2025年3月31日月曜日

『アートリップ入門』4

 

林容子さんと知り合ったのは、尚美学園大学でした。もとの大学を定年になったあと、8年間ほどお世話になりましたが、林さんも同じ学部の先生で――しかもここでは先輩で、研究室は筋向い同士でした。

あるとき僕の研究室で、尾形光琳をテーマにするテレビ番組の収録が行われることになったのですが、そこには本がまったくありませんでした。尚美学園大学は川越にありますから、講義と教授会にでかけるだけで、執筆などの仕事はもっぱら自宅でやっていたからです。

そこで林さんの研究室を借りることにしたのですが、本はたくさん並んでいるものの、怪獣やアニメやお化けのフィギュアもこれまたたくさん並んでいるんです。テレビのディレクターが、これじゃ~雰囲気が出ないなぁというので、学長室を借りることになりましたが、あの林さんのフィギュアがバックに映っていたら、もっと盛り上がったのになぁ( ´艸`)


2025年3月30日日曜日

『アートリップ入門』3

林さんは、アメリカ人のように自分の意見を人前でしゃべることに慣れていない日本人の性格を考え、プログラムをより日本人向けに分かりやすく、チョッと楽しさおもしろさも加味してアートリップを完成させたのです。

実は僕も尚美学園大学で対話型授業をやったことがあるんです。ある作品のスライドを映し、適当に学生を指名し「この作品を見て感じたことを自由にしゃべってごらん」というと、「マジいいと思います」の一言で終わっちゃうんです() だから林さんのご苦労がよく分かります。

アートリップはブリヂストン美術館(アーティゾン美術館)から始まり、国立西洋美術館をはじめいくつかの美術館で定期的に実施できるようになっています。そのなかにかつてディレクターをつとめた秋田県立近代美術館が含まれているんです。こんなうれしいことはありません。

 

2025年3月29日土曜日

『アートリップ入門』2

本当なの?と疑っているアナタ、本当なんですよ!! 第2章「アートリップが起した変化」には、ご本人やご家族から寄せられた喜びの声がたくさん紹介されています。第3章「アートは認知症に効果があるのか」では、専門家のピーター・ホワイトハウスさんと島田裕之さんが、それぞれの立場からアートリップを分析し、その効果を明らかにしています。

ほんのチョッとだけですが、お手伝いした饒舌館長も「異議なし」と叫んでいるんですから間違いありません。アートにはこんな力が秘められていたなんて、美術史を仕事にしている僕にとって、灯台下暗しとはこのことだと思わずにいられませんでした。アートリップは林容子さんが日本で始めたプログラムです。林さんはニューヨーク近代美術館で始められた対話型アート鑑賞プログラムを参考にしながら、改良を重ねてきました。

 

2025年3月28日金曜日

横浜市民ギャラリー「横浜開港アンデパンダン展」3

 とてもアカンと思って画家をあきらめ、人の描いた作品にケチをつける方に回った僕は、天にも昇るような気持ちで是非出品させてほしいとお願いしたんです。今度はケチをつけられる方になるわけですから……。

23日に搬入、オープンの25日に行ってみると驚きました。10点ですから当然2段がけになるものと思っていたのですが、横一列に並べられているじゃ~ありませんか。かくのごとくストレートに並べれば、拙作でもグッと映えて見えます。 

去年アップした千墨会の藤崎千雲さんが、次期会長を託した葛西千麗さんと一緒に駆けつけて下さったので、一点一点説明をしていると、何だかアーティスト・トークをやっているような気分になったのでした()

 



2025年3月27日木曜日

横浜市民ギャラリー「横浜開港アンデパンダン展」2

 


 いよいよ横浜市民ギャラリーで「第13回横浜開港アンデパンダン展」が始まりました。31日(月)までです。予告させてもらったとおり、饒舌館長も出品したんです。僕は昭和51年から、自刻自摺モノクロシリーズの年賀状を出し続けて来ました。そのなかからベストテンを選び、「マイ年賀状」と題して出品したのですが、これにはわけがあります。

