2018年6月30日土曜日

鏑木清方記念美術館「清方の美人画」4


名文家としても知られる清方さんには、『こしかたの記』というすばらしい自叙伝がありますが、アトリエ名を冠した『紫陽花舎随筆』も実に味わい深いエッセー集です。かつて『北斎と葛飾派』(日本の美術367)という拙著をまとめたとき、引越し魔・北斎を考える際の参考として、『紫陽花舎随筆』から「引越ばなし」の一節を引用したことを思い出します。

そのなかの「つゆあけ」にも、紫陽花へのオマージュが出てきますので、これも引用しておきましょう。

立葵の花は入梅一ぱい裾から梢へと順々に咲き上ってゆく、梅の実の熟れて落ちるのもこのころなり、紫陽花の蹴鞠に似た大きい花の枝もたわわに、水浅黄、うす紫、しとどにぬれて七色に染める花の色はあやしく美しい。


2018年6月29日金曜日

鏑木清方記念美術館「清方の美人画」3


かといって、まったく無関係ともいえないような気もします。「男女間の恋愛」あるいはそれにきわめて近い感覚が、清方美人をながめる僕の気持ちのなかに含まれていたからです。このような感情や表現をどのように呼べばいいのでしょうか。

エロティシズムではないけれども、しかし単に美しいとか、エレガントとか、綺麗だとかいうのでもない。うまい表現が見つかりません。「エロティシズムを超越したエロティシズム」などと言ってみても、隔靴掻痒の感が残るでしょう。

「僕の一点」は、季節にちなんで「あじさい」を選んでみました。紫陽花が一輪だけ淡彩で描かれ、「清方」の落款に「紫陽花舎」という朱文方印が捺されています。清方さんは紫陽花が大好きで、みずからのアトリエを「紫陽花舎」[あじさいのや]と名づけました。キャプションには、清方さんの紫陽花をたたえる一節が掲げられていました。

水色白群から白群、それから淡い藤色に変わって行く、その色の美しさと変化の中には秘めやかな妖気があり、異国趣味がある。

2018年6月28日木曜日

鏑木清方記念美術館「清方の美人画」2


そこに描かれた、あるいは雑誌の口絵に摺りだされた女性と、実際に会ってみたいなぁ、話がしてみたいなぁ、一つ屋根の下に住んでみたいなぁという、強いあこがれがわきおこってきたのです。やはり清方美人を、一人の女性として感じてしまったのです。普通こういう感情をエロティシズムと呼ぶのだと思って、『新潮世界美術辞典』にこの項を求めてみると、次のように書かれていました。

肉体的愛欲にかかわる過度の嗜好、あるいは作品の官能的情欲を誘う性質を意味する。語源のエロースはギリシア神話の恋愛の神であるところから、男女間の恋愛にかかわる官能の表現を基本とする。

 しかし、これがエロティシズムだとすると、僕が清方美人に抱いた感情とは、かなり違っているように思われました。けっして、愛欲とか、官能とか、情欲を感じたわけじゃないんです。かの名作「ためさるゝ日」の右幅が展示されていましたが、描かれている女性は長崎の遊女だと思います。その遊女さえきわめて優美にして清楚、エロティシズムからは遠い位置にいます。

2018年6月27日水曜日

鏑木清方記念美術館「清方の美人画」1


鎌倉市鏑木清方記念美術館「清方誕生140年記念 清らかに、うるわしく――清方の美人画――」<71日まで>

 インバウンド効果も手伝って、小町通は人であふれかえっているのに、この美術館はいつも清らかでうるわしい別世界です。しかも入館料は300! 絶対オススメですよ!!

 鏑木清方――僕の大好きな近代画家の一人です。どの作品を見ても、みんなすごくいい!!! かつて早稲田大学エクステンションセンターで行なわれた「鎌倉講座」で、「鎌倉にみる近代絵画」と題してしゃべったことがあり、のちにこれは伊藤玄二郎・池田雅之編『鎌倉入門』<日本人の原風景Ⅲ>(かまくら春秋社)に収録されました。

このとき僕は、鎌倉ゆかりの近代画家3人を選んで三題話に仕立てたのですが、もちろん清方さんにも入ってもらいました。「清方は郷愁の画家である」という通説に、若干の私見を加えたものでしたが、今回、清方誕生140年記念展を見て、ちょっと違った感慨をもちました。

