2022年7月31日日曜日

ボストン美術館日本美術総合調査図録7

 


 調査結果はこの『総合調査図録』を見ていただくことにして、「僕の一点」を選ぶとすれば、英一蝶の「涅槃図」をおいて他にないでしょう。正徳3年(1713)一蝶によって描かれた巨幅で、これまでまったく知られることのなかった傑作でした。軸頭に一蝶と親しかった横谷宗珉による唐獅子図の彫物があることも貴重です。

ずいぶん経ってから『國華』1373号に紹介しましたが、この件は「饒舌館長」にアップしたことがあるように思います。その『國華』掲載号を手にしたときは、鹿島美術財団に対して責任の一端を果たしたような気持ちになり、ホッとしたものでした。アシアゴ付きで4回もボストンへ旅行させてくれた鹿島美術財団に対して……()


2022年7月30日土曜日

ボストン美術館日本美術総合調査図録6

 

もちろん僕一人でできるはずもありません。一緒に調査をやったのは、河合正朝、榊原悟、木村重圭、安村敏信、田島達也、佐々木丞平、ティモシー・クラーク、佐藤康宏、成澤勝嗣の諸氏でした。アン・ニシムラ・モースさんをはじめ、ボストン美術館の学芸員さんが、スムーズにいくよう完璧に準備してくれたことも忘れられません。

基本的に31組となり、一人は作品係、一人はノート係、一人はカメラ係と決め、「ハイ次、ハイ次」という感じでドンドコやりました。さすがの饒舌館長も、無駄口をたたいているヒマなどありませんでした() もっともその頃は、まだ「饒舌館長」と名乗っていませんでしたが……。


2022年7月29日金曜日

ボストン美術館日本美術総合調査図録5

 

 僕も辻惟雄さんから求められて調査の一部を担当し、この『ボストン美術館日本美術総合調査図録』の編集にもチョットだけ協力、章の概説を書かせてもらいました。「江戸時代狩野派」「円山四条派」「洋風画・南蘋派・南画・諸派」の3章です。江戸時代狩野派の調査は1998年と1999年、円山四条派は2000年、洋風画等は2001年、それぞれ夏休みの20日間ほどを当てました。

これまで何度も「饒舌館長」に登場してもらっている(公財)鹿島美術財団が、費用のすべてを担ってくれました。調査はウィークデーの10時から、1時間のランチタイムをはさんで夕方5時まで、何しろ数が多いので、1日最低40点と決めてやることにしました。


2022年7月28日木曜日

ボストン美術館日本美術総合調査図録4

この技法アルテにおいて彼ら(日本人のことです)は、自然の事物を描くのに、できる限りすぐれた類似性をもって自然を模写することにおいてきわめて優秀であるが、架空で想像上の事物を描いた絵画では、才能を発揮して、大いにそれらしく作り上げるのであって、あるがままの自然に従っているのではない。たとえば想像上のさまざまな花や形を技巧的に組み合わせたり挿入したりするとか、その他この種のことをする。普通一般に、彼らはその憂愁な気質からして、ものさびしく郷愁をそそる絵画に心を引かれる。たとえば一年の四季であれば、それらの各季節に成育し存在するふさわしい事物によって、それぞれの季節にその色を割り当てる。

 

2022年7月27日水曜日

ボストン美術館日本美術総合調査図録3


 この総合図録によって日本美術史の研究と、展覧会企画立案のアイディア、さらには日本美術に対する我々の尊敬と矜持が飛躍的に伸張することは疑いありません。ちょうどいま僕は、ジョアン・ロドリーゲスの『日本教会史』(大航海時代叢書Ⅹ 岩波書店)を読んでいるところでした。その第2巻第2章「日本のいくつかの技芸について、まずその絵画について」から、一節を引いておくことにしましょう。

全体はけっこう長い章です。すでに知られているのかもしれませんが、僕ははじめて逢着した日本絵画論で、とてもおもしろいと思いました。このような観点から、『ボストン美術館日本美術総合調査図録』のページを繰るのも、知的遊戯の楽しみだといってよいでしょう。

2022年7月26日火曜日

ボストン美術館日本美術総合調査図録2


  定価¥46200――チョットお高めですが、きわめて充実した「解説篇」と、カラー口絵64ページをふくむ鮮明な「図録篇」を考えたら、むしろリーゾナブルでしょう。これからの日本美術史研究において、なくてはならない総合調査図録です!! 

