2019年10月16日水曜日

追悼 池内紀先生1


 830日、池内紀先生が亡くなられました。78歳でした。先生とはほとんど一緒に東大で教え始めることになりましたが、僕よりも10年ほど早く、定年前にお辞めになり、あとは筆一本をたよりに、誰もがあこがれて止まない一人の自由人として生きられました。

先生と親しかった評論家の川本三郎さんが『朝日新聞』に寄せた「池内紀さんを悼む」は、思いのこもる本当にすばらしい追悼文でした。しかも池内先生を次のように位置づけている点に、感を深くしました。

権力や権威とはほど遠い。学界や文壇とも距離を置き、自分の知的好奇心のおもむくまま仕事をされた。趣味が確固たる思想になった。その点で澁澤龍彦、種村季弘ら自由な知識人の系譜を受け継いでいた。

2019年10月15日火曜日

玉川高島屋本館「<たまがわ>の、美。写真空間by遠藤湖舟」3



「僕の一点」は、昇る朝日をとらえて、幻想的神々しさを定着させることに成功した「朝陽」ですね。遠藤さんはみずから短い詩をわきに添えていますが、それは俳諧の連歌における匂い付けのようでもあり、作品の魅力をさらに高める薬味となっています。

ある朝、南からベルベットのマントを着たダンスの名手がやって来て、太陽を誘い、ゆるやかに踊り始めた。

キャプションを読むこともなく、会場を一巡して、直感的にこれを「僕の一点」に選んでいました。微妙なモノクロームのグラデーションが、かつて『國華』に紹介した谷文晁筆「山水図」の美しい皴とちょっと似ていて興味深いのですが、それは後から気づいたことでした。

また「朝陽」に戻ってキャプションを見ると、「ロサンジェルス・カウンティ美術館収蔵」と書かれているじゃ~ありませんか。やはり眼の高い美術関係者は僕だけじゃ~なく、アメリカにもちゃんといるんです(笑) こういうのを、この頃よく問題になる「上から目線」というのかな?

2019年10月14日月曜日

玉川高島屋本館「<たまがわ>の、美。写真空間by遠藤湖舟」2


遠藤さんは静嘉堂文庫美術館からほど近いところにスタジオを構え、多くの作品を多摩川で撮影、作品へと昇華させています。小林忠さんからもお名前は聞いていましたが、今日はじめて実際の作品を拝見する機会に恵まれ、会場にいらっしゃったご本人とも、親しくお話することができました。

理工学部で学び、科学者を目指したこともあるという遠藤さんらしく、天体、人間、昆虫など、すべてのモチーフが科学者の眼によってとらえられていますが、それがそのままアートへとメタモルフォーゼを遂げています。

その変身の秘密を言葉で説明することはちょっとむずかしいのですが、「美は細部に宿る」という湖舟美学がそれを解き明かしてくれそうです。他の写真家には求めることができない独自のフォト世界が、そこに出現するのです。

2019年10月13日日曜日

玉川高島屋本館「<たまがわ>の、美。写真空間by遠藤湖舟」1


玉川高島屋本館「<たまがわ>の、美。写真空間by遠藤湖舟」<1014日まで>

 遠藤湖舟さんは、1954年長野県に生まれた写真家です。1977年、早稲田大学理工学部を卒業したあと、しばらくして写真家としての活動を開始しました。2006年、個展を開いて、アーティストとして本格的デビューを果たすとともに、写真を中心として幅広いアート表現にチャレンジしています。

一昨年、広島県三次市の奥田元宋・小由女美術館で開かれた個展は、NHK日曜美術館アートシーンでも取り上げられたそうですが、残念ながら僕は見逃しています。奥田小由女さんといえば、いま日展の理事長をつとめられていますが、僕は「日展ニュース」に「饒舌館長日展私論」を寄稿したばかりです。

元宋画伯と奥様にして人形作家である小由女さんの個人美術館――有名な柳澤孝彦の設計だそうです――があることを初めて知り、今度お訪ねしようと思ったことでした。


東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」12


國華創刊百三十年とともに、朝日新聞創刊百四十年を記念する特別展「名作誕生」を寿ぎ、その出品作を中心に、継承と創造の日本美術史を追いかけてきた。継承といっても、さまざまなレベルがあるように感じられたが、しかし創造はただ一つなのだ。西洋の技法を使って、「切通しの写生」という個性美を創造してくれた岸田劉生が、「私の日本画について」というエッセーのなかで、継承と創造――劉生によれば古法と個性について語った一節を引用しながら、筆を擱くことにしよう。

古法に則[のつと]り古法の中に東洋画としての美術的要素の真諦[しんたい]を見出す事は、個性を殺す事でもなくまた自然を軽んずる事でもなく、生命を失う事でもない。個性も自然も生命も凡[すべ]て、芸術上にあっては第二の事で、第一の問題は「美」である。

 ところで、東京ステーションギャラリー展のゲスト・キューレーターは京都市立美術館の山田諭さんであり、その彼が「岸田劉生の道」という栄えある記念講演を行なっています。それは僕にとって、とてもうれしいことでした。40年ほど前、僕が名古屋大学で教えていたとき、山田さんは学生の一人だったんです!!


