2020年10月30日金曜日

東京国立博物館「桃山」9

この「李白観瀑図」には景筠玄洪[けいいんげんこう]という禅僧の七言絶句が着賛されています。この賛者について詳しいことは知られず、臨済宗大応派の太原崇孚[たいげんすうふ]に師事したことが分かっているだけでした。

しかし山下さんによると、大石利雄さんの研究によって、駿河・今川氏との密接な関係や、太原示寂ののち富士郡にある善得寺の住持をつとめたこと、そのご伊豆・相模を流浪して天正3年(1575)客死したことなどが明らかになったそうです。

次回紹介するマイ戯訳からも明かなごとく、景筠には李白称賛の気持ちが明らかにあったわけですから、彼と同じ文化圏に生きていた式部輝忠も、相似た感情を持っていたにちがいありません。


2020年10月29日木曜日

東京国立博物館「桃山」8

山下さんは、「このどこか飄々とした風貌は、実はこの画家自身の姿を投影したものではないかと考えている」と述べています。饒舌館長もその通りだと思います。つまり式部輝忠は、盛唐の天才詩人・李白に対して、憧憬の気持ちをもっていたのでしょう。何しろ李白に自分自身を重ね合わせているのですから……。

また山下さんは、「すべてのモティーフを徹底的に人工的な『かたち』に還元し、あたかも模型を組み立てるが如くに、一つ一つのモティーフを画面に配置していこうとする構成法」を指摘しています。

これまたそのとおりだと思いますが、その構成法は式部輝忠の幻影ともいうべき李白よりも、周りの環境描写に強く感じられます。李白でいえば、表情よりも衣裳の方です。こんなところにも、式部輝忠の李白オマージュを読み取りたい誘惑に駆られるのです。


2020年10月28日水曜日

東京国立博物館「桃山」7

それでは、なぜ一緒に出陳されている大作「韃靼人狩猟図屏風」や「巌樹遊猿図屏風」じゃ~なく、「李白観瀑図」なのか? それはすでにアップしたNHKカルチャーラジオ「葛飾北斎再発見」のせいです(!?) この日、NHK青山文化センターで収録を終えてから東京国立博物館へ向いましたが、そのカルチャーラジオではちょうど北斎の「詩哥写真鏡」を取り上げ、とくにその「李白」に焦点を絞ったところだったからです。

式部輝忠の「李白観瀑図」は小品ながら、魅力にあふれる作品で、とくに李白の描き方がとても興味深く感じられます。李白は顎を突き出すようにして、顎ひげをひねりながら詩想を練っていますが、頭部が異様に大きく、5頭身くらいにみえます。李白の表情を印象づけるために、どうしても頭部を大きく描く必要があったのでしょう。

 

2020年10月27日火曜日

東京国立博物館「桃山」6

 

また静嘉堂文庫美術館に、式部輝忠の「四季山水図屏風」が収蔵されていることも、「李白観瀑図」を「僕の一点」に選んだ理由です。これこそ式部輝忠の最高傑作だと思ってきましたが、このあいだその山下さんが『朝日新聞』でお墨付きを与えてくれました。

「美の道標 謎の水墨画家と強烈な出会い」という一文を寄稿して写真を掲げ、「ここに掲載する「四季山水図屏風」(静嘉堂文庫美術館蔵)は、サンフランシスコ・アジア美術館の作品よりさらに洗練度がました、最高のクオリティーを示す作品だと思う」と、きわめて高い評価を与えてくれたのです。すでに「饒舌館長」にもアップしたところですので、ご記憶にある方も少なくないでしょう。


2020年10月26日月曜日

東京国立博物館「桃山」5

 

 
 これらによって僕は、式部輝忠のおもしろさに目を見開かされたのです。その後の多方面にわたる山下さんの活躍は、すべてこの2論文に発するといっても過言じゃないでしょう。

この「李白観瀑図」は、島田修二郎・入矢義高監修『室町画賛 室町水墨画を読む』にも収録されていますが、その解説を担当するのはもちろん山下さんです。

さすが山下さんは、普通の学生と目の付け所が違います。彼が取り上げるまで、式部輝忠は本当にマイナーな画家でしたが、今では戦国時代関東水墨画を代表する画家と認識されています。これもひとえに山下さんのお陰です。研究もほとんど山下さんがやり尽くしてしまっていますが、こんなにすごい画家なら、まだまだ研究する余地は残っていそうです。


