2018年12月31日月曜日

嵯峨嵐山文華館「胸キュン!嵐山」5



その詩を読んでみると、僕の日中山水画美真比較論を実証してくれているようで、すごくうれしくなってしまいました。しかもその場所は嵐山亀山公園、嵯峨嵐山文華館のすぐ隣です。これを使わない手はないと、またまたマイ戯訳を、配布資料に参考資料として掲げることにしました。ちょっとバージョンアップして紹介することにしましょう。

 雨の嵐山再訪す 両岸の松青々と そこに桜が混じり咲く

 道が尽きれば高き山 突然として現われる

 澄んだ泉水流れいで 岩にぶつかり反射する

 雨降り深き霧のなか 雲間より日が差す刹那 景色はさらに艶[なまめ]けり

 世のもろもろの真理でも 求めるほどに模糊[もこ]とする

 だが模糊のなか偶然に 一点ひかりを見出せば 真にいよいよ艶けり

2018年12月30日日曜日

嵯峨嵐山文華館「胸キュン!嵐山」4


そこから自然を美の対象としてみるか、真の対象としてみるかの違いが生まれたように思います。このような私見をしゃべって、今日のイントロダクションとすることにしました。またまた独断と偏見だといわれてしまうのではないかなぁと、あとでちょっと心配になりましたが……。

この「日中の自然と山水画」を書いてから4年ほど経って、嵐山亀山公園に建つ周恩来の「雨中嵐山」という詩碑を知る機会に恵まれました。今は亡き細見美術館館長の細見実さんが、遊洛会という京都を楽しむ会を立ち上げ、僕らを保津川下りに誘ってくれた時のことです。自由時間にそのあたりをブラブラしていると、大きな石碑が建っているではありませんか。

近づいてみると、京都大学に留学していた周恩来が、191945日、ここに遊んで詠んだ「雨中嵐山」という自由律詩を彫った自然石の碑で、日中平和友好条約が締結された1978年に建てられたものでした。今から100年前に作られた詩ということになります。

2018年12月29日土曜日

嵯峨嵐山文華館「胸キュン!嵐山」3


ところで、最近僕は3年前の『琳派 響きあう美』に続いて、同じ思文閣出版から臆面もなく『文人画 往還する美』を出しました。これまで書いてきた文人画に関する論文調の拙文、解説、エッセーを集めたもので、お恥ずかしい内容ですが、『琳派』と同じく辻惟雄さんから、後期高齢者になるんだから、早くまとめておくようにと勧められたからです(!?)

この『文人画 往還する美』に、先の「日中の自然と山水画」も収めたのですが、そのなかの日中山水画美真比較論から、今日のおしゃべりトークを始めることにしました。その前提として、西欧の主客対立的自然観に対し、日中ともに主客合一的自然観が強かった事実があげられます。しかし、我が国の主客合一を心理的主客合一と呼ぶとすれば、中国のそれは理論的主客合一だったといってよいでしょう。

2018年12月28日金曜日

嵯峨嵐山文華館「胸キュン!嵐山」2


京都嵯峨嵐山は、藤原公任の「朝まだきあらしの山のさむければ散るもみぢ葉を(紅葉の錦)着ぬ人ぞなき」や、後嵯峨上皇の「亀山の仙洞に吉野山の桜をあまた移し植ゑ侍りしが花の咲けるを見て 春毎に思ひやられし三吉野の花は今日こそ宿に咲きけれ」に象徴されるように、古来有名な歌枕、つまり景勝の地です。

きわめて多くの文人や詩人、画家たちが、その美しさをたたえてきました。ここには日本人の自然を美の対象としてみるという自然観が、もっとも象徴的にあらわれています。

振り返って、自然観においても日本人が大きな影響をうけた中国では、自然を真の対象としてみる傾向が強いように思います。はじめて僕がそのことを文章にしたのは、ちょうど4半世紀前で、中国社会文学会でしゃべったあと、その機関誌である『中国――社会と文化』に、「日中の自然と山水画」と題して発表しました。

2018年12月27日木曜日

嵯峨嵐山文華館「胸キュン!嵐山」1


嵯峨嵐山文華館リニューアルオープン企画展「胸キュン!嵐山」<2019127日まで>講演会「饒舌館長嵐山参上! 嵯峨嵐山の絵画とその魅力」(1215日)