2019年10月12日土曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」11


画面右側を占める九段坂の構図は、これを反転させれば「切通しの写生」と瓜二つとなる。近世初期風俗画を含めて、浮世絵に強い興味をもっていた劉生が、インパクトに富む「くだんうしがふち」の構図から影響を受けた可能性は、充分に考えられてよい。あるいは写実に傾いていた劉生が、洋風画ともいうべき「くだんうしがふち」に心を動かされた可能性も。

もちろん、劉生がこれを直接参考にしたなどと断言することは憚られる。しかし、かつて見た北斎版画が、胸底にほんのわずか沈殿していて、まったく無意識のうちにそれがよみがえってくるといった記憶の回路まで、否定することはできないであろう。もしそうだとすれば、ここには無意識の継承があり、それが新しい創造を生んだのだといってもよい。それはジクムント・フロイトがいうスーパーエゴのようなもので、これまた実証不能なのだが、このような見方も現代の我々が美術を楽しむ途の一つである。

2019年10月11日金曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」10


四十代終りころ、北斎は横中判の洋風風景画を五点ほど発表するのだが、題名のほか、落款も「ほくさゐゑがく」と平仮名で入れている。それらを横書きにして、あたかも欧文のように見せている。北斎は早くから浮絵に関心を示していたが、その透視図法に陰影法を加えて、洋風的雰囲気をさらに強めている。もくもくと湧き上がる雲、横に伸びる人間の影、周囲を囲むタイル風装飾など、みな洋風を強調する仕掛けである。北斎が洋風画家・司馬江漢に入門したという憶説がうまれたのも、なるほどと思われる。

そのうちの一点が「くだんうしがふち」で、田安御門の前から俎坂へ向かって下る九段坂と、その南側に広がる牛ヶ淵を視野に収めている。

2019年10月10日木曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」9


強い光線を浴びる赤茶けた道の割れ目や小石、路傍の雑草までを写実的に描きながら、写実的というより、むしろシュールレアリスムのような感覚を漂わせて、見るものを魅了する。我が国の何気ない風景を、精緻なる筆致で描き尽くそうとする。そこにはアルブレヒト・デューラーの銅版画を継承した跡が見出される。それを直接的に実証することはむずかしいが、デューラー的な視覚だといってもよいであろう。そもそもこれは、ヤン・ファン・エイクが発明したという西欧の油絵なのだ。

ところがここに、葛飾北斎の風景版画「くだんうしがふち」が突如登場するので、驚かれる方も多いだろう。

2019年10月9日水曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」8


この観点から強く興味を引く画家の一人として選ばれたのが岸田劉生である。ここではその代表作「切通しの写生」(東京国立近代美術館蔵)に焦点を絞ってみよう。黒田清輝が主導する白馬会の外光派的スタイルから出発した劉生は、やがて白樺派の影響を受けてフュウザン会を立ち上げたが、間もなく北方ルネッサンス様式の差し響きによって写実に傾き、草土社を結成した。「切通しの写生」は、大正五年(一九一六)、第二回草土社展に出品された作品、劉生の家に近い切り通しを描いて、劉生風景画の象徴的位置を占めることになった。今も小田急線参宮橋駅から西北へ五分ほど歩けば、「切通しの阪」と呼ばれている坂がある。

2019年10月8日火曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」7


今年は明治維新百五十年の記念すべき年、慶応から明治に改元され、一世一元の制が定められてからちょうど一世紀半を閲するわけである。新しく誕生した近代国家日本は、古代以来の中華文明に代わって西欧文明を社会の規範に措定し、西洋国際社会への参加を表明したのだった。つまり我が国の近代化とは、西欧化のことであった。しかし、ものの見方や考え方は一朝一夕に変わるはずがない。当時の知識人はこれを否定的にとらえる傾向が強かったが、むしろ近代日本の素晴らしさは、この点にこそあるように思われる。近代美術のおもしろさも、軌を一にするといって過言ではないであろう。

2019年10月7日月曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」6


去年、東京国立博物館で「朝日新聞創刊140周年・國華創刊130周年記念特別展『名作誕生 つながる日本美術』」が開かれました。ここでも劉生は重要なテーマとして取り上げられましたが、イコノロジー的手法を採るこの特別展では、伝統との関係に焦点が絞られました。

東京ステーションギャラリー展では、劉生の「独創」「孤高」「天才」といった点が強調されていますが、劉生にはその両面があったというのが正解だと思います。そのカタログに寄せた拙稿「継承と創造の日本美術」の一部を引用して配布資料を作りましたので、改めて紹介することにしましょう。

2019年10月6日日曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」5


それまで劉生がモチーフに選んでいた人物も風景も静物も、すべて客観的対象でした。言ってみれば、それは「外なる美」だったのです。しかし麗子は、劉生の分身であり、主観的対象だったのです。愛する妻・蓁の胎内から生まれた「内なる美」だったといってもよいでしょう。

