2019年5月31日金曜日

『嘘をつく器 死の曜変天目』2


しかしより一層面白かったのは、ちょっと僕と関係があるところが登場することでした。巻末には例のごとく、「この物語はフィクションです。作中に同一の名称があった場合でも、実在する人物、団体とは一切関係ありません」と書かれていますが、モデルがあったことは言うまでもありません。

亀岡市にあるという伝統工芸の専門学校とは、僕が勤めていた京都美術工芸大学の姉妹校ともいうべき京都伝統工芸大学校でしょう。「最寄りの駅は閑散としていて、コンビニ一軒くらいしか開いている店はない。夜になるとさぞかし寂しくなるだろう」というのは園部駅そのものです。そこに僕は”as long as 3 years”いたのです。もっとも、いま大学の方は京都市内の七條川端にある東山キャンパスに移っています。この移転については、僕も若干努力したのですが( ´艸`)。
 町子と馬酔木の母校である京北美術大学が、かつて高階秀爾さんからお呼びがかかり、おしゃべりトークをやったことがある京都造形芸術大学であることは、まず間違いないでしょう。

2019年5月30日木曜日

『噓をつく器 死の曜変天目』1


一色さゆり『嘘をつく器 死の曜変天目』(宝島社 2017

 人間国宝候補とされ、曜変天目を完璧によみがえらせた京都鞍馬の陶芸家・西村世外が何者かによって殺害され、続いて第二の殺人が起こります。不思議なことに、世外はその曜変天目について秘し、口外もかたく禁じていました。世外のもとで修業していた早瀬町子と、彼女が卒業した美大の先輩で、ある個性派俳優にちょっと似ているというイケメン保存科学の専門家・馬酔木泉が、この事件をみごとに解き明かしていきます。

こんな推理小説があるとはつゆ知りませんでしたが、このたび岩崎家の方からお借りして、一気に読了したことでした。第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した一色さゆりさんが、その『神の値段』に続いて発表したアートミステリーとのこと、さすが!!と思わせる上々の出来栄えです。

2019年5月29日水曜日

町田市立博物館最終展5


「緑釉鎬文鉢」は外側に鎬文をほどこした厚手の陶器で、全体に美しい緑釉がかかっていますが、重ね焼きをするため、見込みに円く釉薬をかけず、陶胎を見せる太い輪を残しています。それが力強い意匠となり、この鉢の魅力をさらに高めています。去年暮れ、はじめて訪れたベトナムでも、ずいぶんすぐれた緑釉陶を見ましたが、これに匹敵するものは少なかったように思います。

もう一つ興味を惹いたのは、この緑釉が我が織部焼の緑釉とまったく同じ色合いを見せていることでした。それは偶然の一致というよりも、何らかの影響関係がある――いや、明らかにあるように感じられたのです。

それはともかく、この鉢に茹でたばかりの枝豆か空豆を盛って天然塩を少し多めに振り、キンキンに冷えたビールをやったら、どんなにうまいことでしょうか。そのビールは、やはり「サイゴン」か「333」か「ビア・ハノイ」が合うような気がしますが() 

2019年5月28日火曜日

町田市立博物館最終展4


鳥獣をかたどる真珠の象嵌がほどこされたテーブル――わが国やフランスの高級家具職人なら、その技を盗むために何ものをもなげうつだろう。金色の魚や亀が迫真的に浮き彫りされている小箪笥。かつて中国が生み出したいかなる品よりも、五十倍もの創意と技巧と機知にあふれた、象牙や骨や木でできたすばらしい小逸品。あまりにデリケートなので触るのがこわいような磁器。要するに、お菓子屋に入った子どもでさえも、その朝の出島会所でのわれわれほどには、どれにしようかと迷って、菓子から菓子へと走り回りはしなかっただろう。

 「僕の一点」は「緑釉鎬文鉢[りょくゆうしのぎもんはち]」――キャプションによると、14世紀、ベトナムの焼き物だそうです。「中村三四郎氏寄贈」とありましたが、ほかにもこの方の素晴らしい寄贈作品がたくさんありましたから、よほど眼のこえた陶磁コレクターだったのでしょう。