2020年10月25日日曜日

東京国立博物館「桃山」4


 「僕の一点」は、式部輝忠の「李白観瀑図」(根津美術館蔵)ですね。式部輝忠? 「李白観瀑図」? 狩野永徳の上杉本「洛中洛外図屏風」も、長谷川等伯の「松林図屏風」も、狩野山雪の「妙心寺天球院障壁画<竹に虎図>」も出ているのに何で?と思われる方がいるかもしれません。しかしこれには訳があります。

この「饒舌館長」に何度も登場してもらっている山下裕二さんから、式部輝忠の魅力を教えてもらい、なるほどすばらしい画家だなぁと感を深くしてきたからです。山下さんは修士論文のテーマに式部輝忠を選び、その一部を『國華』1084号に「式部輝忠の研究――関東水墨画に関する一考察――」として発表、そのご同1162号に「式部輝忠再論――韃靼人狩猟図屏風を中心として――」を寄稿しています。

 

2020年10月24日土曜日

東京国立博物館「桃山」3

 

先日、畏友・田澤裕賀さんから丁寧なお手紙とともに招待券を頂戴しました。お手紙には、「私も還暦を過ぎ、この展覧会が東博で私が担当する最後の大きな展覧会となりました」とあります。あの万年青年がもう還暦とは!! 最後に田澤さんはコロナによるお酒ワールドの崩壊を憂いつつ、「酒は楽しく、皆で笑いながら飲むものだと思って40年」と書いていますが、酒仙館長も「意義なし!!」と叫びたい気持ちになりました。

この桃山展は、桃山美術を理解するために必要な名品がすべて打ち揃っている、文字通り豪壮華麗なる桃山美術展です。それがいかにも田澤さんらしく、きわめて端正な展示にバージョンアップされています。しばらく見ることができなかった、そしてしばらくは見ることがかなわないであろう、絶対オススメの桃山美術展ですよ!!


2020年10月23日金曜日

東京国立博物館「桃山」2

しかし桃山時代の輪郭は実にじつにクリアーであり、桃山美術といえば、だれでもあるイメージを思い浮かべることができます。こんな時代はほかにありません。だからこそ林屋辰三郎先生は、政治史としての桃山時代が短いのを残念に思うとともに、文化史としての桃山時代には寛永年間までを含めるべきだと主張されたのでしょう。

確かに桃山イメージは寛永時代まで残存しており、それを含めてはじめて桃山文化を理解することが可能になるのです。この「桃山 天下人の100年」展も、基本的に林屋説を採用しつつ、絵画、工芸、書芸へ過不足なき目配りを施して、桃山美術の桃山美術たるゆえんが、ごく自然に視覚的理解へ高まるよう組み立てられています。

これが主催者の理解する桃山だから、鑑賞者も黙ってそのように見ろ――といった独善と強制がないところに、得も言われぬ心地よさを感じるのです。


 

2020年10月22日木曜日

東京国立博物館「桃山」1

 

東京国立博物館「桃山 天下人の100年」<1129日まで>

 桃山時代――日本史上もっとも輝ける時代の一つです。桃山時代と聞いただけで、心がワクワクしてきます。しかし不思議な時代です。

「将軍義昭以後涙」の1573年、室町幕府が滅亡して桃山時代が始まります。しかし「人群れおめく関ヶ原」の1600年に江戸時代が始まるとすれば、桃山時代はわずか27年しかありません。「人群れ騒ぐ家康将軍」の1603年に始まるとしても30年、「とろいよ内濠埋めさせて」の1614年なら41年、翌年の大坂夏の陣でも42年です。

飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸の各時代に比べると、圧倒的に短いのです。「勇み喜ぶ建武の新政」から「いざ国造りと南北合一」の南北朝時代58年よりさらに短いのです。ある研究者は桃山時代抹殺論を唱えましたが、この短さにも理由があるのでしょう。

2020年10月21日水曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵10

余談ながら、『日本国語大辞典』に「儀狄」を求めると、「儀狄の小便」という、あまり品のよくない熟語があげられています。詐欺に引っかけるため、酒肴を供して歓心を買い安心させるという手練手管で、盗人やテキヤ仲間の隠語として使われ、『隠語輯覧』という本に出ているそうです。

酒肴を供するといっても、実際はそれで相手を落とし入れようとしているわけですから、何も知らないでうまそうに飲んでいるけれども、じつは儀狄の発明した酒じゃ~なく、彼のオシッコだというような意味にちがいありません。

『日本国語大辞典』では、「儀狄の小便(しょうべん)」となっていますが、これを使う方々は、「儀狄のしょんべん」と発音したのではないでしょうか。いずれにしろ、天の美禄を発明した儀狄に対して、ずいぶん失礼な隠語だと義憤を感じます(!?)

