2023年9月10日日曜日

浦上玉堂『國華』特集号6

 

画面上部に七言律詩の賛と款記があります。その年の陰暦816日の夜、中川修亭が琴を携えて、京都東山の小さな家に住んでいた玉堂を訪ねてきました。十六夜いざよいの月を愛でながら、修亭は詩を詠み、玉堂はそれに合わせて琴を奏しました。あるいは修亭の詩の韻に合わせて、この七言律詩を作ったのかもしれません。

修亭は麻酔手術で有名な華岡青洲とも交流した、漢方と西洋医学を兼ね備えたお医者さんでした。修亭は文化10年(1813)版『平安人物志』にも挙げられており、当時京都で活躍していたことが分かります。この紳士録には玉堂も載っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿

サントリー美術館「NEGORO」12

   この狩場明神に導かれた弘法大師が、紀伊国境を流れる吉野川のあたりにたどり着いたとき出現したのが丹生明神です。丹生明神はその山域の地主神で、大師に高野の地を示して差し出したと弘法大師伝に書かれているそうです。 丹生明神はイザナギとイザナミの娘ともされる女神ですが、本図では十二...