2019年5月27日月曜日

町田市立博物館最終展3


 配布資料には、ラザフォード・オールコックの『大君の都』やルイ・ゴンスの「装飾にみる日本人の天分」(『芸術の日本』)、シェーラード・オズボーンの『日本旅行記』など、幕末明治期わが国へやって来た西欧人の工芸に対する賞賛と驚きの文章を掲げました。それに厚かましくも、「饒舌館長」や「K11111」など、マイブログからの引用も加えましたが……。

オズボーンの『日本旅行記』は、以前オマージュを捧げたことがある渡辺京二さんの名著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)から引用しましたので、それだけをここに再録しておきましょう。

出島のオランダ会所は、多様な趣味よき形態をもつ磁器や漆器で一杯だった。“珍品”の数々にもう満腹という気分になったかに思えたが、そういう受けつけませんといった感覚は急速に誘惑に席をゆずった。最初に起こったのは一切合財買い占めたいという欲望だった。それほどみんな美しかったのだ。

2019年5月26日日曜日

町田市立博物館最終展2


田辺三郎助さんのあとを継いで、館長になったばかりの伊藤嘉章さんが笑顔で出迎えてくれます。おしゃべりトークのタイトルは、「工芸がもつ高き価値――日本美術の歴史から」――例のごとく七五調になっているところがミソです() 

まず初めに、日本絵画を象徴する尾形光琳の「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)、伊藤若冲の「動植綵絵」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)と「筋目描き雌雄鶏図」(細見美術館蔵)、葛飾北斎の「富嶽三十六景」<神奈川沖浪裏>のスライドを映しました。

そして、私たちはこれらをみな絵画だと思っていますが、よく考えてみると、半分以上は工芸だといっても過言じゃないでしょう――とまたまた独断と偏見を述べながら、イントロダクションから本題へと移りました。

2019年5月25日土曜日

町田市立博物館最終展1


町田市立博物館最終展――工芸美術の名品――<616日まで>(519日)

 45年間の長きにわたり、多くの美術ファンを魅了し続けてきた町田市立博物館が、発展的閉館の時を迎えました。5年後、町田市立国際版画美術館の近くに、町田市立工芸美術館と名前もバージョンアップして、まったく新しくオープンするそうです。

この特別展はそのファイナル・ショー、これまで蒐集した工芸の名品をロハでお見せしましょうという太っ腹プロジェクト(!?)です。 企画したのは、もちろん東大時代の教え子キューレーター、矢島律子さんにほかなりません。

もう10年以上前でしょうか、ここで大倉喜八郎とローマ日本美術展について講演をさせてもらったことがあるのですが、今回またオファーがかかりました。そのころはまだ真面目な講演だったのですが、今はご存知「饒舌館長」のおしゃべりトークです()

2019年5月24日金曜日

富士山世界遺産センター「徳川将軍と富士山」2


「秀峰富士と一体化する徳川将軍権威」というのが、「徳川将軍と富士山」展のキャッチコピーです。32点の美術作品や資料を4章に分けて展示し、それを視覚的理解へやさしく導こうとする企画です。

「僕の一点」は、はじめて見る酒井抱一筆「武蔵野富士図」(徳川記念財団蔵)です。静嘉堂文庫美術館が誇る名品の一つに、抱一の「絵手鑑」がありますが、そのなかの「富士図」は、きわめて強い色彩的効果によって高い人気を集めています。このセンターのスライド・ショーでも使われていますし、その絵ハガキはベストセラーの一つだそうです‼

しかしこの作品に先立ち、「武蔵野富士図」のような、より一層伝統性の濃い富士図を抱一が描いていたことを知って、あぁなるほどなぁと腑に落ちたことでした。二つの作品の前後関係は、落款書体によっておのずから明らかだからです。

