2018年7月31日火曜日

大原美術館美術講座1


44回大原美術館美術講座「シリーズ戦争と美術Ⅱ 東西・古今」(72829日)

 大原美術館が主催する美術館講座は、高度な内容と長い歴史によって、美術研究家や愛好家からすぐれた評価を与えられてきました。迎えて44回目のテーマは、「戦争と美術」です。実は数年前に、太平洋戦争のいわゆる作戦記録画を扱った<そのⅠ>が開催されており、今回はその前史と現代美術に焦点を絞って、戦争画の古今東西を考えてみようという企画です。

お話を聞くと、コーディネーターでもある館長の高階秀爾さんと東京大学の三浦篤さん、わが国コンテンポラリー・アートを代表する会田誠さんが発表を行ない、最後に総合討議で〆るという予定なっているとのことです。このような発表者の顔ぶれと趣意目的を聞くと、是非参加してほしいと招請されたとはいえ、ちょっとビビらないではいられませんでした。
*お元気な方はすべて「さん」でお呼びするのが「饒舌館長」ですので、どうぞお許しくださいませ。


2018年7月30日月曜日

後期高齢者と李賀5


李賀は老人になったつもりで、青年に対し、とくにうまい世渡りによって成功をおさめた青年に対し、説教を垂れています。しかし李賀は、自分のみじめな青春をシニカルにながめているのです。ほとんど私怨や怨嗟に近いマイナス感情を、このような詩的表現に昇華させた李賀の鬼才を、どのように称えたらよいのでしょうか。

それはともかく、本当に後期高齢者になった僕にとっては、この中唐の七言詩が、逆説的「青春賛歌」みたいに聞こえてきてなりません。「少年を啁[あざ]ける」は、いかにもこの詩人らしい絶唱ですが、しかし李賀といえば、何といっても七言古詩「夢天」――改めてマイ戯訳を紹介することにしよう。

兎と蝦蟇[がま]が泣いている 空の色さえ冷たくて

雲の楼閣 戸を開き 白壁斜めに光ってる

月の車輪は露に濡れ 潤み輝き軋[きし]んでる

仙人仙女が着飾って 木犀のもとランデヴー

三神山の麓では 黄色い大地が蒼海へ

あるいは逆に変るから 千歳[ちとせ]も一瞬走馬灯

遥かに遠く見下ろせば 九本[くほん]の煙が中国で

清らに澄んだ東海も 酒盃の中に入ってる

2018年7月29日日曜日

後期高齢者と李賀4


その根底には世紀末的ペシミズムがあったのでしょう。「長安に男児有り 二十[はたち]にして心已[すで]に朽ちたり」という一句に象徴されています。我が岩佐又兵衛筆「豊国祭礼図屏風」の「いきすぎたりや廿三」はかぶき者の言辞ですが、みずからを受け入れてくれない世の中に対する憤懣、あるいは諦観という点で響き合うものがあります。

性格的にも円満とは縁なき李賀だったらしく、数多くの伝説に彩られているそうです。ぜひ荒井健さんの『中国詩人選集』を手に取って、そのすぐれた解説を読んで欲しいですね。この選集の最後に載っているのが、「少年を啁[あざ]ける」です。

この七言詩は、「少年を刺[そし]る」として『古文真宝』にも採られる、李賀の代表作です。『唐詩選』に李賀は載りませんから、日本人は最初『古文真宝』により、この鬼才詩人を知ったにちがいありません。27歳で夭折した李賀の詩であることを知るとき、改めてそのイマジネーションをたたえたい気持ちになりますが、後期高齢者になったのを機に、マイ戯訳で紹介することにしたという次第です。

2018年7月28日土曜日

後期高齢者と李賀3


すでにアップしたこともありますが、李賀(791817)は中唐の詩人、昌谷(河南省)の人、僕がもっとも愛する唐詩人のひとりです。唐皇室の子孫だと誇っていますが、かの杜甫と血縁関係にあったことの方が重要だといわれています。

20歳のとき進士の試験を受けようとしましたが、父の諱が晋粛であるから、子は音通する進士になるべきじゃないという横槍が入り、受験できないまま長安を後にしなければなりませんでした。このとき韓愈が弁護して書いた「諱弁」は、『文章軌範』に収められて、名文中の名文になっています。翌年、長安に出て奉礼郎となりましたが、満たされぬ2年を過ごしたのち昌谷に帰り、弱冠27歳で白玉楼中の人となりました。

