2017年8月23日水曜日

関谷徳衛編『良寛遺墨集』1


関谷徳衛編『良寛遺墨集――その人と書』全3巻(淡交社 2017年)

 良寛さんの真贋はむずかしい。そのむずかしい真贋にかけて、誰もが一目置く万葉洞主人・関谷徳衛さんが、半世紀にわたって蒐集した良寛作品をクロノロジカルに編集し、良寛研究家・小島正芳さんの総論「良寛――その生涯と書」を添えて出版したのが本書です。

僕もずっと良寛の書が大好きでした。中国の書をコピーすることから始まった日本の書道が、江戸時代を迎え、ついに我が国独自の書に昇華したのが、良寛の書であると考えてきました。この考えは今も変わっていません。

しかし僕が、改めて良寛のすぐれた人間性に強く心を動かされ、こんな風に生きることができたら、どんなにすばらしいことだろうかと憧憬の念を深くしたのは、中野孝次氏の『清貧の思想』を読んだ時でした。とても真似はできませんが、精神だけも学びたいと思ったものでした。

その後、「米山人伝小考」という拙論を、大学の紀要『美術史論叢』に書いたとき、大島花束編『良寛全集』によって、良寛の漢詩を引用する機会がありました。

 

2017年8月22日火曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎5


先に李賀の名を挙げましたが、いかにも李賀らしい「秦王飲酒」を、天上で美女に囲まれ酒宴を張っている天羽さんを想像しつつ、最後に僕の戯訳で捧げることにしましょう。天羽さんが親しかった荒井健さんの『中国詩人選集』によると、秦王が誰を指すかについては諸説あるものの、特定の人物に当てはめて考える必要はないそうですから……。

秦の帝王 虎に騎[]り 「宇宙の果てまで漫遊せん!!」
空に輝き光る剣 ただひたすらに碧い天
女神の義和が御者となり 太陽 鞭打ちゃ玻璃[はり]の音
吹っ飛ぶ前世の劫火の灰 太平の日々とこしえに
龍頭樽から酒を酌み バッカスの星招き寄せ
ゴールド飾った琵琶弾けば ベンベンベベン夜[よ]を破る
   激しく雨降る洞庭湖 その音あたかも笙のよう
ぐでぐでに酔い怒鳴りつけ 月をも逆に巡らせる
銀色の雲 連なって 瑶[たま]の御殿に夜も明ける
だが役人はまだ今は 宵の口だと嘘を言う
花の楼閣 凰[おおとり]に 似る美女の声なまめいて
人魚が織った薄絹の 模様は真紅 微香あり
黄娥という侍女 千鳥足 舞いつつ勧める長寿の盃
仙人燭樹のローソクは 軽やかに煙[けむ]あげている
青琴とう侍女 微醺帯び 清らな涙 明眸に……

2017年8月21日月曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎4


しかし感心はしつつも、そうかいなぁ?と思ったのは、僕がつねづねお世話になっている小学館版『日本国語大辞典』と諸橋轍次の『大漢和辞典』が、日本敗戦の因となった海軍の大艦巨砲主義に例えられていることでした。そして小さい辞典の方が役立つ場合もあり、またこれらには間違いも含まれていることを、実例を挙げて指摘しているのです。

普通は絶対気づかないような細かい点を見つけ出すのは、さすが博覧強記を誇る百目鬼先生だと思いましたが、せっかく大枚をはたいて買った大辞典なのに……と、すぐそっちの方に頭がいってしまったのは、やはり僕の人間的器量が小さいせいでしょうか(!?) 

