あるいは、フロイトのいう「超自我スーパーエゴ」なのでしょう。「民族の過去の伝統は超自我のイデオロギーの中に存在している」そうですが、江戸時代の教養人にとって、能謡曲は超自我みたいなものでした。今の言葉でいえばDNAでしょうか。超自我もDNAも確かに存在していますが、しかと意識される瞬間はないのです。
俵屋宗達の「松島図屏風」(フリーア美術館蔵)は、「高砂」のイメージを絵画化した作品であるというのが持論なのですが、それと比べるとずっと微弱な、あるかなきかの関係なのです。あるいは、そのように感じられるという方が、より一層正確かもしれません。しかしまったく無関係であったとは、9月26日、出光美術館(門司)で観て以来どうしても思えなくなってきているんです。

 
 
 
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