余談はともかく、『万物絵本大全図』103点のなかから、酒仙館長が「僕の一点」を選ぶとすれば、やはりこの儀狄を描く1枚を除いてほかにありませんよね()

 

2020年10月20日火曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵9

先にあげた京都御所常御殿の鶴沢探真筆障壁画は、この儀狄が禹王に酒を献上する場面を描くものだったのです。いや、待てよ、かつて読んだ中村喬編訳『中国の酒書』(東洋文庫528)にも何か書いてあったなぁと思い、これまた書庫から引っ張り出してくると、やはりありました。

『中国の酒書』は北宋時代の酒書である朱肱[しゅこう]の『北山酒経』と、竇苹[とうひょう]の『酒譜』に中村さんが訳注をつけた東洋文庫の1冊ですが、両書とも酒の起源から説き起こしているのです。

しかし愉快なのは、『酒譜』が儀狄説をふくむ3つの起源説をあげた上で、論拠を示しながらすべて否定していることです。それでは、酒はいったい誰からはじまったのでしょうか? 竇苹の答は、「最初にはじめたのが誰かなど、わかるはずがない」(!?)

2020年10月19日月曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵8

 

儀狄が自分の造った酒を禹王に献上したところ、一口味わった禹王は、「後世この美味にして陶然とさせる飲み物によって国を滅ぼすものが出るであろう」と語り、儀狄を避けるようになったといいます(『戦国策』魏策)。

酒と食と色と台[うてな](豪邸)、これらは国を滅ぼす4大悦楽といわれますが、さすが儒教の聖王は、一口飲んだだけで酒の魔力を洞察しました。果せるかな、禹王の末裔である桀王は、連夜の酒池肉林の末に夏王朝を滅亡させたのです。禹王は夏王朝が酒によって滅びることを予測していた訳ではないでしょうが、桀王は酒で国を滅ぼした最初ということになるでしょう。


2020年10月18日日曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵7

『月刊酒文化』という雑誌の200412月号に載ったものらしく、酒文化研究所の「酒文化論稿集」の一編として出てきました。酒文化研究所という公立のインスティチュートがあるのか、日本もなかなかやるじゃないかと思って調べると、酒のイベントなども仕掛ける株式会社でしたが……()

串田さんによると、儀狄は、殷の前にあった中国最古の王朝である夏[]にあって、初めて酒を造ったと伝えられている伝説的人物です。もっとも杜康という人とする説もあり、あるいは儀狄が発明し、杜康が改良したという説もあるそうです。

一方日本では、猿がつくる猿酒(ましら酒)から人間が学んで酒をつくり始めたということになっています。しかしこれは間違っていると思います。人間は猿の時代から酒を造っていた――これが正解です()

いずれにせよ、儀狄にまつわるエピソードの方がずっとおもしろいですよ。串田さんによると……。

 

2020年10月17日土曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵6

「僕の一点」は「狄義 民に命じ 米汁を以って酒を醸す」ですね。題字は「狄義」となっていますが、正しくは「儀狄[ぎてき]」です。儀狄は中国で最初に酒を造った人――今でいえば杜氏であり、儀狄はまた酒の異名ともなっています。

たしか京都御所の襖絵にあったなぁと思って、藤岡通夫先生の『京都御所』(彰国社 1956年)を書庫から引っ張り出してくると、安政度造営御所の常御殿御中段に鶴沢探真なる画家が「大禹戒酒防微図」を描いていることが確認できました。そこに儀狄が登場するんです。

しかし詳しいことは分からないので、ネットで検索をかけてみました。すると串田久治さんの「『天の美禄』を止めますか?――陶淵明の禁酒宣言」という論文がヒットしました。

 

2020年10月16日金曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵5


 これでは60歳代、作品が減少傾向にあったこともうなずけます。もちろん北斎のことですから、『北斎漫画』などの絵手本や絵本、『多満佳津良』などの艶本、さらに摺物を矢継ぎ早に発表していますが、50歳代の読本挿絵期、70歳代の錦絵期に比べると、この時期を象徴する作品があまり見つからないように思います。