その時は拾い読みをしたままになっていたので、今日は盆休みの一日をかけて、もう返却することも叶わぬ手沢本を、天羽さん風にチビチビやりながらゆっくり通読することにしました。その「中国の古典(Ⅰ)」に引かれる夏目漱石『文学論』の示唆に富む序文を掲げれば、漱石にも一家言をもっていた天羽さんが改めて思い出されます。

自分は少年時代に好んで漢籍をまなび、国史左漢(中国の古代史書『国語』『史記』『左伝』『漢書』のこと)を読んで、文学はこんなもんだという定義を得ることができた。が、英語は、漢籍とおなじ程度に学力をつけたつもりなのに、英文学を漢籍とおなじように味わうことができない。結局、漢文学と英文学とでは種類がちがうせいなのだろう。

2017年8月20日日曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎3


お世話になったことも数え切れず、もし天羽さんに目次の構成を考えてもらえなかったら、拙著『琳派 響きあう美』が世に出ることはなかったでしょう。天羽さんから求められるまま、尊敬する中唐の詩人・李賀へのオマージュや、映画『天心』の印象批評、戯文「我が愛する三点 ジャンクで一杯!?」を、『國華清話会会報』に書いたことも忘れられません。

その李賀賛を書くとき、天羽さんがここにも李賀のことが出ていますよと、百目鬼[どうめき]恭三郎の『読書人 読むべし』を貸してくれました。宋の計有功が撰した『唐詩紀事』を取り上げ、1150人もの詩人から李賀一人だけを紹介していたからです。百目鬼氏も大好きな唐詩人だったのでしょう。氏は長く朝日新聞に勤めていましたから、天羽さんもよく知っていたのかもしれません。

もちろんすぐにページを繰りました。百目鬼氏が毒舌家であることだけは知っていましたが、その著書を読んだことはありませんでした。ともかくもすごい人だ、どれくらい本を読んでいるんだろう、しかもむずかしい本をテンコ盛りにした書き下ろし――僕にはとても真似できないなぁというのが、率直な感想でした。

2017年8月19日土曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎2


僕も天羽さんに惹かれた一人、想い出は尽きません。とくに仕事の打ち合わせと称する酒席と、清話会特別鑑賞会の斥候役や挨拶を兼ねた事前旅行は深く心に刻まれています。それは秋田から博多に及びました。こういう時に、歌舞伎から現代文学まで広い教養を身につけた天羽さんからは、いろんなことを教えてもらいました。

たとえば、「サイデンステッカーは中国の音楽と日本の哲学ほどつまらないものはないと言っている」というのがあります。日本の哲学といっても、近代哲学のことじゃないかなぁと思いますが……。天羽さんが最高の一句とするのは、高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」でした。その理由を聞いていると、何でこれがいいのかそれまで分からなかった僕も、やはり名句なんだなぁとはじめて腑に落ちたことでした。

また「大宅壮一は日本の四大権威として、東大、朝日、岩波、NHKを挙げた」とも教えてくれました。僕的にいえば、現在前の三つの権威は地に落ちてしまいましたが、NHKだけは今も我が国のオーソリティであり続けています。

その理由は、NHKがエリートではなく、広く国民市民を相手にしているためであるというのが見立てです。時々おしゃべりトークで大宅四大権威説を取り上げて解説を加え、時間稼ぎをしているのですが、こういうことができるのもひとえに天羽さんのお陰です(!?

2017年8月18日金曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎1


追悼 天羽直之さんと百目鬼恭三郎『読書人 読むべし』(新潮社 1984年)

去年の秋、畏友・天羽直之さんが76歳で亡くなりました。天羽さんは朝日新聞社出版局を退いたあと、國華社代表社員となり、國華清話会が出来てからはそのアドバイザリーを兼務、晩年はもっぱら後者に傾注されました。

内に強い信念を持ちながらも、自己主張を押し通すことなく、泰然自若としておのれの責務を着実に果たした仕事人でした。その仕事のなかから生まれた人間的な心の交流を何よりも大切にしました。したがってある仕事が終わっても、一度生まれた関係は地下水脈のようにずっと続いていました。しかもお酒と煙草を愛する天羽さんには男の色気がおのずから具わり、それが女性を、そして男性をも引きつけました。

新盆を控えた87日、天羽さんと特に親しかった國華社の6人が、彼のお好みだったお蕎麦屋さん「満留賀」に集い、献杯の儀を行なうことにしました。いや、「天羽さんを偲ぶ暑気払い」といった方が、彼も喜ぶことでしょう。

