2021年8月31日火曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」20

 

陶淵明には程さんと結婚した妹がいて、38歳で亡くなったときに捧げられた「程氏の妹を祭る文」という追悼文があります。この心に沁みるような名文によって、陶淵明のお父さんが第二夫人をもつ双妻家で、妹は第二夫人の娘、つまり異母妹だったことが分かるんです。

そのお父さんは名前さえ伝わっていません。一時、官途にあったことは知られますが、どんな官職であったかも分からないそうです。そういったステータスでも、当時第二夫人を持つことができましたし、それがごく普通であったとも考えられます。

  ヤジ「三無主義者のオマエが夢見た単なる憧れだろ!?

 ヤジを認めるにやぶさかではありませんが、陶淵明双妻説を採る饒舌館長は、「琴はたまたま三味線は毎夜なり」という江戸川柳を、このフキダシに書き込むことにしたのでした()

 ところで「饒舌館長」ファンには改めて説明するまでもありませんが、三無主義とは3つのものを絶対に持たないというコウノイズムです。それはクルマとスマホとお妾さんです(!?)

2021年8月30日月曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」19

 

 すでに「閑情の賦」によって、陶淵明がマジメだけではないことを知っていましたが、このようなユーモアにも恵まれていたんです。しかしオチがお酒にいっちゃっているところに、酒仙詩人・陶淵明の真骨頂がうかがわれます() 

それより重要なのは、雍君と端君がともに13歳であることです。明らかに、陶淵明は奥さんのほかお妾さん(第二夫人)を持っていたんです。そうでなければ、雍君と端君が同じ13歳であるはずがありません。

もっとも、これには古くから双子説があって、こちらの方が通説になっているのかもしれませんが、双子説ならぬ双妻説(!?)の方に、高い蓋然性が認められるように思われます。とくに陶淵明のお父さんの場合を考えれば……。

2021年8月29日日曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」18

しかしこれは、いつもの妄想と暴走ではありません。陶淵明には「子を責む」というよく知られた五言詩があるからです。またまた戯訳で……。

  左右の鬢[びん]は白くなり 肌の色艶[いろつや]衰えて……

  5人いるけど男の子 勉強嫌いがそろってる

  舒君はすでに16歳 前から無類のなまけもの

  宣君まもなく15歳 学問なんか見向きもせん

  雍君 端君 13歳 6たす7も分からない

  通君9歳すぐなのに おやつをねだってばかりいる

  これもオイラの運命か それなら酒でも飲むとしよう

 

2021年8月28日土曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」17

 

 


 サントリー美術館「ざわつく日本美術」展も、残り2日となりました。先日、カタログのフキダシに書き込む一言という宿題をみずからに課しましたが、いくら考えてもなかなかうまいのが思い浮かばないので、江戸川柳から次の一首を頂戴することにしました。

  琴はたまたま三味線は毎夜なり

 愛用する浜田義一郎編『江戸川柳辞典』(東京堂出版)に載る名吟です。浜田先生は、「琴は奥方、三味線は町屋出の妾の芸、殿様は奥方へ行くのはたまたまで妾に入り浸り、賑やかに鳴らすという謎句である」と解説されています。

陶淵明が童子に持たせた琴を奥方、秋波をおくる紅い湯文字の美人をお妾さんに見立てれば、衝立のなかの淵明先生は、この江戸川柳をそのまま実践していらっしゃるにちがいないと思われてきます。

2021年8月27日金曜日

火酒5

 

終了後の飲み会で、安村敏信さんと地酒「三春駒」で杯を交わすうち、なぜか話題が「爆弾 ハナタレ」に発展しました。旨い酒を飲みながら、別の旨い酒の話をする――酒好きなら誰しも経験があるでしょう。

すると安村さんは、「それって辻さんが好きなんだよなぁ……」と、昨日アップした上野山下における二次会の思い出を語り始めたのです。安村さんにとっても忘れがたい銘酒だったのでしょうが、30年以上前の話ですよ。人間は酒のことならよく覚えているというべきか、ハタマタどうでもいいことはよく覚えているというべきなのか()

2021年8月26日木曜日

火酒4

 

