2018年5月22日火曜日

京都国立博物館「池大雅」3


何よりも最初に、中国の古典によって、豊かなイメージの世界が培われていたのです。それは胸底の丘壑ならぬ、胸底の中国という心象でした。それを通してすべてのものを見るという視覚回路、あるいはさらに思考回路が出来上がっていたのです。

広く日本を歩き回った旅も、本当はそうしたかった中国旅行の代替行為だったのかもしれません。旅によって大雅作品の三次元的表現が担保されたのだという通説を完全否定することはむずかしいとしても、直接的に結びつけることには再考の余地があるように思われ始めました。

古典からのイマジネーションによって豊かな空間性を生み出すことは、絶対不可能なことでしょうか。たとえば、起承から転へ、想像力によって広げられる漢詩の構成が、触媒のように作用した可能性だって考えられるでしょう。

もしこれが認められるなら、大雅は知性の画家であったことになります。もちろん画家であって学者ではないわけですから、知性だけであるはずもなく、感性も重要な位置を占めていることは、改めて指摘するまでもありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿

太田記念美術館「鰭崎英朋」11

もっとも明治 40 年( 1907 )第 1 回文展には応募していますから、このころまでは会場芸術への色気というか、意欲もあったのでしょう。しかし突きつけられた「落選」という結果が、英朋に引導を渡すことになったにちがいありません。このようなサッパリとした江戸っ子気質も、「最後の浮...