2018年6月26日火曜日

優先席15


優先席問題を論じると、必ず矢面に立たされるのは若者です。若いくせに優先席に陣取りスマホゲームに興じ、マンガを読みふけっている。若者同士でおしゃべりに余念がない。若い女性だとお化粧に一心不乱のもいる。そして生活弱者がいても、席を譲ろうとしない。ひどいのになると、老人が乗り込んでくると急に狸寝入りを決め込むヤツもいる。一体全体、いまの若者の道徳心はどうなっているのだ――というわけです。

しかし落ち着いて考えてみると、いまの若者は可愛そうです。生れ落ちると同時に日本経済は右肩下がりで、歯牙にもかけなかった中国にGDPで追い抜かれ、将来への展望がまったく開けません。それにしたがって、非正規雇用や時間労働が増え、まともな人生設計を描くことができません。ようやく正規雇用の職を得たと思えば、ブラック企業で死ぬまで働かされます。新聞を開けば、そんな記事であふれています。

2018年6月25日月曜日

優先席14


1990年代後半に入ると、シルバーシートの対象が高齢者や体の不自由な方から、それ以外の生活弱者にも広げられ、やがて「優先席」とか「優先座席」と呼ばれるようになったそうです。つまり、1972年以前は優先席なんかなかったわけで、それで日本社会はうまく機能していたんです。

もっとも、機能しなくなったから、シルバーシートが考案されたのかもしれませんが、それ以前の優先席なんかなかった時代にもどして、日本人のやさしい心?にすべてを委ねようというのが第五案です。

なまじ優先席なんかあるから、それ以外の席に座っている非生活弱者が、生活弱者に席を譲らないのだとも考えられるでしょう。なまじ優先席なんかあるから、そこで仲良くしている若い男女がいると、譲られることを期待してその前に立った僕がイライラするのであって、優先席さえがなければ、イライラなんかするはずもありません。

 いや、イライラするのは席を譲られなかったことにたいしてではなく、仲良くしていることに対してかな(⁉)いずれにせよ、もう一度、優先席のない真にヒューマニックな電車に戻してみたらどうでしょうか

2018年6月24日日曜日

優先席13


そういえば、優先席のことを昔はたしか「シルバーシート」と呼んでいたなぁと思って、ふたたびネットで検索してみたところ、これまたおもしろいことを教えられました。はじめて国鉄にシルバーシートが設けられたのは、1973年(昭和48915日のことで、この日は当時の敬老の日にあたっていました。ということは、おもに高齢者を対象としていたわけです。

これを考案したのは、本社旅客局営業課長の須田寛という方でしたが、それはともかく、新幹線0系電車の座席に使うシルバーグレー色の予備布地を利用してシートを設定したところから、シルバーシートという名前になったそうです。

へぇ~そうだったのか!? てっきり僕は、老人の白髪をイメージして命名したものだとばかり思ってきましたが、廃品利用みたいなものだったんです。電車の話だからというわけじゃありませんが、ちょっと脱線してしまいました(!?)

2018年6月23日土曜日

優先席12


第五案は、優先席を廃止して、すべて普通席にしちゃうというものです。すでに書いたように、優先席が生活弱者のための席であるという建前やモラルが、完全には、あるいはほとんど守られていないという現実があります。

最初に掲げたフリーター・青戸晋さんの投書にあったように、現代日本社会では、長距離通勤・長時間労働のためみんなが疲れているという現実があります。高齢者といっても大変元気な方もいらっしゃいます。優先席が守られないのも、致し方ないことかもしれません。

そもそも、電車の中では生活弱者にみずから席を譲るべきであって、麗々しく「優先席」を設けることには、偽善やヒポクリシーの臭いがないではありません。それだったら、思い切って優先席なんかやめてしまえというのが第五案です。

2018年6月22日金曜日

優先席11


もちろん指定席ではありません。ときどき僕が使うJR湘南新宿ラインには、グリーン車がついていますが、指定席ではなく、グリーン券を買っても座れないことがあります。ブルー車もこれと似ていますが、グリーン車のように、乗車前にブルー券を買ったり、車内で求めたりすることは、現実的じゃありません。

車内にブルー券券売機を設けて、それで買うようにします。このようにかつての2等車を復活してブルー車と名づけるのですが、「生活弱者はこれを無料とする」とするところがミソです。