2017年8月17日木曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」20<伝狩野元信 猿曳棚>2




このような形式の棚はふつう紹鴎棚と呼ばれています。描かれる猿曳の絵は、狩野元信の筆であると伝えられてきました。間もなく、サントリー美術館で本邦初の「狩野元信展」が開かれますので、このマイスターに改めて注目が集まることでしょう。「猿曳棚」の絵が本当に元信かどうか分かりませんが、元信の時代か、まだ元信工房があった時代に作られたものであることは確かでしょう。

静嘉堂文庫美術館には、この棚の写しが2点所蔵されていますが、そのうちの1点は、幕末明治に活躍した狩野派絵師にして日本画家の狩野永悳[えいとく]が描いています。永悳は元信筆という伝称を知って、緊張しながら写したにちがいありません。このほか、仙台藩御用絵師・菊田伊洲のいとこに当たる菊田伊徳という画家が幕末期にこの猿曳図をコピーした作品も遺っているそうで、大変人気のあった棚であったことが推測されます。

これをお正月の茶会に用いれば、招かれた客の心にいつまでも残る、すばらしい一席となることでしょう。猿曳はお正月の風物であり、季語だからです。愛用する『基本季語五〇〇選』にはこの項目がなかったので、ネットで検索すると、松尾芭蕉に「猿引は猿の小袖を砧[きぬた]哉」という一句がヒットしました。さすが芭蕉です。

しかし僕的には、『江戸川柳辞典』に載る「おぶさったやつが養う猿廻し」の方が、おしゃべりトークで使えそうな気がするのですが!?

2017年8月16日水曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」19<伝狩野元信 猿曳棚>1


⑩伝狩野元信「猿曳棚」は、地袋に猿曳が描かれるところから、こう呼ばれてきました。猿曳は猿引とも書かれますが、猿回しのことです。この棚は室町後期の茶人で、侘び茶の基礎を固めて千利休に伝えた武野紹鴎から、安土桃山時代の茶人で、利休に学んだ古田織部へ、やがて仙台藩に茶頭として招聘された清水道閑へ贈られ、以後ずっと清水家に伝えられてきました。ハナムケとして織部がこの棚を選んだのは、道閑が「猿若」とも称していたことに引っ掛けたのでしょう。

織部が最初に仕えたのが、サルとあだ名された豊臣秀吉であったことも、おもしろく感じられます。織部は秀吉の死後隠居し、茶道三昧の生活を楽しんでいましたが、やがて茶匠としての名が高くなっていきました。そして関が原の戦いでは、徳川方に多大の功績があったため大名に復帰、徳川家の茶道師範と仰がれました。

ところが大坂夏の陣では陰謀を疑われて、ついには自刃することになったのです。豊臣家から徳川家に乗り換えたわけではありませんが、二君に仕えた織部は、この猿と秀吉の怨念にたたられたのかも? それはともかく、同じ年、家康から洛北鷹が峰に体よく追い払われた本阿弥光悦が、織部と親しい関係にあった事実も、とても興味深く感じられるのです。

2017年8月15日火曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」18<寸松庵色紙>2


「やと」は「宿」ですが、「野渡」つまり野中にある川の渡し場でもあり、だからこそ、続く「かは」は「変わる」であるとともに、「川」にもなりやすいのです。したがって「やと」は「移る」「移す」の準縁語となります。もちろん「変る」と「移る」も縁語関係に結ばれています。

「きく」はまず「菊」ですが、「崎嶇」つまり山道の険しいこと→世渡りの下手なことを思い起こさせますから、移動のイメージと結びつき、「はな」は「花」ですが、「端[はな]」でもあり、前の「初め」の縁語ともなっています。

もちろんこの中には、深読みや間違いもあるでしょう。また、紀貫之が意識したかどうかも分かりません。しかし無意識であったとしても、このような縁語関係は――あるいはそのうちのいくつかは確かに成立しています。極力漢字を少なくし、ほとんどを仮名にしているのは、そのためにほかなりません。鑑賞者のなかには、それを読み取った人もいたのではないでしょうか。

このような錯綜する縁語関係こそ、『万葉集』とは異なる『古今和歌集』の特徴です。それを理解しやすくするために、三色紙のような散し書きが発達したのだというのが私見です。つまり、一行や二行に書かれた場合と比較すると、散し書きは視覚的縁語探索をとても容易にすると思うのですが!?

