2024年11月19日火曜日

追悼 高階秀爾先生14

この気風は無論近世に始まったものではない。従って既に明治以前からも、村里の生活にも浸潤して居た。村の経済の豊かな年には、農民はいつもこの「見られる祭」を美しくしようと心掛けつつ、しかも一方には彼等伝来の感覚、神様と祖先以来の御約束を、新たにしたいという願いを棄てなかった故に、勢い新旧の儀式の色々の組合せが起り、マツリには最も大規模なる祭礼を始めとして、大小幾つと無き階段を生ずることになり、一つの名を以て総括するのも無理なほど、さまざまの行事が含まれることになったのである。

 

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出光美術館(門司)「琳派の系譜」9

   ここで改めてこの蓋の松をみると、 松原や 松林のごとく松の木をずっと描き並べてあるわけじゃなく、はっきりと左右に分かれていることに気づきます。それはまるで遠く離れた高砂の松と住吉の松に見えてくるではありませんか。 右側が高砂の松、左側が住吉の松ということになるでしょう。 少...