2018年9月19日水曜日

『君たちはどう生きるか』1



ついに天下の名著がマンガになる時代がやってきたんですね。若い人たちが誰も振り向かなくなってしまった古典が、羽賀翔一のマンガになって不死鳥のようによみがえり、しかもベストセラーになる――すばらしいことですね!! 泉下の著者も、どんなに喜んでいることでしょう。

とはいっても、僕がこの本をはじめて読んだのは、40歳にもなってからのことでした。吉野源三郎氏が一番読んでほしいと思ったにちがいない10代のときも、その後もずっと手に取ることはありませんでした。

10代のころ僕は、もっぱら日本の小説でした。単におもしろかったからであり、すぐれた小説のなかには、人間の生き方がすべて含まれている――なんて思って読んだわけじゃありません。しかし吉野源三郎とか、武者小路実篤とか、石川達三とかのいわゆる人生論本は、ハナからつまらなそうでしたし、ちょっと背伸びすることがカッコイイと思っていた僕にとって、カッコ悪い本だったのでしょう。

2018年9月18日火曜日

「饒舌館長」ファンの皆様へ4


この「饒舌館長」のページビューが、はじめに書いたように、皆さまのお陰をもって大台に達したというわけです。改めて、衷心より感謝申し上げる次第でございます。

これまでの「饒舌館長」ベスト3は、①東京国立博物館で開催した特別展「『國華』創刊130周年記念 名作誕生」の講演会「日本美術鑑賞への誘い」の1回目、②同じく「名作誕生」の紹介記事、③根津美術館特別展「光琳と乾山」の1回目となっております。

なお、「K11111のブログ」の方はどうなっているのかなぁと思って先日チェックしたところ、いまも毎日けっこう見られていて、アクセス数の総計も8万を超えていることが分かりました。しかし、「K11111のブログ」にアクセスする時間がおありでしたら、今や毎日更新されている「饒舌館長」の方を是非よろしくお願い申し上げます。ついでにフォロアーになっていただければ、これにまさる幸せはございません()


2018年9月17日月曜日

「饒舌館長」ファンの皆様へ3


静嘉堂文庫美術館にとらばーゆしたあともこれを続けていましたが、このブログを美術館のHPに貼り付けてもらえれば、またアクセス数もぐっと伸びるんじゃぁないかなぁと思うようになりました。

しかし、問題は楽天ブログです。「K11111のブログ」の周りに、たくさんの広告がアップされ、これを消すことはできないんです。静嘉堂文庫美術館のHPから飛ぶと、そこにコマーシャルがゴチャゴチャと並んでいるようでは、岩崎家にゆかりある美術館の品位にかかわります。

そこで事務長の上田さんに調べてもらうと、グーグルの「ブロガー」では、いっさい広告のないことが分かりました。もちろん無料です。広告ナシしかも無料で、なぜ運営できるのか不思議なのですが……。そこでこれを使って新しく「饒舌館長」を立ち上げ、静嘉堂文庫美術館HPにリンクを貼ってもらい、「K11111のブログ」は止めることにしました。


2018年9月16日日曜日

「饒舌館長」ファンの皆様へ2


「先生は15回も忘年会をやっていますが、いくら何でもやりすぎだと思います!」と書いてきた学生がいたんです。即、ダイアリーの方は止め、美術ニュース一本にして、「館長のつぶやき」というタイトルにしました。

しかしアクセス数があまり伸びないので、「おしゃべり館長」という<釣り>を意識したタイトルに変えました。2014年、秋田県立近代美術館から京都美術工芸大学にとらばーゆしましたが、美術館からHPのブログだけは続けてほしいといわれました。

もちろん喜んで引き受けましたが、「おしゃべり元館長」というのもちょっとおかしいと思われたのか、「おしゃべり名誉館長」にしてくれ、それにつられて本当の名誉館長になっちゃいました(!?) 