 2006年に開館した「時雨殿」が、今秋「嵯峨嵐山文華館」にバージョンアップされ、改めてデビューを果たしました。それを記念し、第1回企画展「胸キュン!嵐山」が開催されています。

そのキューレーターでもある岡田秀之さんからおしゃべりトークを依頼され、饒舌館長嵐山参上!とは相成りました。岡田さんについては、すでにオススメ本『かわいい こわい おもしろい 長沢芦雪』(新潮社とんぼの本)の著者として紹介したことがありますね。

畳敷きに黒塗りの和風椅子を並べた会場の周りには、冨田渓仙や竹内栖鳳、下村観山のすばらしい作品が飾られています。しかも、京都美術工芸大学時代に親しくなった方々――若い女性も含めて(!?)――が、たくさん駆けつけてくれました。おしゃべりトークに熱がこもらないはずはありません。

2018年12月26日水曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」20


第三に宗教です。ともに仏教国ですが、大乗仏教が中心を占めるという点で一致しています。ベトナムでは国民の70%が仏教を信仰しているそうですが、それは大乗仏教なのです。上座仏教、つまり小乗仏教も信仰されていますが、ごくわずかです。東南アジアの国ですから、タイやミャンマー、カンボジアなどと同じく、上座仏教が主流を占めるものと僕は思っていましたが、そうではなかったのです。

日本が大乗仏教の国であることは、改めていうまでもありません。同じ仏教でも、大乗仏教と上座仏教は大きく性格が異なるわけですから、これは非常に重要な共通点ということになります。

今回僕がベトナムという国に強く魅了されたのは、あまりにも遠いDNAというよりも、このような社会的や歴史的、文化的背景の類似や類縁のゆえであるように思います。けっしてチャーミングなアオザイのせいじゃーありません()

2018年12月25日火曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」19




第二に、ともに農耕民族であり、稲作が中核をなしている点です。というよりも、我が国の稲作が、ベトナムを含む東南アジアからもたらされたことについては、もう常識だといってよいでしょう。あるいは朝鮮を通して渡ってきたのかもしれませんが、稲作のオリジンはベトナムを含む東南アジアです。

今回ベトナムを旅行して、とくにそれをつよく感じたのは、すでにネップモイやズイゥ・カンをあげましたが、主要なお酒が米から醸されているという、きわめて重要な日越の共通点でした(!?)

2018年12月24日月曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」18




社会的にみても、共通点が少なくありません。第一に、もともと母系社会であり、中華文明や儒教を学んでから家父長制になったとはいえ、母系社会の基盤が破壊されることはなかったという点で共通しています。日本については、これまで「饒舌館長」でしばしば指摘してきたとおりですが、ベトナムもよく似ています。

先の『アジア読本』に載るファン・フイ・レー「家族と家譜」とズオン・ラン・ハイ「母子関係の伝統と現在」が、ベトナムの場合をよく伝えてくれています。ベトナムのよく知られた次のことわざは、それを象徴するものにほかなりません。

父の功は泰山の如く、母の義は流れ出る水の如し。

夫婦の絆は東シナ海の水も干す。

じいさんの命令はばあさんの鐘より劣る。

初めは父母や夫婦が同じ地位にあることを暗示していますが、最後は爺さんよりも婆さんの方が偉いとなっちゃっています。

2018年12月23日日曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」17




いずれにせよ、ベトナムの古い文化を現在にまでよく伝えているのが少数民族ですから、ズイゥ・カンも、その古い文化の一つにちがいありません。竹の管で固形部分を漉しながら飲むといえば、ドブロクに似るお酒のようですが、実にうまそうですね。もう一度どうしてもベトナムに行く必要がありそうです()

このたび初めてベトナムを経験し、僕は何かとても懐かしい感じにとらわれました。居心地がよく、とても親しみやすいのです。つまり、得もいわれず日本に近しい感じを受けるのです。日本人の誕生を考えれば、我々の血の中にも、ベトナム人やその少数民族のDNAが含まれているにちがいありません。とくに縄文人は、強いベトナム的DNAをもっていたのではないでしょうか。