 もう30年以上も前でしょうか、山根先生を囲む会の二次会を、上野の山下でやったことがあります。壁に「爆弾 ハナタレ」という張り紙があるのを、辻惟雄さんがすかさず見つけて、「今夜はあれでいこう。旨いんだ」という。そのころ僕は、酒のブランドなどにまったく無関心でしたから、変な酒名だなと思いつつ一口やると旨いの何の、変な酒名が深く心に刻まれたのでした。忘れられない思い出です。

 この417日(日)、福島県・三春の三春交流館「まほら」で、日本アート評価保存協会主催の「雪村シンポジウム 2021」が開かれ、僕も「雪村周継→光琳へ――霊感源の謎を解く――」なる口演をやるため馳せ参じました。 

2021年8月25日水曜日

火酒3

 

 


 最近やった火酒のうちから、とくに強烈なベスト・スリーを紹介することにしましょう。まず初めに頂戴物の「爆弾 ハナタレ」です。銘酒「百年の孤独」で有名な、宮崎県は高鍋町、黒木本店の絶品芋焼酎です。「洟垂れ」じゃ~なく「ハナタレ」ですよ。蒸留機から最初に垂れてくる出ばなの焼酎をハナタレといって、沖縄は八重山与那国、国泉泡盛の「どなん 花酒[はなさき]」が有名ですね。新発田・菊水酒造の「ふなぐち 菊水」は、日本酒のハナタレでしょうか。

「爆弾 ハナタレ」の度数は44度、「強い酒ほどそのままが一番旨い」といわれても、後期高齢者にはチョット強すぎます。カイ・フランクのイッタラ・カルティオ・タンブラーに注ぎ、ミネラル・ウォーターで半分近くに薄めて氷を落とします。それでも、普通の焼酎は25度ですから、同じくらいの強さです。その得も言えぬ芳香は、筆舌に尽くし難いものがあります。

 ヤジ「そういうのをトートロジーというんだ!! 得も言えないのが筆舌に尽くし難いのは、当たり前田のクラッカー!!

2021年8月24日火曜日

火酒2

夏は火酒がことのほか旨い!! もちろん「取りあえず」はビールだし、ヒヤや冷酒も悪くありませんが、〆は火酒、とくに焼酎ですね。焼酎が夏の季語になっているのも、よく腑に落ちるところです。しかし、焼酎を詠んだ名句がチョット思い浮かばないので、愛用する『基本季語五〇〇選』を引いてみましたが、山本健吉先生はこんな重要な季語をスルーしています()

ネットで検索したところ、「歳時記」というサイトがあって、焼酎句を116句も挙げてありました。僕が選ぶ第一席は、高橋明という俳人の「焼酎や吾が正論の孤立せる」――自分一人が浮いちゃった、しかし最後まで矜持を保ち続けた高橋さんの居酒屋飲み会シーンが髣髴としてきます。それはともかく、厳寒の冬、熱く濃い目の焼酎お湯割りもいいですねぇ!!

 ヤジ「つまり酒なら何でもいいんじゃないか!?  酒仙館長なんて気取っているけど」

 おっしゃるとおりです!! 酒に関しては、「来るものは拒まず、去るものは追っかける」というのがコウノイズムですから() 

2021年8月23日月曜日

火酒1

 

 火酒[かしゅ]=アルコール分が多く、火をつけると燃えるほど強い酒。ウオッカ、ウィスキー、ジンなど蒸留酒の類――と小学館版『日本国語大辞典』に書かれています。しかし、例として洋酒ばかりを挙げ、我らが焼酎を無視しているのは、『日本国語大辞典』と名乗りながら、配慮が足りず、不備のそしりを免れません。小学館さん、改訂版を出すときは、是非「焼酎」を加えていただきたいと存じます() 

それはともかく、こんな説明を読まなくたって、下戸の方でも「火酒」と見れば、直感的に強い酒であることが分かるでしょう。漢字が有する偉大なイメージ力のお陰です。もっとも、「焼酎」にも「焼」という漢字が入っていますが、「火酒」の方が圧倒的に鮮烈な感じを燃え立たせてくれます。

2021年8月22日日曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」16

 

以上、西川祐信「美人図」と陶淵明の「閑情の賦」との関係を、あたかも饒舌館長が発見したように書いてきましたが、ブッチャケていえば、すでにカタログで指摘されていることなんです() そのカタログでは、「美人図」の下にフキダシが2つあって、1つには「どうして見つめ合っているの?」と印刷され、もう1つの方はフキダシだけで、「あなたの心のざわめき」を書き込むようになっています。

