山本先生は「はじめに」において、静嘉堂文庫美術館で講演をお願いしたこともある山内昌之さんの論考を引きながら、我が大奥と宦官かんがんが重要な役割を担っていたオスマン帝国のハーレムを比較し、つぎのように指摘しています。じつに興味深い比較ですが、これは中国の後宮へと連想を呼び起こしてくれます。
というより、我が大奥も中国の後宮をもとに、日本化を加えた組織だったのではないでしょうか。ともども男系を守るために、必要不可欠であったんだと思います。なぜ西欧には後宮が存在しなかったのかも含めて、どなたか研究していただけませんでしょうか?
大奥では、女中たちの監督や世話まで女中があたったばかりか、大名家との交際や事務的な業務まで女中が担当した。つまり大奥は、将軍のハーレムという機能を一部持ちながら、全体としては将軍とその正室(御台所)の生活のための役所だったのである。
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