東海大学時代の学生である古川巧さんがアーティストの道を進み、個展を開くとともにこの横浜開港アンデパンダン展にも出品を続けてきました。その古川さんが今回も実行委員長となり、僕に年賀状を出品しませんかと声をかけてくれたんです。ご鳳声とはまさしくこれを言うのでしょうが、やはり東海大学時代の先生(!?)に対するソンタクがあったのかな()

2025年3月26日水曜日

『アートリップ入門』1

 


林容子『アートリップ入門』(誠文堂新光社 2020年)

 副題には「認知症のうつ・イライラを改善する」「対話型アート鑑賞プログラム」とあります。裏表紙には「認知症には医者よりアートが必要! 認知症の周辺症状の改善、予防効果を科学的に実証」と書かれています。表紙見返しのリードも紹介しておきましょう。

昔の、お母さんの顔になった

アートリップ(ARTRIP)の後にご家族が語った言葉です。

アートリップは認知症の方とそのご家族、介護士が一緒にアートを見つめて、気付いたこと、感じたことを自由に話し合うプログラムです。

一つの質問が発見を生み、認知症の方が自ら話し始める。そして、本人もご家族も想像しなかった時間が広がります。

それは、まさにアートを通した時空の旅となるでしょう。

さあ、一緒にアートの旅に出かけましょう。

2025年3月25日火曜日

『漢詩花ごよみ』春10

 先に渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ 百花譜で綴る名詩鑑賞』から、春の草花にちなむ漢詩5首ばかりを戯訳で紹介しましたが、そのあと一杯飲みながら全51首に戯訳をつけて遊びました。そのベストワンは蘇東坡の「衛八処士に贈る」です。これまた春の詩、蘇東坡が左遷された先で衛八処士に20年ぶりで再会した喜びを詠んでいます。このような詩に深く感じ入るようになったとは――やはり年のせいかな()

 人生 会う機を失えば オリオン・サソリ座そっくりに

 今日はうれしき夕方だ 一緒に灯下に居れるんだ!!

 若年時代はすぐに過ぎ お互い鬢びん・髪かみごま塩だ

 旧友 半ばはもう鬼籍 胸 熱くなる名を呼べば

 二十年後に君が家 また上がるとは予期もせず

 別れたときは君 独身 今は子どもが列をなす

 父の友うやまいニコニコと 「小父さんどこから?」我に問う

 答えぬうちに子どもらは 酒や飲み物 並べ立て

 春韮はるにら採りに傘さして…… 炊きたてご飯にゃ粟あわも入

 「こんな再会――めたとなし まずはグイーッと十杯を!!

 十杯やったがまだ酔わず 長き友情ありがとう

 明日 山川を隔てれば 自他の俗事が翻弄ほんろうせん

 

2025年3月24日月曜日

三井記念美術館「円空仏」11

この正面性と表裏一体の関係に結ばれていると思われますが、円空には素材である「木」の特性を最大限生かそうとする意思が見てとれます。木の垂直性はもとより、木目、年輪、さらには節までも円空彫刻のすぐれた魅力になっています。

あるいは生かそうなどという、浅はかな賢さかしらは円空になかったかもしれませんが、僕たちの眼にみごとな効果的利用と映ることは否定できません。ここには日本美術における素材の美しさをそのまま生かそうとする美意識、いや、それに素直に従おうとする美意識――饒舌館長のいう「素材主義」の伝統を見出すことができるでしょう。もっともこの問題については、以前アップしたことがあるように思いますが……。

  ヤジ「確か日本食を代表する刺身や寿司も素材主義だというオチだったな!!

 

2025年3月23日日曜日

三井記念美術館「円空仏」10

円空は大木を二つに割り、その丸い方を前面にして「両面宿儺坐像」これを彫り出したようですから、互いに背を向ける二つの顔をそのまま造形化することは不可能でした。円空は後ろを向いていたはずの顔を、主となる顔の左脇(向って右側)にやや斜めを向かせて彫ってしまったのです。それは素材のもつ特性を積極的に生かした造形でしたが、これによってきわめてすぐれた正面性が誕生したのです。

 ところで仏像を鑑賞したり調査したりする際、仏像専門家は正面からだけではなく、必ず横やうしろに回ってそのボリューム感や安定感を見ようとします。しかし円空彫刻においては、それをやってみてもほとんど無意味でしょう。あくまで円空彫刻は、正面から拝む神仏のお像なのです。 