2017年8月14日月曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」17<寸松庵色紙>1


 ⑨伝紀貫之「寸松庵色紙」――寸松庵色紙は、『古今和歌集』の四季の歌を書写した冊子本の断簡です。茶人の佐久間将監真勝[さねかつ]が、そのうちの12枚を手に入れ、大徳寺塔頭の龍光院に建てた茶室・寸松庵の壁に貼って、日々慈しんでいたと伝えられています。筆者を紀貫之と伝えてきましたが、平安後期、王朝時代の書写と考えられています。「継色紙」「升色紙」とともに三色紙とたたえられてきました。

静嘉堂文庫美術館コレクションの1枚は、「さきそめしやとしかはれはきくの花いろさへにこそうつろひにけれ」――紀貫之の歌で、『古今和歌集』では「人の家なりける菊の花を移し植ゑたりけるをよめる」という詞書があります。

小学館版『日本古典文学全集』では、「最初に咲いていた家から新しい家にかわったものだから、場所が移ったのはいうまでもなく、菊の花の色までが移ろってしまったのは、さてさて情けないことだ」と現代語に翻訳しています。

もちろんその通りですが、ここにはもっと複雑な掛詞や縁語のテクニックが隠されているように思います。まず「さき」は「咲き」ですが、「先」と同音で「初め」の縁語となり、「先の家」を思い起こさせます。「そめ」は一義的に「初め」ですが、同時に「染め」で、「色」の準縁語になっています。

2017年8月13日日曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」16<梅渓図>


⑧梅渓図は、いわゆる室町詩画軸の代表的作品です。建長寺の侍史――おそらくは若いお坊さんが、画家にこの絵を描いてもらい、老僧たちに賛を求めたものと推定されています。その画家とは、画風からみて、関東水墨画の大成者である賢江祥啓の可能性がきわめて高いことがすでに指摘されています。

賛を書いたのは、相国寺のお坊さんだったのに、応仁の乱のあと還俗して漆桶万里と号した万里集九と、当時における鎌倉第一の文筆僧・玉隠英璵です。この作品は、島田修二郎・入矢義高編『禅林画賛』にも採録され、二つの賛詩にも現代語訳が施されています。解説者もよく分からないとする箇所に、ちょっと私意を加えながら、またまた戯訳を作ってみました。

万里集九
 開き始めた梅の花 門のへんでも馥郁と……
 ましてや数百本もある 梅林の中に俺はいる
 梅の羅浮山 淡い月 雪の成都もかくありなん
 読書は夜!と言うが 春 寝ながら音読すりゃ最高!!

玉隠英璵
 鼎[かなえ]に渡す針金の 提手[さげて]に似る橋 渡し舟
 橋から南ながめれば 梅が香[]満つ天 月かかる
 「牡丹と竹は美しく 野趣にも富む」は本当だ
 しかし書斎と春風に 吹かれる梅もまたしかり

2017年8月12日土曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」15<因陀羅 禅機図>2


僕にとって、張籍はちょっと懐かしい詩人です。かつて『國華』に紹介し、その後MIHO MUSEUMに入った与謝蕪村筆「銀地山水図屏風」の一隻に、張籍の「蛮州」という七言絶句が賛として書かれていたからです。しかし蕪村は、張籍の詩集『張司業集』など持っていなかったにちがいなく、元の于済が編集した漢詩アンソロジー『聯珠詩格』から引用したのだと思われます。

その戯訳はかつてマイブログにアップしたことがありますので、今回は、渡部英喜編『漢詩百人一首』(新潮選書)から、七言絶句「秋思」を紹介することにしましょう。さっき言ったこととやや矛盾しますが、やはり杜甫詩集の灰を飲んだお陰か、とてもよい詩に仕上がっています。もっとも、手紙をポストに投函したあとで、切手を貼ったかどうか気になるのと似ているなどと言ったら、張籍先生に失礼にあたるでしょうか?