李賀は楚辞の幻想的イメージに霊感を受けつつ、色彩感あふれる浪漫詩を紡ぎだしました。杜牧は李賀詩集の序文に、「創作における踏みならされた道筋を全く無視した」と書きました。だから「李白を天才絶と為す。白居易を人才絶と為す。李賀を鬼才絶と為す」ともたたえられました。その詩難解にして注なしには読めぬとまで言われたそうです。

2018年7月27日金曜日

後期高齢者と李賀2




お前は知らず 田畑[でんぱた]を 耕し苗を植う百姓

税金督促されたとて 機[はた]織る娘もいないこと

黄金[こがね]や玉を貯め込んで 豪勢なさま自慢げに

赤の他人に挨拶を するたび意気も揚々と……

生まれてこの方 半行の 本さえ読んだことがなく

ただただお金を利用して 社会的地位 買ったのだ

どうして青年いつまでも 現在のままいられよう

波立つ海も変化して 桑の畑になるんだぞ

栄枯盛衰移り行く その急変は矢のごとし

貴様一人にえこひいき 天帝がやる はずもなし

「この青春は永遠だ」――なんどとほざくことなかれ

髪の白さと顔のしわ ひたすらお前を待っている


2018年7月26日木曜日

後期高齢者と李賀1


    少年を啁[あざ]ける

青い葦毛の馬は肥え 金色の鞍光ってる

龍脳 糸に染み入って 絹の単衣[ひとえ]が香り立つ

ぴったり寄り添う美女たちと 玉のさかずき酌み交わしゃ

貧乏人が叫んでる 「クソッ‼ 天上の貴公子めッ‼」

誇って高殿 建築し 緑の竹を下に見る

真っ赤な鱗の高級魚 水底経[みなそこふ]釣り上げられる

乱れ咲く花その前で 時には微醺帯びながら

背にする金の弾丸で 飛び行く鳥を射落としちゃう

「生まれてこの方 人の世話 なんかになったことはない

 なまめく妾[めかけ]が三百人 いや それ以上」と威張ってる

2018年7月25日水曜日

後期高齢者2


これからは皆様のお力添えを得て、末期高齢者に、さらに臨終高齢者に向けて歩を進めて行く所存でございます。今後ともよろしくご指導ご鞭撻のほど、衷心よりお願い申し上げます。

以上のような謝辞をフェイスブックにアップしたところ、これまたたくさんの「いいね」をいただき、勇気凛々百倍千倍といった気分でございます。「河野先生は高貴高齢者です!」などというヨイショもございましたが、饒舌館長がそんな高齢者になれるはずもございません。

ほかにどんな「こうき」があるかなと『広辞苑』を引いたところ、「拘忌」というのがあり、「拘忌高齢者」も悪くないなぁと思った次第でございます。「拘忌」というのは、「縁起をかついでつまらないことにこだわること」だそうです。つまり後期高齢者なったら、縁起をかついでつまらないことにこだわりながら、シコシコ生きていくのも素晴らしいじゃありませんか(!?)

2018年7月24日火曜日

後期高齢者1


 昭和18720日生まれの僕は、4日前をもって75歳となりました。なぜなら今年が昭和93年だからです() 僕と同じ誕生日の尊敬して止まない3人の偉人がいます。伊藤仁斎と上杉鷹山とナタリー・ウッドです() 遂にというべきか、信じられないことにというべきか、はたまた人間として何もしないうちにというべきか、ともかくも4半世紀×3を生きてきたことになります。
さっそくフェイスブック・フレンドの方々から、たくさんの祝辞を頂戴しました。まことにありがたく、ここまで生きながらえてこられたのも、ひとえに皆様のお陰と心から感謝申し上げる次第でございます。
だれが名づけたか知りませんが、75歳以降を後期高齢者と呼ぶそうですね。何といわれようと構いませんが、できたらいつまでも好奇心を失わない「好奇高齢者」か、加齢臭なんかないどころか芳香漂う「香気高齢者」か、あるいは禿頭鋭くかつ美しく光る「光輝高齢者」になりたいものと祈念しております。
 

2018年7月23日月曜日

三菱一号館美術館「ショーメ展」4


しかし、一般的に西欧絵画には見ることができない、ほとんどすべてが正面向きという花の絵が、我が国に多いことは、やはり注目してよいように思います。おそらくこれは、矢代幸雄先生のおっしゃる日本美術の装飾性や、辻惟雄さんの指摘するKAZARI的傾向を示すものでしょう。