新富士駅前で駿河湾のおいしいお魚と、センターの近くに蔵元があるという銘酒「高砂」をご馳走になったあと、陶然とした気分で家路についたことでした。

2019年5月23日木曜日

富士山世界遺産センター「徳川将軍と富士山」1


静岡県富士山世界遺産センター「徳川将軍と富士山」<526日まで>


 富士山が世界文化遺産に登録されたのを記念して、1年半ほど前、静岡県富士山世界遺産センターが富士宮にオープンしました。長く『國華』編集員として頑張ってくれた松島仁さんが、ここに奉職したので、ぜひ一度訪ねてほしいといわれていましたが、今日(515日)ようやくその機会が巡ってきました。

新幹線の新富士駅から、迎えのクルマで30分ほど走ると、浅間神社の堂々たる一の鳥居と、坂茂の印象的な建物が見えてきました。先日アップしたグッゲンハイム美術館からインスピレーションを得たのではないかと思わせる、逆三角形をした建物です。螺旋状のスロープを上りながら、壁面に映し出される富士山やそこからの風景をながめれば、もう本当に富士登山をやっているような気分になってきます。

企画展示室では、春季特別展「徳川将軍と富士山」が開かれていました。徳川幕府と江戸狩野の密接な関係を考究して、すぐれた業績をあげている松島さん渾身の企画です。

2019年5月22日水曜日

三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」6


 それとともに、「ラスキンは、素描に取り組むときこそ、自身が興味深いと感じるすべての事象をさらに深く熟視できることに、実体験を通して気づいていた」という記述から、すぐに僕は渡辺崋山を思い出したのです。松岡台川編『全楽堂記伝』(岩瀬文庫本)に、次のような一節があるからです。

予山水を見て真景を写し、動植を看て其の形容を模したるは、忽卒の間になすところにても、夫を他日浄写せんに、真を見て描きたるときの如き、真物のをもむきは得られぬなりといへり。

 19世紀のイギリスと日本で生きた二人の天才が、まったく影響関係なしに、ほとんど同じ真理に到達していたのです。これをシンクロニシティなどと言えば、ラスキンと崋山に対し失礼に当たるかもしれません。だからといって、古典主義から浪漫主義への革命的転換が、東西の小さな島国で同時に起こっていたのだなどといえば、またまた饒舌館長が独断を……ということになるかもしれませんね()

2019年5月21日火曜日

三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」5


この広範なテーマを扱った全5巻からなる大著(『現代画家論』)の出発点は、大胆な筆遣いの新たな表現で物議を醸していたターナーの擁護論にありました。ターナーの作品のなかで、とりわけラスキンが考察したのは、版画集『研鑽の書』に収められた作品群と水彩画です。かれ自身、生まれながらの素描家であり、自然界をあらゆる角度から知るための手段として、素描を位置づけていました。すなわち、ラスキンは、素描に取り組むときこそ、自身が興味深いと感じるすべての事象をさらに深く熟視できることに、実体験を通して気づいていたのです。

ラスキンもすぐれた素描家であったことを、出陳されていた水彩画「ヴィルヌーヴの山々」(ラスキン財団蔵)や「ラ・フォリの滝」(バーミンガム美術館蔵)によって、はじめて知らされました。

2019年5月20日月曜日

三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」4


画面上には微妙な光があふれ、かすかな風が流れているのです。しかしこれは、「カレの砂浜」だけの特質ではありません。ターナーの風景画に通奏低音のごとく流れる美しさなのです。だからこそターナーは、イギリス最大の風景画家と称えられるのでしょう。ところで「風景」を英語で言えば「ランドスケープ」ですが、漢語で言った方が、ターナーにはずっとふさわしいように感じられます。

『諸橋大漢和辞典』によれば、「景」の第一義は「ひかり」とか「ひざし」ですから、「風景」は風と光なのです。何とターナーにふさわしい言葉でしょうか。この意味でこそターナーは風景画家なのだと思います。