 見た!! 洛陽の街中[まちなか]で 吹き渡りゆく秋風を
 書こう!! 手紙を古里へ つのる思いがあふれ出る
 草卒[そうそつ]ゆえの書き漏らし あるんじゃないかと気になって
 託す旅人出発の 直前 封をまた開く

2017年8月11日金曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」14<因陀羅 禅機図>1


 ⑦因陀羅「禅機図断簡(智常禅師)」は因陀羅最高の傑作です。もっとも、この因陀羅なる画家については、よく判っていません。もともとインド人だったともいわれ、開封の大光教禅寺に住む禅僧でしたが、元時代の末、華北が争乱の地と化したため、淅江地方に移り住んだらしいのです。

中国の画史には登場せず、日本の阿弥派一派が作った『君台観左右帳記』に出てくるだけで、まるで幽霊のようなお坊さんです。お坊さんが幽霊になっちゃーまずいかな?

画面左側に元時代のすぐれた臨済宗の禅僧、楚石凡琦の賛があり、智常禅師が張籍と禅問答をしているシーンだと推定されています。智常禅師は唐時代の禅僧で、廬山の帰宗寺に住んでいました。張籍は同じく唐時代の詩人、いい詩が出来るようにと、杜甫の詩集を燃してその灰を蜜に混ぜて飲んじゃったという逸話で有名です。そんなことで詩がうまくなるなら、詩人なんて楽な商売だと思いますが!? その賛詩を僕の戯訳で……

 智常禅師と張籍の 屁にもならない禅問答
 仏の法や神の道 ありやしないさ そんなもん
 何か一つをマスターし 悟りを開きたいならば
 明媚なる山 澄んだ水 すべてのものがそこにある

2017年8月10日木曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」13<羊遊斎 大棗>


 ⑥原羊遊斎「片輪車螺鈿蒔絵大棗[かたわぐるまらでんまきえおおなつめ]」は、羊遊斎の古典趣味がよく発揮された代表作です。僕が「私の好きな茶道具ベスト10」にこれを選んだのは、④交趾四方魚文香合と同じように、酒井抱一がらみでもあるのです。羊遊斎は抱一ととても親しい友人でした。

その抱一の下絵になる、いかにも19世紀的作品もあるのですが、この大棗はとても古典性が強いように思います。これだけを見ると、もっと時代の上がる作品のように誤認してしまいそうですが、それは制作背景と関係するものにちがいありません。

当時、茶人として有名な出雲松江藩主・松平不昧は、鎌倉時代の「片輪車螺鈿手箱」を所有していました。現在、東京国立博物館コレクションとなっている国宝手箱ですが、有名な平安時代の手箱とは別バージョンです。

羊遊斎はこの意匠をもとに作りました。しかも、不昧の正室、つまり本当の奥さんからの注文だったそうですから、羊遊斎はひどく緊張したにちがいありません。この大棗の古典性は、ここに由来するとみて間違いないでしょう。

1991年、僕は竹内順一さんと土屋良雄さんから誘われて、「在ニュージーランド日本美術調査」に参加したことがあります。このとき、ダニーデンのオルベストン・ハウスにあった羊遊斎作「江都遊里蒔絵盃」の発見が契機となって、1999年、五島美術館で空前絶後ともいうべき特別展「羊遊斎 江戸琳派の蒔絵師」が開かれました。もちろん静嘉堂の大棗も出陳されています。

そのとき名児耶明さんから求められ、「原羊遊斎と江戸文化人」というおしゃべりトークをやったことも懐かしい思い出です。その頃はまだ「おしゃべりトーク」なんて自称することもなく、もうちょっと真面目な講演だったようにも思いますが!?

