2020年9月30日水曜日

五木寛之『大河の一滴』6


『広辞苑』によると、「俗情」の第一義は「世俗のありさま。また、世俗の人情」です。俗情には「名利を念とする情」とか、若いころ悩んだ「情欲」の意味もありますが、もちろん大西巨人のいう「俗情」は第一義、つまり市井の人々の自然な心の動きです。「結託」がいかにも巨人的表現だとしても、世俗の人情にやさしく寄り添わずしてベストセラーにならないことは、巨人の指摘するとおりでしょう。

ところで人々は、みずからの考え方やものの見方が正しいことを証明し、納得するために、このような書を求めることがほとんどではないでしょうか。まったく自分の考えと反対のことが書いてあれば、大枚をはたいて買うはずもありません。

高度成長時代が終焉し、バブルがはじけて10年近くが経過し、何となく多くの人々が感じ始めていた疑い――やはり我々はどこかで間違っていたのではないかという気持ちと、共鳴を起こしたからこそ、ベストセラーになったのでしょう。その意味では、読者が五木寛之さんに寄り添ったのです。 

2020年9月29日火曜日

五木寛之『大河の一滴』5

 

あれもこれも、と抱え込んで生じる混沌を認め、もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか。

 そうなんです。これは五木哲学の書です。いま書店で平積みにされているいわゆる人生本とは、位相を異にしています。腰巻には、「人生は苦しみと絶望の連続だ。地獄は今ここにある。その覚悟が定まったとき、真の希望と生きる勇気が訪れてくる。ブッダも親鸞も究極のマイナス思考から出発した。五木寛之がはじめて赤裸々に吐露する衝撃の人間論」とあります。そうなんです。これは哲学の書にして人間論の書なんです。


2020年9月28日月曜日

五木寛之『大河の一滴』4

そんな快挙を成し遂げられたのは、『大河の一滴』が時代に流されながらも、しかし万古不易のように「私はここに立つ」という「吹っ切れた」硬派の矜持が貫かれているからだと、姜さんは指摘しています。まさに正鵠を射るものでしょう。

ニーチェは「万人向きの書物は常に悪臭を放つ書物である」といったそうです。しかし本書は、五木さんの「一生に一度ぐらいは自分の本音を遠慮せずに口にしてみたい、という身勝手な願望」が、万人から迎えられたのです。読み方によっては危険思想や毒さえ含んでいます。本来「万人向きの書物」ではありません。

だからこそ悪臭を放すどころか、読んでいてとても気持ちがいいのです。またよく腑に落ちるのです。というよりも、僕の考え方とほとんど同じだといってよいかもしれません。たとえば次の一節など、いつも僕のいっていることとよく一致しているように思いますが、やはり五木寛之さんが言うと、人生哲学へと昇華するのです。

ヤジ「五木先生とオマエを比べたりするな!!

 

2020年9月27日日曜日

五木寛之『大河の一滴』3

それだけじゃ~ありません。今年3月上旬からふたたび売れ始め、文庫28万3千部、単行本5万7千部を増刷、すでに累計320万部を超えているそうです。拙著『文人画 往還する美』の1万倍以上です() 

先日、東洋文庫で「大宇宙展――星と人の歴史」を見て悠久の歴史に思いを馳せましたが、天文学的数字とは、『大河の一滴』の発行部数にこそふさわしい言葉ではないでしょうか。さらに著者プロフィールによると、エッセー集『風に吹かれて』は、1998年の段階で400万部に達していたそうです。

姜尚中さんは、ベストセラーの条件の一つとして、大西巨人が「俗情との結託」を挙げたことから書き始めています。しかし読者の心は移ろいやすく、ベストセラーでありながら、ロングセラーであり続ける極々まれな1冊が『大河の一滴』だというのです。

 

