この内藤湖南忠孝説を知って興味深いのは、我らが古代における殉葬(殉死した人を葬る儀式)の問題です。先に東京国立博物館特別展「はにわ」を紹介した際、和田晴吾『古墳と埴輪』<岩波新書>を紹介しましたが、本書によると弥生・古墳時代には確実な殉葬の例がないそうです。もちろんこれは見つかっていないという意味であって、絶対なかったとは断言できないでしょう。
事実、かの『魏志倭人伝』には、卑弥呼が死んだとき大いに冢つか・ちょうを作ったが、その径は100余歩、殉葬された奴婢は100余人であると書かれています。もっとも相手が卑弥呼ですから、この一節にもさまざまな解釈が唱えられていますが、殉死者がいたことは否定できないでしょう。しかし、確実な殉葬の例が見つかっていないという事実を重視すると、殉死はきわめて稀なケースであったのではないかと疑われます。
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