2025年3月22日土曜日

横浜市民ギャラリー「横浜開港アンデパンダン展」1

横浜市民ギャラリー「第13回横浜開港アンデパンダン展」<325日~31日>

 間もなく25日(火)から第13回横浜開港アンデパンダン展が横浜市民ギャラリーで開かれます。2009年、横浜開港150周年を記念して開催されたアンデパンダン展が濫觴となり、13回目を迎えました。アンダパンダン展とは、無審査・無賞を原則とする開かれた美術展のことです。「インディペンデント」のフランス語なのかな?

始まったのはもちろんフランス、1884年、サロン落選画家や反アカデミズムの画家たちが中心となって第1回が開催され、今も続いているようです。出品した画家に、ルドン、スーラ、シニヤック、ゴッホ、ルソー、ロートレック、セザンヌ、マティスがいるというのですから、落選画家展どころか、フランス近代絵画史の主流を形成しています。

これをヒントに組織されたのが、横浜開港アンデパンダン展ですが、ブルーライト・ヨコハマにふさわしい(!?)軽やかな歩みを続けてきました。この第13回展に饒舌館長が出品することになったんです!! 果してどんな作品なりや?? 25日は午後2時から会場にいますので、お時間のある方はぜひ冷やかしにいらしてください!!

 

2025年3月21日金曜日

三井記念美術館「円空仏」9

 

すると円空の代表作は神像ということになります。少なくとも仏像ではありませんでした。これが円空仏の代表として、本展の象徴としてポスターに選ばれているんです!! 

ここで改めてポスターを見ると、もう一体、東山神明神社の「柿本人麻呂坐像」もアップされています。柿本人麻呂は「歌の聖」でしたが、その後「歌の神」に神格化されていました。

不思議ですねぇ。「魂を込めた円空仏」展のポスターに代表作的傑作としてフィーチャーされた2作品が、円空仏ではなく、円空神なんです。もっともカタログ解説によると、「人丸供養」の人麻呂像は観音菩薩の応現神とされるので、円空が造立した人麻呂像は神像であり観音菩薩でもあるそうですが、それならそれでモロ垂迹ということになります!!


2025年3月20日木曜日

三井記念美術館「円空仏」8

 

円空彫刻を日本彫刻史のなかに解き放てば、正面性フロンタリティを重視する伝統をよく継承しているともいえるでしょう。正面性とは、正面から見たときもっともすぐれた効果を発揮するように志向する造形意欲です。円空は円い木材を二つ割りにし、あるいはそれをさらに二つに割って用いましたから、おのずから正面性が強まったのです。

それをもっともよく現わすのは、カタログの表紙にも選ばれた代表作「両面宿儺りょうめんすくな坐像」(千光寺蔵)でしょう。両面宿儺は大和朝廷に反旗をひるがえした飛騨の豪族で、やがて滅ぼされてしまうのですが、一つの体に互いに背を向けている二つの顔をもっていたと伝えられています。しかし飛騨地方では、ここを守護していた豪族と伝承されてきました。飛騨地方ではもうほとんど神様だったのでしょう。


2025年3月19日水曜日

三井記念美術館「円空仏」7

つまり円空仏は、いや、円空彫刻はきわめて神仏習合的だったんです。それは日本仏教のきわめて大きな宗教的特徴でした。その意味で円空彫刻は、異端でもなく、破格でもなく、ましてや前衛的でもなく、とても日本的な宗教彫刻だったのです。

日本仏教彫刻史の本流を形作ってきたとされる仏像は、基本的に中国仏教彫刻を学び、それを日本化した様式にしたがって造形されてきました。最も日本的仏像とされる定朝様式も例外ではありません。チョッと意地の悪い言い方をすると、中国仏教彫刻の模造、この場合なら模像だったんです。

これに対して、円空彫刻は純然たる日本の宗教彫刻でした。縄文時代の土偶が放つエネルギーや、古墳時代の埴輪がたたえる微笑やユーモアと円空彫刻が、かすかとはいえ美しい共鳴を起こしているのは、不思議でも何でもありません。