とくに美術館や博物館では、必須の基本図書となるはずです。図書館でも「禁帯出」としてお備えいただければ、その館のステータスがグッと高くなることでしょう。館長さん、学芸員さん、司書さん、庶務の皆さん、ぜひご一考くださいませ。

発行されたのは4ヶ月前、もう「残部僅少」です――「残部僅少」なんじゃないかな?――「残部僅少」であってほしいな() 

2022年7月25日月曜日

ボストン美術館日本美術総合調査図録1

辻惟雄/アン・ニシムラ・モース/高岸輝監修 公益財団法人鹿島美術財団編

 『ボストン美術館日本美術総合調査図録』(中央公論美術出版 2022年)

遂に『ボストン美術館日本美術総合調査図録』が刊行されました‼ 内容は下記のごとし――簡潔にまとめられたチラシをそのまま引用させてもらいましょう。このプロジェクトの発案者である筆頭監修者・辻惟雄さんの「海外における最高最大の日本美術コレクション」というズバリ一言を、これに加えたいと思います。

1991年から3度にわたり鹿島美術財団の助成により行なわれた、ボストン美術館に収蔵される日本美術作品の調査成果をまとめた総合図録。古代の仏画、仏像から明治時代の近代絵画まで2976件の制作年代・法量・落款・調査者による所見などの詳細なデータと3494点の画像を収録。世界に類をみない日本美術の宝庫ともいうべき貴重なコレクションの全貌を一冊にまとめる。 

2022年7月24日日曜日

「シャネル展」とアラン・レネ」6

しかし、こんな映画がこれからのベクトルなら、俺にはとても無理だという気持ちに陥りました。ヤッパリ俺は「笛吹童子」や「GIブルース」が性にあっているんだと思いつつ、館をあとにしたものでした()

実際のマリエンバートはチェコの温泉保養地だそうですが、撮影に使われたミュンヘン・ニンフェンブルク城のフランス庭園が、日本の庭園や庭とあまりにも違っていたことを思い出すだけです。同じ鑑賞・逍遥するための空間でありながら……。

泥棒容疑の男が警官に職務質問され、「その時間なら『去年マリエンバートで』を見ていた」と容疑を否認すると、「それじゃ、その筋を言ってみろ」と追及される。当然男は答えられず、本当に逮捕されちゃったというジョークがあるそうです。僕に映画を断念させ、美術史へ進めてくれたのは、実に巨匠アラン・レネだったのです()

 

 

2022年7月23日土曜日

「シャネル展」とアラン・レネ5

 

「二十四時間の情事」は人生坐で見ました。あるいは文芸坐だったかもしれませんが、ともかくも池袋だったような気がします。イケメンの――その頃こんな言葉はありませんでしたが――岡田英二とエマニュエル・リヴァのラブシーンに見とれましたが、内容はよく理解できませんでした。

それが公開直後に見た「去年マリエンバートで」になると、「夜と霧」を洗練させた手法なのか、完全にお手上げです。アラン・レネがもとにしたという黒沢明の「羅生門」や、影響を受けたに違いないと愚考するグリフィスの「イントレランス」なら、まだ筋も追えましたが……。


2022年7月22日金曜日

「シャネル展」とアラン・レネ4

2007年、クラクフManggha日本美術芸術センターにおける「日本ポーランド友好50周年記念会議 進展の文明・革命の文明」の日本美術史パネル「日本美術の機能――公と私の間」に参加した時、何か行かなければいけないトポスのようにアウシュビッツを訪れたのは、「夜と霧」がトラウマになっていたからでしょう。

このパネルは、いま『國華』主幹をつとめている佐野みどりさんが企画したもので、とても刺激的な発表に満ちていました。しかし僕にとっては、パネルがなかった自由日のアウシュビッツ一人巡礼の方が、強い印象として残っているのです。

 

2022年7月21日木曜日

「シャネル展」とアラン・レネ3

 

大学に入ると、ちょっと将来への色気もあって、暇があると映画館に出かけました。『シナリオ研究』を購読したり、ジョルジュ・サドゥールの『世界映画全史』や浅沼圭司の『映画美学入門』を読んだりもしました。浅沼先生の講義も拝聴し、レポートも提出したような気がします。

