最初中国では松煙墨でしたが、五代のころ油煙墨が開発され、それへ移行していったようです。ちょっと異説もあるようですが……。しかしわが国では、ずっと松煙墨が使われ、油煙墨になったのは、室町時代初めに、興福寺の二諦坊[にたいぼう]がこれを作り出してからのことでした。つまり、松煙墨という、中国の古い文化がずっとあとまで日本に残っていたことになります。
柳田国男の名著『蝸牛考』の結論を敷衍して、中央の文化は遅くまで周辺に残存するというテーゼを導き出すことが許されるなら、まさしく墨も例外じゃ~なかったということになりそうです。
このあと、書画一致思想に関する独断と偏見をしゃべってから、マイベストテンへと移りました。
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