200円を払ってまでブルー車に乗ろうとする非生活弱者は少ないでしょうから、生活弱者が座れる確率は必ず高まります。また、200円を払ってブルー車に乗り着席した非生活弱者は、もちろん生活弱者に席を譲る必要もなく、「座ってちゃ悪いなぁ」というストレスから解放されることになります。

本来ヒューマニズムの問題を、お金で解決しようとするのがちょっと寂しいのですが、2等車の廃止が戦争のためであり、経済効率化のためであったことを考えれば、その復活は平和と人間らしい生活のシンボルともなるように思います。

2018年6月21日木曜日

優先席10


1945年わが国は戦いに敗れ、進駐軍がやってくると進駐軍車両が設けられたらしいのですが、1949年には進駐軍車両の後部半室が婦人子供専用車となり、1951年にはこれを廃止して2等室となりました。翌1952年、正式に2等車を再設定しましたが、1957年には廃止されています。おそらく、経済発展を期すためには邪魔になったのでしょう。2等車を廃止して、そこにたくさん人間を詰め込んだ方が、効率的だったのです。

僕は1953年に大森から蒲田に引っ越しましたが、やはり蒲田駅は京浜東北線でしたから、5年ほどその2等車を見ていたことになります。もちろん乗った記憶はありませんが……。

この2等車を復活し、すべての電車と地下鉄に連結するのです。一種の「グリーン車」ですが、それと区別して「ブルー車」と呼んだらどうでしょうか。特定車両と同じく、1両か2両でいいでしょう。2等料金ですから200円がいいでしょう( ´艸`)

2018年6月20日水曜日

優先席9


なお、優先席をバージョンアップして、生活弱者優先車両を設けるというのも考えられます。しかし、優先席でも守られないわけですから、大きな優先車両となったら、さらに効果はなくなるでしょう。車両ごと指定するなら、優先車両ではなく、特定車両にしちゃった方がいいのではないでしょうか。

第四案は、2等車の復活です。僕は子供のころ大森に住んでいましたが、京浜東北線にも2等車がありました。おそらく、そのほかの普通車両は3等車だったのでしょう。そこでネットで「京浜東北線」を検索すると、おもしろいことが分かりました。

京浜東北線――最初は「京浜線」と呼ばれていましたが、このラインが開通したのは1914年(大正3)のことでした。そのころ最も長い電車による運転区間だったこともあり、1両の半分が2等客室となった「23等合造車」が連結されていました。その後これが2等車に発展したようですが、1938年(昭和13)戦時輸送への移行にともなって、2等車も廃止されてしまいました。

2018年6月19日火曜日

優先席8


もっとも、女性専用車両は逆差別であるという主張もあります。事実、あえて乗り込んで――これを任意乗車というそうですが――それを主張し、ニュース種になった男性もいらっしゃいます。女性専用車両でもこのような意見があるわけですから、生活弱者特定車両になったら、逆差別論はさらに強くなるかもしれません。

しかし、優先席問題に正邪善悪はなく、多数決もしくは多数決的ムードで決まっていくというのが、僕の考えであり、事実そうなっていると思います。改めて考えることになるでしょうが、優先席付近では、混雑時、携帯電話の電源を切るという決まりも、多数決的ムードによって、まったく無視されているでしょう。

生活弱者特定車両は、電車を利用する人の半数以上から支持されるのではないでしょうか。女性専用車両の場合と同じく、あえて乗り込んで逆差別論を主張される方が出るかもしれませんが、多数決的ムードによって無視されるか、淘汰されていくことでしょう。

2018年6月18日月曜日

優先席7


第三案は第二案のバージョンアップ版です。つまり生活弱者特定席じゃなく、生活弱者特定車両を新設するのです。74歳以上・3歳以下・5ヶ月以上・杖手帳というのが特定席の条件でしたが、このような生活弱者しか乗ることができない特定車両に、1両か2両を指定するのです。

すでに「女性専用車両」がありますが、その生活弱者版です。女性専用者には、車椅子の方およびその付き添い、小学生以下の子供も乗れることになっていますから、すでに特定車両は走っているわけです。ただ、女性専用車両はラッシュアワーに時間が限定されていますが、生活弱者特定車両には時間帯を設けず、いつも設置することとします。

特定席ですと、優先席と同じように、生活弱者以外が座っていて、対象者に席を譲らないことも充分予想されますが、特定車両にしてしまえば、生活弱者以外が乗り込むには、かなり心理的抵抗があるでしょう。