2018年12月22日土曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」16


ベトナムは国家が公認しているだけで、53もの少数民族がいる多民族国家です。しかも、ベトナム総人口の10%を占めているそうです。中国の場合、あの広い国土に56少数民族であり、3%程度を占めるにすぎないことを考えると、ベトナムは完全な多民族国家です。
その少数民族は、ヴェト・ムオン語、モン・クメール語、タイ語、メオ・ザオ語、混成語、マラヨ・ポリネシア語、シナ語、チベット・ビルマ語の8語系に分けられるそうです。なお、多数民族のキン族も、ヴェト・ムオン語系に属しています。ベトナムは東南アジア世界の縮図といってもよい国のように、僕には感じられました。

そのうちの22少数民族が、このズイゥ・カンという醸造酒を現在も醸しているのです。『地球の歩き方 ベトナム』では、少数民族のムオン族だけが醸しているように書かれていますが、少数民族のあいだに広く行なわれていたようです。というよりも、先の報告書によると、多数民族のキン族も造るようですから、ズイゥ・カンはもうベトナムの伝統民族酒と呼んでよいことになります。

2018年12月21日金曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」15


 だからこそ、「曜変天目(稲葉天目)」は、必ず静嘉堂文庫美術館で見てほしいんです!! 数年前、東京国立博物館の特別展「お茶の美術」で見た方も、もう一度静嘉堂文庫美術館でじっくり観賞していただきたい!! 今年は2回も公開することになっているんですから……。

ちょっと横道にそれてしまいましたが、ベトナム少数民族が作る醸造酒にズイゥ・カンがあります。はじめこの酒の存在を、『地球の歩き方 ベトナム』(ダイヤモンド社)で知ったのですが、高山卓美さんらにより、「ベトナムの伝統的な酒(その1)吸管酒ズイゥ・カン」として詳しく報告され、ネット上で公開されています。

それによると、ズイゥ・カンはもち米から醸される酒で、現在22少数民族によってつくり続けられているそうです。旧正月や収穫祭、結婚式などの祝い酒として振舞われますが、必ず竹の管でみんな一緒に吸飲することが特徴です。我が国で酒やビールを注ぎ合ったり、今はもう廃れたとはいえ、献杯や返杯をしたりするのと同じような精神がうかがわれます。

2018年12月20日木曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」14


ベトナムには「ネップモイ」という米焼酎があり、何回か僕もやったことがあります。日本で米焼酎といえば、何といっても球磨の「文蔵」ですが、「ネップモイ」には「文蔵」にないフルーティな香りがあります。今回ネップモイをやる機会には恵まれませんでしたが、日本でも容易に入手できますから、とくに残念だったというわけではありません。

しかし、ベトナムの醸造酒――つまりウォッカやネップモイのような蒸留酒ではないプリミティブなお酒をいただく機会がなかったことは、ちょっと心残りでした。「蒸留酒はどこで飲んでもよいが、醸造酒はその土地で飲むのが一番である」というのが、持論なものですから……。

ついでに言えば、「美術品は所蔵館で、地酒はその土地で!」というキャッチ・コピーも、結構うける持論です(!?) 

2018年12月19日水曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」13


こうなると零を3つとって5倍するという河野換算法がきわめて有効で、即座に30×5150と出ちゃいます。あのスタイニーは日本円で150円だったんです。

あとで安村さんにこの話をすると、そのKというのはキロ、つまり1000の意味だろうと言うので、さすが安村さん、サイゴン・スペシャルなんて飲まなくたって、みんな分かっちゃうんだと感嘆したことでした。

今回もいろいろなお酒を堪能しましたが、やはりソ連の影響でしょうか、ウォッカが広く飲まれているようで、お酒と政治の関係が実に興味深く感じられました。大使館でいただいたベトナム・ウォッカ「ハノイ」は忘れることができません。

2018年12月18日火曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」12


それはともかく、夜とはいえまだまだ蒸し暑いなかで、鍋を注文する人が多いので不思議な気がしました。帰国してから、ベトナム研究家・坪井善明さんが編集した『アジア読本 ヴェトナム』(河出書房新社 1995年)を読んで、その理由がよく分かりました。

そこにホーチミン総合大学・山口英子さんが、「鍋で暑気払い」というコラムを書いています。日本でも、「暑いときには熱いものを食え」とよく言いますが、ベトナムでも同じなんだなぁと腑に落ちたことでした。

もう1軒回ろうかなぁと思い、そこで〆てもらうと、「30K」と書いた紙を持ってきました。すぐこれは30000ドンのことにちがいないと分かりました。人々はKという単位を使って、勝手にデノミをやっちゃっているんです。あるいは広く用いられているのかもしれませんが、少なくとも、フエ・レストランのメニューはドン表記だったような気がします。

