ輸入された伝世品も多くあることから、日本の陶磁史研究者の間でも比較的よく知られているそうです。

なぁ~んだ――僕が知らなかっただけのことだったんです(笑) 専門的な図録もオランダやイギリスで出版されており、日本が輸入したペトルス・レグート窯作品については、岡泰正さんにより研究され発表されているそうです。これまた、まったく知りませんでした。

桜庭さんはネットサーフィンで見つけたお皿の写真も送ってくれましたが、僕の「カップ&ソーサー」の図柄とまったく同じなんです!! 「やったー」と思いましたが、よく見ると、僕のは全体にメリハリがなくて、線もちょっと鈍く、細かいところが省略されちゃっています。おそらくペトルス・レグート窯でも、量産された二番手の作品だったのでしょう。でも、柿ピーやイカクンやチーカマには、僕の方がピッタリなのだ――普通こういうのを負け惜しみというのかな?

2018年5月19日土曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯6


ウィキペディアをはじめ、みなオランダ語なのでよく分からないのだが、ともかくも150年ほど前の阿蘭陀アンティークだったのである。当時ヨーロッパを席捲していたジャポニスムに便乗して、この会社が売り出した輸出用安物陶器だったのではないだろうか。

 酷暑のなか、ようやくこのエッセーを書き終えた今夜は、「わが愛する三点」で祝杯を挙げることにしよう。

 以上が『國華清話会会報』に書いた駄文ですが、これを読んでくれた国立歴史博物館の桜庭美咲さんから、貴重な情報が寄せられました。桜庭さんは西洋陶磁や日本の輸出陶器を専門とし、現在は美術大学で教鞭をとっていますが、僕も國華社でとてもお世話になった研究者です。

桜庭さんによると、僕の「中国風俗カップ&ソーサー」を製作したのは、確かにオランダのダマストリヒトにあるペトルス・レグート窯で、この窯は1836年に設立され、1899年まで操業を続けたそうです。「ペトルス・レグート」と表記するのがいいようですが、銅版転写という絵付けプリント技法で有名な陶磁器工房とのことです。



2018年5月18日金曜日

京都国立博物館「池大雅」1


京都国立博物館「池大雅 天衣無縫の旅の画家」<520日まで>(516日)

 尊敬して止まない文人画家の一人、池大雅の魅力をたっぷりと味わわせてくれた特別展でした。チラシには、「天才南画家、85年ぶりの大回顧展!」とうたわれています。昭和8年(1933)、恩賜京都博物館――つまり現在の京都国立博物館で開催された「池大雅遺墨展覧会」以来の、大回顧展なんです。

これまで3つほど大雅に関する拙文を書いたことのある僕としては、すぐにも飛んでいきたかったのですが、雑用に紛れて一日延ばしにしているうちに、終了4日前となってしまいました。しかし、先の「池大雅遺墨展」を上回る最大規模の大雅展を、ゆっくりそしてじっくり鑑賞することができました。去年ここで開かれ、62万人を集めたという「国宝展」だったら、とてもこうはいかなかったでしょう。

担当したキューレーター・福士雄也さんの緻密な研究成果が、随所に垣間見られる質量ともに傑出した大雅展に仕上がっています。

まだの方は、急ぎ京都国立博物館へ!!

2018年5月17日木曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯5


 「中国風俗カップ&ソーサー」は、2001年の夏、僕のコレクションに加わった。その3年前の夏休みから始まった「ボストン美術館所蔵日本絵画悉皆調査」も最終回を迎えたが、例年のごとく、真ん中の週末にニコル・クーリッジさんのスクワム湖サマー・ハウスへ遊びにいった。辻惟雄さんと佐藤康宏さんも一緒で、カヤックに乗ったりして愉快な一日を過ごした。

翌日は車でセンター・サンドィッチへ買い物に出かけたが、その中のショップでこれに出会ったのである。明らかに西洋人がイメージした中国風俗の印判手で、シノワズリーのような感覚がおもしろい。コーヒー茶碗だが、僕は一杯飲むときにソーサーだけをツマミ用小皿にずっと愛用してきた。柿ピー、イカクン、チーカマ、何でもよく合う。