2018年6月17日日曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」コンサート


静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」<今日61716:30まで>コンサート<古き良きウィーンの調べに酔う>(616日)

 企画展「酒器の美に酔う」にちなんで、第3回静嘉堂コンサートは、古き良きウィーンの調べに酔っていただくことにしました。もと東京交響楽団員を中心とするカルテットは、ヴァイオリンの原ゆかりさん、フルートの原義胤さん、ヴィオラの加護谷直美さん、コントラバスの本間園子さんの4人です。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の「春の声」で幕を開けた演奏は、ワルツとポルカのリズムに会場大いに盛り上がり、続いては歌のコーナーです。次の企画展「明治からの贈り物」にちなんで文部省唱歌の「夏は来ぬ」、静嘉堂の美しい緑をたたえて「森のくまさん」、我が国ではめずらしい3拍子のワルツ風名曲「今日の日はさようなら」と、その選曲も美しいハーモニーを奏でています。

僕にとっては、森山良子の名前とともに心に刻まれる「今日の日はさようなら」――もちろん歌詞カードなんか見る必要もなく、皆さんと一緒に熱唱したことでした。

アンコールのあと、館長室でカルテットのお友だちを交えて懇親会を開きました。これまた大いに盛り上がり、饒舌館長もウィーン工芸博物館調査やウッディーリヴァーの思い出、また何人かの方が見てくださったという『國華』創刊130周年記念展「名作誕生」の誕生秘話を、饒舌せずにはいられませんでした(!?)

優先席6


しかし生活弱者はいつも存在し、少なくともわが国において老人はこれから確実に増えていきます。これはヒューマニズム以前の問題であって、生活弱者は必ず守られなければなりません。

そこで「特定席」です。明確に条件を示し、それ以外の人が座ってはならないと決め、先に述べたような窓、席、つり革に「特定席」と表示するのです。

その条件とは、老人は74歳以上、乳幼児は3歳以下(あるいは5歳以下でもいいかな?)、妊婦は5ヶ月以上、体の不自由な方や内部障碍のある方は、杖もしくは障碍者手帳をもつものと決めてしまうのです。

なぜ老人は74歳以上なのかって? もちろん僕がいま74歳だからですよ(笑)


2018年6月16日土曜日

優先席5


第二案は、「優先席」を「特定席」に変えることです。現在の「優先席」は、老人、体の不自由な方、内部障碍のある方、乳幼児を連れている方、妊娠している方に、席を譲りましょう――というヒューマニズムを前提としています。

しかし、現代日本社会ではもうヒューマニズムなど、死語同然です。だからこそ道徳教育の必要を声高に叫ぶ人がいるのでしょうが、叫んでいる方々が道徳的かどうか、判断能力を欠く自分が悲しくなるだけです。だれですか? 「上これを行なえば下従う」だなんて言っているのは?

それはともかく、ヒューマニズムといえば聞こえはいいのですが、「優先席」にはちょっと偽善的な匂いを嗅ぎ取る方もいらっしゃるでしょう。そもそもちゃんと実行されない「優先席」のうえ、偽善的だなどと疑われるようなら、もう止めてしまった方がいいのではないでしょうか。

2018年6月15日金曜日

TBS「クレージージャーニー」<800年の謎!>


 松本人志+小池栄子+設楽統がMCをつとめるTBS人気番組「クレージージャーニー」に、<800年の謎! 陶芸史上最強の難題に挑む男>長江惣吉さんが登場しました。長江さんは23年間にわたり、曜変天目の再現に挑戦し続けてきました。曜変天目といえば、必ずコメントを求められる陶芸家ですから、ご存じの方も少なくないでしょう。

「曜変天目」のなかでも最も美しい「稲葉天目」を所蔵する静嘉堂文庫美術館も、これまで大変お世話になってきました。とくに去年の企画展「香合・香炉展」では、長江さんに作っていただいた曜変天目を会場の片隅に置いて、自由に触れてもらったところ、とても好評でした。

番組は長江さんの全身全霊を傾けた曜変天目再現ストーリーで、ほとんど完璧にできた長江天目を、最後にカナヅチでたたき割るシーンに、僕も「あぁ もったいない!!」と心のなかで叫んでしまいました。もちろん我が「稲葉天目」も、大きく取りあげられました。

ユーチューブで、「クレージージャーニー 613日」と検索をかけると、すぐ見ることができますよ!!