 

2025年3月18日火曜日

三井記念美術館「円空仏」6

 

 


 確かに円空は天台宗の僧侶であり、山林修行僧であり、遊行僧でした。円空はお坊さんだったんです。円空を修験道と結び付けることも可能ですが、修験道とは役小角えんのおづのを祖と仰ぐ日本仏教の一派(『広辞苑』)なのですから、やはり円空はお坊さんということになります。しかし修験道には、山岳信仰や霊木信仰といったプレ神道の要素が色濃く反映しています。修験道自体が神仏習合的だったんです。

それはともかく、円空は仏像だけでなく神像もたくさん造ったこと、単に造っただけでなく宣託を受けた白山神をはじめ日本の神々を信仰していたこと、それらが仏像に劣らず素晴らしい出来映えを誇っていることを決して無視できません。

2025年3月17日月曜日

三井記念美術館「円空仏」5

 

円空は天台宗の僧侶でしたが、それに凝り固まっていたわけではありませんでした。神道といえば言い過ぎかも知れませんが、神道として確立する前の自然崇拝――僕のいうプレ神道の精神が円空に宿っていたことは明らかでしょう。

三井記念美術館「魂を込めた円空仏――飛騨・千光寺を中心にして――」展のカタログには、館長の清水真澄さんが「新円空論――円空仏は『如法の仏』――」というとても興味深い論文を寄稿し、円空仏の新しい見方と考え方を提示しています。それを実証するべく、巻末には「新円空論――円空仏は『如法の仏』――関係年表」が載っています。

それを見ると、「寛永9(1632)円空 美濃国(岐阜)に生まれる」に続いて「寛文3(1663)円空 岐阜・郡上市美並町神明神社 神像三体を造る(棟札)」と書いてあります。円空はこの年数えで32歳です。おもしろいですね。年記によって制作年が判明する最初の円空仏は、仏像ではなく神像だったんです!!

2025年3月16日日曜日

三井記念美術館「円空仏」4

 もっとも千光寺像はタイトルが「迦楼羅(烏天狗)立像」となっていますから、迦楼羅天だとすれば仏像ということになります。しかし神通寺本とほとんど同じフォルムですから、やはり烏天狗なのではないでしょうか? たとえそうでなかったとしても、神仏あわいの像であることは否定できないでしょう。

 それはともかく、重要なのは円空仏と円空神が三井記念美術館の同じ空間にいらっしゃることなんです。つまり円空仏とは垂迹的なんです。仏様と神様が習合している、つまり融合し分かちがたく結びついているんです。

2017年、東京国立博物館で開催された特別展「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶」については、そのとき「饒舌館長ブログ」にアップしましたが、運慶の彫った神像などなかったように記憶します。「僕の一点」に取り上げた湛慶の「神鹿」のような作品はありましたが……。同じ仏師といっても、その点で運慶と円空はとても違っていました。

 

2025年3月15日土曜日

三井記念美術館「円空仏」3


  いま僕は、NHK文化センター青山教室で、「魅惑の日本美術展 これこそベスト6だ!!」という講座を月1で開いています。2月のベストワンにはこの三井記念美術館「魂を込めた円空仏――飛騨・千光寺を中心にして――」を選び、円空私見を披露しました。今回は講座前に展覧会をじっくり見ることができたので、一段としゃべくりに熱が入ったことでした(!?)

 円空仏――大好きな仏様です。いや、円空仏は仏様だけではありません。三井記念美術館の会場には神様もいらっしゃいます。円空神も鎮座ましましているんです。これがまたすごくいいんです!! とくに千光寺や神通寺の「烏天狗立像」が放つ明快なフォルムに魅了されました。来年の年賀状はこれでいこうとソク決めましたが、傑作になること間違いなしです!!