このターナーを高く評価したのがラスキンですが、「第1章 ラスキンとターナー」の解説キャプションは、ことのほか興味深く感じられました。

2019年5月19日日曜日

三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」3


 しかし今回、改めて心を動かされたのは、ラファエル前派よりターナーでした。正しくいえば、ジョゼフ・マラード・ウィリアム・ターナーです。ラファエル前派同盟を支援し、圧倒的影響を与えた有名な美術・建築評論家ジョン・ラスキンは『近代(現代)画家論』を著わして、あまり高く評価されていなかったターナーを擁護しました。よく知られた事実です。

というわけで、この特別展の第1章は、ターナーに捧げられているのです。実をいうと、本展は1819年に生まれたラスキンの生誕200年記念展でもあり、ターナーとラファエル前派が一緒に陳列されていることには、とても大きな美術史的意味があるのです。ターナーの油彩画としては、「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」(ベリ美術館蔵)がただ1点出ているだけでしたが、これがまた実にすばらしかった!! 

2019年5月18日土曜日

三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」2


ラファエル前派同盟は、同級生であるロセッティ、ミレイ、ハントを中心に1848年に結成されました。彼らは、美術学校の学生でしたが、古い決まりごとにとらわれて新しい表現を認めない美術学校の方針に不満を持っていました。

そこで、イタリア・ルネサンス期の画家ラファエロ(英語名はラファエル) をお手本にしていた美術学校に対して、彼らはそれよりも前の時代の、簡素で誠実な表現を目指します。ラファエル前派の名称は、これに由来するのです。

彼らより若い世代のバーン=ジョーンズとモリスは、ラファエル前派の第二世代とされます。ふたりは大学の同級生でしたが、ロセッティの思想に影響を受け、芸術家を志します。「生活と芸術を一致させる」ことを目指した彼らの試みは、のちに「アーツ・アンド・クラフツ運動」と呼ばれる運動へと発展します。この運動は、現代にも続く「デザイン」の考えのはじまりとなりました。

2019年5月17日金曜日

三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」1


三菱一号館美術館「ラファエル前派の軌跡展」<69日まで>

 僕も大好きなラファエル前派の特別展が三菱一号館美術で開催されています。「饒舌館長」ファン(?)のなかにも、ラファエル前派ファンはたくさんいらっしゃることでしょう。しかし、ラファエル前派といわれればイメージや様式・画風は頭に浮かぶのに、その定義となるとお手上げになるのではないでしょうか。

美術史家をもって任じている僕だって同じです。しばしば引用する『新潮世界美術辞典』を引けば、「ラファエル前派」という項目はもちろんありますが、当然のことながらきわめて専門的です。

ところがこの特別展に行けば、「ラファエル前派の軌跡展 見どころガイド」<ジュニア版>なるものが無料配布されています。「対象:小学生高学年以上」と書いてあるとおり、とても分かりやすく説明されていますので、そのまま引用しておくことにしましょう。

2019年5月16日木曜日

鎌倉国宝館「円覚寺の至宝」2


趙思恭・兆殿主筆[えが]く所の五百阿羅漢図、昔其の一図を亡[うしな]う。円覚寺方丈、余に以て其の闕を補うを需[もと]む。補成りて忝くも台覧を賜る。天明癸卯の冬。

 画面左下には、「養川法眼惟信画并識」という落款があり、その下に印章が捺されているようにも思われます。会場ではよく分からなかったので、鎌倉国宝館からデジタル画像をもらいましたが、それでもはっきりしませんでした。いずれにせよ、天明3年(1783)、31歳の木挽町狩野家第8代惟信が描いた作品で、法眼時代の制作にかかることを知るのです。

惟信には、呉道玄筆の観音図を数回熟視しただけで、原本といささかも違うことなく、きわめて正確な模本を作ったという逸話が残っています。これを知ってこの「五百羅漢図」を眺めると、その逸話は彼が仏画を得意としていたことをも物語るように感じられるのです。 

