乾山も兄に劣らず能謡曲を嗜好していたわけですから、それをみずからの作品に取り入れることは「当たり前田のクラッカー」だったんです。しかし「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」の場合は、能謡曲の記憶や思い出がかすかに揺曳しているような作品と言った方が正しいでしょう。
それは「高砂」の本当にかすかな残り香、けっして聞こえることなく耳底にたゆたう謡の抑揚、ほとんど意識されることなく、心中に沈殿する「真之舞」の残滓とでもいったらよいでしょうか。
田村隆一「夢の中の逆夢」 詩は青春の文学だなんて後進国の 嘘 っ八だ 目がかすみ 耳が遠くなり 口からヨダレが たれてこなかったら 詩は生れない 詩の懐胎は消費人間の特権だ 文明のストックを喰いつぶせ
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