その後、秋田県立近代美術館の方は実践女子大学の仲町啓子さんがあとを引き受けてくれることになったので、「おしゃべり名誉館長」も止め、「楽天ブログ」を使って、「K11111のブログ」を立ち上げました。


2018年9月15日土曜日

「饒舌館長」ファンの皆様へ1


「饒舌館長」ファンの皆さま、ありがとうございます!!

 「饒舌館長」のページビューが大台を突破しました。ひとえに皆さまのお陰です。これからも美術を中心に、おもしろい話題、楽しいニュース、ためになる雑学を毎日アップしていきます。いや、これまでと同じく独断と偏見のオンパレードになっちゃうかな() それはともかく、よろしくご支援ご鞭撻のほど、伏してお願い申し上げます。

 思い起こせば、秋田県立近代美術館時代、副館長さんから求められるままに、そのホームページにアップしたのがことの始まりでした。最初は面倒くさいなぁ、また仕事が増えちゃうなぁ、続けられるかなぁと思ったものでした。しかし、先日アップしたタケさんの「青い日記帳」に背中を押されたこともあって、やってみるとすごくおもしろいんです。みんなブログやSNSにハマる理由が、よく腑に落ちたものでした。

そのころは美術ニュースと、個人的なダイアリーに分けてアップしていました。ところが、当時教えていた尚美学園大学の学生に、これを読んで感想を書きなさいという課題を出したところ……。


2018年9月14日金曜日

岡田米山人・お酒の詩5


米山人のお酒の詩には、さらに「松鶴山水図」に寄せた七言絶句があります。これもなかなかよい詩ですから、戯訳で紹介することにしましょう。

  貴兄は教える山中で 正しく人の生きる道

  孔融みたいに客たちへ ふるまう長寿の祝い酒

  松を植え鶴 飼いたりと 最近聞いたが その松に

 添う若松と鶴にゃ孫――かかる繁栄 祈りたい

なお原詩では、2番目の承句がが「寿酒新開北海尊」となっています。その「北海尊」については、入矢義高先生の解説をそのまま引いておくことにしましょう。

北海尊 尊は樽と同じ。後漢の孔融は寛厚な人格者で、後進の者を引き立ててやることを好んだので、いつも賓客が詰めかけた。彼はこう言った、「座上に客が常に満ち、尊中に酒が空にならなければ、私は憂うることはないのだ」と。北海とは、彼が北海郡の太守となったからそういう。


2018年9月13日木曜日

岡田米山人・お酒の詩4


 周りはみんな酔っ払い 自分も我を忘れたり

 酒盛りさらに盛り上がりゃ これ仙人のユートピア

 そこに天才絵師登場 流れるごとく揮う筆

 描き出したり!名山と 大きな沢の傑作を

   もともと米山人はお酒を飲みませんでしたが、古稀を過ぎてから、はじめてお酒の素晴らしさを知るようになりました。酔っぱらうと天衣無縫にして豪放磊落、みずから「酔仙」と名乗りました。画品きわめて高く、しかも酔っぱらって描いた作品が一番すぐれています。


2018年9月12日水曜日

岡田米山人・お酒の詩3


 ここに登場する「東陽君」とは、伊勢津藩の儒官・津阪東陽のことです。一般的に「津坂東陽」と書かれますが、僕が愛用する『近世漢学者伝記著作大事典』では、「津阪東陽」となっています。「蘿月亭」は入矢義高先生も「未詳」とされていますが、文意から考えて、東陽の家か書斎だったのでしょう。

東陽は伊勢に生まれ、はじめは医学を学びましたが、儒学への志止みがたく、京都にのぼって10余年間独学、ついに古学をもって一家をなしました。三千院梶井門跡の門客ともなりましたが、天明の大火にあって郷里に帰り、藤堂家の儒官をつとめました。

真摯率直なる人柄のために、かえって讒言にあい、もっぱら著述に専念することもありましたが、ふたたび命を受けて藩祖創業記『聿修録』[いっしゅうろく]を編纂しました。藩校・有造館が創建されるや、督学兼侍読に任じられました。

