円空は天台宗の僧侶でしたが、それに凝り固まっていたわけではありませんでした。神道といえば言い過ぎかも知れませんが、神道として確立する前の自然崇拝――僕のいうプレ神道の精神が円空に宿っていたことは明らかでしょう。
三井記念美術館「魂を込めた円空仏――飛騨・千光寺を中心にして――」展のカタログには、館長の清水真澄さんが「新円空論――円空仏は『如法の仏』――」というとても興味深い論文を寄稿し、円空仏の新しい見方と考え方を提示しています。それを実証するべく、巻末には「新円空論――円空仏は『如法の仏』――関係年表」が載っています。
それを見ると、「寛永9年(1632)円空 美濃国(岐阜)に生まれる」に続いて「寛文3年(1663)円空 岐阜・郡上市美並町神明神社 神像三体を造る(棟札)」と書いてあります。円空はこの年数えで32歳です。おもしろいですね。年記によって制作年が判明する最初の円空仏は、仏像ではなく神像だったんです!!
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