2021年1月31日日曜日

河治和香『ニッポンチ!』4

それは渡辺さんが評価したように、確かにすばらしい文明でしたが、また腰巻にあるように、「どこかもの悲しい」のです。川口松太郎は、「江戸っ子とは馬鹿の代名詞なり」といったそうですが、どこか響きあうものがあります。あるいは、知らないくせに懐かしいのです。

深夜読み終わって、ここに登場するたくさんの市井の人々は、やはり方便[たつき]も大変だったんだろうなぁという気持ちとともに、一人ひとりが血の通う人間として生きていることに、うらやましいなぁという感情を抱かずにはいられませんでした。このような人々によって、「逝きし世の面影」は――渡辺さんのいうある一つの文明は作られていたのです。僕は心をこめて彼らの霊に献杯せずにはいられませんでした()

 *ぜひ多くの方に『ニッポンチ!』をお読みいただきたいと思い、静嘉堂文庫美術館ミュージアム・ショップに置かせていただきました。現在開催中の「江戸のエナジー」展は27日まで、少しお休みをいただいて、220日から「岩崎家のお雛さま」展が始まります。ご興味のある方は、観覧のあとショップで『ニッポンチ!』を手にとってご覧ください。時節柄、よく手をアルコール消毒した上で……。

  

2021年1月30日土曜日

河治和香『ニッポンチ!』3

いま浮世絵研究では、この時代にスポットライトが当たっています。事実、河治さんは、日野原健司さんの「歌川国芳の娘たち――好鳥・芳女の生涯と画業――」(『太田記念美術館紀要 浮世絵研究』10号 2019)というすぐれた論文を参考にしたことを、「あとがき」に書いています。

もし若い浮世絵研究者で、この時代に関心がある方がいらっしゃったら、日野原さんをはじめとする詳細なる論文を読む前に、あるいはそれと並行して、ぜひ『ニッポンチ!』を読むようすすめたいと思います。渡辺京二さんの名著『逝きし世の面影』に描かれたような一つ文明が、明治時代の浮世絵界にもしっかりと残っていたことを教えてくれるからです。

 

2021年1月29日金曜日

河治和香『ニッポンチ!』2

 

また浮世絵師のほかに、去年、北斎生誕260年を迎えて大変お世話になった『葛飾北斎伝』の著者である虚心・飯島半十郎や、先日すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」展をアップしたとき名前のあがった狂歌師・梅の屋鶴寿、愛蔵の藤岡作太郎著『近世絵画史』を出版した金港堂などが登場することも、ワクワクしながら読んだ理由です。

というのも、マイ『葛飾北斎伝』は、政治家にして浮世絵商という変な経歴を持つ本間耕曹の旧蔵本で、岩波文庫本じゃ~ないからです。また本書には静嘉堂文庫初代文庫長の重野成斎が序文を書いているのですが、最近このことに気づいて驚きました。マイ『近世絵画史』も、ぺりかん社復刻版ではなく、明治36年(1903)発行の初版本だというのが自慢です。

ヤジ「そんなことを自慢してなんになるんだ!!

僕が「国芳のパトロン」などと書いた鶴寿を、河治さんは「国芳の米櫃旦那[こめびつだんな]」と呼んでいます――「ウーン マイッタ!!」という感じです。

2021年1月28日木曜日

河治和香『ニッポンチ!』1

河治和香『ニッポンチ! 国芳一門明治浮世絵草紙』(小学館 2020

 すでにアップしたことがある『遊戯神通 伊藤若冲』『がいなもん 松浦武四郎一代』に続いて、河治和香さんが書き下ろした一冊です。内容は「威勢はいいのに、どこか物悲しい。意地と我慢で明治の開化の世の中を押し通そうとした歌川国芳の弟子たちと、二人の娘の物語」という腰巻がよく語ってくれています。

タイトルの『ニッポンチ』というのは、河鍋暁斎と仮名垣魯文が、ワーグマンの『ジャパン・パンチ』の向こうを張って、明治7年(1874)出版した雑誌『絵新聞 日本地』のことです。もっとも3号雑誌で終わったようですが……。『ニッポンチ!』の本編にあたる『国芳一門浮世絵草紙』全5巻も読み応えあるシリーズでしたが、その余話ともいうべき本書の方が、僕の心には深くしみたのでした。

 