米山人ととても仲がよかったことは、この詩からも容易に想像されますが、『東陽先生詩文集』にも「席上贈米山人」と題する七言絶句が収められています。これにも付註が添えられていますので、戯訳と現代語訳で紹介することにしましょう。東陽も人後に落ちぬ酒仙だったようですね。美酒の芳醇なる香りに包まれて、米山人と東陽を中心に繰り広げられる雅会の盛り上がりが、目に浮かぶようじゃーありませんか。


2018年9月11日火曜日

岡田米山人・お酒の詩2


かつて蘿月亭を訪ねる旨の約束を交わしましたが、いまだ果たせないでいました。ところがこのたび、東陽君が小さな集まりを企画し、私を招いてくれましたので、お邪魔することにしました。年取って体を動かすのもおっくうになった老人にも、参加してみたいという気持ちが起こったからなのです。そこでこれを詩に詠み、思いのまま山水画に描いてみました。

  遊びに行きたくなる気持ち 毎日起こって困っちゃう

  堪能し尽くす桃の花 秋にはもみじ又かえで

  東西南北どこへでも 瓢箪の酒携えて……

  酔っては醒めて又酔って 老いたこの俺 千鳥足

 

2018年9月10日月曜日

岡田米山人・お酒の詩1


かつて東大美術史研究室の紀要『美術史論叢』20号に、僕の大好きな岡田米山人を取り上げて、「米山人伝小考」という拙文を寄稿したことがあります。文字通り拙文ではありますが、ちょっとは新知見も含まれているようにも思い、先日お知らせした拙文集『文人画 往還する美』に収録することにしました。ちょうど今、その校正が終わったところです。

この拙文を、文化12(1815)1116日、72歳の米山人が描いた「携酒遊景図」の自賛から、僕は書き始めました。「携酒遊景図」は、『文人画粋編』15<岡田米山人>に載っていますが、実際に見たことはありません。しかし、その図版からだけでも、とても出来栄えのすぐれた米山人の一作であることが分かるのです。

その賛は前書きと、七言絶句からなっています。前書きを現代語に直し、詩の方はまたまた毎度おなじみの戯訳で紹介したいと思います。


2018年9月9日日曜日

東京国立博物館「縄文」8


また私は、土偶が吊り下げられたであろう柱木からトーテム・ポールを想起したが、この点に関しても、すでに研究が行なわれていることを知ってうれしかった。それは谷川磐雄「石器時代宗教思想の一端」(1)(2)(『考古学雑誌』1345 19221923)で、わが国原始社会における動物信仰を通して、その基層に醸成されたトーテミズムの痕跡を摘出した論文であるという。

このほか、「甦りの世界観」や「土偶がない縄文世界」などの疑問、弥生時代に入って土偶が消滅した理由など、じつに興味深い問題がたくさん残されていることを原田氏から学んだ。土偶は奥が深いのだ。

そもそも拙論には、縄文草創期から晩期に至るクロノロジカル的視点がまったく欠落していた。原始美術を専門としない私には、如何せん手に余るが、不可避の問題であることはよく理解できた。しかしすべては、今後の考察に委ねることにしよう。

2018年9月8日土曜日

東京国立博物館「縄文」7


 この拙論を私は、第4回国際文化フォーラムの思い出、つまりディスカッサントとして、キーノート・スピーカーの三輪嘉六先生に対し、「日本文化は東日本から東北から」と反論したことから書き出した。会場となった九州国立博物館の展示、「海の道、アジアの路」で見た土偶の東西比較をその証拠として持ち出したのだが、縄文遺跡の東高西低という分布状況がその前提となっていたことは、改めて指摘するまでもない。

ところがこのたび原田氏によって、現在のところ縄文草創期までさかのぼる唯一完形の土偶、言ってみれば現存最古の土偶は、三重県粥見井尻遺跡出土のものであることを教えられた。平成に入って間もなく発見された土偶で、それまで最古とされていた茨城県花輪台貝塚出土の早期の土偶をさらにさかのぼるという。私としてはいささか残念だが、東日本からも草創期の完形土偶が出土することを、祈る気持で待つことにしよう。

