しかし、多額の持参金こそ田原藩を今の窮状から救ってくれるのだ、それ以外の途はありえないとする現実主義が勝利を収めることになります。とはいえ、友信をずっと指導していた崋山には、彼のすぐれた才能と真率なる人柄が、よく分かっていたことでしょう。そうだとすれば、友信擁立は単に大義名分や東洋の仁義だけでなく、彼に対する人間的信頼に基づいていたことになります。
つまり友信と崋山は、現実主義の前に一敗地にまみれたわけです。佐藤昌介『渡辺崋山』(人物叢書)によれば、敗者となった友信は城内藤田丸に、崋山は藩校成章館に事実上軟禁されました。そのため崋山は一時自暴自棄におちいって、連日飲酒にふけったそうです。
「崋山先生、ヤケ酒は一番体に悪いんですよ!!」
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