2021年1月27日水曜日

追悼 清水義明先生4

その後、水田宗子さんが城西国際大学に日中連携大学院という大学院コースを創設されました。清水先生と僕は、ともにお手伝いをすることになりましたが、それはじつに内容豊かなプロジェクトで、これまた昨日のことのように思い出されるのです。

先生は毎年のように日本へいらっしゃり、東金や紀尾井町のキャンパスで、中国からの大学院留学生に日本の美術や考古学を教えていらっしゃいました。僕はもっぱら紀尾井町キャンパスで、しかも3日間の集中講義でしたから、一緒にカリキュラムを組む機会はありませんでしたが、もしそれが実現していたら、あるいは僕が先生のカバンモチとなって中国出張講義に出かけられたら、どんなに楽しかったことでしょう。

清水義明先生のご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。どうぞ、安らかにお眠りください。                          合掌

 

2021年1月26日火曜日

追悼 清水義明先生3

僕がうろたえていると、すぐに清水先生が助け舟を出してくれたのです。それで発言者もよく納得されたようで、そのあと30分ほどの討論も無事終了したのでした。あのとき清水先生がいらっしゃらなかったら、司会者の僕は一体どうすればよかったのでしょうか。それ以来僕は、清水先生に足を向けて寝られないのです(!?)

このCIHAの直後だったと思いますが、清水先生を東京大学へお招きすることになりました。本来なら日本文化研究センターで1年間お呼びするはずだったのですが、僕の力不足で、その半分にも満たない短期間になってしまいました。しかしこの間、先生とはさらに親しくなることができましたし、仏教における本覚思想をはじめ、多くのことを教えていただいたのです。

 

2021年1月25日月曜日

追悼 清水義明先生2

そこでよく存じ上げており、論文も拝読して深く心に残っている清水先生、ドリス・クロワッサンさん、ジャン・カルロ・カルツァさん、坂本満さん、林進さんの5人に発表を依頼しました。

一応、統一テーマを「日本美術における外国からの影響――16世紀~19世紀――」と設定しましたが、皆さんにはそれぞれ関心のある問題を取り上げて自由にお話くださいとお願いしました。僕は初めに簡単な趣旨説明をやれば、あとは司会だけという簡単な役回りです。

それぞれ興味深い発表が終わって、ディスカッションに入りましたが、冒頭、会場にいらっしゃったある研究者からの発言がありました。19世紀も入っているのに、近世の発表ばかりで、近代が一つもないというのは偏りすぎているという指摘のように思われましたが、僕のヒヤリング能力では、それさえあまり定かでではありませんでした。

 

2021年1月24日日曜日

追悼 清水義明先生1

 


 米国・プリンストン大学名誉教授の清水義明先生が、120日、オレゴン州・ポートランドのご自宅でお亡くなりになりました。1936年のお生まれですから、84歳か85歳でしょう。先生はアメリカにおける日本美術史研究のトップランナーでした。そのアメリカで、いま日本美術史研究者として大活躍中のアンドリュー・ワツキーさんと、ユキオ・リピットさんから、悲しみのメッセージが相次いで入りました。

先生とはずいぶん早くにお会いしたように思いますが、何かの国際シンポジウムだったでしょうか。しかしもっとも強く印象に残っているのは、19927月、ベルリン国際会議場で行なわれた国際美術史学会(CIHA)会議です。そのアジア美術セッションを企画してほしいと頼まれた僕は、時間も4時間と限定されていたので、思い切って日本美術史にしぼることとしました。

2021年1月23日土曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」4

 


周りの女性を数えてみると、赤ちゃんや子供を含めて36人です。36というのは多数を意味する縁起のよい数字で、36歌仙や葛飾北斎の「富嶽三十六景」はよく知られていますね。しかしこの絵は死絵ですから、仏道に志す人を守護する護法神王である36善神と関係づけたらどうでしょうか?