2019年5月15日水曜日

鎌倉国宝館「円覚寺の至宝」1


鎌倉国宝館「知られざる円覚寺の至宝――古文書と羅漢図の世界」<616日まで>

 去年は欧米の人々に「禅」を初めて「ZEN」として広めた、円覚寺の釈宗演老師の100年遠忌にあたっていました。また今年は、円覚寺中興の祖とあおがれる大用国師(誠拙周樗)の200年遠忌を迎えました。これを記念し、三井記念美術館と鎌倉国宝館で、円覚寺の名宝を選りすぐった特別展が開かれています。

今日紹介するのは、鎌倉国宝館の「知られざる円覚寺の至宝」です。副題にあるように、古文書と羅漢図にスポットを当てていますが、「僕の一点」は、張思恭筆という伝称をもつ「五百羅漢図」です。このシリーズは元時代のすぐれた仏画として、早く重要文化財に指定されています。

南宋仏画様式を受け継ぐ寧波[にんぽう]工房の作品だと思われますが、とくに僕が興味を惹かれたのは、江戸時代中期に狩野養川惟信が一図を補作していることでした。最近、鎌倉市の指定文化財になった本図は、江戸仏画とはいえ、惟信の代表作といってよいでしょう。画面右上に銘がありますので、それを書き下しで紹介しておきましょう。

2019年5月14日火曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」17


僕は不思議な気持ちのままに、フェルメールは「窓辺の女」の前を、とくに見るでもなく通り過ぎていました。日本だったら、こちらの方を麗々しく飾るかもしれないなぁと思いながら……。

15日はフリーデーだったので、グッゲンハイム美術館→クーパー・ヒューイット美術館→ノイエ・ギャラリーと回りました。グッゲンハイム美術館では、はじめて知ったスウェーデンの女性抽象画家、ヒルマ・アフ・クリントとメープルソープの個展をやっていました。

クーパー・ヒューイット美術館では、我が国KATAGAMIの特別展が行なわれていたので驚きました。ノイエ・ギャラリーでは、話題を集めているクリムトの「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像」と、特別展「自画像――シーレからベックマンまで」を堪能しました。これらについては、機会を改めてエントリーすることにしましょう。

2019年5月13日月曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」16


そのあと「館蔵品によるオランダ絵画名品展」を拝見しましたが、中心は何といってもレンブラントです。そのなかで最も深く心を動かされたのは、やはり有名な帽子を被った「自画像」でした。レンブラント54歳のときの作品です。じっと眺めていると、世の中にこんなすごい人間がいたというのに、俺は54歳のころ一体何をしていたんだろう、しかも彼は今の俺より10歳以上若く死んでいるんだと思うと、何ともいえない気持ちになってきました。と同時に、やはり俺は絵描きにならないでよかったとも思ったのです。「オイ河野! オマエはいったい誰と自分を比べているんだ‼」



しかし改めてキャプションを見た瞬間、先の胡玉昆筆「金陵勝景図」もこの「自画像」と同じ1660年の制作であったことに、ハッと気がついたのです。

こんな偶然があるでしょうか。ほとんど無数にある作品の中から、同じ年に中国とオランダで描かれた、まったく関係のない二つの絵画作品に、同時に心の高まりを覚えていたのです。これも一種のシンクロニシティでしょうか?

2019年5月12日日曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」15


最後の「石城」に「庚子夏仲 胡玉昆画 計十二冊」という款記があり、小さな印章が2顆捺してあります。この庚子は我が万治3年、西暦1660年にあたります。

キャプションによると、胡玉昆は、親友の周亮工が北京で誤認逮捕されたとき、会うために訪ねて行きました。胡玉昆は帰ってから、その親友を元気づけるため、二人の故郷である金陵、つまり今の南京の風景を描き贈りましたが、それがこの「金陵勝景図」だそうです。ちなみに胡玉昆も周亮工も明末清初に活躍した文人、『新潮世界美術辞典』にも簡単な履歴が載っています。