優先席4


現在、席を譲って欲しいなぁと思う生活弱者は、選んで「優先席」の前に立つわけですが、全座席を優先席にしてしまえば、もうどの席の前に立っても、期待される効果はまったく同じなのです。ホームで「優先席」のマークを探したり、車内を移動する必要は、まったくなくなります。

もちろん、優先席を今よりもう少し増やすという漸進案も考えられますが、そこまでやるなら思い切って、全座席を優先席にしてしまった方が、話も簡単でしょう。

もっとも、かつてどこかの私鉄で、「全座席優先席」を試みたけれども、かえって譲る人がいなくなってしまったので、間もなくやめてしまったと聞いたことがあるような気もしますが……。ただ、窓という窓に「優先席」のステッカーを貼るようなことまで、徹底的にやったかどうか、どなたかご存知の方がいらっしゃったら、どうぞご一報くださいませ。

2018年6月14日木曜日

優先席3


第一案は、全座席を優先席にしてしまうものです。窓という窓に、「優先席」のステッカーを張っちゃうんです。席という席に、「優先席」と織り込んじゃうんです。つり革というつり革に、「優先席」のマークをつけちゃうんです。

やはり優先席というのは、現代生活を快適にするために、あるいは成熟した現代社会が獲得した優しさのシンボルとして、とくに少子高齢化という大問題に直面する我が国が率先垂範すべき、すばらしいアイデァですよね。だから、全座席を優先席にしちゃうんです。

僕はまだ若いつもりでいますが、優先席の前に立つと、ときどき席を譲られることがありました。見ていると、優先席の前に立った老人や赤ちゃんマークをつけた女性が、席を譲られることもあります。日本人もまだ捨てたもんじゃありません。

全部を優先席にすれば、当然のことながら、席を譲る人、譲られる生活弱者の数は、今より確実に増えるでしょう。もちろん、今と同じで、誰が前に立とうと譲らない人は譲らないと思います。しかし、現在でも譲る人がいるわけですから、全座席を優先席にしてしまえば、その割合で、譲られる生活弱者はきっと増えることになります。

2018年6月13日水曜日

優先席2


 最初に席を譲らない日本人を批判した外国の方と、それに異を唱えた青戸さんのどちらが正しいのでしょうか? おそらく、どちらも正しいのでしょう。あるいは、どちらも正しくないのかもしれません。だからこそ、ずいぶん以前から、しかも絶えることなく、優先席問題は論じ続けられているのだと思います。つまり、この問題に関して、絶対的な解決策など存在しないのではないでしょうか。

だからといって、ハナからあきらめてしまうんじゃ、能がありません。少しでも不満をもつ人が少なくなるように、少しでも多くの人の納得が得られるように、そして少しでも車内の雰囲気がよくなるように、僕なりに頭をひねってみました。いくつかの解決策が浮かんできたので、それをご披露することにしましょう。

なお、現在、優先席のステッカーには、「お年寄りの方」「からだの不自由な方」「内部障がいのある方」「乳幼児をお連れの方」「妊娠している方」と書いてあります。ここではこれらの方々を「生活弱者」とよぶことにしましょう。

2018年6月12日火曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>9


結句の「籀文」とは、篆刻の一書体である大篆のことですが、なぜここに「籀文」が出て来るのか、頭をひねってしまいます。自賛の字は普通の行書であって、大篆じゃないからですが、すでにある古詩をそのまま引っ張ってきているのかもしれません。あるいは、海屋が大篆で自刻印を作ったことがあったのでしょうか。はたまた、海屋が七絶をみずから作って大篆で書いたことがあり、その七絶をふたたびここに使ったのでしょうか。よく分かりませんが、古詩の引用と考えて……

    落ち込んだので小盃で ちょっと三杯やったけど

    気分は晴れず仕方なく 大きな雲を描いてみた

    胡麻塩頭もハゲとなり 俗事に染まるを自嘲する

    せめて印だけ苦労して 大篆用いて彫ってみた

2018年6月11日月曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>8

F貫名海屋「墨竹図」(静嘉堂文庫美術館蔵)

「おしゃべりトーク」配布資料では、『國華清話会会報』に書いた「わが愛する三点 ジャンク?で一杯」を引用しましたが、これはすでに「饒舌館長」にもフェイスブックにもアップしたところですので、代りに出陳中の貫名海屋筆「墨竹図」を紹介することにしましょう。海屋は幕末のすぐれた文人画家にして書家、静嘉堂文庫美術館が所蔵する「墨竹図」も、それをよく実証しています。画面右上には、次のような七言絶句の自賛があります。

