2021年1月22日金曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」3

 

 10歳で団十郎を襲名した8代目は、若くして天才的な演技をみせましたが、とくにイケメン中のイケメンで、江戸市民から熱狂的に迎えられました。「助六」の舞台で団十郎が入った桶の水を、美顔水として売り出すと、ものすごい人気を集めたと伝えられています。ところが嘉永7(1854)86日、旅先の大阪で自死を遂げてしまうのです。享年32、その理由は謎だそうです。

平凡社版『歌舞伎事典』には、天性の華やかさと美貌を生かした児雷也や切られ与三郎などの当たり芸を残したとあります。またカタログによると、死絵が300種以上も出たそうで、「僕の一点」もそのうちの1枚なのでしょう。賛者は歌川国芳のパトロンとして有名な狂歌師・梅の屋鶴寿でしょう。「牡丹」は市川家の替紋である杏葉牡丹を指すと思われますが、「ひさごのつるの林」とは? ご教示をお待ちいたしております。

*早速、以前アップしたことがある中村奨学会の中村眞彦・まり子さんから吉報が入りました。「つるの林」=鶴林=入滅を意味し、「ひさご(瓢)」は、俳諧を好んだ2代目団十郎が松尾芭蕉から瓢箪を譲り受け、市川家の家宝として衣裳紋にも使っていたことにちなむとのことです。ありがとうございました❣❣❣❣❣❣❣❣❣



0 件のコメント:

コメントを投稿

サントリー美術館「絵金」19

   先に絵金の歌舞伎絵フォーヴィスムは、幕末歌舞伎の反映でもあると書きました。では幕末歌舞伎には、どのような特徴があったのでしょうか? 愛用している『歌舞伎事典』(平凡社  1983 年)の「総説」を担当された服部幸雄先生は、「化政期の歌舞伎」と題してつぎのようにお書きになって...