2018年8月16日木曜日

夏もやはり李賀1


 すでにお知らせしたところですが、拙文集『琳派 響きあう美』に続いて、『文人画 往還する美』を、同じく思文閣出版から出してもらえることになりました。ようやく取れた一週間の夏休みを、その校正にあてようと思いましたが、先月以来の猛暑、酷暑、炎暑、烈暑、劇暑がまだ続いています。やる気など、起こるもんじゃありません。

ついつい昼からビールを一杯、当然眠くなるのでソク昼寝、目が醒めても物憂く、ボーッと雑草しげるタビのひたいほどの庭をながめたりしています。

仕方がないので『中国詩人選集』の前に立てば、やはり手が伸びるのは、荒井健さんが校注をほどこす『李賀』です。夏にちなんで、代表作の一つである「河南府試 十二月楽辞 并びに閏月 十三首」のうち、夏の四月、五月、六月に、お馴染みの戯訳をつけて消夏の遊びとすることにしました。

もちろんこの四月、五月、六月というのは陰暦の話ですが……。もっとも荒井さんは五月をカットしていらっしゃるので、隣にあった『中国文学歳時記 夏』(同朋舎 1989年)から引っ張ってきました。

2018年8月15日水曜日

適塾ダヴィンチプロジェクト3


最後に「美術品が取り持つ文化交流 『蒐集する』という文化財保全」と題して総合討議が行なわれました。そこで登壇されたイセ文化財団の伊勢彦信さんのお話は、さすが実体験に裏づけられており、コレクションという美的行為の醍醐味に思わず引き込まれてしまいました。

「磁州窯掻落し牡丹文梅瓶」も男彦信乾坤一擲の作品だそうですが、そのスライドが映し出されたとき、お世話になった国華清話会の金沢特別鑑賞会を、僕は懐かしく思い出しました。床を飾るジョルジュ・ブラックの絶品が不思議に調和するあのお茶会とともに……。

新大阪駅近くのレストランで行われた打ち上げで痛飲、さらに聚美社の岡川聰さんと「のぞみ」のなかで二次会をやりながら、帰途についたことでした。


2018年8月14日火曜日

適塾ダヴィンチプロジェクト2


会場は200人も入れる大阪大学中之島センター・佐治敬三メモリアルホール――サントリー美術館のお手伝いをしている僕ですが、はじめて存在を知った空間です。ペルージャ大学のレティツィア・モニコさん、大阪市立東洋陶磁美術館の出川哲朗さん、台湾・故宮博物院の岩素芬さんと陳東和さんの発表は、これまた初めて教えられることばかりでした。

とくに出川さんの発表では、最近また中国で曜変天目が出土したという新知見を得て驚きました。そのあと、一昨年静嘉堂でお話しいただいた小林仁さんからも、この新発見について詳しくうかがう機会を得ました。お二人には、改めて曜変天目日本限定現象に関し、僕の「曜変H説」を開陳したのですが、やはり眉にツバをつけていらっしゃるような感じでした() 

2018年8月13日月曜日

適塾ダヴィンチプロジェクト1


適塾ダヴィンチプロジェクト・シンポジウム2018<アートの『これから』を語る>(85日)

 大阪大学総合学術博物館の伊藤謙さんがファシリテーターとして企画した国際シンポジウムです。なぜか僕にもお呼びがかかり、与えられたお題が「日本美術の今と未来――日本文化をどう伝え発信するべきか――」という難問です。「行雲流水」を人生哲学?とする僕にとって――ぶっちゃけていえば、定見というものがなく日和見の僕にとって、とても答えられるものじゃありません。

仕方がないので、僕も参加したワシントン・ナショナル・ギャラリー「色彩王国 伊藤若冲<動植綵絵>」+CASVA国際シンポジウム「江戸の画家」(2012年)と「琳派400年記念祭」(2015年)、それと現在わが静嘉堂文庫美術館で開催中の「明治150年記念 明治からの贈り物」のアラアラを紹介して責をふさぐことにしました。その座長をつとめて下さったのは、京都外国語大学のシルヴィオ・ヴィタさんです。

