2025年9月4日木曜日

東京国立博物館「江戸☆大奥」6

先に「リアリズム」といいましたが、キャプションによると、実際とは異なる描写も含まれているそうです。例えば、17日に鏡餅を下男が曳き歩く「鏡餅曳」を大奥の女性たちが見物していますが、これはフェイクで実際は見物などしなかったそうです。また正月の「追羽根」では女性たちがこれに遊び興じていますが、大奥で羽根をつくことはなかったらしいのです。しかし楊洲周延は――というより版元の福田初次郎は、商売上どうしてもこれらを入れたかったのでしょう。

刊行されたのは明治27(1894)から翌々年にかけてでしたが、ちょうど日清戦争と重なっていることがとても興味深く思われました。明治のはじめは欧化思想全盛の時代でしたが、10年代に入るとそれへの反省が徐々に起こって、古き歴史を誇る大日本が強く意識されるようになりました。

2025年9月3日水曜日

東京国立博物館「江戸☆大奥」5

幕末には浮世絵師としての活動を開始していますが、幕府vs官軍の戦いに幕府方として身を投じ一時中断、明治10年ごろふたたび絵師の生活に戻りました。この時代の報道画をはじめとして、さまざまなテーマに縦横の腕を揮いましたが、その代表作とたたえられるのが「千代田の大奥」にほかなりません。

江戸時代には描くことができなかった江戸城(千代田城)大奥における女性たちの生活や風俗、あるいは月次の行事や遊びを、江戸の浮世絵とは異なる、いかにも近代らしいリアリズムで描写、洛陽の紙価を高めたのでした。5枚続きを含む全39点からなる大シリーズで、のちに将軍や旗本の1年を描いた「千代田の御表」とペアーをなしています。「千代田の大奥」全場面一挙公開!――というのも、本展のメダマです。


2025年9月2日火曜日

東京国立博物館「江戸☆大奥」4

しかし何かサブタイトルが欲しいですね!! 饒舌館長だったら、「徳川家光・鷹司孝子結婚400年記念」と銘打ちます。鷹司家から出た孝子が、のちの3代将軍家光と婚姻を結び正室になったのは1625年、今年はその400年という節目の年に当たっているからです。もっとも孝子は家光との関係がこじれたため、ほどなく別居状態となり、大奥からも追い出されて城内の別邸で暮らしたそうですから、サブタイトルにはあまりふさわしくないかな( ´艸`)

「僕の一点」は楊洲周延(18381912)の「千代田の大奥」ですね。楊洲周延は初め歌川国芳、三代歌川豊国に就いたようですが、豊原国周の門に転じで「周延」の号を与えられていますから、国周の弟子というべきでしょう。

追記 今朝、森銑三先生の『偉人暦』を読んでいたら、今日9月2日は徳川14代将軍家茂に降嫁された和宮親子内親王の祥月命日であることを知りました。明治10年の今日、32歳でお亡くなりになったのです。森先生は「あの危難の時に当って、徳川家の大奥が些かの動揺を見なかったのは、一に宮のお力であったのだ」とお書きになっています。

 

2025年9月1日月曜日

東京国立博物館「江戸☆大奥」3


ですからドラマ10「大奥」で用いられた衣装が展示され、これまたドラマでお馴染みになったという「御鈴廊下」のセットが再現されてメダマの一つになっていました。ドラマ108代将軍・徳川吉宗役をつとめた冨永愛さんが、音声ガイドナビゲーターを買って出ているのもコラボ展だからなのでしょう。

ちなみに冨永愛さんが吉宗を演じたのは、このドラマが、よしながふみさんのマンガ「大奥」をもとにしているからです。このマンガが男女逆転という意表をつく構成によって大ヒットしたことは、改めていうまでもないでしょう。

しかし表向きコラボ展であることをどこにも謳っていないのは、放映からチョッと時間が経ってしまったからなのかな? アヤメやキクを優雅に観賞していた大奥の女性たちから、「6日のアヤメ、10日のキクじゃないの」と笑われることを恐れたのかな´艸`) 

 

東京国立博物館「江戸☆大奥」6

先に「リアリズム」といいましたが、キャプションによると、実際とは異なる描写も含まれているそうです。例えば、 1 月 7 日に鏡餅を下男が曳き歩く「鏡餅曳」を大奥の女性たちが見物していますが、これはフェイクで実際は見物などしなかったそうです。また正月の「追羽根」では女性たちがこれに...