そのような60歳代と70歳代の接点ともいうべき文政12年に、『万物絵本大全図』は描かれたのでした。この作品の内容と意義は、書名がすべてを物語っています。つまり、これまで描いてきた膨大な量を誇る絵手本の集大成なのです。それは絵手本制作に一応のケリをつけて、いよいよ錦絵時代へスタートを切るのだという、北斎みずからの決意表明のようにも感じられてなりません。

2020年10月15日木曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵4

62歳 北斎の娘、没す。

63歳 本年、北斎の長女と柳川重信が離縁するという。

68歳 本年か翌年頃、北斎は中風を煩うが自製の薬で回復するという。

69歳 北斎の妻が没す。

70歳 この頃、北斎の孫(柳川重信の子)度々悪事を行い、北斎は尻ぬぐいをするという。

71歳 北斎の孫(柳川重信の子)放蕩で父に引渡し、上州高崎より奥州へ連れて行かす。北斎この頃、逃げ帰らぬかと案ずる。

   書肆、英平吉・文蔵に手紙を送る。書面中に“(前略)当春は、銭もなく、着物もなく、口を養うのみにて、二月中旬に不相候ては、春にはなりかね候(後略)”とあり。

 

2020年10月14日水曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵3

しかし、その年の項には何も書かれていませんでした。何らかの理由で出版にいたらず、版下絵のまま伝わってきたために、かの永田さんも知ることがなかった大発見であるということになります。

文政12年、北斎は古希の70歳に達していました。僕は北斎の画歴を6期に分け、60歳代を充電期としています。60歳代は70歳代の錦絵期、80歳代の肉筆期へのエネルギーを蓄えていた時期でした。還暦を過ぎたころから70歳代の初めにかけ、北斎は色々な出来事に遭遇し、じっくり創作へ向う時間が限られていましたが、かえってそれが充電期にプラスとなったように思います。『葛飾北斎年譜』からピックアップしてみましょう。

 

2020年10月13日火曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵2


  第一報に大英博物館ではすでにウェブサイトで公開していると書かれていたので、早速アクセスしてみました。103点が完全な形で見ることができるのです。チョット日本では考えられないことですね。

こんなことをしたら、みんな博物館や美術館に見に来なくなってしまうと、我々は考えがちです。しかし実際はまったく反対でしょう。この記事を読み、大英博物館のウェブサイトにアクセスした人は、必ず実際に見てみたいと思うのではないでしょうか。デジタルイメージにはないオーラが、オリジナルにはそなわっているからです。

これは文政12年(1829)に『万物絵本大全図』という本の挿絵として制作されとあったので、今は亡き永田生慈さんの『葛飾北斎年譜』を開いてみました。

2020年10月12日月曜日

葛飾北斎『万物絵本大全図』大英博物館蔵1

葛飾北斎『万物絵本大全図』版下絵を大英博物館が新しくコレクションに加える

 10月2日『朝日新聞』夕刊に「北斎の未公開作が物語る江戸市民の海外への関心 版画の元画103点 多くは中華や天竺の万物が題材」という記事が載りました。しかも文化欄じゃ~なく、第1面トップですよ。よっぽどニュースがなかったのかな() 

第一報は9月4日、前日に大英博物館が発表したという簡単な記事が出たのに続き、その詳細を伝える記事でした。大英博物館が、フランスで見つかった北斎の版下絵103点を新たに収蔵したのです。

もともとは日本美術の収集家として有名なフランスの宝石商アンリ・ベベールが所有していましたが、戦後の1948年、パリで競売に掛けられたあとは、フランスの個人コレクターが秘蔵してきたそうです。昨年再発見され、美術ファンドの支援を受けた大英博物館がオークションで落札ーー日本円にして約3700万円でした。

 

2020年10月11日日曜日

五木寛之『大河の一滴』15


  つまり、五木寛之さんの人気を丸谷才一さんはよく知っていたのに、吉行淳之介さんはまったく知らなかったのです。ある人から聞いた話で、正確には覚えていないので、チョット饒舌館長風に脚色したところもありますが、五木さんのすぐれた人気、読者聴衆の気うけを語ってあますところなきエピソードです。320万部もムベなるかなと、納得させられます。

しかも『大河の一滴』はロングセラーです。静嘉堂文庫長室にあった1冊には読者カードが挟み込まれており、それには「抽選で100名の方に『大河の一滴』特製テレホンカードを差し上げます」と書かれていました。今は世の中からまったく消えてしまったテレカの時代から、『大河の一滴』は売れ続けているんです!!