その頃にはもう娯楽映画ではなくなっていて、そうなると最新のバイブルは、ヌーベル・バーグの天才アラン・レネの「夜と霧」「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」「去年マリエンバートで」ということになります。


2022年7月20日水曜日

「シャネル展」とアラン・レネ2

 

8年前アラン・レネが亡くなったとき、「饒舌館長」の前身である「K11111のブログ」に追悼の辞を捧げました。今回はこれを再録させてもらうことにしましょう。ちょっとバージョンアップを加えて……。

追悼 アラン・レネ<201431日没 享年91

 僕が好きだったのは娯楽映画でした。「笛吹童子」「紅孔雀」に始まり、やがて洋物に移っていきました。高校時代、同好の高木洲一郎君と授業を抜け出して、エルヴィス・プレスリーの「GIブルース」を見に行ったことなども、懐かしく思い出されるのです。「いちご白書をもう一度」のように、ガール・フレンドではなかったのが残念ですが……。

2022年7月19日火曜日

「シャネル展」とアラン・レネ1

 

三菱一号館美術館「ガブリエル・シャネル展」<925日まで>とアラン・レネ

 畏友・佐藤康宏さんおススメの展覧会です。アラン・レネの傑作「去年マリエンバートで」の衣裳がガブリエル・シャネル――ココ・シャネルの手になることも、はじめて教えてもらいました。

もちろん「去年マリエンバートで」は、佐藤さんがきわめて高く評価する映画なのです。かくしてアラン・レネにチョット思い入れのある饒舌館長としても、ぜひ観なければならない「シャネル展」とは相なりました。

この週末にでも出かけようと思っていたところ、ひどいギックリ腰をやらかして、延期せざるをえなくなりました。来月になったら必ず観に行き、印象批評をアップすることにしましょう。

2022年7月18日月曜日

追悼 田沼武能先生13


  『朝日新聞』716日夕刊の「惜別」に田沼武能先生が登場、勝又ひろしさんが惜別の辞を書いています。勝又さんにお会いしたことはありませんが、「25年ほど前、アサヒカメラ編集部に配属され、田沼さんを中心にカメラの新製品を評価する会議に参加した」とありますから、『朝日新聞』のカメラマンなのでしょう。

いや、『朝日新聞』の写真家なのでしょう。勝又さんはその席で、カメラマン、カメラマンと連発したらしく、田沼先生からちゃんと「写真家」と言わなきゃダメだよと叱られた思い出から書き始めているのですから……。

 田沼先生は犬猿の仲といわれた二人の巨匠、木村伊兵衛と土門拳から、ともに可愛がられました。勝又さんは、田沼先生の下町育ちの率直さと、誠実な人柄のゆえだと述べていますが、それは先生の写真からもよく感じられるところではありませんか。

2022年7月17日日曜日

追悼 田沼武能先生12

 

難民の子どもたちは、どんな苦難に直面しようとも、力いっぱいその壁をのりこえて生きている。決して希望を捨てない。私は、そんな姿に人類の強いエネルギーを感じる。

その(難民の)多くは国と国、または民族と民族、権力者が起こす内紛や戦争に巻き込まれ、悲劇の主人公となってしまったのである。そんな中でも子どもたちは夢と希望を求め、瞳をキラキラと輝かせ、日々の苦悩を吹き飛ばして生きている。いいかえれば、子どもは常に前向きに生きるエネルギーがある。そのエネルギーに大人は勇気づけられているといっても過言ではない。

2022年7月16日土曜日

追悼 田沼武能先生11

みずからゲットした田沼武能先生の写真集としては、『カラー版 難民キャンプの子どもたち』(岩波新書)があります。人間はおろかな存在だということを改めて思い知らされますが、つねに前を見つめて懸命に生きる子供たちに救われます。

このような世界――さらに過酷となった今日の世界にあって、日本は、われわれ日本人は、そして僕はいかに生きていくべきか考えさせられますが、もちろん答えなど出るはずもありません。

 鷲田清一さんにならって、田沼先生の序跋から折々のことばを引用して終ることにしましょう。あるいは過酷というよりも、さらに残酷になった今日の世界にあって、田沼先生のように子供たちから明るい希望をもらって残り少ない余生を生きていきたいと思うばかりです。 

2022年7月15日金曜日

追悼 田沼武能先生10

 