 ヤジ「平面の田中一村ならまだしも、立体の円空じゃ~うまくいかないんじゃないの?」


2025年3月14日金曜日

三井記念美術館「円空仏」2

飛騨の山林と樹木は、奈良時代から伝えられる「飛騨の匠」の伝統を今日まで継承し、周囲には白山をはじめ北アルプスの槍、穂高、 乗鞍岳など山岳が連なり聳えています。それらの神が「円空仏」として今日まで祀られてきたのです。

本展覧会は、「樹木と樹神」「削る行為と削り痕を残すこと」「山林修行者と精神性」をキーワードに、これまで日本の仏像の彫刻史では異端とされてきた「円空仏」を、平安時代以降の仏教儀礼に則った造像との見方から、新たな「円空仏」の姿としてご覧いただくものであります。

「円空仏」の、前衛的で現代彫刻にも通じる造形の魅力を存分に鑑賞していただくとともに、円空が樹木に樹神を観、魂を込めて彫刻した仏の姿をご覧いただくのに、岐阜の飛騨は最もふさわしい舞台といえます。

 

2025年3月13日木曜日

三井記念美術館「円空仏」1

三井記念美術館「魂を込めた円空仏――飛騨・千光寺を中心にして――」<330日まで>

 まずは本展のカタログ巻頭にかかげられた、三井記念美術館館長・清水真澄さんによる「ごあいさつ」の一部を掲げて、円空仏のあらましと展覧会趣旨を知ることにしましょう。

江戸時代前期の山林修行僧円空は、生涯愛知、岐阜を中心に関東、北陸、さらに北海道までを巡錫し、各地に木彫の神仏像いわゆる「円空仏」を多数遣し、その数は現在五千体を超すともいわれています。 円空は、材となる「樹木」に神仏の姿を観想し、魂を込めてその姿を彫刻しました。

 それは現在も飛騨・千光寺にのこる、生木に直接鉈を下ろした像高二メートルを越す金剛力士立像で明らかにされ、日本の彫刻史では平安時代の樹木信仰すなわち「立木仏たちきぶつ」に源を求めることができます。「立木仏」の木に樹神が宿る思想は、樹木を形成する森林、その土地、周囲の山岳の神にも及びます。 

2025年3月12日水曜日

葉室麟『古都再見』3

 

「心はすでに朽ちたり」は、これまた僕の大好きな中唐の詩人・李賀をモチーフにした一文ですが、葉室さんが一度だけ髪を染めた経験から始めて、かの「長安に男児あり 二十にして心はすでに朽ちたり」へもっていくところが愉快です。春にちなんで――といってもいかにも李賀らしい陰鬱なる春ですが、「出城 権璩 楊敬之に寄す」をまたまた戯訳で……。

草 温かく 雲 暗く この世いずこも春爛漫

皇居の花が頬ほおをなで 旅立つ人を見送るよ 

漢の高祖の剣のごと 雄飛を誓った野心家が

なんてぇざまだ帰郷する 車に病身 横たえて……

葉室さんのデビュー作『乾山晩愁』は琳派ファンとして以前読んだことがありますが、そのうち直木賞受賞作『蜩ひぐらしノ記』も拝読することにしましょう。


2025年3月11日火曜日

葉室麟『古都再見』2

「ひとり酔い」はイノダコーヒ本店近くにある、ひどい目にあったバーに対する悪口ですが、真意はこのバーを著書で持ち上げていた、大先輩作家に対する恨みにあったんじゃないかな? 丸谷才一がある寿司屋を通して小林秀雄に対するマイナス感情を吐露したように……。一方「ウオッカバーにて」は、先斗町にあるというこの店へのオマージュですが、葉室さんが60代半ばでお亡くなりになったのは、やはり飲み過ぎだったのでしょう。

「薬子」は我が国悪女のトップバッターにあがる藤原薬子と、クレオパトラの「誇り高さ」という共通項を摘出してうならせます。このあいだ東京国立博物館の「大覚寺」展を紹介したとき、チョッと薬子のことも気になったので、とくに興味を引かれたのかもしれません。

 

2025年3月10日月曜日

葉室麟『古都再見』1


 葉室麟『古都再見』(新潮社 2017年)

 前回、渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ』から春草を詠んだ絶唱を連載したとき、後花園天皇の七言絶句を引用し、葉室麟さんの見立てもアップしました。ついでにというのも失礼ながら、『古都再見』を通読し終わったところです。通読したというのは、もちろんとてもおもしろかったからです。