2020年10月10日土曜日

五木寛之『大河の一滴』14

 あるとき、五木寛之さんと丸谷才一さん、吉行淳之介さんが講演会を行なうことになったそうです。どうしてか丸谷さんが絶対自分は最初にやらせてほしいというので、丸谷才一→五木寛之→吉行淳之介という順番に決まりました。まず丸谷さんが演壇に立つと、会場はほぼ満席でしたが、話し終えようとするころ、さらにゾロゾロと聴講者が入ってきます。

 その立ち見も出る聴衆の一人ひとりに、次の五木さんが語りかけるがごとくに講演をされました。ところが五木さんの話が終ると、半分以上がゾロゾロと出て行ってしまい、吉行さんが話し始めたときには、ガラガラになっていたというのです。 

2020年10月9日金曜日

五木寛之『大河の一滴』13

 

しかし五木哲学には、有無の対立を超越した無――根源無が感じ取れるのに対して、ショーペンハウアーやニーチェは有無を二項対立的に考える、西欧的思考から抜け出せていないのではないでしょうか。少なくともニーチェは、その陥穽にはまってしまっているように思われます。しかしこれは、饒舌館長なんかの手に余る問題であって、姜尚中さんか鷲田清一さんに考えてもらわなければどうにもなりません。

同じジャンルのオススメ本として、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』と、色川武大の『うらおもて人生録』をアップしたことがあったように思います。しかし吉野源三郎はともかく、阿佐田徹也なんかと一緒にしたら、五木ファンから、つまり女性から丑の刻参りをやられるかもしれませんね()


2020年10月8日木曜日

NHK「葛飾北斎再発見」2

言い間違いや繰り返しがあり、「ア~」とか「エ~」も入りますから、これをカットして40分くらいの口演を30分に圧縮してもらいます。琳派400年記念祭が行なわれた2015年には、琳派でやらせてもらったので要領は分かっていますが、スライドを写しながらも「これ」「この」「ここ」は禁句なんです――ラジオでも流すわけですから当然ですが、つい言っちゃうんです()

今の時代、ラジオなどない家庭が多いでしょう。ボクンチにもありません。しかしスマホで聞けることを、先日ある友人から教えてもらいました。「らじるらじる」で検索すると、チャンと出てくるんです。クルマ・スマホ・愛人を持たない三無主義者の僕は、パソコンで聞くことにしましょう。お時間のある方は、ぜひ「らじるらじる」でご笑覧、いや、ご笑聴くださいませ!!

2020年10月7日水曜日

NHK「葛飾北斎再発見」1

NHKカルチャーラジオ「葛飾北斎再発見――生誕260年よせて――」

 NHKで「葛飾北斎再発見――生誕260年によせて――」が放送されます。今日10月7日(水)夜の8時半から始まる30分番組です。これが第1回で、②1014日、③1021日、④1028日、⑤11月4日、⑥1111日、⑦1118日、⑧1125日、⑨12月2日、⑩12月9日、⑪1216日、⑫1223日、⑬1230日の計13回、すべて水曜日、時間は夜の8時半からです。講師は御存じ饒舌館長です(!?)

 しかしNHKといっても、テレビじゃ~なく、ラジオなんです。収録はNHK文化センター青山教室、普通の講座と同じようにスライドを使ってしゃべります。ただし1回に2日分をしゃべり、これを収録して編集のうえ放送するんです。一応準備はしていきますが、原稿を読むわけはなく、基本的にアドリブです。

2020年10月6日火曜日

五木寛之『大河の一滴』12

 

 どうも五木さんは、お酒が飲めないようですね。この下戸であることが、五木哲学誕生の理由であるように思われてなりません。少なくともその一つであることは間違いないでしょう。五木さんは酒で憂さを晴らす代りに、人生とは何かを考え続けたのではないでしょうか。そうだとすれば、酒仙館長なんて呼ばれて喜んでいる僕には、所詮このような哲学を生み出すことなど不可能だったのです()

 五木さんが遂にたどり着いた「人生は苦しみと絶望の連続である」という命題は、ショーペンハウアーの悲観主義(ペシミズム)や、ニーチェの虚無主義(ニヒリズム)とチョット似ているように思われるかもしれません。


2020年10月5日月曜日

五木寛之『大河の一滴』11

 