2020年9月26日土曜日

五木寛之『大河の一滴』2

5ヶ月間もすぐそばにあったのに、姜尚中さんの書評を読むまで、目に入らなかったのです。あるいは目に入っても、意識しなかったのでしょう。人間は自分に関心がなければ、認識することはできないという命題を、改めて認識したのでした。この部屋をお使いなっていた米山寅太郎先生がお読みになっていたのかもしれません。

 さっそく持ち出してきましたが、奥付をみると、平成10年(1998)4月15日に初刷りが出て、ひと月半後の6月1日に10刷りですから、発行後すぐベストセラーになったことが分かります。ところが『朝日新聞』によると、これが翌1999年に幻冬舎文庫になり、46刷り201万部に達しているというのです。 

2020年9月25日金曜日

五木寛之『大河の一滴』1

五木寛之『大河の一滴』(幻冬舎 1998年)

 先日の『朝日新聞』読書欄に、「売れてる本」としてこれが取り上げられていました。読書欄は読んでも、このベストセラー・コーナーはいつもスルーしてしまうのですが、この日とくに読んだのは、NHKテレビ「日曜美術館」でお世話になった姜尚中さんが評者だったからです。

また学生時代、五木寛之さんの『さらばモスクワ愚連隊』を、ワクワクしながら読んだことも思い出したからです。姜さんによると、『大河の一滴』はベストセラーにしてロングセラーとのことですが、世の中にはそういう本もあるんだなぁと思っただけでした。

その翌週、静嘉堂に出勤すると、驚いたことに、4月以来執務室にしている文庫長室の書棚にこの本があるではありませんか。

 

2020年9月24日木曜日

静嘉堂「美の競演」8

 

    宴に侍す

 月・日のごとく天皇の 威光はあまねく照りわたり

 その徳性は天地[あめつち]を 載せるがごとく広大で

 天と地と人すべからく 安らかにして盛んなり

 臣下としての忠誠を すべての国が示してる

 

    懐いを述ぶ

 天の教えに従って 身に着けるべし道徳を

 心を天に預けつつ 天子を補佐せん善政で

 銃後の守りも天皇と 従軍する才なきを恥ず

 いかに天下を安らかに 統治すべきか悩むのみ


2020年9月23日水曜日

静嘉堂「美の競演」7

 

瑞峯院の創建年代についてはいくつかの説がありますが、天文4年(1535)というのが定説のようです。しかしこの年、宗麟はわずかに6歳、宗麟創建とすればもっと遅れるはずでしょう。事実、宗麟没年にあたる天正15年(1587)説もあるようです。少なくとも襖絵は、元亀年間、宗麟の40代まで遅れるというのが私見です。

しかしそんなことはどうでもよろしい。ここに大友皇子を持ち出してきたのは、皇子が我が国最初の漢詩人だからなんです。僕は日中を問わず、漢詩の世界に得もいわれぬ魅力を感じます。我が国初の漢詩集『懐風藻』は、じつに大友皇子の2首「宴に侍す」と「懐いを述ぶ」をもって始まります。またまた饒舌館長の戯訳で紹介することにしましょう。


2020年9月22日火曜日

静嘉堂「美の競演」6

まず初めに僕は、大徳寺瑞峯院旧蔵の伝土佐光信筆「堅田図屏風」を取り上げました。瑞峯院は豊後のキリシタン大名・大友宗麟が、帰依していた大満国師・徹岫宗九を開山に迎え、みずからの菩提寺として創建したと伝えられています。

しかし京都とも豊後とも関係のない近江の堅田がどうして主題に選ばれたのか、謎に包まれています。僕は大友宗麟→大友皇子→近江大津の宮→堅田という連想から選ばれたのではないかと空想しているのですが……。

 大友皇子は、壬申の乱に敗者となり命を断った悲劇の皇子です。大友宗麟は、みずからと同じ名前を持つ大友皇子にあるシンパシーを抱いていたのではないでしょうか。なぜなら僕も大友皇子にシンパシーを抱いているからです。そもそも日本人は敗者が大好きなんです。もっとも僕は、東大時代、大友皇子に打ち勝った大海人皇子[おおあまのみこ]と揶揄されていました。学生に優しすぎる「大甘」だったからです( ´艸`)  