随想というべき文章だと思いますが、内容がとても濃いんです。10年ほど前『週刊新潮』に連載したものを集めた随想集のようですが、よくこれだけの文章を毎週お書きになれるものだと感を深くしました。

僕の大好きな与謝蕪村を取り上げては、蕪村――つまり荒れ果てた村という号に、天明大飢饉の予兆を読み取るところが葉室蕪村のポイントです。


2025年3月9日日曜日

『漢詩花ごよみ』春9

 

款冬花(蕗の薹ふきのとう)――中唐・張籍「賈島に逢う」

遊楽原の青龍寺 たまたま見つけたフキノトウ

  寺 出て漢詩を口ずさみ 歩めば沈む夕日かげ

  都大路を一面に 白く染めたり名残り雪

  馬蹄ばていパカパカここを去り どっかの飲み屋に繰り込もう

張籍は僕の大好きな「秋風」の作者、文章を練る意味の「推敲」は、賈島と韓愈の故事に出る言葉です。張籍は早春まだ冷たい土を破って芽を出すフキノトウに、賈島を例えているようなので、起句をもう少し意訳すれば、「賈島に出会った青龍寺 その人まるでフキノトウ」となるでしょう。「款冬」はフキ、「款冬花」がフキノトウだそうです。結句「誰家」は勝手に「どっかの飲み屋」としてみましたが……() 


2025年3月8日土曜日

『漢詩花ごよみ』春8

 

僕が生業なりわいとしている美術などという「文化」にも、こういう影の一面があるのでしょう。いま人気を集めるNHK大河ドラマ「べらぼう」の吉原文化にも……。

後花園天皇が詠まれたワラビも、やはり伯夷・叔斉兄弟の故事にまつわるワラビです。これは和漢文化の光――妙なる交響を語っています。時空を越えて二人の人間が、ワラビという珍しくもない草にまったく同じイメージを抱いている――これこそ文化です。何と素晴らしいことでしょうか。

後花園天皇「無題」

  争い採っても採れるのは ただワラビだけ飢餓の民

  どこもかまどの火は消えて 竹の戸さえも鎖とざされる

  詩情の興る春二月 吟じたくなる季節だが

  都の桃や青柳あおやぎが 美を誇るのは誰がため?


2025年3月7日金曜日

『漢詩花ごよみ』春7

 

日本人がワラビを詠んだ詩はないものかとネットで調べたところ、後花園天皇が室町将軍・足利義政を批判する七言絶句に逢着しました。しかもそれが葉室麟の『古都再見』に詳しく書いてあることも判りました。ITのお陰で便利な世の中になったものです。

義政といえば、かの東山文化を創出しリードした将軍ですが、その治世下にあって人々は大変苦しみました。とくに長禄・寛正かんしょうの飢饉の際、その艱難辛苦かんなんしんくは頂点に達し、都は阿鼻叫喚あびきょうかんの巷ちまた、いや、地獄と化しました。しかし義政はまったく無関心で、高尚なる文化にのみ心を寄せ、連歌や能や茶や唐絵に優雅な日々を送っていました。それを後花園天応は漢詩をもって戒めたのです。

林屋辰三郎先生グループが編集した『京都の歴史』3<近世の胎動>(学芸書林)をかつて読んで、長禄・寛正の飢饉は記憶に残っていましたが、後花園天皇の詠歌はまったく忘れていました。葉室麟はこれを現代日本の政治と重ね合わせて、「首陽の蕨」と題する一文を終えています。


2025年3月6日木曜日

『漢詩花ごよみ』春6

 

『漢詩花ごよみ』の項目では「薇」となっていますが、「蕨わらび」のことだそうです。といってもワラビを直接詠んだ詩ではありません。中国古代、殷の処士であった伯夷・叔斉兄弟の有名な故事に登場するワラビ、つまり象徴としてのワラビなんです。

のちに周王となる武王が、殷の紂王ちゅうおうを討とうとしていることを知った伯夷・叔斉は、臣が君を弑しいすることの不義を諌めましたが聞き入れられませんでした。やがて武王は紂王を討ち、天下を統一しましたが、兄弟はその俸禄など受けることを潔よしとせず、洛陽郊外の首陽山に隠れました。

