先に「リアリズム」といいましたが、キャプションによると、実際とは異なる描写も含まれているそうです。例えば、1月7日に鏡餅を下男が曳き歩く「鏡餅曳」を大奥の女性たちが見物していますが、これはフェイクで実際は見物などしなかったそうです。また正月の「追羽根」では女性たちがこれに遊び興じていますが、大奥で羽根をつくことはなかったらしいのです。しかし楊洲周延は――というより版元の福田初次郎は、商売上どうしてもこれらを入れたかったのでしょう。
刊行されたのは明治27年(1894)から翌々年にかけてでしたが、ちょうど日清戦争と重なっていることがとても興味深く思われました。明治のはじめは欧化思想全盛の時代でしたが、10年代に入るとそれへの反省が徐々に起こって、古き歴史を誇る大日本が強く意識されるようになりました。