裏には、”Petrus Regout & Co. MAASTRICHT , PAJONG, MADE IN HOLLAND”という窯名がある。こりゃ何だろうなぁと思っていたが、ネットをやるようになってから検索してみて驚いた。ペトラス・レグとは、19世紀に活躍したオランダ陶磁会社の創立者であり、また有名な政治家だったらしい。

2018年5月16日水曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯4


清朝・康熙年間、景徳鎮官窯で焼成された組物の碗で、それぞれの月の花に、唐詩から引用した七言二句が添えられている。中国では、明代末期から旧暦2月中旬のお節句「花朝」がはやり始めた。これは各月の花の神様――花神に捧げる祭礼で、この碗はその時に使われたともいう。

日本では、出光美術館と静嘉堂文庫美術館に揃いの絶品がある。僕のはもちろんずっと下るコピーで、1月の一字を間違えているところがご愛嬌だが、なかなかよくできていて、紹興酒にも日本酒にもよく合う。詩句はほとんどが『全唐詩』から採られており、1月もそれに載る白楽天の「迎春花を玩んで楊郎中に贈る」だという。僕の戯訳で紹介することにしよう。

  春まだ寒くふるえてる 金の花房 翠[あお]い萼[がく]
  黄色い花はいろいろと あるけど黄梅ナンバーワン
  旅立つ君に贈りたい 「老眼? 気にすな!」花眼とも
  いうから花だけ見てほしい 無粋な蕪[かぶ]など目もくれず

2018年5月15日火曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯3


パリにさよならを告げる日、朝食後マドレーヌ広場のあたりを散歩していると、小さなアンティーク・ショップの店先にこれが並んでいたのである。何に使うものか知らないが、僕には徳利以外の何ものにも見えなかった。ジャスト一合、夏は冷酒、冬はお燗、パリだけでなく、南仏も一緒によみがえる。

「十二か月花卉文碗」には、1996年、北京で出会った。あの忘れることができない1989年に続いて、再び北京日本学研究センターの講師として出かけた時である。ある日、自転車で西単の慶豊包子まで食べに出かけた。そのあと王府井のあたりを冷やかしていると、ある工芸品店でこれを売っていたのである。

もちろん煎茶碗(茗碗)であるが、一杯やるのにちょうどいい。以前、瑠璃廠[ルーリーチャン]12客揃いを見たことがあったが、当然かなり高かった。ところが、ここではばら売りをしている。僕は1月と12月を選んで、しっかりと包んでもらった。

2018年5月14日月曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯2


みんな海外調査の際に買い求めたアンティーク――と言うよりジャンクである。ジャンクであっても、これで一杯やれば、その時の想い出が、まるで昨日のことのようによみがえってくる。もうこの歳になると、明日も全力で頑張ろうなどと思ってガンガンやるよりも、過去の思い出に浸りながら、チビチビやる方がずっと楽しい。

 「錫の徳利」は1992年パリで手に入れた。この年の7月、成田空港からモスクワ経由でウィーンに飛んだ。その頃、いま『國華』主幹をつとめる小林忠さんが、講談社から『秘蔵日本美術大観』という豪華図録のシリーズを刊行しつつあった。その「ウィーン工芸博物館」と「ギメ美術館」の編集を、僕に回してくれたのである。

まずウィーンの調査が終わると、僕だけベルリンに飛び、国際美術史学会(CIHA)に出て司会役をやった。それが終わるとパリに向かい、小林さんと一緒にギメ美術館の調査を開始した。それが終わると、すでに来ていた家族と合流し、パリと南仏を楽しんだ。それまでいつも一人旅だったから、初めての海外家族旅行である。


2018年5月13日日曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯1


 ゴールデンウィークには、実にたくさんの方々にご来館いただきました。ありがとうございます。まだの方には、ぜひ静嘉堂文庫美術館まで足を運んでいただき、特別出品の「曜変天目」とともに、我が館が誇る酒気の美に酔って欲しいなぁと祈念しています。