それはともかく、この死絵を「僕の一点」に選んだ理由は、もっぱらかわいらしいネコちゃんにあります。饒舌館長――別名「ネコ好き館長」ですからね() 画面の下の方を見ると、白いネコが前足で涙を拭きながら泣いているでしょう!! もちろん鶴寿が詠んだように雌ネコです。

ネコがよくやる顔を洗っているような仕草を、泣いている姿に転用したところに、画家のすぐれたウィットが感じられます。8代目団十郎の早すぎる逝去を悼む死絵が、トリックスターともいうべきネコちゃんのお陰で、ちょっとユーモラスなものになり、見る人の心を和ませてくれるのです。

2021年1月22日金曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」3

 

 10歳で団十郎を襲名した8代目は、若くして天才的な演技をみせましたが、とくにイケメン中のイケメンで、江戸市民から熱狂的に迎えられました。「助六」の舞台で団十郎が入った桶の水を、美顔水として売り出すと、ものすごい人気を集めたと伝えられています。ところが嘉永7(1854)86日、旅先の大阪で自死を遂げてしまうのです。享年32、その理由は謎だそうです。

平凡社版『歌舞伎事典』には、天性の華やかさと美貌を生かした児雷也や切られ与三郎などの当たり芸を残したとあります。またカタログによると、死絵が300種以上も出たそうで、「僕の一点」もそのうちの1枚なのでしょう。賛者は歌川国芳のパトロンとして有名な狂歌師・梅の屋鶴寿でしょう。「牡丹」は市川家の替紋である杏葉牡丹を指すと思われますが、「ひさごのつるの林」とは? ご教示をお待ちいたしております。

*早速、以前アップしたことがある中村奨学会の中村眞彦・まり子さんから吉報が入りました。「つるの林」=鶴林=入滅を意味し、「ひさご(瓢)」は、俳諧を好んだ2代目団十郎が松尾芭蕉から瓢箪を譲り受け、市川家の家宝として衣裳紋にも使っていたことにちなむとのことです。ありがとうございました❣❣❣❣❣❣❣❣❣



2021年1月21日木曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」2


「僕の一点」は、筆者不詳の版画「死絵 八代目市川団十郎」ですね。8代目団十郎の肖像掛幅画の周りで、たくさんの女性が悲嘆にくれ、あるいは泣きくずれています。肖像の両脇に次のような款記と賛が見えます。

嘉永七甲寅年八月六日 猿白院清日田信士 行年三十二才 

辞世 うしろ不二難波に残す旅の空

  女猫まで袖になみだをふく牡丹 なくやひさごのつるの林に 梅屋

 

2021年1月20日水曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」1

 


すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA 江戸戯画から近代漫画へ」<124日まで>

 漫画・諷刺画研究科の清水勲さんをゲスト・キューレーターに迎えて企画された、おススメの展覧会です。清水さんはカタログに「日本漫画の歴史」という簡にして要を得た一文を寄せて、江戸時代の諷刺表現である戯画が、いま僕たちが認識している漫画の原点であることを明らかにしています。

最後に清水さんは、「『商品としての漫画』を300年前から楽しんだ国民はあまりいなかったのではないか。それは日本の大衆文化の誇りだと言ってよい」と書いています。「おっしゃるとおり!!」と拍手したい気分になるこの結論が、300点以上の作品によって、自然に腑に落ちるよう、じつにうまく構成されています。

清水さんに直接お会いしたことはありませんが、編集された『ビゴー日本素描集』『ワーグマン日本素描集』(ともに岩波文庫)には、これまでずいぶん楽しませてもらってきました。

2021年1月19日火曜日

コロナ短歌3

 以下、月日を追ってコロナ俳句とコロナ短歌を紹介し、最後は「緊急事態宣言が解除されたいまも、『コロナ』を詠った作品が数多く寄せられている。一つ一つの句や歌に、市井の人々の思いが刻み込まれている」と締めくくられています。

ふたたび緊急事態宣言が発出された今読むと、あのころはまだ余裕があったなぁといった感じにとらわれますが……。『朝日新聞』の求めに応じて、8人の選者も詠んでいますが、短歌の方だけを掲げさせてもらいましょう。

  不要不急の人ともなりて青葉濃し破滅しさうな浦島となる      馬場あき子

  今日の死者二十五とあり二十五の顔と五十本の手を思うべし     佐佐木幸綱

  コロナ禍で消えた無数の灯の一つ神保町の飲み屋<酔[]の助>   高野公彦

  すでに目盛りは一〇〇〇万まで切られてゐてそのおほよその到達時間 永田和宏

 

2021年1月18日月曜日

コロナ短歌2


新型コロナウイルスの感染が最初に中国で確認されてから約半年。私たちの暮らしにどのような影響を及ぼしたのか。毎週日曜朝刊の朝日俳壇・歌壇に掲載された俳句と短歌を通してたどり、8人の選者に作品を寄せてもらった。