 

2017年8月9日水曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」12<光琳 硯箱>


⑤尾形光琳「住之江蒔絵硯箱」は光琳蒔絵の傑作として、古くから有名な作品でした。1976年、僕が集英社版「日本美術絵画全集」の『尾形光琳』を担当することになったとき、ぜひ載せたいと思って静嘉堂文庫にお願いしましたが、のちにそこの仕事をすることになろうとは、夢にも思いませんでした。

そこの仕事といっても、その頃まだ静嘉堂文庫美術館は存在せず、静嘉堂文庫の美術館として開館したのは、静嘉堂文庫創立100周年にあたる1992年のことでした。

これと同じような本阿弥光悦の硯箱があって、光琳はそれを写したことを、箱書きとしてみずから告白しています。『古今和歌集』に採られる藤原敏行の「住之江の岸による波よるさへや夢の通い路人目よくらむ」を造型化した作品ですが、「岸」と「波」は文字を省いて、図柄に肩代わりさせたところがミソです。敏行の一首は、掛詞や縁語が複雑にからみあう、古今和歌の代表歌だといってもよいでしょう。したがって現代語に翻訳すると、すごく長くなっちゃうんです。

住之江の岸に寄る波――その「寄る」と同じ発音の「夜」に見る夢が通ってくる路――それはまた夢が波のように伝わってくる路でもあるのですが、その路においてさえ、恋しいキミは人目を避けているみたいですね。だからボクは、夜、夢にさえキミを見ることがまったく叶わないんです。ましてや、昼間見ることができないことは、改めて言うまでもありません。

2017年8月8日火曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」11<交趾香合>5


朝飯前に又冷酒を小さいコツプに少量飲むと、食欲を増進する。食後横になってラヂオを聴く、とろとろと まどろむことも有る。起きて早朝執筆した草稿を清書することもあり、読書することも有る。午後は舌講に出かけることも有るが、人を訪問すること殆んど無く、散歩することも少ない。こうして出来たのが此の本である。

 いいなぁ!! こういう文人生活に憧れてきましたが、優柔不断のため大学とか美術館とかいう俗事に紛れっぱなしで……。しかし酔迂叟先生、これって通常、一般的に、世間ではアル中と言うのじゃありませんか? 先生がお訳しになった酒顛――酒キチガイそのものじゃありませんか?

 いや、僕の早とちり、そんなことはありません。なぜなら、アル中というのはただ酒をガブガブやるだけ、安酒でも駄酒でも飲んでりゃ桃源郷で、肴や料理にまったく興味がないからです。『酒の肴』や『華国風味』という名著を著わした先生は、食通中の食通、グルメ中のグルメ、美食家中の美食家です。

先に掲げた『酒の肴』の跋文を読めば、先生が肴や料理に対し、いかに強いコダワリをもっていたか、一目瞭然です。アル中であるはずがありません。

いやいや、ちょっと待ってください。アテの最高は塩であるという見立ては、やはりアル中のような感じもしますが!? 

尊敬して止まぬ酔迂叟先生、失礼いたしました!!

2017年8月7日月曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」10<交趾香合>4


 「交趾四方魚文香合」から、話は塩になり、お酒になり、酔迂叟先生の『酒の肴』になって、その跋文を紹介しました。のちに酔迂叟先生は、この『酒の肴』およびこれと双璧をなす名著『抱樽酒話』に、さらに明の夏樹芳の『酒顛』と陳継儒の『酒顛補』を訳出して加え、『酒中趣』を著わしました。

ちなみに「酒顛」とは、酒キチガイのこと、丹波国大江山とか近江国伊吹山に住んでいたという「酒呑童子」は「酒顛童子」と書かれる場合もありますね。『酒中趣』の原版は1962年筑摩書房から発刊されたようですが、僕が持っているのは、1984年出た筑摩叢書版です。その序文これまた実に素晴らしいのですが、ちょっと長いので、最後の一節のみを掲げることにしましょう。

酒は もとより吾が性の愛するところ、酒を飲み、酒の書を著わすことは、楽しみ中の楽しみである。酔叟 近頃の日課は、晩酌して早く床に入り、ラヂオを聴きつつ眠る。二時か三時頃に目が覚める。静かに書斎に座して物を書く。ほっこりすると、煙草代りに瓢箪の酒を二杯か三杯のむ。飲み過ぎて眠くなると、復た床に入ることも有る。

