これはみな、虹をすばらしい吉祥、美しい気象と考えていたことの証拠となるでしょう。僕の経験でいえば、上海には虹橋国際空港があって、何回か利用したことがあります。もし縁起の悪いものとのみ考えられていたら、国際空港に「虹橋」などという名前をつけることは絶対にないでしょう。
しかし、聞一多が指摘するような虹をよくないものとする思想が同時にあった事実、しかもそれがかなり強かった事実を見逃すわけにはいきません。
しかしわが国において、虹を不吉視することはなく、むしろその美しさを素直にたたえてきました。山本健吉の『基本季語五〇〇選』によると、虹を詠んだ古歌は非常に少ないそうですが、そこに引かれた三首は、みな虹をすばらしい気象としているように思われます。
村雲のたえまの空に虹たちて時雨すぎぬるをちの山のは 藤原定家
虹のたつ麓の杉は雲に消えて峯より晴るる夕立の雨 前太宰大弐俊兼
虹の立つ峯より雨は晴れそめて麓の松をのぼるしらくも 藤原親行