実をいうと家蔵『時代を刻む貌』は、田沼武能先生と多田亜生さんから頂戴した大切な1冊なのです。多田さんは長いあいだ親しくさせてもらってきた素晴らしい編集者です。内表紙に田沼先生の墨痕淋漓としたサインがあり、「武能」という朱文方印が捺されています。多田さんがそのころクレヴィスの仕事をされていたので、田沼先生からサインをもらって僕にプレゼントしてくれたのでした。

先日、『朝日新聞』のコラム「折々のことば」に、鷲田清一さんがとてもいい田沼先生の言葉を引用されていらっしゃいましたので、これも紹介させていただくことにしましょう。

映された子どもたちのように、明るい笑顔でお地蔵さまと接していられるのは、戦後日本は戦争をおこしていないからだ。


2022年7月14日木曜日

追悼 田沼武能先生9

 

 11月中旬、京都・大原は紅葉の真っ盛りだった。その紅葉を眺めながら山道を登ると、丸太に「小松均墨絵教室」と札が下がっていた。丸太門を入ると家が何軒もあり、どれが氏の住まいか分からない。大声で呼ぶと数匹の犬に吠えられてしまった。まるで仙人屋敷のようだった。

 やがて返事があり、奥の1軒に入った。小松氏は86歳、今夜は寒さが厳しいから教室で絵を描くという。夫人はあわてて石油ストーブに火をつけた。教室は広く、裸のマネキン人形、鳥の剥製などが置いてあり、壁には「敬慮」、「遠くの物は近くに見よ、近くのものは遠くに見よ、筆は剣より重し」、その隣に「マムシが出ます。出来れば長グツ持参」など、小松語録があちこちに貼ってあった。

 富士山を描く氏は口から咥えタバコを切らさない。それが短くなって口唇がやけどするのではないかと思うところまで吸っている。そしてゼーゼーと息をしながら時おり咳きこむのであった。


2022年7月13日水曜日

追悼 田沼武能先生8

 


あるいは、田沼武能先生がスチール写真に小さな動きを加えようとされたのでしょうか。その傑作は、これまた大好きな「佐藤春夫」と「小松均」ですね。「佐藤春夫」は田沼先生にとっても自信作だったのでしょう、表紙に選ばれています。

しかし「小松均」も甲乙つけがたき一点だと思います。その取材ノートを引用させてもらうことにしますが、会ったこともない小松均画伯を彷彿とさせて、写真に劣らずいい文章だと、心を深く動かされます。

2022年7月12日火曜日

追悼 田沼武能先生7

 


それがもっとも際立つのは、僕の大好きな永井荷風に対する取材ノートでしょう。両者ともお金の話をオチにしていますが、土門拳は自分が荷風におごったことをあえて書き、田沼先生は荷風の預金通帳に2千数百万円が残っていたという新聞記事をただ引くだけにしています。両者の対照が実におもしろいじゃ~ありませんか。

『時代を刻んだ貌』をながめていると、煙草を吸っている男性の写真がとても多いことに驚きます。どなたかのおっしゃった<禁煙ファシズム>などまったくなかった時代、男が煙草を吸うのは当たり前だったわけですが、芸術家の場合にはパーセンテージも高かったのでしょう。

2022年7月11日月曜日

追悼 田沼武能先生6

 

しかし僕の好みをブッチャケにいえば、やはり田沼武能先生の『時代を刻んだ貌』ですね。もっともこれは、僕が程よいバランス感覚をもつ人間であることの反映かもしれませんが……() 

それはともかく、田沼先生と土門拳の違いを写真よりもっと端的に教えてくれるのは文章の方です。両者とも、一人ひとりに取材ノートを添えています。土門拳はほとんど自分を、あるいは自分との関係を語っていますが、田沼先生は対象を語り、ときどきチョット自分の感想を加える程度にとどめています。

2022年7月10日日曜日

追悼 田沼武能先生5

 

山口さんは年少の田沼さんをヒイキにしていた。田沼さんぐらい、大家ぶらない、芸術家ぶらないカメラマンはいないのではないか、と思っていた。田沼さんの写真には何か詠み人知らず、といったような趣があると言ったのは山口さんである。これは田沼さんの人と芸術を言い当てて、まさに至言である。

もちろん、肖像写真としてどちらがすぐれているかなどという問題を、ここで議論することはナンセンスでしょう。それぞれ肖像写真として最高の境地に達していて、比較すること自体が間違っていると思います。