2018年12月17日月曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」11


またまた伊藤さんによると、最近は瓶や缶ビールに人気があり、ビアホイは減りつつあるそうですが、その店ではみんなビアホイをやっていました。僕が「ビア」と頼むと、やはりビアホイを持ってきましたが、大きなコップに注がれているので銘柄が分かりません。

銘柄を知りたいと思い、瓶ビールか缶ビールがないかというと、瓶ビールと小皿に盛った茹ピーナッツを持ってきてくれました。「ビア・サイゴン・スペシャル」というスタイニーで、軽めのおいしいビールでしたが、これも冷やしてはありませんでした。

もっとも、間もなくコップへ氷を入れて持ってきてくれたのですが、申し訳なきことながら、これはパスさせてもらいました。僕はバタピーにしろ殻つきにしろ、炒った方が好きなのですが、その突き出しの茹ピーナッツはとてもおいしく、全部食べちゃいました。

2018年12月16日日曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」10


今回は23日のグループ旅行ですから、そのチャンスはほとんどありませんでしたが、ディナーやレセプションが終わったあと、一人で街中に繰り出してみました。そこで人々はもう勝手にデノミをやっていることが分かったんです。

その辺りにいわゆる屋台はありませんでした。ベトナム料理研究家・伊藤忍さんの『ベトナムめし楽食大図鑑』(情報センター出版局 2006年)によると、北部ではゴザを敷いただけの簡易飲み屋があるそうですが、これも見つかりませんでした。

しかし大衆食堂や飲み屋が軒を連ねています。そのうちで、最もにぎわっている店に入ってみました。入ったといっても客席はすべて店の外で、日本でいえば、銭湯の洗い椅子をもうちょっと腰掛風にしたものと、長テーブルが置いてあるだけです。これまた伊藤さんによると、ビアホイ屋というもののようです。ビアホイとはベトナム式生ビールで、基本的に常温だそうです。

2018年12月15日土曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」9


ザンさんは、「ドンの零2つをとって2で割れば円になります」と教えてくれました。確かにそのとおりですが、僕が編み出したのは、「ドンの零3つをとって5倍する」という換算法です。一般的に、割り算より掛け算の方が簡単ですから、河野換算法の方が絶対使いやすいと思います。ベトナムにいらしたら、一度試してみてください。

5000円が1000000ドンになっちゃー不便でしょうがないのに、なぜデノミネーションをやらないんだろうと不思議に思いましたが、庶民はもう勝手にやっていることが間もなく分かりました。

海外旅行に出たとき、必ず僕は庶民の生活を観察することにしています。庶民生活を知らずして、その国の文化を語ることはできないからです。これは日本文化を理解しようとするとき、とくに重要なポイントだと思いますが、外国文化の場合もあまり違わないでしょう。

2018年12月14日金曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」8


ベトナムの通貨単位はドン(Dong=VND)といいます。かつてはUSドルも流通していましたが、2012年から外貨での料金表示や授受が制限され、少しずつドン本位になっていると聞きました。

もっとも、案内されたお土産屋さんで求めたアーモンド・クッキーは、18USドルといわれたので、クレジット・カードで支払ったところ、カード利用票にそのままUSドルで表示されていましたが……。

1円がほぼ200ドンですから、桁数が大きくなって、慣れないとたいへんです。バスの中で、ガイドのザンさんに5000円を両替してもらいましたが、渡されたのは100000ドン札9枚に加えて、数枚の10000ドン札や5000ドン札でした。100000ドンといっても、500円玉1枚にすぎません。

2018年12月13日木曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」7


キャプションには「tower」と書かれていましたので、普通の家ではなく、城郭建築かなと思いましたが、とても美しいフォルムに心を動かされました。とくに興味深かったのは、軒に「反り」がうかがわれる点で、先日紹介した谷口吉郎氏の論文を思い出しながら見入ったことでした。

しかし、もし頂戴できるなら、「僕の一点」は、ヴ・ダン・コレクションから、緑釉にちかい感じの「青磁碗」を選びたいですね() とても魅力的な一碗ですが、繭山龍泉堂の川島公之さんによると、あるいはベトナムの窯ではなく、明代の龍泉窯ではないかということでした。