2020年9月21日月曜日

静嘉堂「美の競演」5

 

静嘉堂文庫美術館「美の競演 静嘉堂の名宝」<9月22日まで>

 すでに何回かアップした「美の競演 静嘉堂の名宝」展が、いよいよエンディングの時を迎えています。その間、NHK「日曜美術館」アートシーンでも取り上げられました。担当した長谷川祥子さんの解説が分かりやすく、とても好評でした。

そのお陰もあって、多くの美術ファンが連日、世田谷・岡本の静嘉堂文庫美術館まで足を運んでくださっています。アンケートやツイッターの評価もたいへん高く、ディレクターとしてもこんなうれしいことはありません。今日を入れて残りあと2日、ぜひご来駕のほどお待ち申し上げております。

19日(土)は饒舌館長おしゃべりトークの2回目、内容は1回目と同じですが、何しろすべてアドリブですから、脱線部分はかなり違っていたと思います() 聴講制限をさせていただき、着席券は75番まで用意いたしましたが、あっという間にはけてしまい、何人かの方には、次回「能謡曲と琳派の美 饒舌館長口演す」までお待ちいただくことになってしましました。申し訳ございません‼ 

2020年9月20日日曜日

植田彩芳子ほか『近代京都日本画史』4


 このように学術的にもみごとな内容を担保しながら、植田さんたちがジェネラルブックの形式で出版したことに対しても、オマージュを捧げたいと思います。

 「僕の一点」――今回は「僕の一人」ですが、25歳で夭逝した稲垣仲静(18971922)ですね。かつて「美の巨人たち」でその「猫」を見たとき、ネコ好き館長の心に深く刻まれた画家です。本書には、彼のスケッチ帖からとても印象的な言葉が引用されています。

其の物に限てその物より感得したる自己の性格と最もよく合した満足を許す極めて神経質な線を表出せねばならぬ、又無情な線は(自己と溶け合はぬ線)一毛と雖もこれを描く事は許されない。

2020年9月19日土曜日

植田彩芳子ほか『近代京都日本画史』3


 また、美術が好きな中学生、あるいはこれから日本美術史を学んでみようと考えている高校生に、ぜひ手にとって欲しいのです。きっと日本美術史のおもしろさを発見するはずです。さらに美術史を専攻し、卒業論文や修士論文のテーマに悩んでいる人にとっては、魅力的なテーマの玉手箱だといってよいでしょう。

いや、専門家にとってもきわめて質の高い啓蒙書となるはずです。これまで僕は、橋本喜三氏の『京都画壇』(三彩社 1968年)から近代京都日本画に関する知識を得てきました。これも大変すぐれた書だと思いますが、さらにこの『近代京都日本画史』が書架に加わったことで、この分野については磐石の備えができたように思います。活用する時間はもう余り長くないと思いますが……()

2020年9月18日金曜日

植田彩芳子ほか『近代京都日本画史』2



輪読を続けながら、近代京都における日本画の歴史を紹介したいと思っても、綺羅星のごとく登場する魅力的な画家の履歴や作品を、簡潔に教えてくれる本が少ないことに気づかされたそうです。膨大な蓄積をもつ研究史を手軽に知ることも容易ではありません。それでは自分たちで作ってしまおう!というわけで、ついに生まれたのが本書なのです。
パラパラとページを繰って、気に入った絵に出合ったら、簡にして要を得た解説を読み、その画家の履歴に目を通すだけで、とても楽しいひと時がおくれる本に仕上がっています。しかしそれだけじゃ~チョットもったいない。貴重な挿図とともに用意された51本ものコラムを読めば、理解はさらに深まるでしょう。

2020年9月17日木曜日

植田彩芳子ほか『近代京都日本画史』1

 