日本美術ファンの皆さん、江戸絵画ファンの皆さん、とくに浮世絵ファンの皆さん、サントリー美術館で実際の作品を見ながら、セクシーでしかも下品じゃない、陶淵明が詠んだ賦のような一言を、ぜひ考えて書き込んでください!! しかし、人品卑しからぬとは言いがたい饒舌館長には、チョットむずかしい宿題だなぁ()

2021年8月21日土曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」15

 

祐信は見立て絵の名手でした。版本では何といっても『絵本徒然草』ですね。兼好法師の『徒然草』に出る話を、当世風俗に見立てた秀作絵本です。見立て絵のプロトタイプともいうべきナゾナゾ絵本『絵本余所画鏡』は、祐信周辺で作られたものと推定されています。祐信筆と断定はできませんが……。

江戸の鈴木春信が祐信の絵本から大きな影響を受けて、「座敷八景」のような見立て絵の傑作をものしたことも思い出されます。祐信の肉筆にも見立て絵が少なくありません。このような祐信が、サントリー美術館の「美人図」を構想することは、さして難しくなかったとも考えられます。しかし、陶淵明の「閑情の賦」によるきわめて複雑な見立てテクニックが使われている点からは、背後に京都漢学派知識人の存在を想定したい誘惑に駆られます。


2021年8月20日金曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」14

祐信描くところの美人は湯文字(腰巻)の紐を結びながら、衝立の陶淵明と目と目を見交わしています。明らかに、祐信は陶淵明の「閑情の賦」第2段「裳裾ならなれるものなら帯になり……」からインスピレーションを得て、この「美人図」を着想したのです。中国の東晋と日本の江戸時代が微妙に共鳴しあう――文化・芸術というのは何とおもしろいものでしょうか。

しかも、紅い上着は衝立に掛けられていて、第1段「上着は宵に脱がれちゃう……」とダがブルイメージにもなっています。古代中国の話を、わが国の当世風俗に見立てて描いているわけですから、見立て絵だということになります。あるいは、このもとになった中国画があって、祐信が和美人に変えたのでしょうか。中国ではもっぱら春宮画、つまり春画の名手として人口に膾炙していた仇英あたりに、モデルがあったような気もしますが……。

 

2021年8月19日木曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」13

 

かの「田園の居に帰る」「飲酒」「帰去来の辞」「桃花源記」をものした陶淵明が、こんなエロティックな賦を詠んでいたなんて、チョット信じられません。いま僕たちが使う軽い意味の「フェチ」なんかじゃなく、紛う方なきフェティシズムではありませんか。陶淵明だから文学であり古典ですが、ほかの人だったらもう病気ですよ()

もちろん陶淵明は、これをポルノとして創作したわけではありません。陶淵明は漢時代の張衡や蔡邕にならって、放蕩に流れる邪心や欲望に警告を発し、諷諌[ふうかん](遠まわしにいさめること)の助けとするため、拙いものだけれどもあえて作ったと、チャンと序文に書き記しています。しかし饒舌館長の場合、どうしても「十願」「十悲」にばかり目がいっちゃうんです()

2021年8月18日水曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」12

 願望はむなしいだけと知りつつも

 身を削られるほどつらく 僕の心を苦します

 胸中を訴えようにも相手なく

 その悲しみを抱きつつ 南の林を徘徊す

 屈原のモクレンの露 飲み憩い

青々とした松の木の 豊かな影に身を隠そう

 

2021年8月17日火曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」11

 竹ならば なれるものなら団扇[だんせん]に……

 しなやかな手に握られて 涼しい風を送りたい

 でも残念!! 白露[しらつゆ]おりる朝[あした]には

 そなたの姿を振り返り 僕はこの身を引くことに……

 

 樹木なら なれるものなら桐となり

 そなたが膝のその上で 奏する琴に作られたい

 でも残念!! 宴[えん]果て寂しくなるころに

 僕は仕舞われ一音を 奏でることも許されぬ

 