JWマリオット・ホテルのカフェで最後のランチを楽しんだあと、ハノイ・ノイバイ国際空港へ。15:40発のANA858便で帰国の途につけば、充実した初めてのベトナム3日間が無事終了です。

2018年12月12日水曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」6


終了後バスで大使館公邸へ。大使ご夫妻が用意された心づくしのおもてなしに応え、シャンパン→ビール→ワイン→日本酒→ウォッカと杯を重ねたことでした。

最終日の4日は、まず伊勢さんが準備しているイセ・ヒューマン・カレッジのキャンパスと校舎を見学しました。広やかな環境と立派な施設に、その成功を確信するとともに、日越友好がより一層進展することを祈念したことでした。そのあとハノイ国立博物館へ。中央に螺旋階段がつらぬく4階建ての近代的建築で、ハノイの古代から近現代に至る歴史と美術を分かりやすく紹介しています。

「僕の一点」は「テラコッタの塔」――キャプションによると、1315世紀の制作だそうです。2階建てと思われる宝形造りの建築テラコッタで、屋根にウロコ型の陰刻がありますから、瓦葺きだったのでしょう。


2018年12月11日火曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」5


 午後2時から、いよいよ本番のシンポジウムです。モデレーターの安村さんが「日本美術の5つの切り口」、続いて僕が「曜変天目と偶然の美」、そのあとベトナムでアート・プロデューサーとして活躍している遠藤水城さんが「現代美術と工芸の新たな出会い」、コーヒーブレークを取ることもなく、ベトナム工業美術大学副学長のダン・マイ・アインさんが「現代応用美術における伝統の要素」、最後に同大学教授のパン・タン・ソンさんが「ベトナム・セラミック・デザインの特性」と題して発表を行ないました。

熱演に次ぐ熱演が続き、安村さんをハラハラさせましたが、さすが名モデレーター、ちょっと時間を延長させただけで、ピタッとうまく収めたのはお見事でした!!

「日本工芸の特徴として、すでに偶然性とシンプリシティーがあげられましたが、いまスライドを拝見すると、ベトナムの工芸にもそれがうかがわれるように思いました。この点について、ダン先生、ソン先生のご意見をお聞きしたいと存じます」と、お二人にマイクを向けた僕の質問も、なかなかよかったのかな(!?)

2018年12月10日月曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」4


 翌日は9時から、ベトナム工業美術大学で、学生さんを相手に、「日本美術を象徴する琳派の魅力」と題するおしゃべりトークとは相なりました。許された時間は2時間――といっても、通訳が入るので実質1時間です。コンパクトにまとめるため、静嘉堂文庫美術館コレクションから、琳派マイベストテンを選んでしゃべることにしました。

通訳はリュウ・フォン・アインさん、そのパーフェクトな日本語→ベトナム語のおかげで、僕の言わんとしたこと以上が聴講者へ伝わったように思われました。

ただ、お馴染みの『國華』創刊の辞や、神武天皇から推古天皇までの暗唱、川柳「この俺に温ったかいのは便座だけ」は、さすがのリュウさんも困るだろうと思って出さなかったので、笑いをとることはできませんでした(!?)

2018年12月9日日曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと工芸」3


122日、8:55羽田空港発のANA857便で、ツアーの皆さんと一路ハノイへ。ノイバイ国際空港のパスポート・コントロールが終わって外に出ると、12月なのにムッとくるような暑さです。しかも逗子の家を出るときは6時前、当然ひどく寒く、ユニクロ・ヒートテック・エクストラウォームを着ていたので、たまったもんじゃありません。用意されたバスの中で、さっそく南国スタイルに着替えたことでした。

そのバスで市内観光へ。タンロン遺跡は、11世から19世紀にかけて栄えたベトナム王朝のお城が築かれていた場所で、発掘調査が行なわれるとともに、ユネスコ世界遺産に登録され、観光名所としての名を高めました。とくに端門と敬天殿石段を飾る龍の欄檻は強く印象に残りました。

続いてホーチミン廟、一柱寺を見学して、宿舎のロッテホテル・ハノイへチェックイン。ディナーのフエ・レストランでは、あこがれの本場生春巻きを堪能したことでした。

2018年12月8日土曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」2


いま愛用しているワイシャツは、メイド・イン・ベトナムです。かつて東大美術史研究室に留学して来られ、今はスイス・リートベルク美術館のキューレーターをつとめているトリン・カーンさんは、ご両親がベトナム出身の方だったように記憶しています。