植田彩芳子・中野慎之・藤本真名美・森光彦『近代京都日本画史』(求龍堂 2020年)

 近代京都日本画のすばらしい魅力を1冊で充分に味わわせてくれます。江戸時代と近代、京都と東京、伝統と革新の対立について、ある場合にはその共鳴について教えてくれます。そこに込められた豊かな示唆が、知的好奇心を掻き立ててくれます。いまのトレンド(?)である巣ごもりに、ピッタリのオススメ本です。

腰巻には「近代京都日本画壇を最新の知見でナビゲート! 幕末から戦後まで、唯一のフルカラー通史本」とありますが、それ以上の濃密な内容が盛られているといってよいでしょう。

 4年ほど前、京都文化博物館の学芸員として活躍期を迎えた植田彩芳子さんの呼びかけで、近代京都美術研究会が立ち上げられ、やがて著者となるこの4人の方々が月に1度集まり、神崎憲一氏の『京都に於ける日本画史』を輪読する研究会が始められたそうです。

 

2020年9月16日水曜日

遂に飲み会4


   歌は明るくにぎやかに 笛は静に奏される

ウィンクくれる歌姫に 南の国の黄金を……

人の至福の最高も まぁ大体はこんなとこ

自然の流転――その謎を 知るなど毛頭不要なり

この旨酒[うまざけ]をさぁどうぞ やめちゃー駄目だ最後まで

伏して願うは陛下殿 偉大な名前が永遠に

葛のごとくに御子・孫が 綿々として続くこと

長安・洛陽 帝都には 多くの馬車が行き交うが

権力誇った漢・梁冀[りょうき] 豪華極めた晋・石崇[せきすう]

主人亡きあと旧宅と 広い庭園残るだけ

 

2020年9月15日火曜日

遂に飲み会3

 


女神・羲和 馬六頭を走らせて 休むことなし昼間も夜も

崦*山の 竹でカラスを追い立てて 馬を鞭打つ桃都の桃で……

秋神・蓐収[じょくしゅう]真緑の 柳を枯らしたすぐあとで

春神・青帝くれないの 蘭を再び咲かせ出す

尭舜時代から今へ 一万年の一万倍

尭舜時代の長さなど 短い路上の立ち話

こんな時間を買おうにも 白玉・銅貨は役立たず

男子たるものくよくよと せずにこの日を楽しもう!!

海亀スープや熊羆[くまひぐま] その手のひらなど目じゃないよ

さかずきを 挙げて北海飲み干して 終南山に胡坐[あぐら]かくべし

2020年9月14日月曜日

遂に飲み会2



李賀の酒の詩といえば、何といっても「将進酒」です。「君に勧めん一日中 ジャンジャカ飲んで酔いに酔え!! かの劉伶も死んじゃえば 墓まで酒はやって来ず」というのは、酒の詩というより、アル中の詩です()  さすが南郭に比べると、スケールが大きいというか、幻想的というか、はたまたシッチャカメッチャカというか……。
あるいは「致酒の行」も青春の酒の詩として古今独歩といってよいでしょう。 「人に無視され落ち込めば 酒を飲まずにいらりょうか……みな若者は青雲の 志をば持つべきだ 誰が望まん引きこもり 溜息ついて暮らすこと」というのは、ヤケ酒の詩です() 
しかしこれらは、すでに紹介したことがあります。そこで今日は「相勧酒」を取り上げました。三言から七言までが入り混じる古詩の形式ですので、なかなかうまく訳せず、和歌調と七五調がゴチャゴチャになった変な戯訳になっています。*は山+玆という僕のワープロじゃ~出てこない字です。