さて、美術雑誌『國華』については、いま東京国立博物館で開催中の特別展「國華創刊130周年記念 名作誕生」の紹介を含めて、何度もアップしたところです。この『國華』が主宰するハイグレード美術愛好クラブ()に、國華清話会があります。その会報誌に、「私の愛する三点」という連載エッセーのページが用意されているのですが、そこに「ジャンクで一杯!?」と題して寄稿したことがあります。

結構おもしろい駄文に仕上がったと自負しているのですが、何といっても発行部数の少ない会報誌のことゆえ、たくさんの饒舌館長ファン()やフェイスブック・フレンドにも読んでいただきたいなぁと思ってきました。ちょうど「酒器の美に酔う」にもふさわしいエッセーですので、後日談を加えてここに改めてアップすることにしました。よろしくご笑覧のほどを……。

2018年5月12日土曜日

根津美術館「光琳と乾山」7


  カマキリ車道に斧かざし 立ちふさがってもしょせん無駄

  ホタル現われ尻の火を 誇ってみても夜だけだ

 「徳利さげろ」と鳴く鳥は お酒を買えとはやすけど

  口ばし黄色い子スズメは 飯粒求めて騒ぐだけ

  モズは激しく鳴くけれど だれも無視して顧みず

  オームは人語をしゃべるから つかまえられて籠のなか

  春のカエルや夏に鳴く ヒグラシひどくかまびすし

  それに引きかえミミズ・シミ なんと静かなことだろう

  江南流れる川水は 蒼天よりもなお青く

  狎[]れたカモメがのんびりと 浮かんでるさま俺に似る

2018年5月11日金曜日

根津美術館「光琳と乾山」6


  屋根でついばむミミズクは 不思議な力持っており

  アシダカグモが吉兆を 告げれば必ず顕われる

  魚やエビをとるチャンス 密かにうかがう鵜は黒く

  輝くようなシラサギは 塵やあくたを寄せつけず

  機[はた]織るようにキリギリス 鳴くが機など見も知らず

 「種まけ」と鳴くカッコウも 種まきしたこと絶えてなし

  器用貧乏ムササビが 笑う子育て下手なハト

  100本足のムカデたち 嗤う「あしなえスッポン」と

  老いたハマグリ体内に できた真珠が邪魔となり

  棲んでる小虫にゃ酒がめの なかが天地さ でっかいぞ

2018年5月10日木曜日

根津美術館「光琳と乾山」5


  熱く風呂沸きゃ流されて 死ぬのにシラミまだ血を吸う

  宮殿落成――スズメたち 新築祝いで盛り上がる

  カゲロウ羽をふるわせて 天気よき日を満喫し

  ジガバチのろいを洞穴[ほらあな]で 青虫にかけ我が子とす

  フンコロガシは糞が好き 蘇合(上質の香料)なんかにゃ目もくれず

  蛾はともし火が大好きで 飛び込み死んでも悔いやせぬ

  たらふくスモモを井戸端で…… 肥満に苦しむキクイムシ

  樹上で露をなめるだけ セミはいつでも空きっ腹

  オケラ隙間に潜んでて 人の言葉を書き写し

  口中 砂を含みつつ 人影待ってる射工虫


2018年5月9日水曜日

根津美術館「光琳と乾山」4


   自分で糸吐きみずからを しばってしまうおカイコさん

  クモは巧みに網を張り ほかの奴らをつかまえる

  ツバメは棲むべきところなく 巣作り始めりゃ超繁忙

  風と光に魅了され 春を楽しむ蝶の群れ

  老いたマナヅル石運び 水飲むための池作り

  若いミツバチお役所に 蜂蜜納める 税として

  吉報伝えるカササギは どうして暇が得られよう

  早起きうながすニワトリも ゆっくり寝てることできず

  駿馬の尾にハエしがみつき 一瀉千里の心意気

  回る臼とは反対に 歩いて一生終わるアリ

2018年5月8日火曜日

台北当代芸術館「晃影 スティーブ・マッカリー」展


台北当代芸術館「晃影 スティーブ・マッカリー」展

 台湾国家図書館85周年記念国際シンポジウムは21日で終り、翌22日は飛行機の出発まで時間があったので、これまた潘さんに泊めてもらった豪華ホテルのリージェントからブラブラ歩いて、台北当代芸術館へ出かけてみました。日本統治時代に建てられたレンガ造りの小学校を改造した、とてもおしゃれな美術館です。

