乾山も兄に劣らず能謡曲を嗜好していたわけですから、それをみずからの作品に取り入れることは「当たり前田のクラッカー」だったんです。しかし「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」の場合は、能謡曲の記憶や思い出がかすかに揺曳しているような作品と言った方が正しいでしょう。
それは「高砂」の本当にかすかな残り香、けっして聞こえることなく耳底にたゆたう謡の抑揚、ほとんど意識されることなく、心中に沈殿する「真之舞」の残滓とでもいったらよいでしょうか。
荻生徂徠「又 た 感懐の韻に次す(3) 」 豪華な宴席 照り映える 花に風さえ寒からず 才華あふれる詩や歌が 公 きみ の歓びたたえたり 今宵 梁園 思わせる この名園で雪見酒 かの応瑒 おうとう や徐幹 じょかん さえ 居るがごとくに盛り上がる *弟子の服部南郭...
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