このような日本絵画における花の表現が、さらにいえば花を見る視覚が、西欧の純粋絵画よりも、ショーメの工芸下絵に近似しているというのは、何と興味深いことでしょうか。逆にいえば、ショーメの植物デッサンは久蔵や光琳や若冲と似通っているということになります。

日本絵画の工芸的性格については、すでに常識に属するところですが、これをよく実証するものとして、僕は出来上がったショーメ宝飾品よりも、その植物デッサンの方に、より一層強い興味を抱いたのでした。



2018年7月22日日曜日

三菱一号館美術館「ショーメ展」3


西欧的リアリズムから考えれば、これはおかしいということになります。横を向いたり、後ろを見せたりする花が、一つもありません。そんなことがあるはずはないでしょう。もちろんこれは、宝飾品、つまり工芸品のためのデッサンだからです。

ところで我が国花鳥画の花を心に浮かべてみると、正面から見たところを描く作品が少なくないように思います。たとえば長谷川久蔵の「智積院桜図障壁画」や尾形光琳の「紅白梅図屏風」、伊藤若冲の「菊花流水図」<動植綵絵>です。僕が『國華』1204号に紹介させてもらった「菊図屏風」――杉本秀太郎先生が愛して止まなかったこの逸品も、まさに盛上げによる正面観の白菊が咲き乱れる清らかな花園でした。

もっとも、よく見ると横向きや後ろ向きもないわけではありませんし、むしろそれらを中心に描いた作品も、狩野派をはじめたくさん遺されています。

2018年7月21日土曜日

静嘉堂文庫美術館「明治からの贈り物」プレス内覧会2


「地獄極楽めぐり図」は、最近とみに人気の高い河鍋暁斎の最高傑作といってよいのではないでしょうか。暁斎の大パトロンだった勝田五兵衛が、14歳で夭折した娘・田鶴の菩提を弔うため、特に暁斎に頼んで描いてもらった画帖です。

五兵衛は小間物問屋を営む日本橋大伝馬町の大店の主人、暁斎が思いのまま絵筆をふるえるよう、惜しむことなく画料をはずんだのではないでしょうか。暁斎のイマジネーションは止まるところをしらず、伝統的な地獄極楽図なんかはるかに逸脱しちゃっています。世は文明開化の明治時代とはいえ、極楽に行くのに、豪華な蒸気機関車とは!! 

「群仙図屏風」の鈴木松年は「明治の蕭白」「今蕭白」と呼ばれた画家ですが、本家曽我蕭白の顔色をなからしめるものがあります。10人の仙人は、寿老人、関羽、黄初平、鉄拐仙、神農、王子喬、西王母の娘・玉巵、蝦蟇仙、老子、琴高仙人にアトリビュートしてみたのですが、いかがでしょうか。

2018年7月20日金曜日

静嘉堂文庫美術館「明治からの贈り物」プレス内覧会1


静嘉堂文庫美術館「明治150年記念 明治からの贈り物」<92日まで>プレス内覧会(718日)

 ブロガー内覧会に続いて、今日は4時半からプレス内覧会です。挨拶を求められた僕は、先日の「マイベストスリー」を改めて紹介するとともに、「もう一つのベストスリー」をあげました。「マイベストスリー」が正統派の明治美術であるとすれば、「もう一つのベストスリー」は、「幕末明治奇想派」とでも呼びたくなるような作品です。

それは①菊池容斎の「呂后 戚夫人を斬る図」、②河鍋暁斎の「地獄極楽めぐり図」、③鈴木松年の「群仙図屏風」です。「呂后 戚夫人を斬る図」は中国・前漢の話です。高祖の皇后である呂后(呂雉)が、嫉妬から高祖の死後、その寵姫であった戚夫人を捕え、家臣侍女が見ている前で手足を切り落とし、いわゆる「人ブタ」とする、目を背けたくなるようなシーンです。

容斎の驚くべき画技が、そのリアリズムを担保していますが、異時同図法がその凄惨さをさらに高めています。『漢書』に伝えられる歴史的事実でありながら、4世鶴屋南北の歌舞伎世界と気脈を通じている点に、興味尽きないものがあります。

