100万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2022年9月11日日曜日

与謝野晶子私論7

 

鉄幹の男性的魅力と文学的思想に惹かれたためですが、晶子にはあえて幸福を捨てるという強い決意があったように思われてなりません。それはひとえに、すぐれた歌を詠むためだったのではないでしょうか。居心地のいい生活からは、けっして生まれなかったのです。

晶子は幸福をみずから断ったのです。苦難をすすんで求めたのです。すべては短歌のためでした。親が勧める手代の定七と結婚すれば、幸福は得られたでしょうが、『みだれ髪』は生まれなかったでしょう。それは晶子の弟子ともいうべき三ヶ島葭子よしこや岡本かの子にも、うかがわれるのではないでしょうか。

 今にして人に甘ゆる心あり永久とわに救はれがたきわれかも   葭子

 むづかゆく薄らつめたくやや痛きあてこすりをば聞く快さ   かの子


0 件のコメント:

コメントを投稿

饒舌館長の光琳論をヨイショしてくれた「光琳派」展が根津美術館で開催中です!! 12

   その棕櫚が「花木眞寫」に見出されることは、何と興味深いことだろうか。言うまでもなく「花木眞寫」は、豫樂院近衛家熙 (一六六七 ~ 一七三六)の筆になる植物寫生圖巻である。すでに源豊宗・北村四郎編『近衞豫樂院御畫 花木眞寫』(淡交社 一九七三年)が あつて 、私たちは大きな恩...