磊塊[らいかい][そそ]ぎ来たる三{王+戔}[さんせん]の酒

牢騒[ろうそう]写し出だす一泓[いちおう]の雲

自ら嗤[わら]う塵海の霜顚禿[そうてんとく]

刻苦 斯[ここ]に鈎するに籀文[ちゅうぶん]を将[もっ]てす

2018年6月10日日曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>7




E渡辺京二『逝きし世の面影』

スミスは長崎で千鳥足の酔漢をしばしば見かけたし、ボンベは夜九時すぎると、長崎の街を通る人間の半分は酔っぱらっていると言っていたのではなかったか。フォーチュンも「日が落ちると、江戸全体が酔っぱらう」と言っている。「これはむろん誇張ではない。うたがいもなく、飲酒癖は今日他の国々では幸せにも知られていない程度にまで広まっている。街頭で出会う顔は怪しくも真赤で、酒をたっぷりと召し上がったことを正直に示している。」

  渡辺京二さんは熊本に住む哲学者で、著書『逝きし世の面影』は名著の誉れ高く、僕も多くを学ばせてもらってきました。すでに「饒舌館長」でも紹介したところですが、今回の引用を機に、一人でも多くの方にお読みいただきたく、改めてフェイスブックにアップすることにしました。渡辺さんはいま88歳にして、お元気で活躍を続けていらっしゃいます。石牟礼道子さんの活動を長く支えていらっしゃいましたが、2月に石牟礼さんが亡くなったとき、『朝日新聞』でその凛とした思想と真摯なお仕事ぶりを知り、改めて尊敬の念を高くいたしました。

2018年6月9日土曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>6


D坂口謹一郎『日本の酒』 

 日本の酒は、日本人が古い大昔から育てあげてきた一大芸術的創作であり、またこれを造る技術のほうから見れば、古い社会における最大の化学工業のひとつであるといえる。したがって古い時代の日本の科学も技術も、全部このなかに打ちこまれているわけであるから、日本人の科学する能力やその限界も、またその特徴もすべて、この古い伝統ある技術をつぶさに調べることによってうかがい知ることができるであろう。
 このような立場から眺めると、日本の酒には、きわめて独創的な創意工夫が数多く見いだされるのである。われらは、日本の酒の古くからの造り方を究めることによっても、日本民族が、科学上の独創力においても他に劣るものではなく、また中国技術の影響をうけたにしても、中国周辺の他の諸国とは異なり、決してそれをウノミにしてはいない、という自信を深めざるをえない。

2018年6月8日金曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>5


C河野元昭「玉堂と酒」(『江戸名作画帖全集』Ⅱ<玉堂・竹田・米山人>) 

このような観点から考えるとき、興味深いのは「東雲篩雪」という題である。基本的に、この題が李楚白筆「腕底煙霞帖」の「凍雲欲雪」から取られていることは、字面の相似によって明らかであろう。しかも、玉堂は構図までそれから借りてきているのだから、ますます疑いないことになる。

ところで、問題は「篩雪」の語である。すでに指摘されるように、これは篩[ふるい]でふるうがごとくに雪が降ってくる情景を表わしたものだが、中国語にこのような熟語は存在しない。少なくとも一般的ではなかったらしく、諸橋轍次編『大漢和辞典』や『佩文韻府』にも見出せない。

ところが、注目されるのは「篩酒」という言葉の存在である。これは酒を酌むとか酒を注ぐ意味である。そもそも「篩」一字に、酒を注ぐとか酌をするという意味があるという。「凍雲欲雪図」から霊感を得て山水を描いた玉堂が、さて題をつける段になり、「篩酒」からの類推で「篩雪」という言葉が浮かび、はたと膝を打って「欲雪」に代えた可能性は、充分に考えられるのではないだろうか。

なぜなら、玉堂自身そのとき微醺を帯びていたからである。もちろん、これは私の単なる思いつきではない。玉堂自身、次のように詠んでいるのである。

    松窓篩雪月清涼  窓を通して松が見え 篩[ふるい]から雪 降るごとし 
    竹葉鳴風残夜長  竹 風に揺れ 月さやか まだ夜明けには時間あり
    老却惟于琴自得  ずいぶん年をとったので 琴さえ弾いてりゃ楽しいが
    憂来頼有酒相忘  たとえ落ち込んだとしても 酒があるから大丈夫