朝日俳壇に初めてコロナ禍の句が載ったのは210日。短歌はその翌週だった。どちらも題材は、入手困難な状況が続くマスクだった。

   旅人の如くマスクを探しけり              斎藤紀子

   薬局のマスクの棚の空白に薄き不安が積もりてゆけり   水谷実穂

  人々の表情や視線は次第にとげとげしさを増す。

   マスクして徒[ただ]ならぬ世に出てゆけり        縣展子

   咳をしたら人目                    中村幸平

   咳をする静まり返るバスの中「花粉症です」被告のごとし 和田順子

 

2021年1月17日日曜日

渡辺南岳筆「玄宗楊貴妃一笛双弄図」6


 相見先生は、南岳の江戸下向を文化のはじめと推定した上で、そのころ抱一はすでに一家の風格をなしていたことをもって、就学説否定の根拠とされました。しかし、寛政の終りから享和年間の制作と思われる「庭柏子」落款や「冥々居」印の抱一草花図では、まだ一家の風格をなすまでに至っていませんから、その後における抱一様式完成の過程で、南岳草花図が影響した可能性は、十分考えられるように思われます。

それはともかく、「渡辺南岳の研究が不充分な現段階において、断定的なことはいえないけれども、一応の指摘を行なって後考に俟ちたいと思う」――なんてカッコいいことを書きながら、その後まったく何も研究していないことには忸怩たるものがあります。しかしブッチャケをいえば、「後考に俟ちたい」というのは、「これから先、何もやらないだろう」というのと同じ意味なんです()

2021年1月16日土曜日

渡辺南岳筆「玄宗楊貴妃一笛双弄図」5

 

土方寛柔は通称・寛十、字は子強といい、仏光寺柳馬場西に住んでいたようです。おそらく寛柔を通して南岳の遺族に届けられたであろうこの追悼句は、抱一と南岳が大変親しい関係に結ばれていたことを教えてくれます。

ところで、抱一の草花図は明らかに円山四条派の影響を受けています。とくに構図と現実的な季節感において……。ここに南岳を介在させたい誘惑に、饒舌館長は駆られるのです。

早くから抱一には、円山応瑞就学説や南岳就学説がありましたが、これは相見香雨先生によって否定されています。しかし少なくとも南岳からは、直接学んだことがなかったとしても、かなり強い影響を受けたのではないでしょうか? 

南岳江戸下向の年代が分からないことは残念ですが、抱一に対する南岳の影響を推定する根拠については、かつて「抱一の伝記」という一文に開陳し、拙著『琳派 響きあう美』に収めたことがあります。


2021年1月15日金曜日

NHK日曜美術館・アートシーン「江戸のエナジー 風俗画と浮世絵」放映


 いま「饒舌館長」では渡辺南岳筆「玄宗楊貴妃一笛双弄図」をアップ中ですが、お楽しみいただいておりますでしょうか? この名品が出陳されている静嘉堂文庫美術館の「江戸のエナジー 風俗画と浮世絵」展が、明後日117日(日)、NHK・Eテレ「日曜美術館・アートシーン」で紹介されます。1回目は午前9:45から、2回目は午後8:45からです。

美術ファンの方、江戸絵画熱中症の方、浮世絵オタクの方は必見ですよ!! 緊急事態宣言が出て、外出を控えていらっしゃる方も、この「アートシーン」を見たら、二子玉川まで出かけて本物に触れたくなっちゃうかな?

  

渡辺南岳筆「玄宗楊貴妃一笛双弄図」4

静嘉堂文庫が所蔵する『軽挙館()句藻』は、抱一の自筆稿本であり、抱一研究の第一次資料としてもよく知られています。その「放鶯処」と題される1冊を見ると、文化10年(1813)の条に次のように記されています。

む月四日南岳身まかりけるよし門人寛柔が書状とゞきけるに

  春雨にうちしめりけり京の昆布

 渡辺南岳はこの年14日、47歳で没し、東山の双林寺に葬られました。南岳の弟子である土方寛柔が、書状に京都の昆布を添えて師の逝去を知らせてきたので、抱一は上記の一句を手向けたのです。寛柔については何も分からず、作品を見たこともありません。しかし文化10年版『平安人物志』に載っていますので、当時は一応知られた画家だったのでしょう。

 

2021年1月14日木曜日

渡辺南岳筆「玄宗楊貴妃一笛双弄図」3

 絵のすぐれた出来栄えに加えて、亀田鵬斎の賛が作品のクオリティーを高めていますが、もう一つ、箱書きを見逃すことができません。かの酒井抱一が蓋表にタイトルを、蓋裏に南岳と鵬斎をたたえる一文を書いています。しかも文化9(1812)の年紀があります。新しい箱に、その部分だけを遺した形になっていますが……。

しかしどうして京都で生れ京都で活躍した渡辺南岳の作品に、江戸で活躍した鵬斎や抱一が関与することになったのでしょうか? 