2018年7月19日木曜日

静嘉堂文庫美術館「明治からの贈り物」2


企画担当の長谷川祥子さんを加えたトークショーが盛り上がったことは、改めていうまでもありません。タケさんにうながされて、僕は「マイベストスリー」をあげました。①橋本雅邦の「龍虎図屏風」、②黒田清輝の「裸体婦人像」、③渡辺省亭下絵・濤川惣助作の「七宝四季花卉図瓶」です。

「龍虎図屏風」は、岩崎弥之助が応援した第4回内国勧業博覧会に出品された作品で、兄弟弟子・狩野芳崖の「悲母観音」などとともに、近代絵画として初めて重要文化財に指定された傑作です。もっとも僕は、雅邦が絵の「心持」を何よりも大切にし、四六時中「心持」「心持」といっているので、ついに「心持より餡ころ餅」と揶揄されるようになったというエピソードを披露して、笑いをとりました。

「裸体婦人像」については、「饒舌館長」の<横浜美術館「ヌード展」>をご参照下さいといって、スルーしました。「七宝四季花卉図瓶」は、近代的な超絶技巧を誇る明治工芸のシンボリックな作品ですが、そこに四季草花の伝統が脈々と生きている点に大きな興味をひかれます。田中一村の次にブームとなる花鳥画家は、渡辺省亭で決まりです(!?)

2018年7月18日水曜日

静嘉堂文庫美術館「明治からの贈り物」1


静嘉堂文庫美術館「明治150年記念 明治からの贈り物」<92日まで>(7月16日)

 今年は鳥羽伏見の戦いで新政府軍が幕府軍をやぶり、五箇条の御誓文が発せられて明治維新を迎えた明治元年――かのイヤロッパさん明治だよ――から数えて、ちょうど150年の節目の年です。これを記念し、わが静嘉堂文庫美術館では、コレクションのなかから選りすぐった明治美術の逸品を鑑賞していただく「明治からの贈り物」を企画いたしました。

静嘉堂コレクションをつくった岩崎弥之助・小弥太親子は、明治の産業にきわめて大きな貢献を果たしましたが、美術においてもそれに劣らぬ役割を担いました。わが館じゃなければ開けない企画展だと自負するところです。今日はその初日、朝からの猛暑にもかかわらず、10時のオープン前から並んでくださった方も少なからず、「酒器の美に酔う」に続く大成功を確信したことでした。

3時半からは、来月出版の『いちばんやさしい美術鑑賞』が待望される、「青い日記帖」のタケさんこと中村剛士さんをお招きして、ブロガー内覧会を開きました。これまで僕は「カリスマブロガー」とお呼びしてきましたが、先日タケさんをアップした『朝日新聞』の記事では、「インフルエンサー」という新しい呼び名がささげられていました。饒舌館長も「インフルエンザー」くらいにはなりたいなぁ(!?)


2018年7月17日火曜日

三菱一号館美術館「ショーメ展」2


ショーメのデッサン・コレクションは、ヨーロッパ及び北米の宝飾史において、議論の余地なく最も重要なものである。8万点に達するデッサンのコレクションから成り、そのうち最も古いものは18世紀末にまで遡る。これらは宝飾品の構想に欠かせない習作や、製作前に顧客から承認を得るために必須の下書きであると同時に、真の芸術作品でもある。

 さらに僕は、我が国花鳥画とのあいだに呼応する美意識を感じて、とても興味をそそられたのでした。たとえば「モモの花」(Fig.3)や「ノラニンジン」(Fig.10)、「ラン科カラキン属の一種」(Fig.18)を見てみましょう。たくさん描かれた小さな花が、すべて正面を向いています。なお、このFig.*は、とてもすてきな展覧会カタログに、プランヴァルさんが寄せた上記エッセーの挿図に付された図版番号です。

2018年7月16日月曜日

三菱一号館美術館「ショーメ展」1


三菱一号館美術館「ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界 1780年パリに始まるエスプリ」<917日まで>

 1780年パリで創業したあと、すぐナポレオンの皇后ジョセフィーヌの御用達ジュエラーとなったメゾン・ショーメは、世界に冠たる宝飾店ですね。日本にもブティックがありますが、残念ながら僕はお訪ねしたことがありません(笑)そのショーメが日本ではじめて開く特別展です。

1894年創建の三菱一号館を復元したこの美術館ほど、ショーメ展にふさわしい空間はないでしょう。重厚にして、かつ適度な広さだからです。会場に歩を進めれば、副題にあるごとく、パリのエスプリ――めくるめくようなパリのエスプリに眩暈を起こしそうな感覚にとらわれます。