         

2018年6月7日木曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>4


B李白「将進酒」戯訳

君見ずや天より下る大黄河 海へ走って二度と還らず

白髪を立派な鏡に映す人 朝黒かったのに夕べにゃ雪だ

人生は楽しめるうち――それが花 月に酒樽さらすは馬鹿だ

天賦の才あるからいつかは就職できる 使った金などいつかは戻る

羊やら牛のご馳走たらふくと…… 飲むなら三百杯を飲むべし

岑先生 丹丘君にも一献二献 「いや結構」など言うんじゃないよ

君がため僕が一曲歌うから 耳をそばだて是非聴いてくれ

大仰な音楽ご馳走不要なり 酔いから醒めずにただいたいだけ

偉人でも死んでしまえばそれっきり 酒飲みだけが歴史に残る

曹植の平楽観の宴会に 出た酒一斗が一万銭だ

「金がない」なんてこの俺言うものか 買ってくるからじゃんじゃん飲んで

花紋の名馬 ミンクの衣裳

ウェイターに持って行かせて美酒に換え 一緒に消そうよ!! 万古の愁い

2018年6月6日水曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>3


参考資料

A大宰帥大伴(旅人)卿の酒を讃むるの歌十三首(『万葉集』三)

[しるし]なき物を思はずは一坏[ひとつき]の濁れる酒を飲むべくあるらし

  酒の名を聖[ひじり]と負[おう]せし古の大き聖の言のよろしき

  古の七の賢[さか]しき人どもも欲[]りせしものは酒にしあるらし

  賢しみと物いふよりは酒飲みて酔泣[えいな]きするしまさりたるらし

  言はむすべせむすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし

  なかなかに人とあらずは酒壷に成りにてしかも酒に染みなむ

  あな醜[みにく]賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似る

  価[あたい]無き宝といふとも一坏の濁れる酒にあに益[]さめやも

  夜光る玉といふとも酒飲みて情[こころ]をやるにあに若[]かめやも

  世のなかの遊びの道にすすしくは酔泣するにあるべくあるらし

  この世にし楽しくあらば来む生には虫にも鳥にもわれはなりなむ

  生ける者つひにも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな

  黙然[もだ]をりて賢しらするは酒飲みて酔泣するになほ若かずけり

    

2018年6月5日火曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>2


マイベストテン

①伝土佐光元「酒飯論絵巻」(静嘉堂文庫美術館蔵)
  造酒正糟屋朝臣長持・飯室律師好飯・中左衛門大夫中原仲成
 ②狩野元信「酒呑童子絵巻」(サントリー美術館蔵)
   源頼光 渡辺綱・坂田公時・碓井貞光・卜部末武
 ③前島宗祐(狩野玉楽?)「高士観瀑図」(静嘉堂文庫美術館蔵)
 ④海北友松「飲中八仙図屏風」(京都国立博物館蔵)
   杜甫「飲中八仙歌」 因幡鹿野城主・亀井茲矩
 賀知章・汝陽王璡・李適之・崔宗之・蘇晋・李白・張旭・焦遂
 ⑤池大雅「蘭亭曲水・龍山勝会図屏風」(静岡県立美術館蔵)
   王羲之「蘭亭序」 『晋書』孟嘉伝 桓温 孫盛
 ⑥与謝蕪村「蘇鉄図屏風」(丸亀・妙法寺蔵)
 ⑦浦上玉堂「東雲篩雪図」(川端康成記念館蔵)
 ⑧長沢芦雪「豊干寒山拾得図」(個人蔵)
   天台山・国清寺 指墨 指頭画 池大雅 辻惟雄『奇想の系譜』
 ⑨葛飾北斎「酔余美人図」(鎌倉国宝館氏家浮世絵コレクション)
 ⑩川端玉章「桃李園図屏風」(静嘉堂文庫美術館蔵)
   中島来章 高橋由一 岡倉天心 東京美術学校 帝室技芸院 川端学校
   李白「春夜宴桃李園序」 仇英筆知恩院所蔵本

2018年6月4日月曜日

静嘉堂「酒器の美に酔う」<お酒の絵>1


静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」<617日まで>おしゃべりトーク「お酒の絵上戸館長口演す」(63日)

 今回も我が「おしゃべりトーク」にたくさんの方々がいらして下さいました。心からお礼申しあげます。機会を逸した河野ファン?のために、当日配った資料を改めてアップすることにしましょう。もちろん、ちょっとバージョンアップしてありますよ! 「酒器の美に酔う」展は今月17日(日)までやっていますよ‼ 話題の「曜変天目」も出てますよ!!! 