着いてみると、「スティーブ・マッカリー写真展」をやっているではありませんか。看板には大きく、「史帝夫・麦柯里」と書いてあったので、はじめはまったく分かりませんでしたが……。かの『ナショナル・ジオグラフィック』の表紙ナンバーワンに選ばれたという「アフガンの少女」で有名な写真家です。直接『ナショナル・ジオグラフィック』に触れたわけじゃありませんが、何であれ、一度見たら絶対忘れられない写真ですね。

2014年早春、横浜の三渓園でその写真展が開かれたことがあります。案内をいただいたので見に行こうと思いましたが、京都美術工芸大学へつとめる直前で、バタバタしているうちに終わっちゃいました。それが偶然にも、台北で見られたんです(!?)

マッカリーは広い意味でドキュメンタリー写真家だと思いますが、作品に美を求める志向が強く、絵画における構想画に近い感覚があるように感じられて、とても興味を掻き立てられたことでした。



2018年5月7日月曜日

根津美術館「光琳と乾山」3


しかし、もうちょっと鑑賞を深化させてみたいとお望みの方は、いまや乾山と始興のコラボレーション作品と確定された「銹絵蘭図角皿」に目を留めて、野口さんの簡にして要を得たキャプションを読んでいただきたいのです。

ちょうどこの日、野口さんとスペシャルトークを行なう予定の学習院大学・荒川正明さんと、会場入り口でお会いしました。拙文集にも収めた「乾山と光琳――兄弟逆転試論――」がとても示唆的だったとヨイショされたので、そのオチとして最後の4句のみを引用した黄山谷の七言詩「演雅」を、戯訳でここに全部掲げておくことにしましょう。

これをオチに使ったのは、光琳・乾山合作の名品に「銹絵黄山谷観鴎図角皿」(東京国立博物館蔵)があって、この主題も弟の乾山が兄の光琳に教えてやったものだろうと、愚考したからです。

今回は『中国詩人選集』第2集によりましたが、この編者も尊敬する荒井健さんです。荒井さんによると、「演雅」は黄山谷の自然に対する態度をうかがうべき、最適の作品だそうです。なお、最後の「狎鴎」が「白鴎」となっているバージョンもあって、拙文ではこちらを使いました。この方が直前の「碧於天」とよく呼応するように思われたためですが、ここでは『中国詩人選集』にしたがうことにしました。

2018年5月6日日曜日

台湾国家図書館85周年記念国際シンポジウム3


最近では、有名な文学者にして古典文学研究家であった施蟄存旧蔵の金石碑拓本帖をコレクションに加え、これをみずから編集して『施蟄存北窗碑帖選萃』として出版されました。僕も一冊プレゼントされたので、このごろ一杯やりながらページを繰ります。内容はよく分からないまでも、古代中国の豊饒なる漢字世界が眼前に広がり、時空を超えて僕を北魏や隋唐に連れていってくれるのです。

20日は故宮博物院の見学にあてられました。僕がはじめてお邪魔したのは1970年、それから半世紀近くが経ってしまいました。その間、飛躍的に入館者が増えたことは目の当たりにしていましたが、今回、しばらくぶりで訪ねると、動画を含め、積極的にデジタルイメージを取り入れている点に、これからの美術館が進むべき一つの道を感じたことでした。

絵画室は「偽好物」と題して、コピーでは色彩効果が強められる傾向があることを指摘する意欲的展示となっていました。これには畏友・板倉聖哲さんが協力していることも、特記しておきましょう。21日は宜蘭にある国立伝統芸術センターへのバス旅行――潘さんをはじめとする台湾の方々の温かいおもてなしに、いくら感謝を捧げても捧げ足りない思いでした。