2018年8月12日日曜日

大原美術館美術講座13


I椹木野衣「絵画における『近代の超克』と『戦後レジームからの脱却』
――成田亨と戦争画」(『戦争思想2015』河出書房新社 2015

日本の栄えある戦争を描くのに、なぜ鬼畜米英の技法である油絵なのか。ふつうに考えれば、明治期の国粋主義から発した日本画家たちの仕事ではないか、と。ところが事態はまったく逆だったのだ。実は、戦争画を描くにあたっては、日本画家は油絵画家よりも格段に劣るものと見なされていた。明治期に政府お抱えの外国人教師であったアーネスト・フェノロサの好みで、狩野派に近代絵画の画材や技法を取り入れることで改良され、その弟子にあたる岡倉天心によって確立された「日本画」では、本当の意味での「戦争画」は描けない――そう、軍部によって判断されたからだ。このことは、歴史的に言っても美術史に留まらない、たいへん大きな意味がある。

2018年8月11日土曜日

大原美術館美術講座12


H椹木野衣×会田誠『戦争画とニッポン』(講談社 2015

会田 だから、日本人の戦争画はやっぱりやさしい。当時の美術雑誌をぱらぱらと見ていても、画家たちが現地でささっと描いたような、ちょいとしたスケッチのほうが、生き生きとしているような気もしますし。日本人は文学でも重厚な長編よりエッセイ的なもののほうが得意だったりするので、戦争画も、ふと詠む俳句のように「墜落した飛行機の残骸は哀れをさそうなあ」みたいな淡彩画のほうが、得意な感じもするのです。だから日本の戦争画を見る面白さのひとつは、もしかしたら世界でも一番、戦争画に向いていない民族がやろうとした、ということかもしれません。戦争画を見せるとアジアの人を傷つけるという理由で、タブー視されているけれども、むしろちゃんと見せたらいいと思うのです。もしかしたら、「ここまでむいていなかったか」「そりゃ戦争に負けるわ」と言われるかもしれません。それは日本の兵士に残虐行為がなかった、などという話とはまた別ですが。当時の従軍画家たちが全体としてどんなメンタルの持ち主だったかということですが、それは現在でもあまり恥ずべきメンタルではなかったと思うのです。

2018年8月10日金曜日

大原美術館美術講座11


G高階秀爾「大観と富士」(『日本人にとって美しさとは何か』河出書房 2015

かつて大観にとって、富士はつねに祖国日本の象徴であった。代表的な例は、《日出処日本》と題された大作である。この作品は、昭和十五年(1940)、紀元二千六百年奉祝展の機会に描かれ、天皇陛下に献上されたもので、現在は宮内庁三の丸尚蔵館にある。画面右手に赤く輝く太陽があり、左の方でその日の出を迎える富士の気品に満ちた威容がある。清々しい雰囲気の名作と言ってよいだろう。だがその「日本」は、戦争によって消滅した、と大観は感じた。昭和二十一年(1946)、つまり敗戦の翌年正月の日本美術院での挨拶の草稿と思われる文章に「日本なき太平洋」という言葉が見える。

三千年の歴史は壊滅し、日本なき太平洋に対し私共は只々感慨無量であります。只独り東亜の芸術、力あり手こそ新しき日本建設の先駆となる事、此こそ再び世界に闊歩するのを堅く信じる者であります。

ここには、いったんは亡んだと思われた祖国を再び甦らせるには、「芸術」の力によるほかはないという信念、そしてさらに、自ら芸術による日本再建の任を担おうとする大観の強い決意がうかがわれる。


2018年8月9日木曜日

大原美術館美術講座10


E池田忍「『平治物語絵巻』に見る理想の武士像」(『美術史』138 1995

私は、以上のように、この絵巻における武士の描かれ方を分析することによって、その注文主が、公家、すなわち天皇を含む上位の男性貴族であると推測するに至った。ここに描かれた武士達は、貴族達の武士観を反映しており、彼らのまなざしに捉えられた武士の姿なのである。