といっても、僕が深く心を動かされたのは、ティアラやネックレス、ブローチなど、目もアヤなる宝飾品ではなく、そのデッサンの方でした。花をモチーフにしたデッサンのすばらしさを、どのようにたたえたらよいのでしょうか。カタログに「ショーメの植物学的自然」を寄稿した、ショーメ文化遺産部門名誉学芸員のベアトリス・ド・プランヴァルさんも、つぎのように述べています。

2018年7月15日日曜日

すみだ北斎美術館「ますむらひろしの北斎展」4


富士山の右下には、すみだ北斎美術館のシンボルマークともなっていて、一度目にしたらぜったい忘れることができない稲妻が、一瞬のきらめきを見せています。この稲妻は単なる自然現象ではありません。狂言「神鳴(雷)」にあるように、白雨(夕立)は人間にとってもっとも大切な五穀豊穣を約束してくれるシンボルでもあるのです。

そのカミナリを、渡辺さんによれば人間の仲間であるネコのヒデヨシが起こしているんです。「アタゴオル×北斎」をもっともよく象徴する作品として、そして僕の「富嶽三十六景」観にもっともよく通い合う作品として、「僕の一点」に選ばせてもらったというわけです。

これを宗教的観点からみると、熱心な法華信徒であった北斎と、熱心な法華信徒であったにちがいないと愚考する宗達による、阿吽のコラボレーションともいえそうなのですが(!?)

2018年7月14日土曜日

アールグロリュー「平野淳子展」


アールグロリュー「平野淳子展―記憶―墨 和紙 絹 箔 版 そしてデジタル……」<718日まで>

 平野淳子さんは、武蔵野美術大学日本画科を卒業したあと、伝統的な日本画のマテリアルと、写真やデジタルを融合させて、新しい二次元表現に挑戦しているアーティストです。今回、銀座SIXのアールグロリューで開かれた個展のライトモチーフは「ゲニウスロキ」――壊された跡地に新しく建設されつつある国立競技場を<記憶>として写真に収め、それを墨の個性に凝縮させた新世界です。

ゲニウスロキとは、ラテン語のゲニウス(守護霊)とロキ(土地)の合成語で、日本語でいえば「地霊」ですが、それに逆らうことなく建築を行なうべきだとする、18世紀にイギリスで誕生した理念でもあるそうです。西欧の風水だといってもよいでしょう。いまは亡き鈴木博之先生の『東京の地霊 ゲニウス・ロキ』は、東京に焦点をしぼってそれを教えてくれる名著です。

「僕の一点」はトリプティックのように仕立てられた「ゲニウスロキ」三部作。建設中の国立競技場を陰画のように用いて、きわめて高質なコンテンポラリー水墨画を生み出しています。建設中なのに工事の騒音は絶えて聞こえず、その静謐な画面のうちに、古きものの終焉と、やがてはこの新しい<誕生>も終焉の時を迎えるのだという東洋的輪廻を感じ取って、僕は華やかなオープン展の会場で、一人静かにその三幅対に見入ったのでした。

すみだ北斎美術館「ますむらひろしの北斎展」3


 これはますむらさんが描くアタゴオルそのままではありませんか。「富嶽三十六景」に対する僕の見方と、ますむらさんが創り出すアタゴオルは、軌を一にするものだったのです。ちょっと牽強付会の気味はありますが……。「アタゴオル×北斎」のなかで、それがみごとに視覚化されているのを見て、こんなうれしいことはありませんでした。

「富嶽三十六景」の深意を芸術家の直感で抜かりなく見抜き、すばらしい完成度のイラスト作品に昇華させたますむらひろしというアーティストに、改めて深く心を動かされたことでした。

「僕の一点」は、ますむらさんが卒業した米沢市立興譲小学校の創立120周年を記念するために制作したポスターです。「富嶽三十六景」は「山下白雨」の左上空で、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」から抜け出た雷神が、ヒデヨシに変身してカミナリを起こしています。

2018年7月13日金曜日

すみだ北斎美術館「ますむらひろしの北斎展」2


北斎の代表作である「富嶽三十六景」は、富士山という不老不死と結びつく蓬莱山のもとで繰り広げられる理想的人間生活にささげられた、北斎の真率なるオマージュです。それは拙著『北斎と葛飾派』(日本の美術367)に指摘したとおりです。僕として結構頑張って書いたムックですが、アマゾンで検索してみると人気がないらしく、わすか400円で出ています。同じシリーズのためにまとめた『谷文晁』は、3000円もしているのに(笑)