2021年8月16日月曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」10

 昼ならば なれるものなら影となり

 いつもそなたに寄り添って あちらこちらと散歩したい

 でも残念!! 高い樹木の影多く

 ときどき一緒になれぬのが 一瞬なりとも嘆かわしい

 

 夜ならば なれるものならともし火に……

 御殿の柱の中央で そなたのかんばせ照らしたい

 でも残念!! 夜[]が明け朝日が射し来れば

 ともし火なんかは不必要 たちまち僕は消されちゃう

 

2021年8月15日日曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」9

 蒲[がま]ならば なれるものなら蒲蓆[がまむしろ]……

 ほっそりとしたうつし身に 秋 三月[みつき]の間 敷かれたい

 でも残念!! 寒くなったら虎皮に

 代えられ一年経たなけりゃ そなたの御用にあずかれぬ


 絹布なら なれるものなら履[くつ]となり

 そなたの御足[みあし]にまといつき 一緒に歩き回りたい

 でも残念!! 夜は履脱ぎお休みに……

 寝台のそばむなしくも 棄てておかれる一晩中

 

 

 

2021年8月14日土曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」8

 御髪[おぐし]なら なれるものなら髪油……

 緑の黒髪 撫で肩の 上で一緒に梳[]かれたい

 でも残念!! 美人は洗髪 大好きで

 シャンプー・リンスで流されて そのあとそなたはドライヤー

 

 眉ならば なれるものなら眉墨に……

 そなたの表情そのままに かすかに上下できるから

 でも残念!! 華麗な化粧に変えたいと

 クレンジングが始まれば 僕も一緒に落とされちゃう

 

2021年8月13日金曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」7

 裳裾[もすそ]なら なれるものなら帯になり

 そなたのかぼそくたおやかな 腰のあたりを締めたいな

 でも残念!! 寒暖・気温が変化すりゃ  

 着てたの脱いで新しい 裳裾に着替えられるから

 *ここでの「裳裾」とは、裳(下半身につける長いスカート状の衣服・したばかま)の意味で、一般によく用いられる裳の裾の意味ではありません。もうお分かりになったでしょう。西川祐信はこの第2段からインスピレーションを得たのです。

 

2021年8月12日木曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」6

 上着なら なれるものなら襟になり 

 花のかんばせ――その香り 心ゆくまで嗅ぎたいな

 でも残念!! 上着は宵に脱がれちゃう

 秋の夜長がなかなかに 明けてくれぬが恨めしい

 

2021年8月11日水曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」5

しかし一方、宋の蘇東坡の如きは、これはいわゆる『詩経』国風の「色を好みて淫せざる」者で、これを非難する連中は、「小児強いて事を解する者にすぎぬ」と反駁している。近年に至って魯迅がつとにこの賦を高く評価し、特にその大胆な恋愛観は中国文学史上稀有のものとして、ロシアの盲詩人エロシェンコにも紹介したことがあるという。今日では魯迅の説を支持する人が多い。この作品の制作年代は未詳だが、淵明が最初の妻を亡ってから、継室を迎えるまでの鰥居[やもめ]時期の作とする説が有力。とすれば時に淵明30歳。

 言うまでもなく――英語でいえばNeedless to say、中国語でいえば那是不用説的――饒舌館長は蘇東坡や魯迅に賛意を表し、こうべを垂れ、オマージュを捧げたいのです。この祐信筆「美人図」と関係するのは、「閑情賦」のなかでも「十願」あるいは「十悲」と呼ばれる、クライマックスの十段です。陶淵明が女性への恋情を吐露していますが、すごく倒錯的なんです。お馴染みのマイ戯訳で……。

 

2021年8月10日火曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」4

 

その陶淵明には、「閑情の賦 并びに序」という有名な賦が伝えられています。賦というのは、多く対句を用いつつ事物を説明し感じるところを述べ、句の最後に韻をふむ詩のような文章、あるいは文章のような詩のことです。もちろん岩波文庫版『陶淵明全集』に収められていますから、その解説をそのまま掲げておくことにしましょう。

「閑」は防ぎ止める意で、情欲の放逸に流れるのを抑制すべきだというのがこの賦の主旨である。この一篇は古来評価が極端に分かれている。淵明の最も早い推賞者の一人である六朝梁の照明太子(蕭統)は、この一篇は淵明集の中の白壁の微瑕だ、百を勧めて一を諷した者で、ついに諷諫がない、これは集中にない方がよいとさえいう。後世の論者の多くはこれに付和して、全く軽薄淫褻な作品で最も子弟を誤らせるものだと言う。