キーワード
 『古事記』『日本書紀』 応神・仁徳朝 百済 『魏志倭人伝』『播磨風土記』 酒神
 『万葉集』 平安時代の酒 鎌倉時代の酒 室町時代の酒 江戸時代の酒 近代の酒
民族の酒→朝廷の酒→酒屋の酒→本場の酒・田舎の酒→合理化の酒
外国影響 坂口説 醸造技術 飲酒文化 坂口謹一郎『日本の酒』(岩波新書)

2018年6月3日日曜日

優先席1

 優先席――悩ましい問題ですね。先日も『朝日新聞』の声欄に、フリーター・青戸晋(埼玉県 52)という方が、「仕事と通勤疲れで席譲れない?」と題して、次のような意見を寄せていました。そのままに再録してみましょう。

 地下鉄の中で外国人が「日本人は高齢者に席を譲らない」と嫌悪感を表したという投稿「親切で優しい国の住民になろう」を読みました。

 日本人が譲らないのにはいくつかの理由があると思います。一つは多くの人が長距離通勤であり、そんな余裕が無いことがあります。海外では想像がつかないかもしれませんが、席が空いていないような時間帯は、座れるのは運がいい時で、何十分も立ちっ放しのことが多いはずです。

 もう一つは、今は高齢者といっても元気な人もいて様々です。明らかに立つのが苦痛な人以外は譲らないという考えの人が増えているのではないでしょうか。一方、杖をついているような人が乗り込んできた時は席を譲るでしょう。そうした人にさえ譲らないなら問題でしょうが、私はそんな場面に遭遇したことはほとんどありません。

 日本は一見豊かなようでいて、長距離通勤、長時間労働に従事している人も多く、相対的には決して豊かとは言い難い国です。批判をする海外の人の多くは、こういったことを知らないのではないでしょうか。

 


2018年6月2日土曜日

炎上!!スティーブ・マッカリー4


もっともネットによると、今回の炎上を機に、報道写真や旅行写真にこのような処理や改変を加えることが許されるものかどうか、議論が高まっているそうです。これに対する僕の答えははっきりしています。許されないと思う人は、マッカリーの写真を見なければよろしい。許されないとか、使うなとかいう権利は、だれにもないのです。そう思う人は、自分が撮った写真に使わなければいいだけの話です。

だれが何といおうと、これからもマッカリーはフォトショップを使い続けるでしょう。今回僕は、はじめてマッカリーが使っているという事実を知ったわけですが、それによって評価が揺らぐことはいささかもありません。マッカリーが好きな僕は、これからもマッカリーによって、フォトショップを使ったマッカリー芸術によって、感動を与え続けられることでしょう。 


2018年6月1日金曜日

炎上!!スティーブ・マッカリー3


前回、僕は「マッカリーは広い意味でドキュメンタリー写真家だと思いますが、作品に美を求める志向が強く、絵画における構想画に近い感覚があるように感じられて、とても興味を掻きたてられたことでした」と書きましたが、何となくというか、薄々というか、ともかくも感じられていた点でもあったのです。

ネットには、おもしろいマッカリーの写真がアップされています。インドと思われる街中を、雨に打たれながら走る荷台つき自転車のオリジナル写真と、フォトショップ処理後の写真が並べて紹介されているんです。処理後の写真では、もともと3人いた荷台の男が二人になり、果物を売る店の白い敷物が消され、雨脚がくっきりと浮き上がっています。

だれがどう見たって、処理後の方が美しく、絵画的インパクトが強くなり、印象性が強まっています。明らかに、フォトショップを使うことによって、写真芸術のクオリティーが高まっています。しかも、先に掲げたようなマッカリーの写真哲学にも抵触していないでしょう。

岩波ホール「山の郵便配達」2

  名古屋大学につとめていたころ、名古屋シネマテークで勅使河原宏の「アントニオ・ガウディ」がかかり、見に行こうと思っているうちに終っちゃったことがありました。そのころ映画への関心が薄れ、チョット忙しかったこともあるのかな?  そんな思い出はともかく、名古屋シネマテークが閉館に...