2020年1月31日金曜日

アーティゾン美術館「見えてくる光景」11

 
 ここで誰しも抱く疑問は、食料の確保に多くの時間を用意しなければならなかった縄文時代、いかなる目的のために、このような配石 遺構や環状列石が作られたかということであろう。この時代は意外に食料が豊かで、人口も少なく、採集狩猟にそれほどの時間は取られなかったと考える研究者もいるが、たとえ この仮定に立ったとしても、明確な目的がなければ、このような構造物を造るはずがない。 『展示図録』によれば、大きく分けて三つの 目的や機能が考えられているようである。
第一は、人を埋葬するための墓である。環状列石を形づくる配石 (組石)は、大小さまざまな石を1mから2m程度の径や辺のある形に配列したものである。この発掘を主導した斎藤忠氏も、配石の下にある穴を土壙墓とし、配石はその標識的なものとみなしている(『原色日本 の美術』1<原始美術>)

2020年1月30日木曜日

アーティゾン美術館「見えてくる光景」10


野中堂環状列石の規模は径42m、万座環状列石は径48m、合計の90mが両列石間の距離という規則性があります。 環状列石を形づくる配石(組石)遺構は、内帯および外帯に一様に分布しているわけではなく、内帯が6群に、外帯は12または13群に群集しています。また、内帯内径の倍が内帯外径、内帯外径の3倍が外帯外径という整数倍の関係にあります。

二つの環状列石を形づくっている石の総数は、5000個から6000個に及ぶという。そのほとんどが石英閃緑羽岩で、遺跡から47kmも離れた安久谷川から運ばれたらしい。平均30kg、もっとも重いものだと200kg に及ぶ。『展示図録』は、これらが一年中随時運ばれたものではなく、橇が使える積雪期に運ばれた可能性を指摘しているが、いずれにせよ想像を絶するような労苦である。これまた想像を絶するような固い団結力が縄文人にあったとしても、 重労働であることには変わりない。

2020年1月29日水曜日

アーティゾン美術館「見えてくる光景」9


大湯環状列石は花輪から大湯へ向かう県道の 東西両側に広がっている。東側が野中堂配石遺構群、西側が万座配石遺構群であり、それぞれの中心に環状列石がある。考古学でいうクロムレックである。数列の立石からなるアリニュマンもあったにちがいないと思われたが、確認はできなかった。環状列石の構造と規模は重要な点であるから、大湯ストーンサークル館の『展示図録』から、そのまま引用しておこう。以下、基本的事実はほとんどこの『展示図録』によっている。

野中堂環状列石と万座環状列石は、ほぼ同一の構造で、いずれも12m規模の配石(組石)遺構100基以上が二重の環状に配置され、さらに内、外帯間の特殊な位置に「日時計状組石」1基がつくられています。また、万座環状列石の北、南、南南東には出入口があり、野中堂環状列石でも南、北北西方向の出入口が確認されています。

2020年1月28日火曜日

アーティゾン美術館「見えてくる光景」8


そこでは鹿角市教育委員会の大湯ストーンサ ークル館班長、藤井安正氏のお陰で、ゆっくりとすべてを観覧することができた。またたくさんのことを教えていただくことができた。 このようなわが国縄文遺跡を代表する大湯環状列石について、秋田の方々にはもっとよく知っていただきたいと思う。もっと誇りにしてもらいたいと思う。これなくして縄文時代の精神風土を理解することは不可能なのだ。その社会構造を推測することもできないのだ。

この遺跡が耕地整備中に発見されたのは、昭和6(1931) のことであるという。昭和26年には国の史跡、昭和31年には国の特別史跡に指定された。その後さらに発掘調査や整備事業が続けられ、平成14(2002)には体験学習施設、 大湯ストーンサークル館が開館し、多くの利用者を集めている。

2020年1月27日月曜日

アーティゾン美術館「見えてくる光景」7


大湯ストーンサークルにも深く心を動かされた僕は、そのあとすぐ美術館の紀要である『秋田美術』に、臆面もなく「秋田の美術によせて 原始美術」と題するエッセーを3回にもわたり書いてしまったんです。「臆面もなく」といいながら何ですが、その一部を臆面もなく紹介させていただくことにしましょう。

秋田にはすぐれた縄文時代の遺跡として、大湯の環状列石(ストーンサークル)がある。 私は一度是非見てみたいものだと思いながら、なかなかその機会に恵まれなかった。しかし去年の秋、ついに長年の夢がかなうことになった。鹿角市花輪の市民センターで、わが近代美術館の移動展を開くことになったからである。花輪からはそれほど遠くない。私は無理を言って時間を作ってもらい、開会式が済んでから案内してもらうことにした。

2020年1月26日日曜日

アーティゾン美術館「見えてくる光景」6


普通には許されない列石の中まで入れてもらい、国士舘大学の山本さんによる解説を聞きながら、僕は4000年前の巨石の肌を撫でていました。ドゥエイン・ロバーツさんという方も英語で説明してくれましたが、こちらの方はよく分かりませんでした(笑)ともかくも日本でいえば特別拝観で、その時の旅日記を引っ張り出してきてみると、「感動す!!」などと書いてあります。

というわけで、翌2004年の年賀状はストーンヘンジをモチーフにして作りましたが、このたびムアのリトグラフを見ると、やはりムアにはとても敵わないと思い知らされました(笑)その後、秋田県立近代美術館につとめた僕が、どうしても大湯ストーンサークルを実際に見てみたいと思ったのは、この時のストーンヘンジ体験があったからにほかなりません。

2020年1月25日土曜日

アーティゾン美術館「見えてくる光景」5



僕がストーンヘンジを見て、「すごいなぁ!!」と感じ入ったのは、2003612日のことでした。すでにアップしたことがあるように、この年初夏から夏にかけ、サバティカルイヤーを利用して、英国・ノリッジにあるセインズベリー日本芸術研究所で3ヶ月間を家族と過しました。お許しいただいた当時の所長さん、ニコル・ルマニエル・クーリッジさんには改めてお礼申し上げたいと思います。

ちょうどその時、イギリスとアイルランドを巡る国際縄文学会のツアーが企画されていたので、それに参加させてもらうことにしました。その前日は1768年創建というウィルトシャーのザ・キャッスル・ホテルに泊り、この日は5:30起床、用意されたバスにみんなで乗り込むと、ストーンヘンジへと向かいました。

富士山世界遺産センター「日本三霊山の砂防」5

さらに「逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも」というバージョンもあるそうです。つまり「あの子と逢う間の短さは玉の緒ほどにも及ばないのに、別れて恋しいことは、富士の高嶺に降る雪のように絶え間ないよ」となりますが、これじゃ~本展示とまったく関係なき一首になってしま...