このように読者を感動させてやむことなき五木哲学は、どうして生まれてきたのでしょうか。みずから語るように、五木さんは旧日本帝国の植民地で敗戦を迎え、言語に絶する混乱のなかを、かろうじて生きのびて母国へ引きあげてきました。この過酷な体験から五木哲学が生まれたことは、改めて指摘するまでもありません。それに加えて僕が注目したのは、つぎのような一節です。

「酒はこれ忘憂の名あり」と、親鸞は言ったという。『口伝抄』という書物のなかに出てくる話だ。またむかしの人は「酒は愁いをはらう玉箒[たまばはき]などとも言った。しかし、酒で憂さをはらすことのできる人は幸せだと思う。たとえそれが束の間の忘憂であったとしてもである。しかし、酒を飲めない人間はいったい、どうすればよいのか。


2020年10月4日日曜日

五木寛之『大河の一滴』10

科学は常に両刃[もろば]の剣[つるぎ]である。医学や技術の進歩によって救われた命と、それによって失われた命と、はたしてどちらが多いか。私は五分五分だと感じている。医学が作りだす病気もまた少なくないのである。

 そんなバカな、近代医学のメリットがデメリットより多いのは明らかだし、五木さんのような考え方が、スティーブ・ジョブスを死に追いやった代替医療や、似非療法を生み出す温床になるのだ――と思って反論を加えようとすると、すぐに不可能であることに気づかされます。これに続けて五木寛之さんは、チャンとつぎのように述べているからです。

そのことを統計的に証明せよ、と言われても、私にはそれをする気はない。統計や数学もまた現代の大きな病のひとつだと感じるからだ。

 

2020年10月3日土曜日

五木寛之『大河の一滴』9


  「私たちは科学だけで生きているわけではない」というのが、五木寛之さんの基本的スタンスです。最近とみにその科学的常識に合わないことを大事にするようになった五木さんは、直感やヒラメキ、勘、第六感の方が自然な生き方だと思うようになったそうです。これも「直感は誤たない。誤るのは判断である」という僕の哲学、いや、思い込みと近いところがあります() 

瀬戸内寂聴さんはそれを、「五木さんのエッセイの尽きない魅力は、深い愛と真実の本音を、心の涙をインクにして書き示してくれていることにある」と、文学的に表現しています。そんな非科学的で情緒的な哲学など、簡単に反論できるだろうと俗人は思うかもしれませんが、然[]にあらず、絶対に論破されないよう堅固に構築されているのが、五木哲学の特徴です。五木さんは科学や医学についても持論を開陳しています。

2020年10月2日金曜日

五木寛之『大河の一滴』8

 

先の『朝日新聞』には、「今年3月上旬から再び売れ始め……」とありましたが、まさにコロナウィルスの恐怖が身近に迫ってきた時期と符合しています。人々は心の拠りどころを求め、すがるように本書を読み始めたにちがいありません。それが再び売れ始めた理由でしょうが、その感染症のページに至り、いよいよ深く五木哲学に心酔したはずです。

コロナウィルスだけではありません。コロナ禍のために一般化したリモート授業、オンライン講義をすでに予言し、その限界に警鐘を鳴らしつつ、人間との接触――<面授>の重要性をズバリ指摘しているのです。驚くべき予知能力です。


2020年10月1日木曜日

五木寛之『大河の一滴』7

しかし『大河の一滴』がすごなぁと感じ入ったのは、予言の書ともなっていることです。五木寛之さんは書いています。

たとえば抗生物質の出現と衛生学の発達とによって、感染症などは完全に制圧し終えたというふうに思いますが、必ずしもそうではないのではないか。

世界に天然痘がなくなったということを世界保健機関は宣言したわけですが、本当になくなったかわりに新種の、われわれの目に見えないウイルスや、あるいはこれまでになかった病原体というものが出現したのではないでしょうか。

 五木さんは、20年以上も前にCOVID-19を予言しているのです。もっとも「出現した」といっているのは、O-157のようですが、もうこれは完全にコロナウィルス予言の書だといってよいでしょう。コロナウィルス出現の理由を、20年も前に、正しく解説しているといっても過言ではありません。

 

東京国立博物館「桃山」9

この「李白観瀑図」には景筠玄洪 [ けいいんげんこう ] という禅僧の七言絶句が着賛されています。この賛者について詳しいことは知られず、臨済宗大応派の太原崇孚 [ たいげんすうふ ] に師事したことが分かっているだけでした。 しかし山下さんによると、大石利雄さんの研究によって...