2020年9月13日日曜日

遂に飲み会1



 この間、服部南郭の夏の詩をいくつか紹介しましたが、コロナ禍のためこのところまったくやっていない飲み会の代りに、「夜讌[やえん]」という飲み会の詩で我慢することにしました。しかし、もう我慢できません。親しい3人で決行することにしましたが、3密を怖れてビアガーデンでやったのは、チョット軟弱だったかな() 
ところがビアガーデンでも、入るときウェートレスに検温されるんです――「そこまでしてなぜ飲みたいんだ?」と下戸は疑問に思うかもしれませんが、答えは、酒は文化だからです。
もっとも「酒は文化なり」が持論とはいえ、ただ飲み会をやったという報告だけじゃ~、「饒舌館長」独特の文化の香りがしません(!?) 大好きな中唐の詩人・李賀の酒を勧める歌「相勧酒」を紹介することにしましょう。


2020年9月12日土曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」8



能は天平時代、唐からもたらされた民間の舞楽である散楽から発展した芸能です。散楽は平安時代にたいへん盛んとなり、転訛して「猿楽[さるがく]」とも呼ばれるようになりました。この散楽や猿楽のうち、歌舞劇の要素が能に発展し、滑稽劇の部分が狂言になったといわれています。
「安達原」には狂言方が演じる能力という従者が登場、見る人の笑いを誘います。これを間狂言[あいきょうげん]といい、その役をアイと呼びます。つまり「安達原」には、能のオリジンである散楽の要素がよく遺されているように感じられました。また狂言の要素が含まれているために、僕のようなビギナーでも充分楽しめるんです。
このように楽しく、散楽の古層を伝える「安達原」に、我らが「曲女」が使われたことを誇りにもしたいと思います。
   お元気な方は「さん」づけにし、鬼籍に入ったかたのみ「先生」とお呼びする「饒舌館長」の慣例に従ったことをお許しください。

2020年9月11日金曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」7

 


しかし筋だけではチョット心残りです。とても美しい「上ゲ歌」も、『謡曲集』(新潮日本古典集成)から掲げておきましょう。もちろん謡曲ですから七五調、マイ漢詩戯訳と同じです――なんていったら、またまたヤジが飛んできそうですね()

異草[ことくさ]も交じる茅筵[かやむしろ] うたてや今宵敷きなまし しひても宿をかりごろも 片敷く袖の露深き 草の庵のせはしなき 旅寝の床ぞもの憂き 旅寝の床ぞもの憂き

 「国立能楽堂ショーケース」は、能にあまり馴染みのない方々に興味をもってもらうべく企画された、能と狂言をセットにして2時間ほどのプログラムです。これに「安達原」が選ばれたのは、とても素晴らしいことだったように思います。

2020年9月10日木曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」6

 


諸国行脚する山伏一行。奥州の安達が原(現在の福島県二本松市)で行き暮れ、女の住む荒野の一軒家に宿を借ります。山伏のために、この世の無常を嘆きつつ糸車を廻してみせる女。夜も更け、薪を取りに行く間、自分の寝屋を覗かないようにと言われた山伏たちですが、従者が我慢できずにこっそり覗くと、そこには屍の山が! 慌てて逃げ出す山伏たち。その後を女が鬼と化して襲いかかりますが、山伏に祈り伏せられて闇に消えていくのでした。

2020年9月9日水曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」5

公演後、観世さんと僕が読売新聞の取材を受けたこともうれしいことでした。観世さんは、この「曲女」はたいへん軽く、舞いやすく、それだけですぐれた作であることがよく分かるとおっしゃって下さいました。しかも普通、江戸時代の能面はもっと傷んでいて、実際につけるのは恐い場合が多いそうです。近日中に、「美を紡ぐ」プロジェクトの一環として、読売新聞に大きく報道されることでしょう。

 


公演がすんで、観世さんが外されたあとも、僕には「曲女」はかすかに愁いをたたえ、呼吸をしているように感じられたのです。いただいたリーフレットのあらすじを、そのまま紹介しておきましょう。 

