さらにその後、信雄のぶかつ(信長次男)に仕え、家康と秀吉の講和を調整するなど存在感を示したものの、信雄が改易されると今度は秀吉の御伽衆に加わります。関ヶ原の戦いでは東軍として参戦、戦後も豊臣家に仕えましたが、大坂夏の陣の前には家康の許可を得て主人から離れました。織田、豊臣、徳川の三天下人に仕えて時流を乗り切り、75歳までの長い人生を過ごした彼の心中には、どのような思いがあったのでしょうか。
さらに「逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも」というバージョンもあるそうです。つまり「あの子と逢う間の短さは玉の緒ほどにも及ばないのに、別れて恋しいことは、富士の高嶺に降る雪のように絶え間ないよ」となりますが、これじゃ~本展示とまったく関係なき一首になってしま...
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