真景図としてのおもしろさはもちろんですが、この金蘭の友のためにこそ描くという、文人画のもっとも重要なスピリットに触れたような気がしたのです。

2019年5月11日土曜日

静嘉堂文庫美術館「備前刀展」5


先日「ハナミズキホワイト」をやったので、今日はランチに「フタコエール」をやってから登壇したかった――なにしろ酒仙画家の話ですから、それも許されるんじゃーないかなぁと思いましたが、三菱のVIPも聴きに来てくれるとの情報が入ったので、さすがの饒舌館長もちょっと弱気になっちゃいました()

それはともかく、玉堂にとって琴を弾くのと同じく、手を動かして「烘染皴擦」することに重要な意味があった――そのためには、山水こそ最適であり、人物や花鳥はあまりふさわしくなかったという推論は、ニューアイディアだったかもしれません。

おしゃべりトークは、74歳のときの傑作「秋色半分図」をもって〆ました。正確にいえば、「秋色半分図」とかつて同じ幅にあり、今は別幅に仕立てられている自由詩こそ、玉堂が最後に行き着いた境地を示すものだといって〆たのです。配布資料にも載せたその戯訳を、最後に紹介しておきましょう。

  友と一緒に登る丘 座って気ままにおしゃべりせん
 飽きれば寝ころぶ草の上 のんびり眺める青い空
 大空流れる白い雲 こんな自由な生活を うらやむヤツもいるだろに……

2019年5月10日金曜日

静嘉堂文庫美術館「備前刀展」4


しかも、曜変天目を特集した雑誌『BRUTUS』では、千宗屋さんが監修、橋本麻里さんが編集を担当、銘をつけること、火による化学的変化、極めや箱書きの重視などの諸点で、日本刀と曜変天目には、共通する性格があることが指摘されています。あぁなるほどなぁと、目を見開かされる思いでした。

 今日(55日)は、備前刀にちなんで、備前が生んだ独創的文人画家・浦上玉堂を取り上げ、<「浦上玉堂――酒仙画家――」饒舌館長口演す>と題するおしゃべりトークを試みました。かつて小林忠さんと一緒に編集した『江戸名作画帖全集』の第2巻<玉堂・竹田・米山人>に書いたエッセー「玉堂と酒」をもとにしゃべりました。

この10連休中、静嘉堂では去年に続いてビア・ガーデンを開催しています。美味しい焼きそばやピザやお稲荷さんも用意されていますが、何といっても目玉は、地ビールの「フタコエール」と「ハナミズキホワイト」です。


2019年5月9日木曜日

静嘉堂文庫美術館「備前刀展」3


 
 それだけじゃーありません!! 話題沸騰の「曜変天目」――固有名詞でいうならば「稲葉天目」にも参戦を頼みました。時を同じくして、大徳寺龍光院所蔵碗がMIHO MUSEUMで、藤田美術館所蔵碗が奈良国立博物館で陳列されるという偶然が重なり、「曜変天目3碗同時公開」と報じられて、天下の耳目を集めることとは相成りました。

もっとも、「3碗同時公開」と聞くと、どこかの美術館に行けば、固めて3碗が見られると思うのが普通でしょう。しかし実際は、東京、信楽、奈良ですから、1日じゃーとても回れません。確かに同時には違いありませんが……。

我が館ではこれをロビーに展示いたしました。自然光で見ていただくという趣向を、存分にお楽しみください。「自然に誕生した窯変を自然の光で!!」というわけです。最初、備前刀と曜変天目という組み合わせは、これまでやっていないけれど、結構おもしろいんじゃないかといった、僕たちの軽いノリから出発したものでした。それがこんなに皆さんから熱いオマージュを捧げられることになるとは‼

2019年5月8日水曜日

静嘉堂文庫美術館「備前刀展」2


今回、飾り付けが終ったギャラリーを回って、エネルギーに満ちて力強く、しかもエレガントな備前刀に、日本刀の神髄を直感したことでした。僕的にいえば、備前刀には益荒男ぶりの刀姿のなかに、手弱女ぶりが包摂されているのです。鎌倉武士や戦国武将をはじめ、多くの人々の所有欲を掻きたてたのは、そのような美の内在にあったのだと思います。