それは南岳が江戸に下ったことがあり、江戸の文人たちと交流したからなんです。とくに抱一とは金蘭の友だったように思われます。

 

2021年1月13日水曜日

渡辺南岳筆「玄宗楊貴妃一笛双弄図」2

もっとも、饒舌館長<自身>も<自信>作だったのですが()、吉田さんのヨイショに悪乗りして、「饒舌館長」にもエントリーすることにいたしました。イベントは中止となりましたが、展覧会の方は予定通り27日まで開く予定にしています。コロナ対策は万全を期しておりますので、どうぞ皆さまご来館のうえ、この傑作を堪能していただきたいと祈念しております。 

肩を寄せ合い横笛を 一緒に吹いてる睦まじく

  奏者はふたり笛ひとつ 絶えることなき笛の音よ

  楊貴妃 指孔[ゆびあな]押さえれば 玄宗 指を撥ね上げる

  押さえる指と撥ねる指 時々そっと触れ合って……

  二人で奏でる笛の音は 情趣纏綿 風に乗り

  響き渡って大空へ 月宮殿まで届くだろう

  今夜は神も仙人も 眠ることなどできやせぬ

  豪華な御殿の大奥を 月から覗き見するんだろう

 

2021年1月12日火曜日

渡辺南岳筆「玄宗楊貴妃一笛双弄図」1

 我が静嘉堂文庫美術館には、円山派の画家で応挙門10哲の一人である渡辺南岳の傑作「玄宗楊貴妃一笛双弄図」があります。これを「江戸のエナジー 風俗画と浮世絵」展に出陳することにしましたが、もちろんマイおしゃべりトーク「美人画もあり静嘉堂 饒舌館長ベストテン」にも選び、正月休み中お屠蘇を飲みながら準備を進めていました。

しかしふたたび緊急事態宣言が出されたため、すべてのイベントは中止することになってしまいました。しばらくぶりでしゃべりにしゃべって、ストレスを発散させたかったのですが残念無念!!

ところでこの作品には、亀田鵬斎による七言律詩の漢詩賛があるので、毎度お馴染みの戯訳を作って配布資料に加えました。これを担当学芸員の吉田恵理さんがいたく気に入ってくれて、急遽キャプションに加えるとともに、ツイッターで喧伝してくれました。

  

2021年1月11日月曜日

コロナ短歌1

 

 僕は『朝日新聞』を愛読しています。一番の理由は『國華』のスポンサーだからです() しかしもう一つ、読者が投稿する「歌壇」のクオリティーがとても高いからです。けっして他紙の歌壇をけなすわけじゃ~ありませんが、読み比べると、心に響く歌がとても多いように思います。投稿者がすぐれているのか、選者がいいのか、おそらくその相乗効果なのでしょう。

その朝日歌壇に加えて朝日俳壇も取り上げた「コロナ禍を詠み 思い刻む」という特集記事が、去年619日の朝刊に載りました。文化くらし報道部の西秀治さんと佐々波幸子さんがまとめたものです。そのリードに続けて、本記事の書き出し部分も引用しておきましょう。

2021年1月10日日曜日

銘ウィスキー「スペイバーン」2

きっと寄る年波で、マイルドなのがよくなってきたのでしょう。愛読書である土屋守さんの『モルトウィスキー大全』(小学館)を開くと、やはり「飲みくちはドライでライト、……食前酒として女性にもお薦めである」などと書いてありました。

創立は1897年――静嘉堂文庫の5年後、蒸留所は聖地ハイランドの中心をなすスペイサイドのローゼス、仕込み水はスペイ川の支流グランティ川とあります。スコットランドで僕が行ったことがあるのは、「タリスカー」を醸すアイル・オブ・スカイと中心都市エディンバラだけです。