2020年9月8日火曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」4



公演に先立って、今日の「安達原」で前ジテがつける面は、静嘉堂文庫美術館所蔵の「曲女」であるという案内があり、「能をめぐる美の世界」展の宣伝(!?)までして下さいました。

これを着けて観世さんが舞うと一段と白く輝いて見え、本来能面というものは、このように使われるべきものなのだと、心の高まりを抑えることができませんでした。もちろん美術館には、コレクションをできるだけよい状態で次の世代に引き継ぐという大切な使命がありますから、すべての作品を実際に使用するということは出来ません。

 しかし許される範囲で、本来の目的に添わせてあげることは、私たちの生活を豊かにするとともに、その作品にとっても幸せなことだと思います。生活と美術が混然一体となった日本文化の伝統を、現代によみがえらせる、もっとも確かな道にほかなりません。 

2020年9月7日月曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」3

 


それは9月2日の国立能楽堂ショーケース公演でした。名曲「安達原[あだちがはら]」で、観世九皐会の観世喜正さんがシテとして女を演じ、我らが「曲女」を着けて舞ってくださったのです。これには能面研究の権威で國華賞を受賞された田邉三郎助さんのお勧めがあったことも、ぜひ書き添えておきたいと思います。

この「曲女」は増阿弥の作と伝えられてきました。増阿弥とは、ある個人を指すのではなく、近世の能面作家の間で伝承されてきた古い時代――おおむね室町時代の作を格付けしたものと言ったほうが正しいでしょう。

ですからこの作品も、田邉さんによれば、江戸時代中期の作と推定されるそうですが、素晴らしい出来映えの一面で、保存も完璧です。


2020年9月6日日曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」2

 


能面だけではなく、菅原直之助作「鞍馬天狗図刺繍額」や河鍋暁斎画『能面図式』など、関連作品も多数展示いたします。能のすべてがよく分かるとともに、そのおもしろさに魅せられることでしょう。能謡曲ファンはさらに深く、あまり馴染みのなかった方は新鮮な驚きとともに……。公開に際して、三菱財団の助成を受けたことも、ぜひお伝えしておきたいと思います。

 また、明治を代表する彫刻家・加納鉄哉による伎楽面と舞楽面もご覧いただきます。迫力に満ちた木彫面の素晴らしさも併せてご堪能あれ!!

 じつは「能をめぐる美の世界」展オープンに先立って、ビッグニュースがありました。この展覧会にも展示される面「曲女[しゃくめ]」が、本当に能の公演で用いられたのです!! 「曲見[しゃくみ]」ともいわれる「曲女」は、中年の女面で、顔が少ししゃくれているところから、このように呼ばれるようになったそうです。 

2020年9月5日土曜日

静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界」1

 


静嘉堂文庫美術館「能をめぐる美の世界――初公開!弥之助愛蔵から120年・新発田藩主溝口家旧蔵能面コレクション」<1013日~126日>

 静嘉堂文庫美術館が所蔵する越後国(新潟県)新発田藩主溝口家旧蔵能面コレクション67面の初公開です!! 岩崎弥之助が溝口家から譲りうけてから120年――大切に伝えられてきました。貴重な面を保護する面袋と、それらを収納する面箪笥のすべてが完全にそろった奇跡のコレクションです!!

コロナのことなんか忘却の彼方に追いやり、大名・溝口家と、我が国の近代化を推進した実業家・岩崎家で秘蔵されてきた能面の心に染み入るような美しさ、あるいは思わず笑みを誘うようなユーモアに触れつつ、錦秋のひと時をお過ごしください。コロナのことなんか……と書きましたが、すでにアップしましたように、検温、アルコール消毒、マスク・サービスなどの対策をとってお待ち申し上げております。

2020年9月4日金曜日

諸橋晋六『不将不逆』11

 


晋六氏のサッカーに関することは、ウェブサイト「日本サッカーアーカイブ」をパクリましたが、いま我が家でもサッカー・ブームです。タビがいなくなったあと、ほとんど唯一といっていい女房・娘との接点、3人で見るテレビ番組はサッカーしかありません。