2018年5月5日土曜日

根津美術館「光琳と乾山」2


これまで素信なる画家が描いたのは、もっぱら蘭の絵であると考えられてきましたし、もちろん僕もそう思ってきました。これを最初に指摘した相見香雨先生は、この素信が渡辺始興である可能性が強いことを指摘しましたが、実証にはいたりませんでした。

ところが野口さんは、この「一連」というのが絵ではなく、表に書かれた五言二句の「一聯」であることを見抜き、いまは失われてしまった始興筆「山水図」の自賛と比較することによって、可能性に止まっていた始興素信同一人説をついに証明したのです。琳派研究史上の快挙です!! 

もちろん、こういうことにあまり関心のない方は、光琳の「燕子花図屏風」と乾山の「銹絵染付金彩絵替土器皿」という、根津美術館がほこる天才兄弟の二大名品に酔いしれるだけで、至福の一時を楽しむことができるでしょう。それはそれで、すばらしい美術鑑賞です。

2018年5月4日金曜日

台湾国家図書館85周年記念国際シンポジウム2


国家図書館の曾館長をはじめ、大英図書館のモンゴーニさん、カリフォルニア大学バークレー校図書館の周さん、アメリカ国会図書館の邵さんなど、皆さんクラウド時代にふさわしいお話なのに、僕のはもっぱら両文庫の誕生と歴史でしたから、ちょっと場違いな感じがぬぐえませんでした。

しかしいま丸善雄松堂から販売中の「静嘉堂文庫所蔵宋元版 マイクロフィルム+オンライン版」には、とくに台湾の方々から大きな注目が集まったことでした。

このシンポジウムのチェアマンにしてスポンサーをつとめてくださったのは、泛太平洋集団を率いる潘思源さんでした。潘さんは実業家として大成功をおさめた方ですが、僕が心を深く動かされたのは、文化を胸底から愛する教養人――中国の古い言葉でいえば読書人であることでした。だからこそこのシンポジウムを主催してくれたわけですが、それだけではなく、潘さん自身、中国古典籍の大コレクターなのです。

しばしば日本を訪れて、みずから古書店を回りながらコレクションを続けており、本名の「潘思源」という名刺のほかに「古本一郎」、つまり「ふるもといちろう」という名刺をお持ちなのです。日本へ行く時は、プライベートジェットでというのが、やはり並みの古書マニアとちょっとちがうのですが……。

2018年5月3日木曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」イベント‼


静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」<617日まで>イベント!!52日)

 わが静嘉堂文庫美術館で開催中の企画展「酒器の美に酔う」の人気は、日増しに高まっています。ディレクターとして、こんなうれしいことはありません。今回は天下の「曜変天目」も特別出陳にして、反射のまったくない新しいガラスケースで見ていただくことにしました。両者の相乗効果でしょう、皆さんから寄せられるのは、絶賛のオマージュばかりです(!?) 

 何といっても今回のテーマはお酒ですから、お酒にちなむ楽しいイベントをたくさん用意しました。お酒は楽しくなるためにいただく天の美禄、楽しくなければ、酒器の美に酔うこともできません。

すでに先日、メディア内覧会の鏡開きについてはアップしましたが、ゴールデンウィークのために用意したのが、「ビアガーデンとカフェが美術館にやってくる!! 静嘉堂ガーデン~GWに二子玉ビールを楽しもう~」です。二子玉川の地ビールと、地産池消のおいしいフードやスイーツを、美術と一緒に堪能していただこうという企画です。

もちろん「饒舌館長」変じて「上戸館長」となった僕も、試飲しないわけにいきません。ギンモクセイの下にしつらえられたお洒落な白い椅子に腰をおろして、オススメの「フタコエール」を口に含めば、着任以来の夢が実現した喜びが、胃の腑に染み渡ります。

明日3(祝日)は木内酒造の女性ソムリエ・中村幸代さんの「テイスティング付き日本酒入門講座」、6()は、大活躍中の陶芸家・小山耕一さんの「ぐいのみ作りワークショップ」と、イベントは盛りだくさんです。皆さん、ぜひ静嘉堂文庫美術館へ!! 