2度もスコッチ醸造所巡りをやった中村節子さんに、いつか「スペイバーン」について聞いてみたいと思います。いや、『モルトウィスキー大全』を見ると「見学施設なし」と書いてありますから、中村さんもスルーしたはず、せめてスペイサイドの印象だけでも語ってもらいましょう。

 

2021年1月9日土曜日

銘ウィスキー「スペイバーン」1


 先に紹介した唐寅は、「酒を進める歌」のなかで「白髪頭で飲んだとて心に穴が開いたよう」――原詩は「白頭愛酒心徒在」――なんてうたっていますが、そんなことはありません。今年78歳になる白髪頭の饒舌館長だって、このお正月、心に穴が開くどころか、いつもよりグッと満たされましたよ()

お屠蘇に始まって、「王舎城」「真澄」「農口プレミアムヌーボー」「森伊蔵」「百年の孤独」「シーバスリーガル」「ザ・グレンリベット」「スペイバーン」「プレミアムモルツ」――でも、唐寅が勧めるようにジャンジャカやるわけじゃ~なく、みんなチョビチョビですよ() 

 この中で今日取り上げたいのは、義理のアネキからクリスマスプレゼントにもらった「スペイバーン」ですね。かつてやったときは、ガツンとくるものがなく、チョット物足りなかったのですが、今回これは銘酒だ!!と感を深くしました。 

2021年1月8日金曜日

謹賀新年2021 8

  


  梁の劉生 任侠に 生きて落ちぶれ鋤[すき]で田を……

  千日間酔い続けても 非難さるべきことじゃない――君もそうだと思うだろう

  晋の畢卓[ひったく] 放胆に 生きアル中になってなお

  両手に肴とサカズキを 掲げて飲んだが何故わるい?――君もそうだと思うだろう

  君に勧めん 飲むならば 李白みたいに百斗飲め!!

  しかし飲んでもあんな詩が 我らにできるはずもない

  しょせん昔の天才を うらやむなんて愚の骨頂

  よし有名になったとて 酒にしくものありやせぬ 

2021年1月7日木曜日

謹賀新年2021 7

   


  秋美しき洞庭湖 酒がなければただの池

  蘇州美人は十五歳 微笑んでいる高級バー

  翠[みどり]のかんざし首飾り 着飾ってるのは誰がため

  「お金を持っているんでしょ!?」 客に呼びかけ誘ってる

  豪華な楼閣並んでる 煉瓦の道の両側に

  光と風が屋根の上 いつも輝き流れてる

  扇子かざして歌う声 聞こえてきます なまめいて

  酒樽を背に舞う姿 いよいよもって軽やかに

  情趣纏綿 得も言えず 舞ってる姿歌う声

  なまめく痴態 酔客の 求めに応えりゃ盛り上がる

  着物を質に入れてなお 惜しまず杯[はい]を重ねれば

  日は落ち月が昇っても まさに不夜城 夜は明けず





2021年1月6日水曜日

謹賀新年2021 6

 

 お正月にちなんで、唐寅が詠んだお酒の詩「酒を進める歌」も紹介せずにはいられません。唐寅も中国のよき伝統を受け継ぐ酒仙だったようですね。いや、酒仙だったからこそ、中国のよき伝統を受け継いでいたことになるんです()

俺は毎日黄金の このサカズキが手放せず

  どうぞ君たち聴いてくれ 酒をすすめるこの歌を

  若い時こそ人生を 楽しむべきだ!! 人間は

  ものさみしくも年老いて この空虚さをいかんせん

  つやつやした顔 色あせて ふたたびもとに戻りゃせぬ

  白髪頭[しらがあたま]で飲んだとて 心に穴が開いたよう

  昨日も今日の朝さえも 過ぎてしまえば夢の夢

  満開の春 秋の月 どうして待ってくれようか?

2021年1月5日火曜日

謹賀新年2021 5

  風に吹かれたヨモギの穂 道に散ってるお正月

  霞にかすむ美しき 花は野中の寺の庭

  昨日は飲んで酣酔し 今日も今日とてまた痛飲

  元宵節のともし火の 点灯・卸灯は同じこと

  僧を迎えて苦労して 作る詩の韻むずかしく……

  温かい部屋よい香り 妓女と一緒に香を焚く

  「チョット訊くけど我が社中 結ばれている同朋よ!!