2022年7月9日土曜日

追悼 田沼武能先生4

 



僕は土門拳の『風貌』(講談社文庫)も書架から引っ張り出してきて、一緒にながめながら、このエッセーを書くことにしました。あちこちとページをめくっていると、田沼武能先生の写真には、対象が抜かりなく写し撮られているのに対し、土門拳の写真には土門拳が抜かりなく写っているように感じられました。

たとえば両者に共通して登場する梅原龍三郎、永井荷風、柳田國男、小林古径、川端康成を比べてみれば、一目瞭然、クダクダしい比較は必要ないでしょう。瀧澤修のようにチョット区別がつきにくい作品もあるのですが、大抵はすぐに分かります。

もちろんこれはすでに指摘されているところで、『時代を刻んだ貌』に序文を寄せた親友の大村彦次郎さんは、『江分利満氏の優雅な生活』で有名な作家・山口瞳の田沼先生に対する感想を書いています。


2022年7月8日金曜日

追悼 田沼武能先生3

 

田沼先生がとらえたキーン先生のお姿は、目黒の能楽堂で狂言「千鳥」を演じる一瞬です。1956年に撮影されたものですから、34歳の若きキーン先生です。取材ノートによると、久しぶりに日本を訪れたキーン先生が、留学中に茂山千之丞師について学んだ狂言の成果を、日本の友人たちの前で披露したときの1枚で、「青い目の太郎冠者」の面目躍如たるものがあったそうです。

田沼先生は「これからの日本文化にとって最も大切な理解者となる人だろう」と結んでいます。田沼先生の慧眼にシャッポを脱ぎたい気持ちになりますが、あるいはその予想を超えていたかもしれません。キーン先生は、その後の日本文化を創り出したお一人になったのですから……。


2022年7月7日木曜日

宝塚「めぐり会いは再び」11

今回、宝塚歌劇を初めて観ましたが、みなさんの関心が大変高いことも今回はじめて知りました。たくさんのコメント、批判、体験談が寄せられたからです。例えば……。

  宝塚歌劇にもエロティシズムの強い演題は少なくない。もっとたくさん観てから論じるべきだ。

  日比谷より宝塚で鑑賞すること、その近くのスターが集まる甘味屋さんにも行くことを勧める。

  荒唐無稽というより、関西のノリと考えた方がよいのではないか?

  教育システムが宝塚歌劇と歌舞伎で大変よく似ている点も重要ではないか?

  荒唐無稽性は歌舞伎より文楽の方がずっと強い。

  お袋が大のヅカファンで、小さいころよく連れていかれ、「オマエが女の子だったら……」と言われていた。

  この「饒舌館長」ブログを読み、日本人として一度は観にいかねばなるまいと思った。

かくのごとく、酒ネタよりも、猫ネタよりも、映画ネタよりもずっとコメントが多かったんです!!!!! もちろん美術ネタよりも() 

 

 

2022年7月6日水曜日

宝塚「めぐり会いは再び」10

 

静嘉堂文庫美術館には重文に指定されて有名な「四条河原遊楽図屏風」があります。その左隻には遊女歌舞伎の総踊りが描かれています。そこに横溢していたにちがいないエロティシズムが、「グラン カンタンテ」には爪の垢ほどもありませんでした。

逸翁はあれほど強い影響を歌舞伎から受けたにもかかわらず――たとえ知らず知らずのうちにではあったとしても――歌舞伎のエロティシズムだけは、意識的に排除したのではないでしょうか。

それは宝塚新温泉で老若男女だれでもが楽しめる国民劇に不必要な要素、いや、むしろ百害あって一利なき要素だったからでしょう。

2022年7月5日火曜日

宝塚「めぐり会いは再び」9

 

阿国歌舞伎や遊女歌舞伎や若衆歌舞伎の残り香なのでしょうか、歌舞伎においてエロティシズムはきわめて重要な要素です。江戸時代、遊里と芝居が二大悪所とされた事実が、それを物語っています。またそれは、女形という倒錯した役柄に象徴されています。しかし「めぐり会いは再び」にも「グラン カンタンテ」にもエロティシズムは存在しませんでした。少なくとも饒舌館長には、まったく感じられませんでした。