F丹尾安典・河田明久『イメージのなかの戦争 日清・日露から冷戦まで』
<岩波近代日本の美術1>(岩波書店 1996

仏像を“彫刻”と名付けて分類したときに、われわれはそこから宗教的な次元をきりはなして美的な次元にのみ埋没しがちになるが、仏像はこの両次元が統合された、あるいは、未分化な状態のままにあるときに本来的なイメージの力を存分に発揮する。戦争美術とて事情は同じであろう。戦争と美術とがいまだ分断されぬままの状態のうちにこそ、戦争美術の実相はひらけている。そして、戦争美術はそういう状態のままに、いまも生きつづけている。

2018年8月8日水曜日

大原美術館美術講座9


D田中日佐夫『日本の戦争画 その系譜と特質』(ぺりかん社 1985

こういう作品群を生んだのは、たしかに時代相の反映であったと思う。しかし、私はそれでも、合戦に明け暮れた時代としては戦争画が少ないように思うのである。たとえば、あの自己顕示欲に満ちた織田信長や豊臣秀吉が、自分の居城を、自分がいままで戦い抜いてきた合戦のさまを描いた絵や、重要な会談の場面を描いた絵(もちろん私の脳裏にはベラスケスの「ブレダの開城」などがあるのだが)でもっと飾ってもよかったのではないかと思うのである。ところが安土城天主閣などにはそのような絵は一枚も描かれていなかったようである。どうも不思議に思えてしかたがない。このへんにわが国特有の、現実の儀礼や現実の戦争を描くことを拒否していた古代人から流れていたであろう心情の存在を、いまだに強く感じるのである。

2018年8月7日火曜日

大原美術館美術講座8


C勅使河原純『菱田春草とその時代』(六芸書房 1982

そこへ提出されたのが、春草の「寡婦と孤児」であったのだ。少なからず世を憚る、戦争批判の臭いをもったこの作品に対して、岡倉校長は躊躇なく優等第一席の評価を下した。いわゆる戦争画、それも血の流れている場面などを特に喜んだといわれる一般の趣味とは、およそ対照的な態度である。岡倉は決して戦争画を認めず、弟子達にも描くことを許さなかった。この点で彼の立場は一貫し、生涯決して揺れることはなかった。

2018年8月6日月曜日

大原美術館美術講座7


B辻惟雄「メトロポリタン美術館蔵『保元・平治物語図屏風』について」
                      (日本屏風絵集成5 講談社 1979
保元元年(1156)七月と、元治元年(1159)十二月の再度にわたり、京を舞台に、華々しく、そしてあっけなく展開終結した保元・平治の乱は、歴史上では中世の幕開けを告げる意義を持つものであった。事件の顛末は潤色されて為朝や悪源太といった英雄像をつくり出し、さらに義経・頼朝の後日譚などをそえ、保元・平治物語として人びとに愛誦されるようになる。この屏風の画題内容は、合戦を主題としながらも、全体として物語の一部始終を、片双を保元絵に、片双を平治絵に分けてくわしくたどったものであり、そのいみでは「合戦絵」と呼ぶよりむしろ「物語絵」とした方がふさわしい。



2018年8月5日日曜日

大原美術館美術講座6


参考資料

A宮次男『合戦絵』<日本の美術146>(至文堂 1978

かかる点からいって、本絵巻(「蒙古襲来絵巻」)には鎌倉武士の合戦絵に対する態度がはっきり表わされており、前期の戦記絵巻とは異なった、武家の美意識に基づく作品とみなすことができるのである。換言すれば、「平治物語絵巻」を頂点とする戦記絵巻が公家社会の所産として、浪漫的で文学性豊かな表現をもっていたのに対し「蒙古襲来絵巻」は武家的絵画として、現実的で記録性を重んじた造形ということができるのである。そして、この性格がいわば車の両輪となって、日本の合戦絵は展開していくのである。

2018年8月4日土曜日

大原美術館美術講座5


マイベストテン

    平治物語絵巻(ボストン美術館・静嘉堂文庫美術館・東京国立博物館蔵)

    蒙古襲来絵巻(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)

    伝土佐光信「保元平治合戦図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)

    伝土佐光吉「関が原合戦図屏風<津軽屏風>」(大阪歴史博物館蔵)