『劉生全集』に目を通すと、劉生が早くから「内なる美」という美的哲学をもっていたことが想像されます。しかし麗子が誕生したとき、それは具体的対象を得て、具体化され始めたのです。

やがて実際に麗子を描くようになると、その美的哲学は少しずつ凝固していき、「麗子五歳之像」が完成したときには、もう絶対疑うことができない哲学的命題へ変ったように思われます。それが2年後、『劉生画集及芸術観』において文字化されることになったのではないでしょうか。これが僕の考える「内なる美」のクロノロジーです。

2019年10月5日土曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」4


麗子は大正3年(1914)、劉生が23歳のとき生まれました。もっとも早い油彩の麗子像は、大正7年、第6回草土社展に出品され、今回も会場を凛々しく飾る「麗子五歳之像」(東京国立近代美術館蔵)です。

それ以前から劉生が麗子を写生し描いていたことは疑いありませんが、麗子の頭上に描かれるアーチ型や、その下に書かれた文字――もう款記と呼びたいよう文字によって、この作品が劉生にとってもきわめて重要な意味を有していたことは、おのずから明らかです。

劉生が「内なる美」という芸術観を発表したのは、2年後の大正9年、自選画集『劉生画集及芸術観』においてでした。その芸術論の部分が、21年後の昭和16年(1941)、河出書房から『美之本體』として出版されたのです。いま僕たちは、昭和60年、東野芳明先生の解説とともに講談社学術文庫の1冊に加えられた『美の本体』でこれに親しんでいるわけですが……。

2019年10月4日金曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」3


 もちろん僕は、すでに紹介したNHK文化センター青山教室で今年開講している「絶対オススメ12選<魅惑の日本美術展>」の第5回にこれを選び、すでにしゃべり終わったところです。さて劉生といえば、何よりも重視した「内なる美」ということになりますが、多くの研究者がこの解釈に四苦八苦していて、定説と呼ぶべきものはないようです。しかし僕は、「人間の美を求めて止まないDNA」といえば分かりやすいと思います。

劉生は初期のころから「内なる美」の存在に気がつき、それこそが美術のもっとも重要なエッセンスであると感じていました。しかしそれが確信に変ったのは、最初の分身である長女・麗子を、モチーフにするようになってからであるというのが私見です。

2019年10月3日木曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」2


そんな劉生の作品や姿勢、活動は、同時代の若い画家の指標ともなり、強い影響を与えました。
ひとつの到達点にきたら画風を変え、また新たな作風へと展開させ続けた岸田劉生。本展では、岸田劉生の絵画の道において、道標となる150点以上の作品を選び、基本的に制作年代順に展示することで、その変転を繰り返した人生の歩みとともに、画家・岸田劉生の芸術を顕彰しようとするものです。没後90年を迎える2019年。特別強力の東京国立近代美術館をはじめ、日本各地から名作が一堂にそろうこの機会をどうぞご堪能ください。

2019年10月2日水曜日

東京ステーションギャラリー「岸田劉生展」1



東京ステーションギャラリー「没後90年記念 岸田劉生展」<1020日まで>

 僕がもっとも愛する洋画家・岸田劉生の素晴らしい特別展です。チラシのリードには、「大正期の絵画展を積極的に開催してきた東京ステーションギャラリーが満を持してお送りする――饒舌館長もよくやるごとく<お贈りする>の変換ミスかな?――日本近代絵画史上欠かせない『天才』『非凡人』画家の大回顧展です」とあります。その紹介文をそっくり引用しておくことにしましょう。

画家・岸田劉生(18911929)は、日本の近代美術の歴史において最も独創的な絵画の道を歩んだ孤高の存在です。明治にはじまるその歴史は、フランスの近代美術の追随であったとされます。しかし、岸田劉生はただひとり、初期から晩年に至るまで、自己の価値判断によって、自己の歩む道を選択し、自己の絵画を展開しました。

2019年10月1日火曜日

追悼エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)続5



陸游「贈猫」<『剣南詩稿』巻42

 塩やって代りにネコをもらったよ
 部屋の隅いつものんびり座ってる
 マタタビにしばしば我を忘れてる
 夜になりゃ毛氈独占グーグーグー
 ネズミ穴ねらえば手柄あがるのに……
 お魚のご馳走だけはたらふくと
 ふさわしいステキな名前をつけたのさ
 それからは「小虎」「小虎」と呼んでいる

*「小於菟」の「於菟」は「虎」のことですが、「ウサギよりも劣る」とも読めて愉快です。

追悼 池内紀先生1

  8 月 30 日、池内紀先生が亡くなられました。 78 歳でした。先生とはほとんど一緒に東大で教え始めることになりましたが、僕よりも 10 年ほど早く、定年前にお辞めになり、あとは筆一本をたよりに、誰もがあこがれて止まない一人の自由人として生きられました。 先...