幕末明治の日本が、ネコにとって天国であったことは、すでに紹介した渡辺京二さんの名著『逝きし世の面影』に、指摘されるとおりです。天国といっても、単にネコが可愛がられていたという意味じゃありません。渡辺さんは次のようにいっています。

その滅び去った文明(日本の近世江戸文明)は、犬猫や鳥類をペットとして飼育する文明だったのではない。彼らはペットではなく、人間と苦楽をともにする仲間であり生をともにする同類だった。

2018年7月12日木曜日

すみだ北斎美術館「ますむらひろしの北斎展」1


すみだ北斎美術館「ますむらひろしの北斎展」<826日まで>

1952年、米沢市に生まれたますむらひろしさんは、宮沢賢治の童話を漫画というイメージに高めて、多くのファンを獲得しました。また、アニメーション『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー監督)の漫画原作者としてもよく知られていますね。漫画「アタゴオル」シリーズは、ますむらさんが作家活動のなかで、もっとも長く愛し進化させてきた空想のシャングリラです。

「アタゴオル」のメイン・キャラクターであるヒデヨシを中心とするネコたちと、葛飾北斎の風景版画をハイブリッドにした驚くべきイラスト作品が、「アタゴオル×北斎」です。北斎ファンのネコ好き館長としては、オススメせずにはいられない特別展ですよ。

チラシには、「『アタゴオル×北斎』はいわば氏の解釈による絵と文が一体となった北斎の研究作品でもあるのです」と書かれています。確かにそのとおりですが、例のごとく僕は、饒舌館長的に、つまり勝手気ままに「ますむらワールド」を堪能したことでした。

2018年7月11日水曜日

優先席26


携帯イスを使えば、どんなに疲れているときでも、混雑時を除いての話ですが――席を確保することができます。何しろ「指定席」なんですから。それだけじゃありません。僕が座ったかもしれない優先席を、ほかの生活弱者に、あるいは疲れきっている若者に使ってもらうことができます。これは大きな社会貢献だといってもいいでしょう(!?)

「譲らないとわるいかな」というストレスから、若者を解放してあげることにもなりますし、僕の汚いズボンで、優先席をよごさないで済みます。

かつて使っていたスケッチ旅行用の携帯イスは、618gもありましたが、今のは423gしかありません。しかも100円ショップ商品です。軽くなっているとはいっても、大きな本1冊分くらいはあるわけですが、運搬の辛労辛苦より、僕は「指定席」の安易安楽を選択したいのです。もっとも、ガラガラのときは優先席か普通席に座るわけですから、ホネオリゾンノクタビレモウケということになっちゃうのですが(!?)

2018年7月10日火曜日

優先席25


 以上、優先席問題の解決に向けて、第九案までをお示ししてきましたが、いずれも「言うに易く行なうに難し」の典型みたいなものです。実行できたとしても、その効果たるや、測りがたいものが少なくありません。第四案も、かつてどこかの私鉄でやったことがあるらしいと書いたところ、フェイスブック・フレンドの中村祐貴さんから、それは阪急電鉄であることを教えてもらいました。しかし、結局これもうまくいかなかったそうです。

そこで僕が実行しているのが、携帯イスを持ち歩くことです。第九案までに内包されていた問題が、一挙に解決されることになります。これが最後の第十案です。携帯イスをつねにナップザックに入れておいて、席がなかったら、端っこの方へ行ってさっと取り出し、座っちゃうんです。バギー・スペースもねらい目です。つねに「指定席」を持ち歩いているようなものです()

もちろん、混んでいるときはやりませんが、徐々に混んできたときは、こっちにゃネイティヴと同じように先住権があるんだと、座り続けることもあります。皆様お許しくださいませ。

2018年7月9日月曜日

優先席24


しかし、このようなことがよく分からない若者は、純粋な気持ちから老人に席を譲り、断られてちょっと心が折れ、必ず老人不信に陥ってしまうでしょう。それでなくても、年金問題に端を発する老若バトルが起こっているわけですから、その解決がさらに難しくなってしまいます。

そこで第九案です。席を譲って欲しくない高齢者、席を拒否する生活弱者は、「無席」というマークを見やすい胸につけるのです。「無席で結構」というわけです。こうすれば、生活弱者に席を譲った非生活弱者が、不愉快な思いをすることは絶えてなくなります。そんな出来そうもない提案なんて、「無席」じゃなくて「無責任」だという声が聞こえてきそうですが(!?)

