敬愛してやまない芳賀徹先生が
2月
20日、享年
88でお亡くなりになりました。ご逝去を悼むとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
一昨年、先生はライフワークともいうべき武陵桃源論をおまとめになり、『桃源の水脈 東アジア詩画の比較文化史』を名古屋大学出版会からお出しになりました。僕が「饒舌館長」でオマージュを捧げたことは、いうまでもありません。その後、僕は日本経済新聞からその書評を頼まれました。今度はブログなんかじゃ~ありません。再読させていただき、力を込めて書いたつもりです。もちろん恥ずかしい拙文ですが、先生から頂戴したお礼のお手紙に意を強くして、ここに再録いたしたく存じます。
私が愛して止まない文人画家である池大雅も与謝蕪村も岡田米山人も、素晴らしい武陵桃源図を描き遺してくれた。これらについて考えたり、書いたり、しゃべったりする時、必ず開いたのが、芳賀徹氏の武陵桃源に関する論考だった。氏が論文「桃源郷の詩的空間」を東大比較文学会の紀要に発表したのは
1977年、以後
40年以上にわたる研究を集大成したのが本書である。ライフワークと称えられるべき成果であるが、今回書き下ろされた章が少なくない。研究者としての衰えぬ情熱に感を深くする。早速に私は、マイブログ「饒舌館長」にオマージュを捧げたのだった。
もちろん、東洋の理想郷である武陵桃源については、古くから考察が行なわれてきたし、その根本文献ともいうべき陶淵明の「桃花源記」についても解説が施されてきた。しかし氏の論考は、それらと一線を画する。例えば、いかにも氏らしく「腑分け」と称する「桃花源記」の読みについても、その鋭さと深さに感動を覚えないものはいないであろう。
夢想つまり創造力喚起力を分析し、老子的小国寡民礼讃から田園平和への大転換を指摘し、近代的ユートピアの窮屈さを対比的に浮かび上がらせるところなど、まさに眼からウロコだ。桃源郷では外界と同じ時間が流れているのだが、ここにリップ・ヴァンウィンクルを登場させる。いかにも氏らしい。「鶏を殺して食を作す」とある料理法については、郭沫若もまったく触れていないそうだが、これも氏の発見である。
とくに美術史家をもって任じる私にとって、十五世紀朝鮮絵画の傑作である安堅の「夢遊桃源図」から清・査士標の「桃源図巻」に至る「水脈」追跡の痛快さは、胸のすく思いであった。さらに新井白石や蕪村、上田秋成らの作品を丹念に読み込むことによって、氏が提唱する「パクス・トクガワーナ」を桃源の色に染めていく。こうして桃源郷は東アジア人の心理に、無限の郷愁と憧憬を呼び起こすことになる。二十世紀西洋近代のユートピアはきわめて管理的な社会であり、その瓦解とともに、トポスとしての桃源はさらに耀きを増しているという。
しかと腑に落ちるが、むしろ東アジアの桃源が瓦解しようとしている今日、このような書が世に問われたことの意味は、想像を超えて大きい。是非とも一読を勧めたいゆえんだが、全部を読破するには可なりのエネルギーが必要である。興味を引く一章から、拾い読みしていくのがベストだ。