静嘉堂文庫美術館は120振りほどの日本刀を所有していますが、備前刀が3分の1を占めるため、「備前刀の宝庫」という賛辞をもって呼ばれています。今回は、この備前刀のなかから、重要文化財4振り、重要美術品11振りを含む在銘作30振りほどを選び抜きました。「古備前」とたたえられる初期の刀工から、一文字、長船、畠田、吉井、鵜飼など各流派による作風の展開が容易にたどれるよう、分かりやすく展示されていますよ。

2019年5月7日火曜日

静嘉堂文庫美術館「備前刀展」1


静嘉堂文庫美術館「日本刀の華 備前刀」<62日まで>

 
ものすごい人気です。開館前に行列ができます。もちろん、入館者の方々はみな大満足の様子、ディレクターとして、こんなうれしいことはありません。去年、話題を集めた「超日本刀入門」に続いて、今回は備前刀に焦点を絞ってみました。

日本刀の主要な製作地は、山城、大和、備前、相模、美濃の5箇所で、これを五ヶ伝といいます。そのうち、岡山県東南部にあたる備前の国は、きわめてすぐれた原料と水運の便に恵まれ、平安時代から傑出せる刀鍛冶を生み育ててきました。しかも、ものすごい生産量をもって他を圧倒、「刀剣王国」とたたえられてきました。いま出光美術館では、特別展「六古窯」をやっていますが、この中にも「備前」が含まれていることを、僕はとても興味深く感じます。

その特徴を、素人には手ごわい例の専門用語を用いていえば、「腰反り」の強い姿と、杢目を主体とした精緻な地鉄[じがね]に浮かび出る変化に富んだ「丁子乱れ」の刃文にあるということになります。いや、担当した山田学芸員によると、そうなるそうです()

2019年5月6日月曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」14


今は亡きウェン・フォン先生とメアリー・バークさん、そして再会した村瀬実恵子さんとジュリア・ミーチさんが、みな44年前のニューヨーク旅行を思い出させてくれたのです。今回の「源氏絵展」シンポジウムが、センチメンタル・ジャーニーみたいだったと初めに書いたのは、このような理由によるところなのです。  

先の「渓山無尽」は1953年にウェン・フォン先生がお書きになったものであるというキャプションが脇についていました。この額と展示は、去年お亡くなりになった先生を顕彰し偲ぶものでもあるように感じられました。

僕の興味をもっとも引いたのは、”The Famous Landscape”と題される210室に展示されていた胡玉昆の「金陵勝景図」でした。「天闕」から「石城」までの金陵真景図とでもいうべき全12図、すばらしい出来映えです。どれでもいいから、一図ほしいなぁと思ったことでした()

2019年5月5日日曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」13




午前中の調査が終ると、ウェン・フォン先生が僕らをランチに招待してくださいましたが、お昼からシェリー酒が出てきたので、やはりアメリカは違うなぁと驚きました。ランチのあと調査を再開しましたが、早々に切り上げてメアリー・バークさんをお訪ねしました。ここでも一番心に残ったのは其一で、その傑作「菖蒲に蛾」でした。

その日のディナーは、村瀬実恵子さんのご招待で、ウエストサイドの「天龍」で美味しい日本料理に舌鼓を打ちましたが、とくにしばらくぶりの「麒麟」が胃の腑にしみました。

どこを訪ねても、すでにアメリカ経験のある辻惟雄さんがリード役をつとめてくれたので、挨拶も会話もスムーズに、そして和やかに進みました。もっとも、そのころ僕は「寡黙な青年」だったので、もっぱら聞き役に回ったのでした。「饒舌館長」からは信じてもらえないかもしれませんが、決してフェイクじゃーありません!!



