恋川春町は絵も得意で鳥山石燕に入門しました。はじめは武士とともに絵師として生きることを望んだのです。その強い願望は、人気浮世絵師・勝川春章にあやかった「恋川春町」という戯作名に象徴されています。
『金々先生栄花夢』をはじめ、自作黄表紙の挿絵はほとんどみずから描き、朋誠堂喜三二のために挿絵を提供しているほどですから、栄之のように美人画浮世絵師として生きることもできたはずです。しかし春町は、結局それを潔よしとしなかったのでしょう。
このようにいろいろと考えてくると、『鸚鵡返文武二道』は長患いのため任に堪えず、死を予感した恋川春町が寛政改革に対する自己の気持ち――こんな改革は人間本来の生き方を抑圧するものだという見解を率直に述べた「遺書」だったような気がしてくるのです。
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