画面上部には、文化2年(1805)11月2日と推定される大田南畝の賛が加えられています。この日は朔旦冬至さくたんとうじの翌日でした。朔旦冬至というのは、陰暦の11月1日がちょうど冬至に当たる日のことで、19年に一度しか巡ってこないお目出度い日だそうです。
文化2年が朔旦冬至であったかどうか確証は得られないのですが、19年前の天明6年(1786)は確かに朔旦冬至だったので、文化2年が天文学上の朔旦冬至であったことはほぼ確実だと思われます。平成26年(2014)が朔旦冬至の年であったことは記憶に新しいところですが、これから逆算しても文化2年が朔旦冬至の年となるからです。もう僕には関係ありませんが、次の朔旦冬至は2033年のはずです。
0 件のコメント:
コメントを投稿