2021年8月9日月曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」3

 

しかし、キューレーターっておもしろそうだなぁ、自分もやってみたいなぁなんて思う若い方がいらっしゃったら、一言ご忠告申し上げることにしましょう。

 「キューレーターって実際は大変ですよ。その大変さが楽しいと思える、チョット変な人しかキューレーターにはなれませんよ」

 「僕の一点」は、西川祐信筆「美人図」(№92)ですね。胸をあらわにしたセミヌードの女性が、紅い湯文字(腰巻)の紐を結ぼうとしています。女性の後ろには衝立があって、中国・東晋の天才田園詩人・陶淵明が描かれています。その格好からみても、従う童子が袋に入った琴――あの音に聞こえたというのも変ですが、有名な無絃琴を担いでいることから考えても、陶淵明にちがいありません。


2021年8月8日日曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」2

 


 昨日アップしたのは、今サントリー美術館で開催中の企画展「ざわつく日本美術」の主催者あいさつですが、饒舌館長的には、<キューレーターへの憧れを掻き立てる展覧会>といいたいなぁ!! 

たとえば第1章の「うらうらする」――パネルやカタログでは「うらうら」が鏡字になっていて、ワードじゃ~出てきませんが、この章ではやきものや能面、屏風、染織など、さまざまなジャンルの作品を取り上げて、それらの裏側にスポットライトを当てる展示構成になっています。

いつも表側ばかりを見せられている鑑賞者は、こんなに魅力あふれる作品の裏側を自由に見られるキューレーターって、楽しそうだなぁと必ずや感じることでしょう。あるいは、もしキューレーターだったら、日本三大性愛絵巻の一つである「袋法師絵巻」(№85)も巻末まで全部見られるのに……と思うかもしれません()

2021年8月7日土曜日

サントリー美術館「ざわつく日本美術」1

 

サントリー美術館 開館60周年記念展「ざわつく日本美術」<829日まで>

 ある作品を見た時、「えっ?」「おっ!」「うわぁ……」などと感じたことはないでしょうか? 本展では、こうした言葉にならない「心のざわめき」を、作品をよく見るための大切なきっかけと捉えてみます。というのも、「いったい私は、この作品のどこにざわついたのだろう?」と考えることで、目の前の作品により一層興味を覚えるからです。

 そこで今回は、思わず「心がざわつくような展示方法や作品を通して、目や頭、心をほぐし、「作品を見たい!」という気持ちを高めていきます。サントリー美術館の名品から珍品、秘宝まで、作品を「見る」という行為を意識して愉しみながら、日本美術のエッセンスを気軽に味わっていただける展覧会です。

 作品との出会いによって沸き起こる自分自身の「心のざわめき」に耳を傾けると、日本美術の魅力にぐっと近づけるような、意外な発見があるかもしれません。

2021年8月6日金曜日

徐寅・夏の詩14

 

 徐寅は中国の文人ですから、また先の詩からも明らかなように、お酒が大好きで、チャンと「酒を勧む」という素晴らしい七言律詩を遺しています。わが国でもっとも人口に膾炙する「勧酒」という漢詩は、何といっても井伏鱒二の名訳で知られる于武陵でしょうが、徐寅のも心に沁みますねぇ!!

徐寅「勧酒」

 豪華な酒樽 高価なる 大杯なんているもんか!!

 百壷の酒を清らかに 君と一緒に飲み干そう

 体は木々とおんなじで 年々歳々老いてゆき

 俗事は浮世に生きていりゃ 日々避けることできやせぬ

 春秋戦国 英雄は 意味なく興亡くりかえし

 その墓に立つ松の木が むなしい歴史を語るだけ

 酔いの至福は人間の 規範と天地の違いあり

 世間を気にして立身に 身を削るなど馬鹿げてる

2021年8月5日木曜日

徐寅・夏の詩13

 