もちろん、礼真琴は倒錯した役柄を演じる男役です。しかし健康そのもの、好色性の香りをそこに嗅ぎつけることは不可能でした。舞空瞳は「めぐり会いは再び」で素晴らしい脚線美を見せてくれましたし、「グラン カンタンテ」ではハイレグカットの衣装でも登場しました。

また前者ではルーチェとアンジェリークの一瞬のキスシーンもありましたし、後者ではあの有名なフレンチカンカンのようなラインダンスがありました。しかしそれらはセクシーであり女性美ではあっても、歌舞伎に感じられるエロティシズムではありませんでした。

2022年7月4日月曜日

宝塚「めぐり会いは再び」8

 

そのほか、舞踊や音楽の重視、バッチリメークに至るまで、宝塚歌劇は歌舞伎の美意識を色濃く継承しています。しかし、小林逸翁が宝塚少女歌劇を構想したとき、歌舞伎を参考にしたとは思いません。参考にしたのは欧米のオペラやミュージカルであり、それをもとにした白木屋少女音楽隊であったにちがいないのです。だからこそ「少女歌劇」であって、「少女歌舞伎」じゃ~ありませんでした。

ところが、日本で生まれ育った逸翁は、知らず知らずのうちに、より一層深く馴染んでいた歌舞伎、言ってみればDNA化していた歌舞伎の影響を決定的に受けてしまったのではないでしょうか。しかし、逸翁が意識的に排除した歌舞伎の魅惑的美がありました。それは歌舞伎のエロティシズム――好色性でした。


2022年7月3日日曜日

宝塚「めぐり会いは再び」7

 

第三に、両者ともスターシステムによって成立している点です。スターを見るための演劇です。そもそもストーリーは荒唐無稽ですから、これによって社会や人間や心理の本質を考察することは、ほとんど不可能だといってよいでしょう。「人形の家」と比べるまでもなく……。

歌舞伎座に出かけるのは、海老蔵や勘九郎や松也や七之助や玉三郎を観るためなんです。「めぐり会いは再び 真夜中の依頼人」は、礼真琴や舞空瞳を見るために行くんです。公演が終わって外に出てくると、「礼真琴」と書いた小さなプラカードを持った人が並んで、ファンと思われる人からカードのようなものを受け取っていました。僕にはよく分りませんでしたが、宝塚歌劇というより、礼真琴だけが好きなファンの集まりみたいな雰囲気でした。



2022年7月2日土曜日

宝塚「めぐり会いは再び」6

 

第二に、ストーリーがきわめて荒唐無稽なんです。もちろんこれは宝塚歌劇や歌舞伎を貶めているわけではありません。それどころか、この荒唐無稽にこそ日本的価値があるんだと思います。日本の近代演劇はこの荒唐無稽的性格を打破しようと試みましたが、いまの歌舞伎人気をみるにつけても、結局うまくいかなかったのではないでしょうか。

歌劇つまりオペラの最高傑作である「白鳥の湖」もあり得ない話ですが、荒唐無稽とはいえないでしょう。ミュージカル「マイフェアレディ」や「ウエストサイドストーリー」にも、あるリアリティがあって、荒唐無稽とはほとんど無縁です。もっとも宝塚版「ウエストサイドストーリー」もあるようですが……。宝塚歌劇と歌舞伎にみる豪華絢爛たる衣裳の美しさも、この荒唐無稽性と関係するのかもしれません。

2022年7月1日金曜日

宝塚「めぐり会いは再び」5

 

先に遊女歌舞伎にもっとも近いと書きましたが、実際に観ると、宝塚歌劇は歌劇とかミュージカルというより、これは歌舞伎だという感を深くしました。歌舞伎のDNAが濃厚に受け継がれているんです。

第一に出演者が一つの性に限定されています。歌舞伎は阿国歌舞伎に端を発し、遊女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎と発展し、現在の歌舞伎は野郎歌舞伎の伝統を引いているわけですが、男女いずれにしろ単一の性によって演じられてきました。宝塚歌劇は初めから女性という単一の性に限定してきたわけです。

渡辺浩『日本思想史と現在』8

  渡辺浩さんの『日本思想史と現在』というタイトルはチョッと取つきにくいかもしれませんが、読み始めればそんなことはありません。先にあげた「国号考」の目から鱗、「 John Mountpaddy 先生はどこに」のユーモア、丸山真男先生のギョッとするような言葉「学問は野暮なものです」...