    俵屋宗達「扇面貼交屏風<保元平治絵押絵貼屏風>」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)

    伝八郎兵衛(久左衛門)「大坂夏の陣図屏風<黒田屏風>」(大阪城天守閣蔵)

    狩野探幽「一ノ谷合戦・二度之懸図屏風」(静岡県立美術館蔵)

    海北友雪「一ノ谷合戦図屏風」(埼玉県立博物館蔵)

    歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」

  松本楓湖「蒙古襲来・碧蹄館図屏風」(静嘉堂文庫美術館蔵)

2018年8月3日金曜日

大原美術館美術講座4


キーワード

 戦争画

 合戦絵

  平安時代末より制作される

  「後三年合戦絵巻」(後白河院が制作を命じる 吉田経房『吉記』)

  「平将門合戦絵巻」(将軍実朝京へ注文する『吾妻鏡』 幼少将軍教育啓蒙?)

  後崇光院『看聞御記』における室町初期天皇公家合戦絵鑑賞の事例

  鎌倉中期以降の合戦絵が遺る

 画面形式 合戦絵巻 合戦屏風 武者絵 出陣 対峙 合戦 戦時戦後生活

 凱旋 敗戦 記録画 戦勝記念 武功顕彰 教育啓蒙 戦意高揚 反戦画

2018年8月2日木曜日

大原美術館美術講座3


会田さんの「戦争画RETURNS」シリーズを象徴する「紐育空爆之図」は、秋田県立近代美術館で開催した特別展「ネオテニー・ジャパン」のときに、とても強い印象を与えられた傑作です。また、その後コンテンポラリー・アートを語るときには、必ず会田エロティシズムのみごとな視覚化である「群娘図」に指を折っていたので、ワクワクしながらそのナイーブな肉声に聞き入りました。

マイトークはともかく、配布資料――とくにその参考資料はきっとお役に立つと思いますので、以下にアップすることにしましょう。ただし、マイブログ「饒舌館長」から引用した<五島美術館「光彩の巧み 瑠璃・玻璃・七宝」>印象記は、すでにみなさんご存知のところですのでカットいたしました。

ところで、僕の独断偏見は、①わが国の合戦絵は合戦絵じゃなく物語絵である。②屏風・絵巻という大画面・長尺画面がその基底を支えている。③作戦記録画やコンテンポラリー・アートにまで、日本美のDNAは生きている――というものでしたが、それはともかく、銘酒「荒走り」を心ゆくまで堪能した歓迎会を含めて、じつに楽しい2日間となったのでした()

*お元気な方はすべて「さん」とお呼びするのが「饒舌館長」ですので、失礼の段、どうぞお許しくださいませ。



2018年8月1日水曜日

大原美術館美術講座2


しかしこれは、饒舌館長としてまたまた独断と偏見を開陳し、静嘉堂文庫美術館および企画展「明治150年記念 明治からの贈り物」を宣伝するグッドチャンスだと思い、いつものごとく即断即決、お引き受けすることにしました。はじめ「なぜ、描かれたのか? 戦いの表象――平治物語絵巻から日本現代アートまで」というタイトルを考えました。

考えましたが、ちょっと僭越だと思い返し、鎌倉時代の「平治物語絵巻」から、明治時代の松本楓湖筆「蒙古襲来・碧蹄館図屏風」まで、マイベストテンを選んでしゃべることにしました。両者とも、静嘉堂文庫美術館コレクションとなっているところがミソです() 

三浦さんの「西洋の戦争表象とその広がり――19世紀フランス絵画から藤田嗣治の戦争画へ」、会田さんの「雑感・戦争と美術」、高階さんの「記録と記憶――イメージの力」が、刺激に満ちた発表であったことは、改めていうもでもありません。

夏もやはり李賀1

 すでにお知らせしたところですが、拙文集『琳派 響きあう美』に続いて、『文人画 往還する美』を、同じく思文閣出版から出してもらえることになりました。ようやく取れた一週間の夏休みを、その校正にあてようと思いましたが、先月以来の猛暑、酷暑、炎暑、烈暑、劇暑がまだ続いています。やる...