根津美術館「光琳と乾山」1


根津美術館「光琳と乾山 芸術家兄弟 響き合う美意識」<513日まで>(428日)

 
 根津美術館キューレーター野口剛さんが企画した、ゴールデンウィークにオススメの特別展です。副題にあるとおり、天才的兄弟の響きあう美意識が自然と感得されるように、とてもうまく作品が選択され、構成されています。

3年前、琳派に関する拙文を集めて『琳派』を出したとき、「響きあう美」という副題をつけました。琳派絵師の美意識は、おたがいによく響きあうものでしたが、光琳と乾山における交響がもっとも顕著であったことは、改めていうまでもありません。この特別展に、静嘉堂文庫美術館が誇る光琳筆「鵜飼図」が選ばれたことも、じつにうれしいことでした。

しかし、この特別展の素晴らしさは、それだけじゃありません。野口さんの研究成果が、ちゃんと反映されていることなんです。この構成自体が成果ですが、研究的立場からいうと、始興素信同一人説が実証されたことが特筆されます。根津美術館所蔵の乾山作「銹絵蘭図角皿」の裏には、「表の一連は画師である渡辺素信が私に代わって書いた」という意味のことが、乾山の字で書かれています。

2018年5月2日水曜日

台湾国家図書館85周年記念国際シンポジウム1


台湾国家図書館85周年記念国際シンポジウム「クラウド時代における古典籍の再評価と新研究」<418日~21日>

 去年、台湾国家図書館から招待状をもらったので、これはグッドチャンスだと思い、静嘉堂文庫と東洋文庫の紹介――有り体にいえば宣伝をやらせてもらうことにしました。英語か中国語でやってくれというので、初めての中国語発表にチャレンジしようかなと思いましたが、ヤハリ自信がありません。

担当の林能山さんに頼んで友人のスマート・イチカワさんを紹介していただき、「静嘉堂文庫・東洋文庫古典籍コレクションとその保存公開」という日本語原稿を英語に翻訳してもらって出かけました。英語の翻訳ならやってできないことはありませんが、こういうシンポジウムで発表するには、ちょっと恥ずかしいシロモノしかできないので、お二人の厚情に甘えることにしました。

18日のオープニング・セレモニーと館内見学に続いて、19日がシンポジウムの日です。なぜか僕がトップバッターだったので、柄にもなく、ちょっと緊張しないわけではありませんでしたが、用意した原稿を半分くらいに削って、持ち時間の30分でなんとか終えることができました。

2018年5月1日火曜日

横浜美術館「ヌード」15


我が国で「黒田清輝西洋婦人像腰巻事件」が起ったのとちょうど同じころ、イギリスでは「ロダン接吻腰巻事件」が勃発していたのです。もっとも後者の場合には、腰巻じゃなく、完全にすっぽりと覆うテントだったようですが……。本来の目論見は、この猥褻であり卑猥と感じられる美術を、布で隠してしまうという共通する行為を比較検討することにあったのですが、ブログとしてはあまりに長くなってしまいました。他日を期して、今回はこの辺で終りとすることにしましょう。

いうまでもありませんが、この「饒舌館長」でいう「ヌード」は、美術史における「ヌード」です。『新潮世界美術辞典』に「ヌード」を求めると、「裸体画、裸体像。裸の人間または人間態をした神や悪魔を表現した絵画や彫刻。また裸体そのもの、とくに裸婦をさす。身体の一部を衣服で覆ったものも含まれる」とあります。

しかし僕は、裸体画や裸体像に限定して使い、裸体そのものはなるべく「ヌード」といわない方がベターだと思います。有名なケネス・クラークの『ザ・ヌード 裸体芸術論』が、”nude””naked”を区別したように……。しかし厳密に分けることは、対象が対象だけに、ヤハリむずかしいかな()

出光美術館「トプカプ・出光競演展」2

  一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。  日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...