ちなみに、孫文を尊敬する僕は、その三民主義にならって、三無主義をとなえてきました。三つのものは絶対もたないという主義です。その三つとは、クルマとスマホと愛人です(!?)

2018年7月8日日曜日

優先席23


れから僕は、生活弱者が近くに来ると、何もいわないでスッと席を立つことにしました。そのあと、その方が座ろうと座るまいと、あの気恥ずかしさからは逃れることができるからです。

何十年も経って、席を譲られたときは、「ありがとう」といって必ず好意に甘えることにしました。同時に、老人が譲られた席を辞退するのは、大して深い意味があるわけじゃなく、人の好意は一応遠慮するという日本人の習慣によるところだと理解するようになりました。

普通の生活では、「まぁ そうおっしゃらずに……」と続くわけですが、車内でそこまで踏み込む人はいないので、そこで会話が途切れ、あのバツの悪い瞬間が生まれるのでしょう。

2018年7月7日土曜日

優先席22


もう一つ、優先席問題を取り上げると、必ず出てくるのが「拒否」の問題です。優先席だったか、普通席だったか、若者が立ち上がって老人に席を譲ったところ、「俺はまだそんな歳じゃない!!」と逆に怒られたという投書を読んだことがあります。

いまは僕も譲られる側ですが、若いころは席を譲ったこともあります。さすがにどやされた経験はありませんが、「いえいえ、結構です」「すぐ降りますから」といって好意を無視したり、「ありがとう」というものの座ろうとしない老人は確かにいました。

そのときの居たたまれない気持ちといえば大袈裟ですが、バツの悪さといったら、例えようがありません。周りの人がみんな、僕の偽善を見透かして、せせら笑っているように感じられてくるのです。もちろん、「何という親切な青年なんだろう。ぜひ娘の婿にしたい」と感嘆してほしかったわけじゃありませんが、まったく逆の結果になるのです。

2018年7月6日金曜日

優先席21


もちろん疲れマークや疲れマスコットと同じように、それぞれのを考案して、胸やカバンにつけることにします。かくして、世の中全体が胸マークやマスコットで満ちあふれ、大人社会が子供社会のようになります。両者の垣根は取り払われ、すばらしいユートピアが現代日本に出現するのではないでしょうか。優先席問題から発して、トーマス・モアの思想がついに実現されることになります。

以上まとめて第八案ですが、もうそうなると、当然「その他の優先席」が必要になってきます。この人たちも「その他です」と優先権を明示する必要があるわけですから、ついに国民全員が胸マークやマスコットをつけるという、明るく楽しい日本国になるのです(!?)

2018年7月5日木曜日

優先席20


サラリーマン優先席が必要なら、当然OL優先席もあってしかるべきでしょう。専業主婦やアルバイトをしている主婦や中年女性だって苦労が多く、多くの方が疲れきっていらっしゃいますから、「オバチャン優先席」も必須でしょう。

先に「若者優先席」を提案しましたが、若者のなかでも、とくに学生さんは勉学やクラブ活動、あるいは仲間とのSNSやゲームで疲れきっている人がたくさんいるわけですから、「学生優先席」も考えなければなりません。サラリーマンでもとくに中間管理職が大変だそうですから、「中間管理職優先席」も希望が出るかもしれません。

かくして通常の「優先席」に加えて、「若者優先席」「サラリーマン優先席」「中間管理職優先席」「OL優先席」「オバチャン優先席」「学生優先席」が設置されることになります。

そのころには、学校の先生をはじめ、お医者さんや弁護士さん、運転手さんを雇えない議員さんからも、こう見えて私たちだって大変で疲れてんだ、優先席を作ってほしいという声が大きくなり、それぞれの優先席が設けられ、やがて電車は優先席だらけになっちゃいます。


2018年7月4日水曜日

優先席19


しかし大都市では、電車を利用するサラリーマンが大多数でしょう。とくに朝夕のラッシュアワーは、サラリーマンが大半を占めることになりますから、全座席をサラリーマン優先席にしたとしても、絶対的に数が不足することになります。やはり、一部の席しかサラリーマン優先席に回すことはできません。

