茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである――と岡倉天心は喝破した。一九〇六年(明治三九年)、英文で『茶の本』を著わした天心は、その本質を「不完全なもの」を崇拝することに見出し、人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てだと規定した。
侘び茶の大成者千利休がまとめたと伝えられる利休百則にある「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて呑むばかりなり」という一条が茶道の根本であったとしても、天心はそこに哲学的あるいは近代的解釈を施して、欧米の知識人に茶道を理解せしめようと試みたのである。
いや、茶道を通して東洋を理解せしめようとしたと言った方が正しいであろう。近代的西欧思想の洗礼を受け、その信者として育ってきた我々も、天心を通して茶道を理解することになる。
0 件のコメント:
コメントを投稿