2018年9月7日金曜日

東京国立博物館「縄文」6


このような土偶懸垂説をはじめて唱えたのが誰か知らないが、土版については大野延太郎(雲外)が最初で、「土版と土偶の関係」(『東京人類学会雑誌』12131 1897)として発表されたという。土版とは、縄文晩期、おもに関東東北地方で作られた板状土製品である。携帯の便のために、土偶を簡略化した一種の護符と考えられているが、この定説も大野に始まるようだ。これは私にとってもきわめて重要な論文であるから、やや長文にわたるが、原田氏をそのまま引用する。

土版の性格を、その多くに懸垂用の孔がみられることから、これが「要スルニ一の携行品ナルガ如ク考」えられ、「何カ宗教上護身用或ハ符号ノモノナランカト推考セラルル」と指摘した。また土偶との関係については、挿図を示して「此ノ両図ヲ比較シ自ラ親密ノ関係アル事ヲ知ルベシ」と結ぶ。これは、土偶と土版のように、異種の異物間にも、文様の類似や系統を追うことで、その用途に類似性が指摘できる場合もあることを示した、最初の論文である。

2018年9月6日木曜日

東京国立博物館「縄文」5


「板状土偶」(縄文後期 青森県鳥井平4遺跡出土)では、「腕の表現はないが、胴体の上部が左右に張り出し、その部分には縦方向に貫通孔が穿たれていて、この土偶が懸垂できるようにもなっている」ことに注目している。

しかし、積極的には懸垂使用が認められない遺品もあるようだ。例えば「板状土偶」(縄文前期 岩手県塩ヶ森遺跡出土)について、「胴体にある円孔は、懸垂用とも考えられるが、あまり擦れた痕がある個体はなく、体部装飾の技法の一つなのかも知れない」としているのである。

なお有名な「東北のビーナス」(縄文中期 山形県西ノ前遺跡出土)の円孔に関しては、「顔面表現はなく、頭部の円孔に皮製などの仮面を被せたか、という意見もある」としている。懸垂使用は推定されていないようだ。


2018年9月5日水曜日

東京国立博物館「縄文」4


私は多くを学ぶとともに、勝手に推定もしくは想像していたことが、すでに考古学の学問世界で指摘されていることを知った。また私見を再考する必要にも迫られた。これらに関しては、また改めて考えてみたいと念じているが、今は若干のメモを書き残すだけに止めよう。

 土偶は神あるいは精霊の象徴として、高い柱木に吊り下げられたのではないかと私は考えた。もちろんすべてではないが、たとえば祭祀などに際し、そのようにして祀られる場合も少なくなかったのだろうと推測した。この点に関し、原田氏は同様に懸垂の可能性を指摘している。

例えば「板状土偶」(縄文中期 青森県三内丸山遺跡出土)について、「後頭部には懸垂用のような一対の把手がつく」とする。「ハート形土偶」(縄文後期 福島県荒小路遺跡出土)では、「後頭部には複雑な突起が絡みあって、吊るすことができるような印象も与える」とする。


2018年9月4日火曜日

東京国立博物館「縄文」3


 この「秋田の美術によせて 原始美術(2)(3)」は20101月に脱稿したが、編集の都合上、『秋田美術』46号と本47号に分載されることになった。その46号発行と相前後して、文化庁主任文化財調査官・原田昌幸氏の『土偶とその周辺』Ⅰ・Ⅱ(日本の美術526527 ぎょうせい 2010)が出版された。原田氏はすでに指摘した文化庁海外展「土偶」(THE POWER OF DOGU)と東京国立博物館特別展「国宝 土偶」を主導し、みごとな成功へと導いた研究者である。

「土偶に秘められた面白さを、考古学的な情報を主にさまざまな視点から眺めてみたい」という趣旨のもとに書き下ろされた本書は、現在望みうる最もすぐれた土偶関連単行図書であろう。啓蒙的でありながら学術的であり、実証的でありながら氏独自の新鮮な見解が打ち出されている。最新の情報を盛り込みながら、長い歴史をもつ土偶研究史への目配りもおろそかにはされていない。