これらが僕とベトナムの接点で、伝統的な美術や文学や音楽の話が出てこないのはお恥ずかしい限りですが、その接点を通して、長い間ベトナムという国に心惹かれてきました。一度はぜひ訪ねてみたいなぁと憧れながら、大好きな生春巻きを本場で食べたいなぁと思いながら()、これまでチャンスがなかった未知の国です。

しかも一緒に行く相方は、畏友というか、ポン友というか、ともかくも半世紀にわたって親しくさせてもらっている安村敏信さん、これは楽しい旅行になることが約束されたようなものです。

2018年12月7日金曜日

イセ・ベトナム・シンポジウム「現代アートと伝統」1


イセ文化財団・ベトナム工業美術大学「日越外交関係樹立45周年記念シンポジウム 現代アートの中の伝統との出会い」(123日)

 1973年、日本とベトナム民主共和国(北ベトナム)との間に、大使級の外交関係が樹立されてから、ちょうど45年目を迎えました。これを記念して、イセ文化財団とベトナム工業大学の主催で、「現代アートの中の伝統との出会い」と題するシンポジウムが開かれることになりました。在ベトナム日本国大使館も後援してくれました。これ以上の喜びはありません。

イセ文化財団理事長・伊勢彦信さんが立ち上げた日本アート評価保存協会の仕事をお手伝いしている僕に、スピーカーの依頼が来たのは半年前、二つ返事でお引き受けしたことは、改めて言うまでもありません。

ベトナムといえば、本郷3丁目交差点近くに「ミュン」というベトナム・レストランがあり、ときどき食べに行ったことを思い出します。東洋文庫ミュージアム・ショップでもとめたベトナムの「青花魚介文猪口」は、熱燗を一杯やるときに欠かせません。

2018年12月6日木曜日

中村眞彦さんの太極剣と太極刀2


もう一振りは、さきに柳葉刀と呼んだ中国刀で、刃の方にカーブがあり、とても重く、頑丈な作りになっています。『太極拳辞典』では、「太極刀」として説明が加えられていますが、「柳葉刀」という語はとくに見つからないようでした。

先にもアップしたように、奇美美術館には日本刀に似た中国刀も陳列してあったので、この点を眞彦さんにお訊ねすると、それは「楊式太極刀」に近いものであろうというお話でした。楊式太極刀は全体にカーブしていて、日本刀に近いフォルムだそうですが、残念ながら『太極拳辞典』に挿図は載っていませんでした。

眞彦さんのお陰で、現物を見るだけでなく、『太極拳辞典』を読みながら手に取ることができたので、中国の刀剣について具体的に理解することが容易になった、とてもうれしいその日の午後でした。


2018年12月5日水曜日

中村眞彦さんの太極剣と太極刀1


 「中村奨学会」については、すでに紹介したことがありますね。それを主宰しているのは、中村眞彦さん・まり子さんご夫妻です。その眞彦さんは太極拳の大ファンで、日々研鑽をかさねていらっしゃいます。

先日、京都国立美術館で開催中の特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」をアップし、日本刀の反りについて、改めて私見を述べました。そのとき台南・奇美美術館で見る機会があった柳葉刀こそ、中国の剣舞や太極拳で使われる中国刀の中心をなすものであり、これを日本刀と比較すればおもしろいことを言い添えました。

これを見た眞彦さんが、いつもお使いの2振りと、楊麗著『太極拳辞典』(北京体育大学出版社 2004)を携えて、静嘉堂文庫美術館を訪ねてくださいました。一振りは直刀で、太極拳では、むしろこちらの方がより一層尊重され、広く用いられるそうです。『太極拳辞典』に「太極剣」とある剣器がこれにあたります。

2018年12月4日火曜日

パナソニック汐留ミュージアム「ジョルジュ・ルオー」4


今日でも、迷った夢想家のような芸術家があって、中世に戻ることを願い、人々がおのおの自分の家に美しい装飾の一片を彫刻した時代、すべての村の教会がそれぞれの「聖母と幼な子」を持っていた時代、一ト口で言えば、芸術と人生と宗教とが手を取って進み、階級や職業によってきわどく引きはなされていなかった時代を憧憬れている。けれどもわれわれは時計を逆転させられない、たとえ分化によって何かを失っても得るところは多いのである。昔のオルケーストラの庭での無唱踊りは分化せざるものであり、それ自身の美があった。しかしその分化によって――芸術家と役者と観客との分離によって、われわれは実に劇[ドラマ]を得た。われわれは愛惜の眼を後方に向けてはならない。世界は新たな人生形式に向って前進する。そして今日の教会は明日の博物館とならねばならぬし、またなるべきである。