昨夜DAZNで見たのは横浜FマリノスVS川崎フロンターレ――大いに盛り上がったことはいうまでもありません。もし晋六氏がいなかったら、目出度くもない喜寿を迎えた後期高齢者の家庭生活は、きっと寂しいものになっていたことでしょう。

ところでタビというのは、ネコ好き饒舌館長の今は亡き愛猫です。「戌年のせいか、ぼくは犬が大好き」という晋六氏と、日本の国際化問題は脇に置いておいて、犬猫談義を交わしたかったなぁ()

2020年9月3日木曜日

諸橋晋六『不将不逆』10



さらに僕は、晋六氏が推進した日本最初の定期的な海外サッカー・テレビ番組「三菱ダイヤモンドサッカー」のことを、ぜひアップしておきたいと思います。これは晋六氏が三菱商事ロンドン支店赴任中、英国のサッカー番組「Match of the Day」に魅了されたことがキッカケでした。
この番組は日本の若者に世界トップレベルのサッカーを伝える役割を果たしたそうですが、メディアによって現在のサッカー・ブームに火をつけたのが、晋六氏だったように思います。美術史でいえば、若冲ブームに火をつけた辻惟雄さんでしょうか。本業でブームを起こすことはもちろん素晴らしいことですが、本業以外でブームを起こすこともすごいことですね。

諸橋晋六『不将不逆』9



 ウィキペディアの「諸橋晋六」には、「日本の実業家、サッカー選手」とあります。事実、中学校でサッカーを始めた晋六氏は、上智大学や三菱商事でもサッカー選手として活躍しました。とくに「三菱サッカーリーグ」を結成し、三菱サッカー発展の基礎を築いたのみならず、サッカーの社会的価値を高めたことは特筆されます。
1995年には、2002FIFAワールドカップ日本招致委員会副会長に就任、世界を歴訪して日本への招致に尽力されました。その後、サッカー審判ライセンスを取得するとともに、日本サッカー殿堂入りも果たしています。運動神経が鈍かったこともあって、スポーツと縁遠かった僕は、仕事とサッカーをみごとに両立させた晋六氏に、改めて尊敬の念を深くするのです。

2020年9月2日水曜日

諸橋晋六『不将不逆』8



異文化を尊重し、理解できる人。その上で協調して仕事ができる人が国際人です。

異文化、異人種、異なる言語の中で仕事をする時に一番いけないのは、日本の流儀とか日本のものの考え方、我々の常識をそのままもっていって仕事をするということです。

多分、多くの日本人は自分で気付かないうちに、外国人に対して自国本位な発言や行動をしているのだろう。今後、さらに国際化路線を歩むことになら日本人として、この点には十分注意しなければならない。

2020年9月1日火曜日

諸橋晋六『不将不逆』7



日本のビール王とたたえられ、東洋古美術の大コレクターでもあった馬越恭平は、「心配すべし。心痛すべからず」といったそうです。これも悪くありませんが、荘子に比べると、やはり人間くさい感じがしますね。
余談ながら、馬越恭平には健康法4か条がありましたが、その1つは「禁煙」で、「禁酒」ではありませんでした。これまた「当り前田のクラッカー」――みずからの健康法が「禁酒」じゃ~、造ったビールが売れなくなっちゃいます()
もう3つばかり、晋六氏の『不将不逆』から、排他的自国ファーストに陥りがちな現代の我々に対するアドバイスをもらうことにしましょう。

渡辺浩『日本思想史と現在』12

  そのとき『君たちはどう生きるか』の対抗馬 (!?) として挙げたのは、色川武大の『うらおもて人生録』(新潮文庫)でした。京都美術工芸大学にいたとき、『京都新聞』から求められて、就職試験に臨む受験生にエールを送るべくエッセーを寄稿したのですが、本書から「九勝六敗を狙え」を引用し...