どうしても離れていなければならない二つの時点を同じ画面に持ちこむこと、たとえば、フランチェスコ・マッツオリが、サビニの処女たちをローマ人が掠奪する場面と、彼女らがその夫すなわちローマ人と、その親族すなわちサビニ人とを和解させる場面とを同一画面に持ちこみ、あるいはティツィアーノが、放蕩息子の物語の一部始終、すなわちその放埓な生活、その悲惨、その後悔をすべて同じ画面に描きこんでいるのは、詩人の領域への侵害であって、よき趣味はけっしてそれを是認しないであろう。
「異時同図法」という言葉は用いられていませんが、明らかにレッシングはそれを非難しているのです。
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