2018年12月3日月曜日

パナソニック汐留ミュージアム「ジョルジュ・ルオー」3


芸術とは何か。その根源的問いに応える碩学の名著。芸術の発祥を古代社会の祭式に求め、その移行の過程を、興味深い事実に基づいて論究し、併せて芸術と人生に及んだ必読の書

ちなみに僕がこの本のことを知ったのは、やはり桑原武夫氏の『一日一言』によってでした。99日に、「この日生まれたイギリスのギリシア学者」として、彼女が登場するからです。ところで、先に言った「有名な一節」とは次の文章です。桑原氏の引用にもうちょっと加えて、ここに紹介することにしましょう。

今一つのことでは表現派の一派である未来派が大体正当である。表現すべき情緒は今日の情緒であり、また明日の情緒ならなおさらよい。……真の生きた芸術があるとすれば、それはギリシア彫刻の鑑賞からも、民謡の復活からも、またギリシア劇の再演からさえも、起こってくるのではなく、今日現代的条件の中に生きる事物および人々にたいして感じる、敏感な情緒から起らねばならないのであって、そこには人生の深刻な他の形式とともに、近代の市街のあわただしさや、自動車や飛行機のうなりもふくまれねばならない。(略)

2018年12月2日日曜日

パナソニック汐留ミュージアム「ジョルジュ・ルオー」2


あのキリストを深く信仰した宗教画家であるルオーが、初期にはこんな現代風景を描いていたのです。ルオーが現代社会にも関心をもっていたことを知って、だからこそすぐれた宗教画家になれたんだと、僕は確信したことでした。

いくら2000年前の聖人キリストを取り上げるとしても、その根底に現代に対する関心がまったくなかったら、現代人を感動させるキリストは描けなかったにちがいありません。

そんなことを考えながら、そしてジェーン・エレン・ハリソンの『古代芸術と祭式』(筑摩叢書 1964)にある有名な一節を思い出しながら、僕はその「夜の風景 または よきサマリア人」に、心からのオマージュを捧げたのでした。

『古代芸術と祭式』の英語初版が出版されたのは1913年といいますから、もう一世紀以上まえに出た本ですが、名著だと思います。僕が名著だと思っているだけじゃありません。次のごとく、腰巻に「名著」だと書いてあるんです()

2018年12月1日土曜日

パナソニック汐留ミュージアム「ジョルジュ・ルオー」1


パナソニック汐留ミュージアム「開館15周年特別展 ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」<129日まで>(1023日)

 パナソニック汐留ミュージアムは、ジョルジュ・ルオー作品のすぐれた蒐集でよく知られていますね。これにヴァチカン美術館やポンピドゥー・センター・パリ国立近代美術館、ルオー財団所蔵の作品などを加えて構成した、開館15周年を記念するにふさわしいジョルジュ・ルオー展です。併設されるルオー・ギャラリーでは、企画展とは別に、「ルオーの初期作品」というテーマ展が開かれています。

その中から新収品の「夜の風景 または よきサマリア人」を、「僕の一点」に選びたいと思います。紙に木炭、水彩、パステルを用いた作品だそうですが、ほとんど木炭だけで描いたのではないかと思われるほど、画面は黒々としています。

しかし眼を凝らすと、そこに現代の風景があらわれてきます。パリでしょうか。あるいはその近郊でしょうか。アパルトマンの日常生活、にょっきりと立つよく分からない近代的構造物、火を噴く工場の煙突?など、ルオーは時勢粧をヴィヴィッドにとらえています。


岩波ホール「山の郵便配達」2

  名古屋大学につとめていたころ、名古屋シネマテークで勅使河原宏の「アントニオ・ガウディ」がかかり、見に行こうと思っているうちに終っちゃったことがありました。そのころ映画への関心が薄れ、チョット忙しかったこともあるのかな?  そんな思い出はともかく、名古屋シネマテークが閉館に...