2019年5月4日土曜日

山種美術館「花*Flower*華」4

   ひどく冷たい西風が 漁師の家に吹きつける
  風花ヒラヒラ舞ってきて 融けないままで水際に……
  ぼっちの夕日がよくマッチ 待っていたのか沈まずに
  馴染みの画題を思い出す――芦の穂綿と昇る月    (「飛雪白鷺図」)

 もっとも、この両詩は綾瀬がみずから詠んだ詩じゃーありません。「菊小禽図」の賛は、『御定歴代題画詩類』巻89<花卉類>に載る明・劉泰の「題黄菊」、「飛雪白鷺図」の方は、相国寺の春渓洪曹が編んだ『錦嚢風月』に採られる張志龍の「鷺」です。ちなみに、「錦嚢」は僕が大好きな中唐の詩人・李賀のエピソードに由来するそうです。それはともかく、綾瀬はこのようなアンソロジーを持っていたことが分かります。

しかしすごい時代になったもんです。こんなマイナーな文人の詩が、ネット検索で簡単に出てくるとは!! 漢詩のことなんかよく知らない僕でも、ネット検索のことさえ黙っていれば、ちょっとは漢詩通みたいなカッコウをすることができる時代になったんです(笑)

2019年5月3日金曜日

山種美術館「花*Flower*華」3


 山崎館長がそう言って下さったのは、いくつかニューアイディアを盛り込んだせいかもしれません。その一つは山種美術館が誇る酒井抱一の優品に加えられた賛の解釈ですが、もちろんいつもの戯訳です。本来12図のシリーズだったと思われますが、そのうちの「菊小禽図」「飛雪白鷺図」が、山種美術館のコレクションになっているのです。

賛者は有名な亀田鵬斎の子供で、抱一とも仲がよかった漢学者・亀田綾瀬です。むずかしい漢詩なので、かなり私意を加えましたが……。

菊の一叢[ひとむら]華麗なり 秋の光の消えるまで
  西風なまめき世間体 よくするために愛でる人
  だが陶淵明が現れて その気高さを悟らせた
  冷たい霧雨秋の雨 間もなく重陽節が来る        (「菊小禽図」)

2019年5月2日木曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」12


僕は「源氏絵展」をもう一度堪能したあと、隣の中国絵画室へ向いました。入り口には、大きく「渓山無尽」と印刷された額がかけてありましたが、その字はかのウェン・フォン先生の筆でした。

先生は中国絵画の碩学、僕が初めてお会いしたのは、1975年、山根有三先生を団長とする在アメリカ琳派作品調査にカバンモチとして参加、この「源氏絵展」が開かれているメトロポリタン美術館をお訪ねした時のことでした。その時の旅日記を、いま引っ張り出してきたところです。

その625日ジャスト9時に、僕たちは調査を開始させてもらいました。その前の晩は、島田修二郎先生を囲んで遅くまでおしゃべりをしたせいか、僕は寝坊をしてしまい、朝食を取る時間がありませんでした。その時の調査でもっとも印象深かったのは、鈴木其一の「朝顔図屏風」でした。作品の保存状態は決してよくなかったのですが……。


2019年5月1日水曜日

メトロポリタン美術館「源氏絵展」11


とくにアメリカにおける日本美術史研究のパイオニアである、コロンビア大学名誉教授の村瀬実恵子さんがお元気に参加してくださったことは、非常に幸せなことでした。その盛安本に捺された印章に関する鋭い質問に対して、私見を述べる機会が与えられたことも、忘れることができません。

14日はメトロポリタン美術館ササドーテ・ホールのウリス教育センターに会場を移し、ジョン・カーペンターさんの歓迎の辞に続いて、木下京子さん、迫村知子さん、モニカ・ビンチクさん、マシュー・マッケルウェイさんの発表からQ&Aへと移っていきました。シンポジウム終了後、みんなでランチを取りつつ盛り上がりながらも、別れの時は否応なくやってきました。

諸橋轍次博士と石井茂吉氏1

先日「諸橋轍次博士」で あげた DVD 「諸橋轍次博士と『大漢和辞典』」によって、この辞典の完成には、もう一人、きわめて重要な役割を果たした方がいらっしゃった事実を知りました。石井茂吉氏( 1887 ~ 1963 )という発明家にしてタイポグラファー、そして事業...