  すべて可なりと思ってる 俺の嗜好と同じかな?」

 

2021年1月4日月曜日

謹賀新年2021 4

 今年は『蕪村横物三部作試論』に続いて、「蕪村唐寅試論」なる独断と偏見を『國華』に寄稿しようと思い、『唐寅集』(『中国古典文学叢書』上海古籍出版社)を読み始めました。唐寅は蕪村が尊敬していたと思われる明代中期の画家にして詩人です。去年、石守謙さんの『國華』論文から、唐寅の画賛詩を紹介したように……。

明代のすぐれた詩人とはいえ、唐寅の詩なんて、吉川幸次郎先生の『中国詩人選集』第二集<元明詩概説>に載る七言絶句一首しか知りませんでしたが、『唐寅集』に「新春の作」なる七言律詩が載っていました。唐詩とちがってゴチャゴチャしており、何を言っているのかよく分からないのですが、ともかくも戯訳をつけてみました。しかしこんなもんでいいのかな()

 

2021年1月3日日曜日

謹賀新年2021 3

白魚[しらうお]の指重ねては 束ねるカラスの濡れ羽色

かんざし緑の黒髪に 滑って差すことできやせぬ

春風爛漫 物憂げで なよやかな美人 悩ませり

芳紀十八 鬟[まげ]の型 多くて選ぶの 迷ってる

髪美しく化粧済み 崩さんとするも崩し得ず

雲の裳裾でゆるやかに…… 砂上を歩む雁のよう

背を向けた上もの言わず 恋人置いてどこへ行く

階段下りて自分から 手折った花は桜桃[ゆすらうめ]

 

2021年1月2日土曜日

謹賀新年2021 2

 この正月は、すでにお知らせした111日のマイおしゃべりトーク「美人画もあり静嘉堂 饒舌館長ベストテン」の準備をして過ごしています。もちろんお屠蘇をやりながら() そこで昨日に続き、荒井健さんが解説校注を施した岩波版『中国詩人選集』の「李賀」から「美人 頭を梳るの歌」を選んで……。楊貴妃や西施をはじめ、美人をたたえた詩はたくさんありますが、やはり鬼才・李賀だと感を深くします。

西施は夢む暁に 絹のカーテン陰寒し

かんばしき鬟[まげ] 髻[もとどり]は くずれ口紅色褪せて

つるべの滑車カラカラと 鳴る玉のごと回ってる

蓮花驚き起きたけど 眠りに落ちるもう一度

鏡にゃ二羽の鸞鳥が…… 開けば秋の水光る

髪があんまり長いので ベッドの上に立ち映す

一束の髪広がって 雲のごとくに床覆い

玉のかんざし落ちたって エレガントなり音もなし

*今年もお元気な方は「さん」、鬼籍に入ったか方のみ「先生」とお呼びする「饒舌館長」の慣例にしたがうことをお許しくださいね。

 

2021年1月1日金曜日

謹賀新年2021 1

 

 明けましておめでとうございます。去年はあまりよい年ではありませんでしたが、今年はその分を取り返す年、いや、取り返して余りあるリベンジの年にしたいですね!! 

去年は服部南郭、一昨年は王安石の春をことほぐ詩をもって「饒舌館長」を始めたような気がしますが、今年は愛してやまない李賀の一首「河南府詩 十二月楽辞 并びに閏月」の「正月」をもってスタートすることにしましょう。真面目な王安石や南郭に比べると、ちょっとセクシーですが……。これはいつもの七五調ではなく、5/7/5/7/7に読んでくださいね。

高殿に登って春を迎えれば 柳は黄緑「きみどり」時間は緩慢

ごく淡い靄が野原に立ち込めて 垂枝短く寒風にそよぐ

美しきベッドに横たう玉の肌 暁明けるも瞼[まぶた]は開かず

若すぎて折るに忍びず大路の柳 五月に菖蒲と葺けるだろうか?

*今年のマイ年賀状は、一昨年、東京ステーションギャラリーで拝見し、深く心に残った「メスキータ」展の「二頭の牛」からパクったものです。

渡辺浩『日本思想史と現在』6

  一般的なくくりでは比較思想史ということになるのかもしれませんが、渡辺さんの思考方法は、もっと能動的です。所与のものを単純に比較するのではありません。例えば纏足を論じながら、話はコルセットへ向うのですが、そこにはある必然がチャンと用意されているんです。起承転結というか、展開のさ...