*盞はさかずきですが、やはり「茶盞」[ちゃさん]といえば茶碗の意味でしょう。「茶碗酒」という言葉あるように、猪口でやるのとは違った独特の味わいがありますよね。大学院生のころ僕は、『國華』の編集アルバイトをやっていましたが、田中一松先生以下、千歳烏山の編集室につどい、茶碗酒で乾杯を行なった新年会を懐かしく思い出すのです。

それはかつてアップした、版下絵と編集事務担当の菊川京三さんが準備してくれたものでした。もちろん茶碗は秘色青磁じゃ~ありませんでしたが()、もっともよく記憶に残る新春飲み会です。

徐寅の詩の結聯(尾聯)は、その茶碗酒が病のため叶わぬことを嘆いているわけです。この詩は秘色青磁の貴重な資料だと思います。専門家のあいだではよく知られているにちがいありませんが、同時代資料として、とても興味深く感じられます。

2021年8月4日水曜日

徐寅・夏の詩12

ところで、酒のことを「竹葉」ともいうようですね。『日本国語大辞典』に「竹葉」を求めると、「酒の異称。宜城より竹酒を出すと云々。竹の葉の露たまり、酒と成る故に竹葉と云うと」と出てきます。しかも「甕の頭の竹葉は春を経て熟す」という白楽天の詩が出典としてあげられています。

 我が国の女房言葉に、酒を意味する「ささ」があります。これは中国で酒を竹葉と呼んだところから、竹葉→笹[ささ]となったものですから、中国で酒のことを竹葉といったことは間違いありません。ところが不思議なことに、『諸橋大漢和辞典』の「竹」の項に「竹葉」がないんです(!?) こんな重要な言葉をスルーするなんて、諸橋博士は下戸だったのかな?――いや、学問研究のため我慢して「竹葉」を飲まなかったのかな?() 

2021年8月3日火曜日

徐寅・夏の詩11

 

*秘色[ひそく]は中国浙江省の越州窯で唐・五代に産した青磁です。『広辞苑』には用例として『宇津保物語』(藤原君)から「秘色の坏(つき)」が引かれていますが、やはり酒杯であることが興味深く感じられます。

*中山酒は中山に産する仙酒で、『諸橋大漢和辞典』によると、一度飲めば1000日間宿酔するという酒だそうです。つまり二日酔いが1000日間続くんです――仙酒どころか、悪酒じゃないか(!?) 中国には、中山という山がいくつかあるので、残念ながらこれだけじゃ~どの中山か判りません。仙酒ですから、特定の中山ではないのでしょうか。

2021年8月2日月曜日

徐寅・夏の詩10


徐寅「貢余秘色茶盞」

 翠[みどり]と青が融合し みごとな色合い新しく

 窯から出し立ていただいた 君が贈ってくれた杯[はい]

 巧みな陶技 名月を 映す春方[はるべ]の水のよう

 チョット施す薄氷[うすらい]の 釉は緑の雲のよう

 錆びを磨いたいにしえの 鏡が机に乗っており

 若い蓮花が露に濡れ 池からここへ来たようだ

 かの中山[ちゅうざん]の濁り酒 これに注げば香り立つ

 だが悲しいなぁ!! 病気持ち 呷[あお]ることなど出来やせぬ  

2021年8月1日日曜日

徐寅・夏の詩9

 


徐寅「夜」

 太陽沈み虞淵[ぐえん]でも 明るいローソク灯[とも]されて

 夜更けにゃ煙[けむ]が浮遊する 塵[ちり]を吸収してしまう

 雪に覆わる剡渓[せんけい]の 友を子猷[しゆう]が訪ね行き

 漢の宮殿 月が出りゃ やって来るのは西王母

 軒にかかったクモの糸 高価な織物 作るべく

 風で消えてもホタルの火 燃えかすなんか残らない

 「いつになったら朝になる?」――落ち込んだとて訊くなかれ!!

 刻々進む水時計 夜明けの鐘はきっと鳴る

   *虞淵 むかし太陽が没すると考えられた池。転じてたそがれ、黄昏をいいます。

出光美術館「復刻 開館記念展」1

  出光美術館「出光美術館の軌跡 ここから、さきへⅠ 復刻 開館記念展  仙厓・古唐津・ 中国                           陶磁・オリエント」< 5 月 19 日まで>  いよいよシリーズ企画展「出光美術館の軌跡 ここから、さきへ」の第 1 回「復刻 ...