しかしそこに生えていたのはワラビだけ、兄弟にはそれしか食べるものがなく、やがて二人とも餓死してしまいました。これは堅忍不抜、清廉潔白という人間としての徳をたたえる有名な伝説で、初唐・王績の「野望」はそれを踏まえているんです。ですから秋の詩に、早春のワラビが登場しちゃうんです。


2025年3月5日水曜日

『漢詩花ごよみ』春5

 

薇(蕨)――初唐・王績「野望」

暮れ方 岡から野をながめ

  「ぶらぶら遠くへ行きたいな」

  木々はこれみな秋の色

  山々 夕日にまっかっか

  牧童 子牛と帰り来る

猟師も獲物と馬に乗り……

  見回したけど友もいず

  ワラビで餓死した兄弟を 静かな歌で弔った


2025年3月4日火曜日

『漢詩花ごよみ』春4

 

菜の花――范成大「晩春田園雑興」

  チョウチョが仲良く飛んできて チョッと隠れる菜の花に

  春の一日うらうらと 農家 訪ねる客もない

  鶏にわとり垣根を飛び越えりゃ 犬は穴から吠え立てる

  きっとお茶の葉 仲買なかがいが 仕入れるために来たんだろう

南宋・范成大「田園雑興」60首のなかで一番好きな1首――だから中国語で暗唱できるんです。口演で蝶々の絵が出てくると、必ず「フ―ディェシュァンシュァンルーツァイホァ……」とやり、終わると「ここで拍手が起こるものですが……」といって笑いをとるんです。いつも聴いている方は、「またやってるわ~」と白けていますが( ´艸`)


2025年3月3日月曜日

『漢詩花ごよみ』春3

 

 渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ』には、春の花をモチーフにした詩が14首ほど採られていますが、その最初が先に紹介した「梅」の「夜直」です。夜直は宿直のこと、半世紀前の東京国立文化財研究所時代を思い出します( ´艸`) これに続く水仙、菜の花、薇(蕨)、款冬(蕗の薹)を紹介することにしましょう。水仙を自画賛として詠んだのは我らが夏目漱石です。大正元年(1912)の『漱石日記』に「山水の画と水仙豆菊の画二枚を作る」と出てくるそうです。

水仙――夏目漱石「自画に題す」

  独り座って鳥を聴き  世俗 謝絶し門を閉ず

  南の窓辺 変わりなく  水仙 写生す閑ひまゆえに

2025年3月2日日曜日

『漢詩花ごよみ』春2

梅――王安石「夜直」

  金の香炉の香 尽きて かすかに聞こえる水時計

  風音たてて吹く微風 時々止むけどうそ寒い

  春の愁いが募り来て 眠ることさえ出来ません

  月は西へと傾いて 欄干に射す梅の影

 

2025年3月1日土曜日

『漢詩花ごよみ』春1

 

 いま梅が満開です。紅梅、白梅、ときどきピンク梅というのもあり、後期高齢者の散歩に色香を添えてくれます(´艸`) 梅をたたえた詩歌はゴマンとありますが、渡部英喜さんの『漢詩花ごよみ 百花譜で綴る名詩鑑賞』(亜紀書房 2017年)にしたがい、中国は北宋の政治家にして文人、王安石が梅を詠んだ七言絶句を紹介することにしましょう。原詩には「花影」とあるだけですが、日本語で「花」といえば桜のことですから、マイ戯訳ではズバリ「梅の影」としてみました。

蘇東坡の「春宵一刻直千金」と双璧をなす詩だそうですが、確かにすごくいい!! 渡部英喜さんの『漢詩歳時記』『漢詩百人一首』については紹介したことがあると思いますが、この『漢詩花ごよみ』を加えて渡部漢詩三部作と呼ばせてほしいのです!!

東京美術『日本視覚文化用語辞典』1

  東京美術『<和英対照>日本視覚文化用語辞典』 以下に掲げるのは、このたび東京美術から出版された『<和英対照>日本視覚文化用語辞典』の序文から引用した一部です。 本辞典の前身である『和英対照 日本美術用語辞典』が、文化交流の新たなステージにおいて国際的に資することを願っ...