2017年8月6日日曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」9<交趾香合>3


腹すきたりというにはあらねど、ただ何とのう夕餉待たるるなり。女房どもの走り元する音折々聞こえて、電灯も未だつかず、豆腐屋の笛遥かに過ぎて日影なお高し。舌頻[しき]りにからびて酒渇を覚え、鮒鮓[ふなずし]の賛を按じて成らず。一炷[いっしゅ]の香を捻[ひね]れど腹に応[こた]うるいわれなし。青き紐に徳利くくりて酒買いに出行きし童[わらべ]の、帰りの遅きをかこつ李白の首の長さもかくや。今宵の下物[さかな]は唐墨[からすみ]と菠薐草[ほうれんそう]の浸し物。これのみは日ごと我に好みを謀りて調うる習わしなり。子守女がいつか摘み置きけん嫁菜の、少しばかり籠につがねられたるも、しおらしけれど、いたく萎[しお]れぬればかいなく、壬生菜の芥子[からし]あえやいかにといえば、痔疾に障[さわ]らせたまうべしと妻諫[いさ]む。冷奴にせんには未だ春寒く、湯豆腐には已[すで]に暖かなるをいかんせん。さらば慈姑[くわい]の雲丹[うに]焼きして進ぜんと、妻の心づかいは嬉しけれど、秘蔵の物むざむざ掘返さんもあたらし。凝[こ]っては思案にあたわず、平凡の菠薐草と治まれるもめでたし。昨日は燻[いぶ]し鮭のサラダと鮒鮓、明日はさて何にせんと首をぞひねりける。偶[たまた]ま階下に女房の声して、いざ召しませと呼ぶ。うれしや茲[ここ]に筆を擲[なげう]つ。
    待ち長の長の長崎からすみに熱燗つけて妻が呼ぶ声

2017年8月5日土曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」8<交趾香合>2


その塩をちょっと箸か手で摘まみながら、一杯やる夕べを想像してみてください。おのずとヨダレが溜まってくるでしょう。塩こそ最高のアテです。かの青木正児も、名著『酒の肴』の中で、そのことを指摘しています。

もちろん酔迂先生のことです。『漢書』の「それ塩は食肴の将、酒は百薬の長」から始まって、林羅山の『包丁書録』まで、博引旁証、考証該博、汗牛充棟――人間がコンピューターを使わずに、こんな芸当ができるものかと、改めて驚きを深くします。 

岩波文庫本を引っ張り出してきて「塩」の章を読み始めたら、その前の「適口」に戻り、続いて「肴核」「酒盗」「鮒鮓」「鱠」「蟹」「河豚」「鵞掌・熊掌」「厨娘」「魚飯・鯛飯・河豚雑炊」「豆腐腐談」「清朝末年或る日の宮廷の献立」「蘇東坡の味覚」「橄欖の実」と止めることができず、結局跋文まで行ってしまいました。

酔迂先生の面目躍如たるその跋文を、全文引用せずにはいられません。旧仮名だけは改めつつ……

2017年8月4日金曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」7<交趾香合>1


 ④交趾四方魚文香合については、すでにこの「饒舌館長」にアップしたところです。そのとき「僕の一点」として選んだのは、その緑釉の美しさに加えて、大好きな琳派画家・酒井抱一の兄貴である酒井宗雅の愛蔵品であったからでした。そのことをアップしたところ、企画担当の長谷川さんが、さっそく「宗雅」朱文瓢印が捺された箱の蓋を、作品の脇に並べてくれました。

宗雅は香合として愛用したわけですが、僕だったら塩入れにしたいなぁということも書きました。もちろんJT食卓塩なんかじゃなく、赤穂の天然塩ですよ。パッと蓋を取った時、緑と白が織りなすコントラストを想像してみてください。

緑☓白の美しさは、俵屋宗達が「風神雷神図屏風」で証明してくれています。前田青邨の「罌粟図屏風」が教えてくれます。中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」も、口の端にかけるものがひとしなみに二色の対照を思い浮かべるからこそ、強く印象に残るのでしょう。この句が詠まれなかったら、「万緑」が新季語として定着することはなかったにちがいありません。

 

2017年8月3日木曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」6<長次郎 紙屋黒>2


今秋、九州国立博物館では久々にものすごい桃山美術展が開かれますが、この「紙屋黒」が錦上花を添えることになれば……と願わずにはいられません。先日、伊藤館長がわざわざ静嘉堂までいらして下さったのですが、「これなくして九博じゃ桃山展は絶対開けませんよ」という言葉を聞いて、とても名誉なこととうれしく思ったものでした。