2018年9月3日月曜日

東京国立博物館「縄文」2


それはともかく、「僕の一点」に選んだ最大の理由は、僕が文化財審議委員だったとき「国宝」に指定されることになったため、裸で見た唯一の国宝土偶であるという点にあるのです。「裸で見た」といっても、土偶はすべて裸じゃないかって? この場合は「ガラス越しではなく直接に見た」という意味です(!?)

ところで、秋田県立近代美術館の仕事をしていたとき、紀要『秋田美術』へ3回にわたり「秋田の美術によせて 原始美術」を寄稿したことがあります。大湯ストーンサークルに代表されるごとく、秋田も縄文文化が大輪の花を咲かせた地域でしたから、是非そのことを書いておきたいと思ったのです。

この拙文を読んでいただいた方は少ないにちがいなく、「饒舌館長」に改めてアップしたい気持ちになったのですが、いかんせん冗長にすぎます。ご迷惑にならないよう、その「追記」だけを6回に分けて紹介させていただくことに致しましたが、すでに読んだことがある方は、もちろんスルーしてくださって結構です。

2018年9月2日日曜日

東京国立博物館「縄文」1


東京国立博物館「縄文 1万年の美の鼓動」<92日まで>(91日)

ついに見てきました。勤務と『國華』と猛暑を口実にしているうちに、最終日前日になってしまいました。しかし40分並んだ甲斐はありました。岡本太郎をパクって、「縄文は爆発だ!!」と叫びたい気持ちになりました。これを見ずして、縄文はもちろん、日本美術を語ることはできないでしょう。縄文中期と同時期における世界の土器を集めて比較を試みる「第3章 美の競演」も、はじめて見た刺激的アイディアでした。

「僕の一点」は、青森県八戸市風張遺跡から出土した縄文後期の土偶、愛称「合掌土偶」です。その合掌する姿から、縄文女性の「祈り」をさまざまに想像することができるでしょう。それを許してくれる点に、僕はとても惹かれるのです。もちろん祈っている姿を造形化したものかどうか、保障の限りじゃありません。

しかし、縄文女性の精神的営為を直接的に表現しようとするベクトルが、国宝土偶のなかでも特に強いことは、シンボルを抜かりなく造形化している点からも、容易に見て取ることができるのです。今回は透明プラスチックの台座に座らせてあり、しかも強い照明の加減で、確認することはできませんでしたが……。

2018年9月1日土曜日

サントリー美術館「琉球」8


上江洲さんは、NHK大河ドラマ「利家とまつ」のライトモチーフである夫婦愛に深く感動し、みんな利家一家の名前にしたそうです。ご馳走さま!! 

先日アップした山口宗季の「神猫図」と、この写真を見比べてみてください。ネコキチであれ、ネコ嫌いであれ、「ホンマにこんなことがあるんか!?」と、言葉を失うことでしょう。摩阿姫が家にやってきたとき、奥様のお母様は、上江洲さんが首里城の仕事をされているのでこのような奇蹟が起こったのだとおっしゃったそうですが、僕も絶対そうだと思います。

いずれにしても、上江洲さんの詳しい解説や、これまた先日お名前をあげた宮里正子さんの巻頭論文が掲載される『國華』琉球美術特輯号を、期してお待ちくださいませ。琉球美術のすべてが、これだけで完全に理解されるという特輯号に、7000円という定価がけっして高いとは感じられない一冊に仕上がるものと自負しております(!?) 


『君たちはどう生きるか』1

ついに天下の名著がマンガになる時代がやってきたんですね。若い人たちが誰も振り向かなくなってしまった古典が、羽賀翔一のマンガになって不死鳥のようによみがえり、しかもベストセラーになる――すばらしいことですね !!  泉下の著者も、どんなに喜んでいることでしょう。 ...