そこで、サラリーマン優先席に座りたいサラリーマンは、「疲れてます」という疲れマークを胸につけるのです。いまのマタニティマークは、どなたが考えたものか知りませんが、すばらしいデザインだと思います。これを凌駕するような疲れマークを、広く公募したらどうでしょうか。いや、疲れる→憑かれる→狐に憑かれるというのは、だれでも思いつく連想ですから、キツネのマスコット人形もいいじゃありませんか。

メンツにかけて、そんなもんつけるかというサラリーマンも少なくないと思いますが、いまの優先席に堂々と座っている方もいらっしゃるようですから、きっとつけていただけるサラリーマンも現われるのではないでしょうか。

2018年7月3日火曜日

優先席18


以前読んだ新聞には、「オイ ここは優先席なんだから、老人には席を譲れ!」と若者を恫喝した暴走老人の話が出ていましたから、「オイ ここは優先席なんだから、若者には席を譲れ!」と僕が恫喝されたとしても、文句はいえた義理じゃないですよね。

いまの日本人は優先席もちゃんと守れないわけですから、若者優先席も無視して座る老人がたくさんいるにちがいありません。その場合は、これを「若者特定席」にバージョンアップしたらどうでしょうか(!?)

若者優先席で若者問題は解決することになりますが、サラリーマンを中心とする長距離通勤・長時間労働の方々はどうなるのでしょうか。青戸さんが指摘するように、これらのなかには、元気な高齢者よりずっと疲れてしまっていて、どうしても座りたい、あるいは座らざるを得ないという方々も少なくないでしょう。これを解決するためには、やはりサラリーマン優先席を設けなければなりません。これが第七案となります。

2018年7月2日月曜日

優先席17


しかし、こういう日本にしてしまった責任は、僕のような老人世代にあるんです。高齢者が自分たちの利益ばかりを主張するシルバー民主主義のせいなんです。それを真剣に阻止しようともしなかった僕にトガがあるんです。いまの若者に非がないことは、改めて指摘するまでもありません。そう思うと、老人の一人として、土下座でも何でもして若者に謝らなければならないという気持ちになりますが、謝ったところでどうなるものでもありません。

そこで第六案です。お詫びのしるしに「若者優先席」を設置するのです。いまの優先席は生活弱者を対象としていますが、若者が優先的に座れる席を作るのです。それによって僕ら老人世代の犯した罪を、少しでも若者から許してもらうのです。疲れきっている若者に少しでも体を休めてもらい、明日への鋭気を養っていただくのです。

「若者優先席」――すばらしい逆転の発想ではありませんか。そこに座っている老人に向かって若者が、「ちょっとすみませんが、そこ優先席なんで、譲ってもらえますか」と声がけするなんて、じつに愉快じゃありませんか。

2018年7月1日日曜日

優先席16


人文科学の分野でも同様で、博士号まで取ったものの正規の職がなく、いくつも非常勤講師を掛け持ちしながら、何とかやっているという研究者が少なくありません。正規の職も期限付きだったりします。これまた新聞によると、人文科学だけじゃなく、理工系でも同じような状況のようですね。

もちろんこれは、いまの若者がやる気を欠いているためでも、怠惰なためでも、計画性をもたないためでもありません。すべて社会が悪いのであり、世間が冷たく悪意に満ちているからです。さくらと一郎も、♪貧しさに負けた いえ 世間に負けた♪ ♪世間の風の 冷たさに こみあげる涙♪と歌っているじゃありませんか(!?) したがって、♪幸せなんて 望まぬが 人並みでいたい♪ということになるのです。

この山田孝雄・むつひろしの名曲「昭和枯れすすき」は、僕がもっている『あのうた このうた 2222曲 1998年版』――サトウサンペイが表紙を明るく飾るソングブックによると、1974年のコピーライトがついています。あの経済高度成長時代にも社会には問題があり、世間は冷たかったわけですが、現在はその比じゃありません。とくに若者に対しては厳しく、冷淡です。

岩波ホール「山の郵便配達」2

  名古屋大学につとめていたころ、名古屋シネマテークで勅使河原宏の「アントニオ・ガウディ」がかかり、見に行こうと思っているうちに終っちゃったことがありました。そのころ映画への関心が薄れ、チョット忙しかったこともあるのかな?  そんな思い出はともかく、名古屋シネマテークが閉館に...