「桃山美術はルネッサンスじゃない! バロックだ!!」というのが私見です。「紙屋黒」を見ると、胴の中央部を意識的に凹ました造形はバロックそのもの、ルネッサンス的古典主義の対極に位置しています。焼き物におけるバロック的変化には、作為的なものと、無作為のものがあると思いますが、「紙屋黒」となるとかなり作為的なものではないでしょうか。窯のなかで変形したとみるには無理があります。

しかしちょっと自信がなかったので、おしゃべりトークの席で赤沼さんに訊いたところ、やはりこれは作為的なものであるというお墨つきをもらいました。他の長次郎よりもさらに一層バロック的作為が強まっているのは、新奇を好む秀吉の美意識を忖度した結果かもしれません!?

2017年8月2日水曜日

静嘉堂文庫美術館「私の好きな茶道具ベスト10」5<長次郎 紙屋黒>1


 ③長次郎「黒楽茶碗 紙屋黒」はいわゆる楽焼です。僕ら世代の関東人が「楽焼」と聞くと、すぐ江の島を思い出すのですが、この「紙屋黒」はオリジナルの楽焼です。

それは初代の楽長次郎が、千利休の侘び茶にふさわしい茶碗として編み出したものでした。轆轤を使わずに手だけで成形しますが、これを手づくねといいます。しかも低い火度の窯で焼き上げるため、柔らかい感じが強まり、とても親しみやすい茶碗が出来上がります。神々しいような曜変天目の対極にある茶碗だといってもよく、一見「ヘタウマ」のような印象を与えられることもあります。

豊臣秀吉は第1回朝鮮出兵の際、九州・名護屋城を築いてここを基地としましたが、ある日、博多の紙商・神谷宗旦(あるいは宗堪とも書きます)は秀吉を招いて茶を振舞いました。もちろん宗旦は前もって来訪を知らされていましたので、長次郎に頼んでこの黒楽を焼いてもらって使ったのです。

その後、大阪の豪商・鴻池喜左衛門の所持となり、江戸千家の創始者・川上不白が江戸に出るときハナムケとして贈られたことでもよく知られています。それ以降、「紙屋黒」は江戸にあったことになります。ところで、鈴木其一の義父である鈴木蠣潭に、「椿に楽茶碗」という扇面画がありますが、そこに描かれている黒楽茶碗は「紙屋黒」だと思っているのですが……。

2017年8月1日火曜日

岡田秀之『長沢芦雪』2


106日から1119日まで、愛知県美術館で芦雪の特別展が開かれることになっていますから、いよいよ若冲の次は芦雪ということになりそうです。もっともこの間の『和楽』では、若冲の次は鈴木其一だという特集をやっていましたから、跡目を巡って芦雪と其一の一騎打ちになるのかも!?

今回またまた岡田さんから呼ばれて、辻さんと鎌倉のカフェでおしゃべりをやったのですが、これもちゃんと「対談」として収録されることになりました。そのリードたるや、僕の部分は「穴があったら入りたい」という気分にしてくれますが、あえてそのまま紹介することにしましょう。

名著『奇想の系譜』で長沢芦雪を「奇想派」の1人として取り上げ、その名を世に知らしめた辻惟雄と、100枚超に及ぶ論文「蘆雪試論」で、出自から図像源泉まで、古典資料による検証を重ね、これまでにない芦雪像を浮かび上がらせた河野元昭。日本美術史界の泰斗2人が、芦雪作品の魅力と江戸絵画史上における存在意義を縦横に語る。

関谷徳衛編『良寛遺墨集』1

関谷徳衛編『良寛遺墨集――その人と書』全 3 巻(淡交社  2017 年)  良寛さんの真贋はむずかしい。そのむずかしい真贋にかけて、誰もが一目置く万葉洞主人・関谷徳衛さんが、半世紀にわたって蒐集した良寛作品をクロノロジカルに編集し、良寛研究家・小島正芳さんの総...